奇跡を運ぶ風

◇◇


 クリスティナは幼い頃から「無鉄砲」だとか「向こう見ず」などと大人からよく言われていた。

 なぜなら彼女が何度も村の外に出て、たった一人で山や洞窟へと冒険していたからだ。

 ただそれらの『冒険』は、すべて彼女自身の欲求を満たすためのものであった。

 

 未知の場所への好奇心であったり、閉塞的な村の生活への不満の解消であったり……。

 

 しかし今、彼女が島を飛び出して大海原の上空を飛行しているのは、決して彼女の欲求を満たすためではない。

 

――絶対にフィトを死なせない!


 それは彼女にとって初めて、自分以外の誰かのための『冒険』であった。

 いや、この痛切な想いもまた、彼女の澄みきった欲求と言えなくもない。

 ただ、自分でも考えられないほどの力と勇気が湧きあがってくるのだから、従来とはまったく意味合いの異なる『冒険』であるのを如実に示していた。

 

 しかし肉体とは脆いもので、いかに想いが強くても限界はある。

 夜が白み始める前にフィトと別れてから、エルフたちのもとへ全速力で向かい、彼らを村へと誘導した彼女。

 それからもまったく休むことなく飛び続けていた彼女の肉体は、とうに限界を迎えていた。

 だが、もし彼女が何もかもを諦めて、背中の羽を動かすことをやめたとしたなら、真っ青な海面に彼女は叩きつけられることになる。

 そうなれば彼女の『冒険』は失敗に終わり、彼女の想いは成し遂げられることなく潰えてしまうだろう。

 

――わたしは諦めるわけにはいかない!


 と、自身を奮い立たせて、彼女はどこまでも続く水平線に向かって飛び続けていた。

 

 では、彼女は自身の命の危険をおかしてまでして、どこへ向かっているのだろうか。

 それは言うまでもなく、『真紅の戦乙女』リーサのもとだ。

 

 なぜなら彼女は知っているからだ。

 リーサがフィトを助けるために、リーパー・リントヴルムとの決戦に挑もうとしていることを。

 フィトはそのタイミングを「今晩」であると言っていた。

 それを1分でも1秒でも早めてもらいたくて、大海原のどこにいるかも分からない船を探すための『冒険』に出たわけだ。


 だが同時に、フィトはリーサの身を案じて、その決戦を阻もうとしていたことも知っていた。

 

――フィトは怒るだろうな……。


 今自分が行おうとしているのは、彼の願いを踏みにじるような行為だ。

 さらに言えば、仮にリーサたちの到着が早まったとしても、一人でドラゴンに立ち向かいにいった彼を救える保証などない。

 

 ……だが、彼女は自分の『冒険』と『勇気』を信じていた。

 

――怒られたっていい。たとえ無駄な足掻きだったっていい。今フィトのために命を賭けなかったら、わたしは一生後悔する。


 もう何時間飛び続けているだろうか。

 尽きかける体力に、飛行の高度が少しずつ下がっていく。

 強烈な疲労に、まぶたは徐々に閉じかける。

 

――ピシャッ!


 膝あたりから聞こえてきた高い音と、冷たい感触に、はっと我に返ると、足が海面をこすっていたことが分かった。

 

「ふふ、危なかったな……」


 と、乾いた笑みが漏れる。

 いつもなら穏やかで優しい海が、今は巨大な口を大きく開けた怪物のように思えてならないから不思議なものだ。

 

「お願い……。もう少しだけ時間をちょうだい」


 彼女は海面に向かってそう言った。

 だが、それは単なる強がりなのは、どこを見渡しても青い海面しか見えないことからしても明らかというものだ。

 

 その後も彼女は、何度も海に食われそうになりながら飛び続けた。

 目はかすみ、視界はぼやけている。

 船を探そうにもこれでは何も見えない。

 

「ごめんなさい、フィト。ごめんなさい」


 いよいよ彼女の口からも弱気の言葉が漏れ出した。

 同時に羽を動かす力が弱まり、みるみるうちに海面が間近に迫ってきた。

 自然と流れ出る涙を止められず、彼女は己の浅はかさを後悔していた。

 

 しかし、そんな時だった……。

 

――もう泣くな。俺は女の涙に慣れてねえんだよ。


 と、フィトの声が頭の中へ直接響いてきたのだ。

 

「えっ!? フィト?」


 もちろん彼が近くにいるはずもない。

 なぜならここは島から遠く離れた大海原のど真ん中なのだから……。

 それでも彼女は、近くに彼のことを感じていた。

 

――同じ太陽の下で、頑張ってるんだって思えれば、自然と相手のことを近くに感じるもんだ。

 

 あの時は単なる詭弁にすぎないと思っていたが、今は違う。

 彼女は心の中で彼に問いかけた。

 

「わたしはここで諦めちゃっていいかな……?」


 フィトは優しいから、きっと許してくれる……。

 そう彼女は思っていた。

 そして彼から許されれば、このまま海の藻屑となろう……。

 そんな風に覚悟していたのである。

 しかし……。


――なにを言ってやがるんだ。こんな出来損ないのおっさんに地図を完成させたのは、他でもない、クリスティナじゃねえか。そんなお前さんがやれねえことなんてねえさ。


「え……!?」


 なんと頭の中の彼は、彼女に諦めることを許さなかったのである。

 彼女は首を横に振りながらつぶやいた。

 

「でも、もうわたし飛べない……。だからここでお終いにしようと覚悟を決めたの……」


――覚悟ってのは、諦めることとは違えんだ。むしろ希望を見出すために、一か八かの大勝負に出ることなんだよ。


「フィトは……ずるい。そうやっていつもわたしの背中を叩くんだから」


 思わず口元に笑みがこぼれた。

 

――やっぱり女の子には、笑顔が一番似合うってもんだ。


 そして、次の瞬間だった――

 

――ブワッ……!


 と、下から突き上げられるような海風が彼女の体を空高く舞わせたのだ。

 

「えっ!? なにこれ!?」


 それは、予想もしない上昇気流だった。

 彼女は羽を動かすのをやめて、風に身を任せる。

 するとその優しくて、強い風は彼女の体をぐんぐんと押していくではないか。

 

「フィト……」


 人間が『風』になるなんて信じられるはずもない。

 しかしその『風』を、彼女はフィトであるように思えてならなかった。

 

 突然熱いものが込み上げてくると、涙が瞳から溢れだしそうになる。

 だが彼女はそこをぐっとこらえて笑顔を作った。

 フィトと二人で地図を作った『冒険』を思い出しながら……。

 

――基本は『笑顔』だ。希望ってやつは『笑顔』に集まるもんさ。


 その声が最後だった。

 気付けば上昇気流も抜けて、もとの凪の状態。

 だが彼女は笑顔だった。

 

「わたしは希望を奇跡に変えてみせる! フィトが近くにいてくれるんだもん! 絶対に大丈夫!」


 そう力強くつぶやくと、風に乗っている間に休めていた羽を動かし始めた。

 相変わらず飛行は安定せずに、ふらふらとしたままだ。

 だが彼女の胸のうちに根を張っていた、絶望や後悔は霧散していた。

 

 そして……。

 

 『奇跡』は起こった――

 

「おおおい!! あなたはエルフなのぉ!? 聞こえたら返事をしてちょうだい!!」


 という声が耳に飛び込んできたのだ。

 はっと顔を上げた彼女は、懸命に叫んだ。

 

「わたしはエルフ! 名前はクリスティナ!! お願い!! フィトを助けて!!」


 と――

 

 

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