十一:龍騎士
くろぐろとした、けれども光の具合により深い紫色に輝く漆黒の鱗、宝冠のように取り巻く同じ色の頭角に、暗闇を照らす
夕日の色より尚鮮やかな鮮紅色の鱗。燃え立つような、否実際に内側で火の栄える
ひび割れた
二柱の神龍と、二頭の竜種。中々どうしてえげつないものどもの、好奇心と僅かな警戒を交えた視線に、しかしチハヤとちまきは動じない。それもそのはず。彼等は生まれた時から人に育てられ、これに慣れ親しんだ
何より……
「龍って、縮むんだな……」
「ぅぎゅーぅ」
チハヤが十五の時から一人で住んでいる、一人暮らしにはやや広すぎるほどの一軒家――その客間に揃った二柱と二頭の龍達は、皆仔犬ほどの大きさに縮んでいた。
そんな権能で小さくなった龍達は、それぞれの主人の傍にぴったりと寄り添っている。即ち、水龍はあの溺れかかっていた器族、黒龍は黒髪紫眼に黒衣の人間、火竜は茶髪赤眼に白衣の人間で、雷竜は金髪金眼にローブ姿のこれまた人間。残る二人――ルッツと、この男むさい集団ただ一人の人間女性は、どうやら
王都からやってきた
「改めて、私達は
「了解。俺は此処の家主、狩人のチハヤ」
「ちまき〜」
ちまき? と、修士生の間に変な空気が流れたものの、黙殺一択である。此処で流されては、適当な名付けをしてしまった過去を一生後悔しそうだ。
意識して堅めの空気を纏いながら、狩人は努めて冷静で緊張感のある声を発した。
「それで、あんたがた名前は?」
「嗚呼。順番に紹介していこう」
「おっと、ちょい待ち」
問いに答えかけたルッツを、チハヤは留める。さっきから彼ばかり喋っていて、肝心の実習生について何も掴めていない。狩人として、また村の守護者の端くれとして、素性のあやふやな者を野放しにするほど、彼は能天気な性格ではなかった。
自分の口と言葉で話せ。出来うる限り冷淡に、平坦さを感じながら叩きつけた声は、自分で検めても酷く威圧的なもので。命ぜられた方はより一層に緊張したことであろう。五名の男女の間で戸惑いがちの視線が泳ぎ、やがて痺れを切らしたように、まず器族の男が名乗りを上げた。
「聞いたかもしれねェけど、俺は
「海……“風”の系譜の漁師?」
「おーよ、そーゆーこったい。人間と仲がいいのもそう言うこと。物分かりのいい奴で助かるぜぇ」
朱海の南丘村。王都が統治する平原、その南端の海に面した漁村である。
詳しくは後から聞かせてもらうこととして、次だ。隣に座っていた、
「修士一年の
「
「知ってるんですか?」
「黒髪に紫色の目で名前に“目”が付きゃ、それしかないだろ」
さらりと流されたが、ジャノメは驚愕を通り越して空恐ろしささえ感じていた。
影読とは、影と夜の神性――太陽神の影、もう一人の秩序神からの強い加護を得た者。つまるところ、そのものの影を通じて、物や人の持つあらゆる情報を盗み見し得る眼を持った者のことだ。当然ながら、知られたくない部分を知る彼等のことを、人は敬遠するか強く忌避する。影読自身も人の闇を覗き見してしまう眼を厭い、その迫害を嫌い、多くは正体を隠して隠遁してしまった。今では存在自体知っている者は少ない。
だと言うのに、この二十歳にも満たぬような、齢十七の己と一つか二つしか違わぬようなこの彼が、まさかその知られていない影読の家系的な特徴まで知っているとは。先程の“風”の系譜の話といい、彼は全体どこまで博学なのだろうか。
背に冷たいものを感じたジャノメを置き去りに、チハヤは無感情さを装い次の者へ名乗りを促す。次は茶髪赤眼の白衣だ。
