英雄を夢見て絶望に挑む

◇◇


 ゆっくりと足首を回す。その後は、屈伸運動……。

 長時間走り続けるには、入念な準備運動が不可欠だ。

 たとえ切羽詰まっている状況でもだ。

 俺はじゅうぶんに体がほぐれたのを確認すると、胸に手を当てた。

 

「ビビってんじゃねえぞ、俺よ。小さなころから夢見てきた『英雄』になれるのは今しかねえんだ。人間長く生きるだけが全てか? 金持ちになって豊かな生活を送ることだけが全てか? 少なくとも俺はそうじゃねえだろ。たった一回だけの『英雄』になれるだけで、幸せな人生だったって胸張れるんじゃねえか」


 自分に言い聞かせると、自然と足の震えが止まる。

 体じゅうを流れる血が燃えるように熱くなってくるのも感じてきた。

 

「へへ、こいつは驚きだ。俺ってやつは、まだ若けえじゃねえか。……んじゃ、いくか」


 ちらりと白み始めた空を見上げる。

 そこには『絶望』と言う名の山がそびえたっているのが、確かに目に入っていたのだった――

 

◇◇


 その頃、王国を出た『真紅の戦乙女』リーサたち一行は、島に向かって海を突き進んでいた。

 船の頭に立って前方をじっと見つめているリーサに対して、彼女のパーティーの一人、ステファノが告げた。

 なおこのステファノというがたいの良い男も、もう一人の仲間であるデニスと同じように、フィトによって救出された過去を持っている。


「リーサ! この調子なら今日の夕方には島に到着しそうだ」


 彼女は視線を変えずに、彼に対して答えた。

 

「ええ。では日没とともに島に到着するように、島付近になったら一度船の速度を落としましょう」

「ああ、今夜には『死をもたらす龍』とご対面ってわけだな。大丈夫か?」

「ふふ、大丈夫かどうかなんて関係ないわ。ただ『挑む』それだけ。今までもそうだったでしょう?」

「ふっ……そうだったな。許してくれ、俺が悪かった」


 口元を緩めながら頭を下げたステファノに対し、彼女はようやく視線を彼に向けると、笑顔で続けた。


「いいの。それに、あなたとデニスがいるから、こうして強気なことを言えるの。いつも一緒に戦ってくれてありがとう」

「やめてくれ、礼なんて。それに今回ばかりはリーサのために戦うんじゃない」


 リーサが目を丸くすると、ステファノは目を細めて答えた。

 

「俺たちの恩人、フィトさんのためだからな」

「ふふ、そうだったわね」


 彼女もまた目を細めると、再び島の方向へ目を向ける。

 海風に長い髪と真紅のマントがたなびく。

 のぼり始めた朝日は、たった一人の男を助けることへの使命に燃える彼女たちをきらきらと眩しく照らしていたのだった――

 

◇◇


 朝日が完全に顔を出した頃――

 

 『死をもたらす龍』リーパー・リントヴルムが動きだした。

 ドラゴンの目指す先は、レヴェーン洞窟。

 ペルガメント山の山頂からものの三十分もあれば到着するだろう。

 エルフたちは右へ行くべきか、左へ行くべきかすら迷い、結局洞窟の側から動けていなかった。

 だが、彼らにもドラゴンの黒い影が山頂からこちらに向かってくるのが見えると、いよいよ大騒ぎになった。

 

――もうだめだ……。諦めよう。

――ううっ。まだ死にたくないよう。


 そんな時だった……。

 彼らの『希望』となるべく、一人のエルフが全速力でやってきたのは――

 

「クリスティナ!!」


 長老のカーサが大声で彼女の名を呼ぶと、クリスティナはありったけの声で叫んだ。

 

「村へ! エンフェルド村へ移動をして! フィトからの指示なの! お願い!!」


 人々が一斉に顔を見合わせる。

 しかし彼女の口から出た「フィト」という言葉、そしてなによりも彼女の鬼気迫る真剣な表情から、迷うことはなかった。

 

「クリスティナの言うとおりにするのじゃ! 男たちは動けない者たちを頼んだぞ!!」

――はいっ!


 カーサの号令に人々が動き出す。

 そして全員が動き出したのを確認した後、彼女は先頭を行くクリスティナに近寄って問いかけた。

 

「クリスティナ! お主は一人か。フィト殿は?」


 クリスティナはカーサの質問に、燃えるような強い眼光をドラゴンに向けながら答えた。

 

「フィトは……英雄になるために一人で旅立ったの」

「英雄に? どういうことじゃ?」


 そうカーサが目を丸くした直後だった。

 大きくなってきたドラゴンの影が反転し、山へと戻っていったのは……。

 それを目の当たりにした瞬間に、クリスティナの大きな瞳から涙が流れ始める。

 その涙を見た瞬間にカーサはなにかをさとった。

 

「まさか……フィト殿は一人であの怪物を……」


 カーサの言葉にクリスティナは唇を真一文字に結ぶと、ぐいっと涙をふいた。

 そしてカーサに向かって告げたのだった。

 

「おばあ様。あとはお願いします。わたしは、わたしにしかできないことをやりに行ってきます」

「……どうせ止めても無駄なんじゃろう。いいだろう、行ってきなさい」


 カーサがあまりにもあっさりと首を縦に振ったことに、クリスティナは思わず目を丸くしてしまった。

 するとカーサは彼女の背中をポンと押して言ったのだった。

 

「惚れた相手のためなら、信じられん力が出るのは男も女も同じだって、フィト殿に見せつけてやるんじゃぞ」

「えっ!? おばあ様!?」


 顔を真っ赤に染めたクリスティナに対して、カーサは口元に不敵な笑みを浮かべて目を細める。


「いいから行け! 行って、たった一人の男のためだけにその命を捧げてこい! そんな人生も悪くはあるまい! かかか!」


 大笑いをするカーサに対して、力強くうなずいたクリスティナは、次の瞬間には飛びだっていった。

 

 その方向は、リーパー・リントヴルムが戻っていった山頂の方角ではなく、島の外……。

 つまり大海原の方角だった――



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