エピローグ
◇◇
意識を失っている間、俺は夢を見ていた。
とても不思議な夢だ……。
俺は海の風になっていて、俺の背中に一人のボロボロのエルフが乗っかってるんだ。
そのエルフは俺がよく知っている人。
ちっぽけな体で、たった一隻の船を探しに飛び出していっちまうほどの無鉄砲なやつだ。
でも、なぜだろうか?
彼女は瀕死の状態であるにも関わらず『笑顔』なんだ。
風である俺に、安心しきって身を委ねてやがるんだ。
俺は、そんな彼女の『笑顔』を――
◇◇
「では、フィトさまの、『Eランク』昇格を御祝いしてぇぇ!!」
――かんぱぁぁぁぁい!!
――うおぉぉぉぉぉ!!
リーサの快活な音頭の直後に、冒険者たちの野太いかけ声が酒場に響き渡った。
せっかくの美声が、色も飾りもない男どもの声にかき消されるのは無粋ってもんだ。
だが俺は、そんな愚痴を口にできるはずもなく、いつもの席……つまりカウンターでマリーと向き合いながら、ジョッキの液体をぐびっと飲み干した。
「うげぇぇぇ。やっぱり苦げえな!」
ちなみに酒場にいる連中にはキンキンに冷えたビールが振舞われているにも関わらず、俺のジョッキには『マリー特製ジュース』が注がれているのは理由があった。
リーパー・リントヴルムを討伐した後、情けないことに俺は気絶してしまった。
どうやら血を流し過ぎて意識を失ってしまったらしい。
デニスの応急処置により一命は取り留めたものの、すぐにでも治療が必要だとリーサは判断した。
そこで彼女たちは、俺とポチ、それに俺の荷物を船に乗せて王国へ帰ってきたのだ。
なんと俺が目を覚ましたのは王立病院のベットの上。
実に気絶してから四日間も目を覚まさなかったらしい。
そこからさらに三日間の入院を経て、酒場へと連れてこられたかと思えば、こうして俺の昇格祝いの宴会が催されたのだった。
――ビールなんか飲んだら、傷口が開いちゃうから絶対にダメ!
と、マリーが口を酸っぱくして言うもんだから、なくなく言う通りにしたわけだが、とうてい納得がいくはずもない。
「そもそも、俺の傷が完治してから、宴会はするべきじゃねえのかよ。まったく……これだから最近の若けえ奴らは……」
「はいはい! おにいちゃん! 今日は『しけた』話はなしでしょ!」
「おいおい! マリー! 『しけた』話ってなんだよ!」
あどけなさの残るマリーの笑顔に対して、口を尖らせようとした瞬間……。
「ちょっとぉぉぉ! フィトさまぁ!? なんでこんなところで『しけた』顔してるのよぉ!」
と、リーサが俺の肩に絡みついてきたのである。
「おいっ! やめろ! しかも、人の顔を見るなり『しけた』顔とは失礼だろ!?」
「ふふふ、恥ずかしがらなくてもいいんですよぉ。わたしとフィトさまの『仲』じゃないですかぁ」
「な、なんだよ!? その『仲』っていうのは!? やめろって! お前さんのジョッキにはビールは入っていないはずだろ!? なんでそんなに酔っぱらってんだよ!」
彼女は確かに酒は飲んでいないはずだ。
もしかしたら食べただけでほろ酔いになれるキノコがあるが、それを食べたのか!?
いずれにせよ完全に単なる酔っ払いと化した『真紅の戦乙女』は、文字どおりに真紅に染めた顔をぐいぐいと近付けてくる。
俺はどうにかして彼女を引き離そうとするが、彼女の腕力にかなうはずもなく、彼女の成すがままにされていたのであった。
その時だった……。
――ドォォンッ!!