「あんたは?」
「修士一年、アカラです。乗騎は
「
「
「
「はい」
「いい眼だと思うよ」
取り立てて感動も動揺も顕すことなく、鮮血と言うには色鮮やかな眼を少しだけ伏せて、アカラは淡雪のように――表情の乏しい彼にしては精一杯――笑う。
人間にはありえない、地の底を廻る
その点チハヤは、ただ眼の色を褒めただけだ。己が何者か知った上で、それでも何も言わなかった。その居心地の良さに対して、アカラは示しうる最大の敬意を払うことにしたのだった。
傍からでは何をしているのか判じがたい、ほんの僅かな首肯と目配せを送りあって、チハヤは
「修士一年生の
「うぃっす、よろしくな。竜の名前は?」
「
人懐っこそうに笑ってサレキは雷竜を抱き上げ、後脚をぶらぶらさせたテイカはぎゃうぎゃうと二鳴きしてそれに答える。どちらも人好きのする言動の持ち主だ。
出身や出自に関しては、操天士――文字通り天候を操り、災害厄災を退ける力と役目を持った者――の称号を放り投げただけで何も言わなかったが、チハヤはあえて言及を避けた。上に乗っているのが何であろうと、竜種に乗っているならそれは
再び竜への
「修士二年生の
「竜には乗らないんだ?」
「ええ、ちっとも! 才能が無かったの。私の乗騎は泉の所に待たせてるから、後で紹介するね」
「“月”の系譜?」
「いいえ、“歌”の方。月の女神様のご加護はあるけどね」
可憐に笑うロウカの表情は、どこか怪しげなものを秘め。ほぉーん、と気の無い返事をしながら、チハヤは何やら眼をうるうるさせてねだる
サレキに首筋を揉まれ、気持ち良さそうに尻尾をパタパタさせている
「その仔、右目どうしたの?」
「さぁ、生まれつきこうだけど。星神が祝福したからかな」
何処か非難めいた声音の問いに、ちまきを撫でながらの答えは大雑把なものであった。無理もない。器族はその性質上祝福と言うものに詳しくない――知識として知ってはいるが、神性が神性に祝福するときのことまでは網羅していない――し、その時卵だったとは言え、神性なら害意あるものくらい退けるであろうと思っている。けれども、ロウカの口ぶりを聞くにそうではないらしい。
一体全体何が悪いと言うのやら。内心首を捻りながら一体何が悪かったんだと重ねて尋ねる。それを彼女は手で制し、更なる疑問を投じることで応じた。
「星神って、
「それ空の果ての果てのまた果てにいる神さまだろ? 出会う機会ねぇよそんなの。
「異界の大精霊じゃない! 危ないわよ」
「そりゃそうだけど、渡し守は狩場の守り神だし……ちょっと見栄っぱりな以外は普通の神様だと思うけどなぁ。大体、貰って悪い
――もし何か悪いものを知らずに受け取ったなら、シラユキを介して警告なり戒告なりが来るはずである。それが何も咎められなかったと言うことは、
そんなことをつらつらと説明してみせると、ロウカは腑に落ちたような落ちないような表情をしつつも納得したらしい。乗り出していた身を引き、何の気なしにカザハネの背後へ目をやって、二度見した。
「どした?……ぶェッ!?」
何かとんでもないものを見る顔をされ、怪訝そうにカザハネと他の面々も振り返って、同じように二度見。にまにまと楽しげに口の端を釣り上げる金髪金眼の少女をその背後に確認めて、チハヤとちまきを除く者全てが一斉に椅子を立った。
今しがた話題に出されたばかりの、魔界の星神――もとい、
「月神の神官。妾が恐ろしいかえ?」
「――家は、その個人の聖域です。たとえ神性であっても、招かれたものしか中には入れないはず」
