落ちこぼれフィトは、英雄を夢見て絶望に挑む

友理 潤

苦い人生に苦いジュースはお似合いだった

 俺の目の前には今、漆黒の絶望が大きな口を開けている。

 その口にはずらりと牙が並び、広げた手には凶悪な爪。大きな瞳で睨み付けられただけで心臓が止まってしまいそうだ。


 こうして間近で見ると『死をもたらす龍』の名に恥じねえ、立派な姿じゃないか……。


 ちらりと自分の腹に目をやると、じんわりと血が滲んでいる。

 血を流しすぎたせいか、自慢の『逃げ足』も、もうぴくりとも動かなくなっちまった。

 乾いた笑いが口元に浮かんでいるのは、冒険者のはしくれとしてのちっぽけな意地ってやつだ。


 もはや確実となった結末を目前にしながらも、俺は冷静に今までの人生を振り返っていた。

 もし人生が『勝者』と『敗者』の二つしかないなら、俺は間違いなく『敗者』だ。


 何をやらせても上手くいかねえ。

 気の置けない仲間もいねえ。

 そして無様に命を落とそうとしてやがる。


 だが……。


 最後の最後で俺は後悔しない選択をした。

 誰かにちっぽけな希望の光を与えられた。

 それだけで十分なんじゃねえか。


 たった一つでも、胸を張れることがあれば、それだけで生きてきた甲斐があったんじゃねえか――


 俺は地図を作ってきた。

 人生の最後で出会った、大切な存在とともに。

 その大切な存在を守る選択をしたんだ。


「それだけでいいんだよ……」


 今際の際とは思えないほどに清々しい表情で絶望を見上げる。

 さあ、もうひとおもいにやってくれや。

 そう声にならない言葉を瞳に込めた。


 ……と、その時だった。


 視界に映った光景に……。


 俺は――



………

……

 

 少しだけ時間を戻す。


 俺の名はフィト・ブラント。歳は三十。彼女すら作ったことがない冴えないおっさんだ。

 ぼさぼさの髪に、気が向いた時だけ剃る無精ひげ。

 自分では自覚が全くないのだが、他人から見ると『いつでもやる気がない顔』らしい。


 そんな俺につけられたあだ名は『落ちこぼれフィト』。

 まあ、こう言っちゃあなんだが、あだ名のまま。万年最低ランク『Fランク』の冒険者だ。

 

 もう十年も前のこと。

 駆け出しの頃は正義感とやる気に満ちた普通の青年だった。


 森で迷子になっている少女を助けたことだってある。

 だが、あれが冒険者として俺のピークだったのかもしれない。


 あの時は八歳だった少女も、今は一八歳か……。


 どこで何をしているか知らないが、整った顔立ちをした少女だったから、きっと美人になっているに違いない。

 

 その後の俺は、ただ歳を食っただけだった。

 いや二十歳だったあの頃に比べれば、気力も体力も大きく落ちてしまったのだから、むしろ退化していると言っていいだろう。

 

 駆け出しの頃はそりゃあ何でも一生懸命やったさ。

 いつかは『ブラック・リンノルム』というSSランクモンスターをパーティーと共に倒してやる、なんて夢を追いかけていたものだ。

 周囲は『ルーキー』である俺を助けてくれたし、ギルドだってやる気に満ちた俺を優遇してくれた。

 

――夢があれば、なんだって出来るんだ!


 と、今思えば恥ずかしくなってしまうようなことを、酒屋のマスターの一人娘、マリーに語っていたのも覚えている。

 

 だが、二年もすれば『ルーキー』である特権はなくなっていった。

 そしてどんなに頑張っても、冒険者としての腕前は上がっていかなかったのだ。


 致命的だったのは『腕力のなさ』だ。


 大型のモンスターとまともにやり合うには、どうしたって大型の武器を扱えなければ話にならない。

 しかし俺の腕力では、それらの武器を自在に操ることができなかった。

 幸いなことに『脚力』だけは人並み以上だったので、ピンチになれば逃げることはできた。


 もちろん、仲間を見捨てて自分だけ逃げるなんて真似はしない。

 傷ついた仲間を抱えながら逃げたことも一度や二度ではなかった。

 時には異なるパーティーの冒険者を抱えたこともある。


 だからただ一度だって逃げたことを恥じた覚えはない。


 しかし、それでも……。


――あいつ、逃げ足だけは早いんだぜ。


 と、公然とささやかれるようになると、周囲から次々と人が消えていったんだ。

 そうしてついに俺は『ぼっち』になった――

 