と、巨大なビールジョッキが乱暴に置かれたかと思うと、マリーが引きつった笑顔を浮かべて俺を睨みつけてきたのだ。
「おにいちゃん? ずいぶんと嬉しそうだけど?」
「ちょっと待てよ! どこからどう見たら俺が嬉しそうに見えるんだ!?」
「知らない!! 苦み成分10倍の『特製ジュース』を飲んで、頭を冷やしなさい!!」
「おいおい……。待ってくれよ。苦み成分10倍って。そんなの飲めるわけねえだろ!?」
俺がそのジュースを飲む前から苦い顔をすると、リーサがケラケラと大笑いする。
そこにデニスやステファノもやってきて、彼女とともに笑った。
心の底から楽しそうな笑顔だ。
こっちはこれからこの世のものとは思えないほどに苦いジュースと格闘しなくちゃなんねえっつうのに……。
そんな笑顔向けられたら、見ているこっちまで、わくわくしてしまうだろ。
ふと見回せば、彼女たちだけでなく、酒場にいる者たち全員が笑っているじゃねえか。
こんなにも心躍る時間を彼らと過ごすなんて、一カ月前の俺にはとうてい考えられなかったことだ。
「なんか……悪くねえな」
思わず俺の口元にも笑みがこぼれる。
それをちらりと見たマリーが、むくれ顔を一変させて、向日葵のような笑顔で言ったのだった。
「悪くないねっ! おにいちゃん!!」
と――
◇◇
盛大な宴会が終わった後――
酒場を出た俺はギルドへ入った。
そしてカタリーナが待つカウンターの前へと足を運んだのである。
「よう、ひさしぶりだな」
ちなみに彼女は妹のリーサに宴会へ誘われたものの、「まだ公務中ですから」と言って聞かずに参加しなかったらしい。
堅物の彼女らしくていいじゃねえか。
彼女とこうして顔を合わせるのは、実に一カ月ぶりになる。
しかし島の中で電話を通じて会話していたこともあってか、懐かしさは感じなかった。
それは彼女も同様なのだろうか。
再会を喜ぶこともなく、いつも通りに無表情の彼女。
まあ、妹のように変な絡まれ方をするよりは、こっちの方がずっと気持ちがいい。
「フィトさんですね。お待ちしておりました」
と、淡々とした口調で告げた彼女は、一枚のカードを差し出してきた。
「これはなんだい?」
「新たな冒険者証です。フィトさんは晴れて『Eランク』となりましたから、新しい冒険者証が発行されたという訳です」
「そうかい。ありがとな」
「いえ、そういう『規則』ですから」
「はは、『規則』ねえ……。まあ、俺の命がこうしてあるのも、『規則』があったからこそだと思えば、そう悪い気はしねえよ」
俺が穏やかな笑みを浮かべたが、彼女は相変わらず鉄仮面のような無表情を貫いている。
情熱的な彼女を拝むことはできるのは、電話越しに限定されているようだな。
「では、受け取りのサインをお願いします」
小さなため息をついた俺は、差し出された紙面に筆を走らせたところで、一つ問いかけた。
「さてと……。これでこのカウンターともおさらばってことか」
「ええ。明日からはフィトさんから向かって左手のカウンターでクエストを受注していただきます」
「そうか……今まで世話になったな。心から礼を言うぜ。ありがとう」
「いえ……わたしはすべて『規則』に従ったまでですから」
彼女は『お別れ』のしんみりとした空気を作ることを拒絶するように、いつも通りのセリフで締めくくってきた。
俺はにやりと口角を上げると、彼女に背を向けた。
そして手をひらひらと振りながら、その場をあとにしようとしたのだった。
……と、次の瞬間だった。
「少々お待ちください。フィトさん」
と、彼女が声をかけてきたのだ。
その口調はいつも通りの温度がないものではない。
『電話越し』を思わせるような、熱のこもったものだった。
「どうしたい?」
俺は静かに振り返る。
すると彼女は小さな笑みを口元に浮かべていたのだ。
まるで愛おしさを感じるように、頬をほのかに紅く染めて――
「フィトさんに、二つの『依頼』が届いております」
「依頼? 俺に? しかも二つも……」
「ええ」
そう告げた彼女は二つの封書を俺に差し出してきた。
まったく身に覚えのない俺は、訝しい顔をしながら、几帳面に折りたたまれた綺麗な封書から開けた。
するとカタリーナが、俺からその封書をひったくって中を読み始めたのだった。
「貴殿の類稀なる生存能力、まことに見事である。ギルドからの報告を聞いた国王陛下も高く評価しておられる。ついては、わたしに代わって、冒険者養成所の所長のポストにつくようお願いする。未来のギルドを担う若者たちに、貴殿の力をあますことなく伝えていただきたい! 報酬は年間3000万ゴルドを出そう。良い返事を待つ。 執政官長、フリッツ・トゥルンヴァルトより」
俺はその内容に言葉を失ってしまった。
「どこに?」と聞かれても困ってしまう。
とにかく全てが予想外であり、気のきいた言葉の一つも出てこなかったのだった。
