冒険者たる者、油断は禁物だった

◇◇


――カシャッ!


 エクホルム島に到着した俺は、早速海岸の写真と目の前に広がる大きな森を写真に収める。

 そしてくるりと振り返ると、笑顔の船長と固い握手をした。


「じゃあな! くれぐれも命だけは大切にするんだぜ!」

「ああ! ここまでありがとな!」


 俺は船長と簡単な別れの挨拶を交わすと、早速森の中に足を踏み入れることにしたのだった。

 

 普段は熟知した場所でしか採取クエストをしてこなかった俺にとって、地図すらない場所を進んでいくのは、さながら真っ暗闇の中を手さぐりで進んでいくようなものだ。

 ひんやりとした空気にも関わらず、自然とひたいに汗が浮き上がってくるのを抑えられない。

 

 俺は周囲を警戒しながらゆっくりと進んでいった。

 

 高い木々が太陽の光を塞ぎ、辺りは薄暗い。

 何度かタブレットのシャッターを切ったが、ここを写真に収めてもなにか意味があるのだろうか……。

 

 野鳥の声があちこちでこだましているが、その中に俺の知っているモンスターらしき声は混じっていないことに、少しだけ安心していた。

 

「このままなにとも遭遇しなければいいんだがな」


 そう心から願っていた矢先のことだった。

 

――ガサッ、ガサッ!


 と、すぐ側の茂みで何かが動く音がしたのだ。

 

 俺は慌てて短弓を手に取ると、音がした場所から二歩離れた。

 

「誰かいるのか?」


 もし相手が人間か、それに近い種族であれば言葉が通じる可能性が高い。

 そうでなければ巨大なネズミやウサギのたぐいか……。

 最悪はモンスターという可能性もある。

 だが茂みはあまり大きくないので、ドラゴンなどの大型モンスターではないのは確かだ。

 

 ぎりぎりっと短弓の弦を絞る。

 短弓とは字のごとく、小型の弓で矢も小さい。

 よって殺傷能力は低いが、小型のモンスターならヒットすればそれなりのダメージを与えられるだろう。

 

 そこで返事がなければ矢を放って様子を見るのが得策だろうと考えていた。

 

「もし言葉が分かるなら返事をしてくれ。でないと、この弓を放たなくちゃなんねえ」


 もう一度呼びかけて見たが、相変わらず返事はない。

 しかしそこに何かいるのは、隣のポチが低い声でうなっていることからも明らかだった。

 

 そして弓矢を放とうとしたその瞬間だった――

 

「あなたは誰?」


 と、茂みから細い女性の声が聞こえてきたのだ。

 ふっと肩の力が抜ける。

 

「言葉が分かるのか? お前さんは人間かい?」


 弓を下ろしながらそう問いかけた。

 

 しかし……。

 

 俺はすっかり忘れていたのだ。

 『冒険者たる者、油断は禁物』であるということを――

 

――バシュッ!!


 という鋭い音が聞こえたかと思うと、茂みの中から小さな何かが俺の首筋に向かって一直線に突っ込んできたのだ。

 

「うおっ!」


 情けない声しか出せない俺は、思わず両手を上げた。

 すると首筋に太い針を突き立てた羽の生えた小さな女性が、俺を見上げながら睨みつけていたのだった。

 

 しばらく無言で視線だけを交わす時間が続く……。

 

 彼女の顔は険しいが、それでも人間ならば相当な美人だ。

 ウエーブのかかった長い髪に、目鼻立ちがはっきりしている。

 

 サイズは小さくて背中に羽が生えているが、それ以外の見た目は全部人間と同じじゃねえか。

 それなら話が通じるかもしれない。

 そう考えた俺は、恐る恐る彼女に話しかけることにした。

 

「待ってくれ。俺は敵じゃねえ」

「何を根拠に言ってるの?」

「根拠? そんなもんねえけど、俺はただ『地図』を作りにこの島にやってきただけだ」

「地図ですって? どうせ地図を作ったら仲間を呼んで、わたしたちの平和をおびやかそうと考えているに違いないわ!」

「信じてくれ。そんなつもりは全然ねえよ」

「だからどうやってあなたを信じればいいか、それを示しなさい!」


 これじゃあらちが明かない。

 俺は彼女を説得するのを諦めて、彼女が望んでいることは何か問いかけることにした。

 

「じゃあ、俺にどうして欲しいのさ。どうせお前さんの一突きで俺はこの世からおさらばだ。こうなりゃ何でも言うことを聞いてやろうじゃねえか」

「ならこの島からすぐに立ち去りなさい!」

「それは難しい相談だな。俺を乗せた船はとうに国に戻っちまったから。三日待ってくれれば、この島から出られるんだが……」

「そんなに待てない!」

「なら仕方ねえ。お前さんの望みどおりにはいかねえってことだ」

「そう……それなら私がすべきことは一つよ」


 低い声で告げた彼女の瞳がぎらりと光る。


「覚悟を決めたか……。分かったよ。油断した俺が悪かったってことだ。まあ、このままダラダラと生きていても、どうせいいことなんか起こりゃあしねえからよ。ひとおもいに頼むわ」


 俺は顎を持ち上げて、彼女に首筋を見せた。

 視線が自然と上を向いたため、彼女の表情をうかがい知れないが、きっと怖い顔してるんだろうな。

 

「……ここに来たあなたが悪いんだからね」


 ぼそりとつぶやくように言った彼女の声に迷いが感じられる。

 恐らく相手の息の根を止めるのは初めてなんだろうな。

 

「あんまり深く考えんな。強い者が弱い者の命を奪うってのは、この世界のルールみたいなもんだろ」

「深くなんて考えてない」

「そうか……ならよかった。さあ、そろそろ頼むわ。せっかく覚悟を決めたのに、鈍っちまうだろ。……そうそう、一つ言い忘れたが、そこにいるミニドラゴンは正真正銘『無害』だからよ。俺の代わりに面倒みてくれや」

「ぴいぃぃぃ……」


 ポチの泣く声が耳に入ると、急に死ぬのが怖くなってきた。


「すまんなポチ。これもさだめってやつだ。達者に生きろよ。……もう言い残すことはねえ! 早くやるならやってくれ! ためらってんじゃねえよ!!」


「うわああああっ!!」


 彼女の絶叫とともに羽をばたつかせる音が聞こえる。

 恐らく俺の首を確実に貫くために加速をつけているのだろう。

 

――ブウウウンン!!


 徐々に羽ばたく音が高音に変わっていく。

 あと数秒のうちには、俺はこの世の者ではなくなるだろう。

 もし未練があるとすれば、マリーの花嫁姿だけはこの目に焼き付けておきたかったな……。

 

 そんな風に最期の思いを巡らせていた時だった。

 

「クリスティナ!! やめよ!!」


 と、しゃがれた老婆の一喝する声が、森の中に響き渡ったのだった――

 


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