恐怖との付き合い方
◇◇
レヴェーン洞窟は島の南西の端に位置している。
一方で、リーパー・リンドヴルムは、島のちょうど中央にあるペルガメント山に産卵したようで、夕方になるとそこに戻って、寝床としているのは分かっている。
そしてエルフたちの村、エンフェルド村は島の南側の森。そこから真っ直ぐ真南に抜けたところが、船着き場というわけだ。
地図の内容を言葉で表現するってのは、なかなか難しいな。
さて、地図の残りは島の北東部。つまり洞窟とはちょうど対角線にあたるエリアだ。
もちろんその対角線の通りに進めるはずはない。
なぜなら同じ対角線の上には、ペルガメント山もあるし、なによりも道が険しすぎて進めないからだ。
となると洞窟を出て、一度南側を通過するしかなく、そのためエルフの村がある森に立ち寄ることになる。
それからエルフの村から東側、つまり島の南東部に出てから、ほぼ海岸線に沿って北上をしていく道しかないだろう。
行動できるのは、言うまでもなく『夜』のみ。
しかも昼間に身を隠す場所を見つけながら、進まなくてはならない。
自然と一日で進むことができる距離は限定された。
それでも初日でどうにかエンフェルド村までたどり着くと、そこで身を隠せる場所に潜り込むことにしたのだった。
俺は村のはずれにある巨木のくぼみに、クリスティナはちょうど向かい側の大きな岩の隙間に隠れると、もうすぐ朝がくるのを示すように空の色が紫色へと変わり始める。
「今日はここまでだ。朝がきたらドラゴンの動きを見るから、それまで少し休むぜ」
「ええ……」
クリスティナの声が少し暗い。
俺は肩の力を落として問いかけた。
「どうしたよ? らしくねえ声だしやがって。こんな状況とは言え、故郷に帰ってきたんだ。もう少し喜んだらどうだ?」
彼女は俺の問いが意外だったのか、目を大きくして俺の顔を見る。
俺はニヤリと口角を上げて、彼女の視線に応えた。
すると彼女は、苦笑いを浮かべながら返事をしたのだった。
「ごめんなさい。……でも、誰もいない村って寂しいな、って」
「ああ、そうだな」
「ここら辺は、子供たちがよく遊んでいた場所なの」
「そうだったのか」
「少し行くと、みんなでお洗濯する場所。その近くは蜂蜜を採る場所……。どこに行ったって人たちの笑顔で溢れてた。それなのに今は……」
「……あんまり深く考えんなよ。あと少ししたら、また今まで通りの光景が帰ってくるんだからよ」
「うん……」
会話はそれっきりで終わった。
俺は彼女から視線を外して、色を取り戻しつつある空を眺めると、彼女の内心に思いを馳せる。
故郷ってのは、そこにあるモノや家だけでなく、住む人々がいてはじめて成り立っていると言えるのかもしれねえな。
今は『人』がいない無機質な風景が広がっている。
きっと隣で小さな寝息を立て始めた彼女のまぶたの裏には、人々が村の中で眩しい笑顔を見せていることだろう。
どうにかしてやりたいんだがな……。
そんな思いとは裏腹に、ぎゅっと胸が締め付けられる感覚に襲われているのは、『彼らを故郷に戻してやることがかなわないのではないか』という弱気の虫が暴れているからだ。
ふと自分の両手を広げると、かすかに震えているのが分かった。
「へへ……やっぱり重いよな。怖えよな。逃げ出したいよな。俺よ……」
クリスティナにも聞こえないほどの小声でつぶやくと、両手で顔を覆う。
視界がふさがれて真っ暗闇になると、心の中に巣食った『プレッシャー』や『恐怖』が、漆黒の龍と姿を変えて浮かんできた。
その龍とじっくり向き合う。
大きくつり上がった瞳。鋼鉄のような鱗。死神の鎌のような爪……。
細部に渡って舐め回すように観察する。
するとどうだろう……。
自分でも不思議なことが起こり始めた。
――ドラゴンって、男にとっちゃ『かっこいいもの』の象徴だよな。
と、張り詰めていた緊張が解けて、肩の力が抜けていくのが分かったのだ。
もちろん恐怖が完全にぬぐえた訳ではない。
それでも先程までの押しつぶされてしまいそうな心地は、完全に消失している。
恐怖ってのは、じっくりと向き合うことで少しはやわらぐものなのかもしれねえな。
そんな風に新たな発見に驚いているうちに、いつの間にか深い眠りに落ちていったのだった――
だが……。
それは、夜が明けてからしばらくした時のことだった――
「おいおい……まじかよ……」
と、上空を見上げながら思わず漏らしてしまった。
空の青い部分の大半を覆い尽くしていたのは……。
『絶望の漆黒』、すなわちリーパー・リントヴルムだったのだ――
しかしまだ俺たちが見つかったわけではなさそうだ。
その証拠に、俺たちの隠れている場所に向かって一直線に飛んでくる様子はない。
何かを探しているかのようにゆっくりと旋回している。
俺はちらりと正面にいるクリスティナに目を向けた。
彼女は手で口をふさいで、ただ空だけを凝視している。
しばらくすると彼女の視線が少しずつ下降していった。
そしてその動きがピタリと止まった直後に、彼女の瞳が大きく見開かれた。
「ううううっ……!」
声を必死に殺しながら、彼女がうなる。
そして彼女の瞳からは滂沱として涙が流れていった。
俺もまた彼女と同じ方を見ながら、唇を噛み締めていた。
前歯が下唇を貫き、血の味が舌に滲む。
それでも俺は痛みを感じることなく、ただ体を震わせていた。
俺たちの心を粉々に打ち壊していたその光景とは……。
『死をもたらす龍』が村を破壊しつくしている光景だった――
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