奇跡ってのは、希望を胸に秘めながら必死こいて走り続けた者に訪れるものなのかもしれねえな

 山の麓から森を見ると、思わず口元が緩む。

 あそこに逃げ込んでしまえば、俺にもかすかな『希望』が生まれるはずだ。

 それは確信ではなく祈りに近かった。

 しかしその祈りすら、『死をもたらす龍』は絶望へと変えてしまったのである――

 

「キャオオオオ!」


 再び甲高い鳴き声が上がると、先ほど感じたのと同じような、ぴりぴりした感覚に襲われる。

 

「まずい! もう一発きやがるか!」


 俺はとっさに身を隠せる場所を探す。

 すると偶然にも岩と岩の間にちょっとした隙間があるのが見えたのだ。


――ザザァッ!


 とそこへ滑り込むと、奴の攻撃に備えた。

 そして次の瞬間には、目の前が白く光ったのだった。


「どうにかやりすごせそうだな」


 そんな風にほっと一息ついた直後だった……。

 目の前が絶望の色に染まったのは――


「な、なんだと……」


 なんと奴の放射型のブレスによって、森の木々に火が燃え広がり始めていたのである。

 そしてうっそうとした森のため、一気に炎が森を覆い尽くしていった。


「くそっ! はじめからこれが狙いだったか!」


 つまり、俺から逃げ道を奪うことが奴の狙いだったのだ。

 俺は急いで岩陰から出ると周囲を見渡した。

 無論、森の中以外の逃げ道を探すためだ。

 

「もうここしか残されていねえじゃねえか!」


 たった一つの道は山の周囲を東へと抜けていく道だ。

 周囲が岩山で囲まれいる険しい道のりで、周辺を写真だけ収めて、実際には足を踏み入れたことのない場所だった。

 だが迷っている暇などない。

 俺は一気にその中へと入っていった。

 

「ギャオオオオ!!」


 狭い入り口に俺が入っていくのを奴は予想していたのだろう。

 大きな口を開けてブレスを放とうとしているのが、目に入った。

 

「くそっ! ちょっとは黙っていやがれ!!」


 俺は腰の短弓を取り出すと、破れかぶれで矢を放った。

 

――ドシュッ!


 無駄なことだなんて百も承知だ。

 しかしこのまま無抵抗であの世いきってのも、男として芸がなさすぎるってもんだ。

 俺はせめて最期に文字通りに一矢報いたかった。

 ただそれだけだったのだ。

 

 しかし、奴は予想外の行動を見せたのだった。

 

――バキッ!


 なんと溜めていたブレスを途中で飲み込み、固く口を閉ざしたのである。

 奴の硬い鱗に覆われた顔に、矢は虚しく弾かれてしまったが、俺は電撃が体内に走ったかのように一瞬だけ動きを止めていた。

 その直後に浮かんだのは乾いた微笑だった。

 

「……今さら『弱点』をさらしやがって……」


 つまり『口の中』が奴の弱点の可能性が非常に高いということ……。

 そうでなければ一撃必殺のブレスを止めてまで口を閉じる理由がないからだ。

 

 まさか一瞬だけ口が開く隙を狙って、一撃をぶち込もうなど、今の俺には考えられるはずもない。

 だが、この発見は少なからず大きな意味を持っていた。

 なぜなら……。

 

「へへっ! まだまだ矢はたんまりあるからな! ブレスを撃てるものなら撃ってみやがれ! その大きな口に鋭い矢じりを突っ込んでやらあ!」


 そう、奴のブレス攻撃を完封することに成功したからだ。

 さらに言えば、放射型ブレスもまた同じだ。

 そして上空にいる間の奴の攻撃はそれらのブレスしかない。

 つまり俺の足が止まらない限りは、奴は俺に攻撃を加えられないということだ。

 

「さあ、これで五分と五分って感じだな。もし日没まで逃げ伸びられたら、奇跡は起こるかもな」


 日が落ちてから奴がどんな行動を取るのかは分からないが、奴が夜を避けて行動している以上は、少なくとも俺の不利に働くことは考えにくい。

 つまり俺が生き延びられるチャンスが少なからず出てくるのだ。

 これを奇跡と呼ばずして、なんと呼んだらいいのか。

 