 それから八年。

 俺は『採取』クエストと呼ばれる、木の実やキノコなど、どこにでもあるような普通のアイテムを採ってきては納品するという、駆け出しだろうがなんだろうが、誰でも出来るクエストだけを受け続け、日銭を稼いできた。

 扱う武器も、身の丈にあった短弓に短剣と、せいぜい小型モンスターの威嚇にしか使えないような軽量のもの。

 

 自分で言うのも何だが、完全に『お荷物』である俺を、よくもまあ十年もギルドは冒険者として籍を置き続けてくれたものだ。

 毎年のように多くの『ルーキー』が冒険者としてデビューしていくなか、芽が出なかった者たちも同じくらいの数だけ抜けていく。

 中にはクエストで大けがを負って、冒険者として続けられなくなってしまう者もいるのだ。

 彼らのような勇敢な冒険者がギルドを去っていくのは胸が痛いし、なんだか申し訳ない気持ちになる。

 なぜなら逃げ足だけは早い俺が大けがする心配など皆無だからだ。

 

 だが、そんな俺にもいよいよ『最終通告』が言い渡されることとなった。

 それは『特殊クエスト』と呼ばれるものだった。

 このクエストは言い渡されると、必ず受けなくてはならない。

 そしてもう一つ。忘れてはならない条件がある。

 

 それは……。

 

 もし失敗したら、その時点で冒険者資格をはく奪されるということ――

 

 

◇◇


 街の酒場――


 

「とうとうこの日が来ちまったか……」


 この歳にもなると、滅多なことでは落ち込んだり、浮かれたりしないものだが、この時ばかりは気が滅入っていた。

 そんな俺の顔を、今年で二十になる酒場の看板娘、マリーが心配そうに覗き込んでくる。

 

「おにいちゃん。大丈夫?」


 あどけなさの残る可愛らしい顔立ちのマリーは、昔から俺のことを「おにいちゃん」と呼んで慕ってくれている。

 俺も彼女のことを実の妹のように接していたのだった。

 

「あんまり大丈夫じゃあねえな……いつか踏ん切りをつけなきゃなんねえとは考えていたんだがよ。こうしていざ、その時がきたとなると、やっぱりビビっちまうもんだな」


 いつになく弱気な俺に対して、マリーはドンと巨大なビールジョッキを置くと、底抜けに明るい声で励ましてくれた。

 

「夢があれば、なんでもできる! でしょ! おにいちゃん!」

「はは……やめてくれよ。そんな昔の話。よく覚えてんな」


 俺が手をひらひらと振ると、彼女は顔を真っ赤にしながら言った。


「わ、私はおにいちゃんのことなら何でも……」

「何でも?」


 途中で言葉を切った彼女の顔をちらりと見ると、彼女は口をへの字に曲げて恥ずかしがっている。

 何をそんなに恥じることがあるのか、よく分からない。


「まあ、何でもいいよ。ありがとな」


 と、さらりと告げると、ぐいっとジョッキの中の『マリー特製のお茶』を飲みほした。

 

「ぷっはぁぁぁ!! 相変わらず苦えな! だが、おかげで体中に元気が湧いてきたぜ! じゃあ、行って来るよ」

「うん! いってらっしゃい! おにいちゃん!」


 やっぱりにマリーには笑顔がよく似合う。

 太陽のような眩しい顔で彼女は元気よく俺を送りだしてくれた。

 

 酒場を出ると、緩んだ表情を元に戻す。

 そして……。

 

――もうここに『冒険者』として立ち寄るのは最後かもしれねえな。


 そんな風に心を曇らせながら、ギルドの方へと歩いていったのだった――


 

 


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