フィトさんが妹にとって『英雄』だからです

◇◇


 島の地図が完成して二日目の夜を迎えた。

 明日の仕込みを終えた俺たちに許された束の間の休息の時間。

 隣ではクリスティナがすやすやと気持ち良さそうに寝息をたてている。

 彼女と迎えた最初の夜は、俺が寝付くまでかたくなに横にならなかったよな。

 だが、今では無警戒に、俺にあどけない寝顔を見せてくれているじゃねえか。

 

「……信頼してもらってるってことで、喜んでもいいかい?」


 俺は彼女を起こさないように、小さな声でつぶやいた。

 ちらりと空を見上げると、無数の星がまたたいている。

 

「不思議なもんだな……。空が綺麗だって感じるのはいつぶりだろうか」


 いや、むしろ空を見上げたのはいつぶりなのか、って問いかけの方が正しいかもしれん。

 気付けば『下』ばかり向いて過ごしてきた。

 両親を相次いで亡くしたあとは、きっと孤独なまま歳を取って、死んでいくんだろうと思いこんでいたのだ。


「てめえはまだ死んでねえぞ、ってことなのか」


 十年前と比べれば、遥かに体力や気力は衰えている。

 それらを取り戻すことすら不可能だと自覚しているし、ましてや冒険者の『普通レベル』まで鍛えるなんて、おとぎ話のようなものだ。

 

「それでも俺は、こうして誰かの隣で空を綺麗に思えていいもんなのかね」


 誰にともなく、ただ月に語りかける。

 もちろん返事など返ってこないのは、分かりきっているのだが、何かを期待するように胸が高鳴っているのはなぜだろう。

 『輝かしい未来』があると、少年のような青臭さに心の一部が塗られているのは、変であろうか。

 

「帰ったらマリーの苦い茶を飲みてえな」


 帰ったら……か――

 この島を離れたら、俺の『冴えない日常』は再開する。

 命の危機に瀕しながら、必死に逃げ回っている今と比べれば、平穏が約束されるだけでも感謝しなくちゃならない。

 その上、『特殊クエスト』をクリアしているのだから、ランクアップと多少の昇給も待っている。

 

 それなのに……。

 

 なぜだろうか?

 

 今こうして、小さな寝息をたてるエルフの隣で月を見上げているのが『幸せ』に感じてしまうのは――

 


「……そろそろ俺も寝るか」


 と、つぶやいた時だった。

 

――ブウウン……。


 タブレットが『着信』を知らせたのは……。

 俺は慌てて『受話』を押した。無論、クリスティナを起こしたくなかったからだ。

 しかし彼女は「どうしたの?」と目をこすりながら、ゆっくりと体を起こしてしまった。

 俺は声を殺して「すまねえな、電話だ」と彼女に謝ってから、電話の相手に向かった。

 

「おう、カタリーナ嬢か? どうしたよ。こんな時間に」

「すみません、おやすみ中でしたか?」

「ああ、明日も絶望と壮絶な追いかけっこが待ってるんでな。今ぐらいなんだよ。のんびりできるのは」

「そうですよね……。わたしもそうだと思ったのですが、裏を返せば安全にお話できるのは今の時間しかないと思い、お電話いたしました。どうかお許しください」

「まあ、堅苦しいのはよしてくれや。……んで、緊急な用件なんだろ?」

「はい、よく聞いてください」


 もはやお決まりとなった出だしだ。

 俺はふっと思わず笑みを漏らして「ああ、聞いてるよ」と返事をすると、彼女がぐっと言葉に力をこめて話し出した。

 

「本日、エクホルム島を舞台にした新たなクエストが発行されました」

「ほう……」

「クエスト名は『リーパー・リントヴルムの危険性および生態を調査せよ』です。クエスト成功条件は『リーパー・リントヴルムの撃退ないしは卵の採取』。対象の冒険者ランクは『Sランク』となります」


 自然と俺の目が大きく見開かれていく。

 そして口をついて出てきたのは怒声だった。

 

「バカ野郎! てめえらは何も分かっちゃねえな! あんな化け物、クエストの対象にしちゃいけねえ!」


 しかし、カタリーナは俺の言葉などお構いなしに、淡々と続けた。

 

「今回、三名の冒険者がパーティーとなって、本クエストを受注し、既に島へ向かっております」

「おいおい! 人の話を聞いて……」

「そのうちの一人は私の『妹』です!」

「えっ……まじか……」


 カタリーナの声が震えている。

 俺は言葉を失ってしまった。

 そもそも彼女に妹がいたことを初めて知ったのは驚きだが、そんなことよりも彼女の家族が、『死をもたらす龍』へ挑みに向かっていること、そしてそれを送りだした姉の悲痛な想いに、胸に鋭い痛みが走ったのだ。

 

「なんでだよ……なんでそんな危険に飛び込んでくるんだよ!?」

「……それは、フィトさんが妹にとって『英雄』だからです」

「英雄……バカ言うな。俺はそんな大それた男じゃねえってのは、お前さんが一番良く知っているだろう?」


 呆れた声で告げた俺に対して、カタリーナはきっぱりと言い切った。

 

「妹が冒険者を目指して厳しい訓練を続けてこられたのも、冒険者となってから数々の死線を乗り越えてこられたのも、そしてルーキーでありながら『Sランク』までのぼりつめられたのも、全てフィトさんとの出会いがあったからなんです」

「おいおい、待てよ。どういうことかしっかり説明してくれ。俺はお前さんの妹さんに、何をしてやったというのだ?」


 ますます混乱している俺に対して、カタリーナはゆっくりとした口調で続けた。


「十年前……。フィトさんは当時八歳の少女を森の中で助けたのを覚えてらっしゃいませんか?」

「え……まさか……あの時の……」


 そりゃあよく覚えているさ。

 俺にとって唯一自分を誇らしく思える出来事だったのだから……。

 

「彼女こそ私の妹……『真紅の戦乙女』リーサ・ルーベンソンなのです」

「『真紅の戦乙女』って……」


 どんなに世間にうとい俺だって、彼女の名前くらいは知っている。

 なぜなら毎日のようにギルドは彼女の話題で持ち切りだったから……。

 飛ぶ鳥を落とすような勢いで冒険者としての栄光の道を駆け抜けていった彼女が、まさかあの時の少女だったなんて……。

 

「うわっはははは!! こいつは驚いた! はははっ!」


 自然と出た笑いが止まらず、隣で俺の様子をうかがっていたクリスティナが目を丸くしている。

 しかし、彼女の様子など気に留めずに俺は夜空に笑い声を響かせ続けた。

 だって、そうだろう。

 俺が助けたあの少女が、かの『真紅の戦乙女』だったんだぜ!

 どんなモンスターにも立ち向かう、不屈の闘志をもった伝説の冒険者なんだぜ!

 こんなにも嬉しいことがあってたまるか!

 

 ならばなおさらだってんだ――

 

「カタリーナ。安心しな。お前さんの妹さんを危険な目には合わせねえよ」

「えっ?」

「『真紅の戦乙女』には悪りいが、このクエストはギブアップして、とんぼ返りしてもらう」

「フィトさん……」


 電話の向こうでもカタリーナが狼狽している様子がうかがえる。

 俺は彼女に言い聞かせるように、一層声を低くして言ったのだった。

 

「それくらいリーパー・リントヴルムってのはアブねえ奴ってことだ。十年も冒険者やってると、分かるんだよ。人間の限界ってやつが」


 と――

 

 

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