 希望が奇跡へと変わる道筋が見えた瞬間に、腹の底から力が湧いてくる。

 地面を蹴る足の力も増したようだ。

 

 奇跡ってのは、希望を胸に秘めながら必死こいて走り続けた者に訪れるものなのかもしれねえな。

 そんな風に思えてならなかった。

 

 山沿いをひたすら駆けていく。

 足場は悪いはずだが、今の俺には平坦の道と何ら変わらずに見えていた。

 ただ前を見て、ただ奇跡を信じて、それだけだったのだ。

 

 奴は俺の行く手を塞ごうと、進行方向へと飛んでくる。

 しかしそうなれば来た道を戻るだけだ。

 何度も行ったり来たりを繰り返しながら、俺たちは壮絶な追いかけっこを演じていた。

 

 どれほど時間がたっただろうか。

 気付けば東の空に顔を出したばかりの太陽は、今では空高くで俺たちを照らしている。

 それでもまだ疲れは感じないし足も動く。

 気付けば全身の痛みもやわらいでいた。もちろん怪我がひとりでに治ったわけではなく、全身を駆け巡る興奮と使命感が、痛覚を麻痺させているだけなのだろう。

 

――行ける! これなら行けるぞ!


 逃げ足には誰にも負けない自信がある。

 現に俺と奴の距離は少しずつ離れていった。

 

 心に余裕ができた俺は、一つだけ小さな願いごとをした。

 もしかなうなら……。

 あの夜見上げた星空をもう一度見てえんだ。

 エルフの少女がたてる幸せそうな寝息を聞きながら――

 

 そんなことを考えている時だった。

 ふと目の前に、わかれ道が見えてきたのだ。

 

 右か、左か。

 そんなことを迷っている場合ではない。なぜならどちらを選択しようとも、やることは全く変わらないのだから。

 そこで何も考えずに左を選択した。

 

 しかし……。

 進んだ先で目に飛び込んできたのは、まったく予想していない光景だった――

 

 なんと一人のエルフが岩にもたれかかるようにぐったりとしていたのだ。

 

「おいっ!? 大丈夫か!」


 俺は思わず声をかけて、そのエルフに駆け寄った。

 どこかで見たことがあるような、整った顔つきをした中年の男性だ。

 何らかの原因で意識を失っているようだが、まだ息はある。

 

「こんなところでおねんねしていたら、奴の餌食になっちまうぜ!」

 

――バシャッ!


 俺は持っていた水筒の水を彼の顔にかけた。

 すると……。

 

「う、うーん……」


 と、彼はうっすら目を開けたのだ。

 幸いなことにまだドラゴンは追いついてこない。

 俺は彼が目を覚ましたとみるや、耳元で大声をあげた。

 

「飛べるか!? もうすぐドラゴンがここへやってくる! 逃げるんだ!」


 彼は目を丸くして俺を見つめている。

 

「……あなたは……?」

「今は自己紹介をしている暇はねえよ! とにかく飛んで逃げろ!」


 俺の必死な様子に、彼も重大な危険が迫っているのが理解できたようだ。

 しかし彼はどこか諦めたかのように、首を小さく横に振った。

 

「せっかく御忠告いただいたのだが、申し訳ない。先日、そのドラゴンにやられてしまってね……。もう飛べないのだ」

「なんだって!?」


 ぱっと彼の背中を見れば、羽がびりびりに切り裂かれた跡が見える。

 

「ふふっ……名誉の負傷ってやつさ。ここで死んでも後悔はない」

「どういうことだ?」

「ひとことで言えば愛娘の命を助けた……ってことかな」

「えっ!? ということはまさかあんたが山頂を襲った野鳥……そしてフレイなのか……」


 『野鳥』……。

 それは奇跡的にクリスティナと俺が助かった時に、山頂で奴の卵に近付いた者のこと。

 てっきりあの時は腹を空かせた命知らずの野鳥だとばかり思っていたのだが……。

 

 そして彼の名は『フレイ』。

 つまりクリスティナの父親ということか……。

 

 彼は俺の問いに答える代わりに、ニヤリと口角を上げたのだった――

 

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