一方のカタリーナは、茫然としている俺から、今度は大ざっぱに畳まれた封書をひったくると、それを開けて読み上げ始めた。
「フィトさま! お願いがございます! わたしのパーティーに入ってください! フィトさまがいらっしゃれば、勇気百倍! これで公私ともにパートナー……。この部分のくだりはカットいたします。よろしいですね?」
なぜか俺を睨みつけたカタリーナに対して、俺は手を振って続きを促した。
「ああ……。なんだかよく分からないが、続きを頼む」
「こほん……。わたしだけなく、デニスもステファノも『是非、フィトさまをメンバーに』と望んでいるの。だから、『真紅の戦乙女』のパーティーに加わってください! フィトさまの判断力や環境適応能力、そして何よりも逆境に負けない信念の強さは、これから『SSランク』級のモンスターに挑むわたしたちに絶対必要なんです! お願いします! リーサ・ルーベンソンより」
なんと……。王国の要職の要請に次いで、今度は伝説のパーティーからの加入を要請されたのだ。
いったい自分の身に何がよく分からず、ただ目を白黒させるしかない。
すると先ほどのように笑顔に戻ったカタリーナが、二通の書状をそっと俺の手に戻して言ったのだった。
「今すぐにお答えを出す必要はないと思われます。じっくりとお考えください。どちらを取っても、わたしはフィトさんをずっと応援しております」
丸眼鏡の奥にある優しい彼女の瞳に、俺はようやく我に返った。
そして一度だけ大きな深呼吸をした俺は、腹に力を入れて告げたのだった。
「悪りぃな。今はどっちにも『はい、お願いします』と答える気はねえよ。カタリーナ嬢の方から、そう告げてくれや」
俺の答えに彼女の目が大きく見開かれると、彼女は呆れた口調で言った。
「フィトさん……。あなたってどこまでひねくれ者なんですか!? こんなに良いお話。もう二度とないのかもしれないのですよ!」
確かに彼女の言う通りかもしれねえ。
俺には身に余る光栄ってやつなのは、誰に言われずともじゅうぶんに理解しているつもりだ。
しかし、これらの話を受けられない理由がちゃんとあるんだ。
「今はとある『クエスト』の途中なんでな。それを投げ出すなんて真似は、不器用な俺にはできねえよ」
「クエスト? 今のフィトさんはなんのクエストも受注していませんよ?」
「はははっ! そりゃそうだ。だって俺が受注したクエストはギルドで発行されたものじゃねえからよ!」
「えっ!? ではどこで受注してきたのですか? それは『規則』違反……」
彼女の言葉が終わらないうちに、俺はカウンターに背を向ける。
そして今度こそ、そこから立ち去ることを示すように手を振りながら答えた。
「俺は俺を必要としてくれる人たちの為に、命を賭けたいんだ。彼らが俺に託した想いを投げ出してまで、名誉や富を得たいなんて思わねえ。そういう馬鹿なんだよ。俺は」
その言葉が終わった直後だった……。
カタリーナが今まででもっとも情熱的な声を俺の背中にかけてきたのは――
「それでこそ、フィトさんです! わたしは待ってます! フィトさんが次に『クエスト』を受けるカウンターで!! わたしはあなたが冒険者でいる限り、ずっとあなたと一緒にいますから!!」
◇◇
ギルドを出て、自分のアパートに戻ってきた頃には、すっかり陽が傾いていた。
日が当らず暗い影に覆われたボロアパートは、まるで幽霊が出てきそうな不気味さを醸し出している。
だが、俺にとっては懐かしい光景だ。
「ここに戻ってくるのも、およそ一カ月ぶりか……」
大家のばあちゃんは元気でやっているだろうか。
そんなことを考えながら、部屋へと続く階段を上る。
そして部屋のドアを前にして一度立ち止まった。
思えばここを出てからの一カ月は、まるで別世界に迷い込んだかのようだった。
一生分の絶望と希望、それに奇跡まで体験した。
最初にリーパー・リントヴルムを目にした時は、一刻も早く逃げ出したいほどの恐怖にかられたものだが、今ではそれさえも懐かしく感じられるから不思議だ。
それらの思い出の中でもひときわ輝いているのは、『地図』を作ったことだ。
その隣にはいつも彼女がいた。
無遠慮で無鉄砲な彼女。
怒られたことも、泣かれたことも数知れない。
でも、なによりも俺の胸に刻まれているのは……。
――ガチャッ!!
俺がドアノブに手をかける前に勢い良く開けられた扉。
部屋の明かりが外に漏れる中、飛び出してきたのは……。
「フィト!! おかえり!! お腹すいたぁ!」
クリスティナの眩しい笑顔――
『落ちこぼれフィト』って呼ばれたってかまわない。
この笑顔を守る『英雄』になるためなら、何度だって立ち向かってやる。
たとえ相手が『絶望』であったとしても。
それが俺のプライドってやつなんだよ――
(了)
落ちこぼれフィトは、英雄を夢見て絶望に挑む 友理 潤 @jichiro16
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