「ふっふっふ……胆力のある娘は嫌いではないぞ。だが愚かなことを聞いたな。千羽の矢は妾の領地を狩場とするとき、これと契っておる。よって出入りは自由じゃ」
「一体何を」
「獲り過ぎぬことと、獲れたもので作った一等素晴らしい細工を妾へ捧ぐこと。引き換えに妾は千羽の矢へ豊穣と道の安全を授け、子を成せばそやつに祝福を贈る。妾は野蛮なことなどしとうないでの、狩人をぞんざいに扱いはせぬよ」
つい二
絢爛華麗を重んじる星神らしい言い草であるが、ロウカや他の常界出身者の意見は違った。
「そもそも何故異界の大精霊が、しかも星の神性が常界の山で守り神を?」
「痴れたことを! 見れば分かるじゃろ、此処は器族の村ぞ。異界の者に祀られては妾とて応えぬわけにはいくまいて」
「玉龍山には既に
「より昔の話じゃ。村が興された時には山の主が狂ってしもうて、さんざ暴れた挙句空の彼方に突っ込んでのぅ。
そこで目配せ一回。本当かどうか見極めようという魂胆らしい。そんな者どもの様子に、この妾のことが信じられんのかとぷりぷり頰を膨らませる渡し守を、チハヤはそっと手招いた。
裸足で木張りの床を一蹴り。重力などなきが如くふわりと跳躍し、文字通り一足飛びに距離を詰めてきた星神へ、狩人は脇から抱き上げたちまきを見せる。
「紹介が大分遅れたけど、こいつ。
「ほぉ、千の
「あざな、ちまきで〜す」
ちまき? と、先程修士生の一同が返したものと全く同じ反応を彼女も返した。けれども、そんな反応をチハヤが恥ずる前に、星神はケラケラケラと可愛らしく笑声を一つ。
少女の細い指が仔龍の鼻先にちょんと触れ、思わずと言った風にぺろりと舐めた舌の感触にまたケラケラ。そのまま指先を舐めさせてやりながら、渡し守は拾い主に笑いかける。
「笹巻きの蒸し餅から名を貰うとはのぅ。あれは妾も好きじゃぞ」
「うぅ……俺のせいじゃねぇもん……」
「重々承知しておる。ぬしの命名はもっとダサい」
酷い言い草だが何も言えない。うるせぇ、と瀕死の声でそれだけ絞り出したチハヤに再三可愛らしい笑声を叩きつける。
「まあそう落ち込むでない。中々良いではないか、ちまき。実に
「期間限定の名前かよ……」
「それの何が悪い? 西の果てでは成長の度に異なる名を付ける部族がいると聞く。何でも悪い神や
意地の悪いことをいうものだ。チハヤは呻いて軽く頭を抱えた。そう何回も付け替え出来るような感性はしていない。それは彼女もよく知っていて、つまりは命名センスが無いのをからかわれているのである。
ともあれ、ちまきはちまき。仔龍自身が決めたことに口出しする気はなく、ならばもう少し毅然とすべきであろうという星神からのお叱りを拝聴して、仔龍の飼い主は腰掛けたソファに座り直す。
すぐにぱっと背を離した。
「渡し守、そう言えば何で此処に?」
「決まっておろう、買い物じゃ。しかしまあ、後になりそうじゃの」
ちらっと見る先の人間一同は、まじまじと二人の会話を観察していたのを気取られたかとでも思ったものか。さっと視線を外し、それぞれ適当極まりない手慰みを始める。まだ信用していないのか、と今度はチハヤが呆れたのを、どこか上機嫌の渡し守が首を振って収めさせた。
異界と常界は表裏一体。すなわち互いが互いにとって毒であり、また敵なのだ。その認識は何も間違っていないし、そのように相対するのが恐らくは最も安全で間違いがない。故に、異界にとっての敵対存在が裏返って味方となることに彼等が辿り着くのは、恐らくもう少し先になるだろう。
同時に、異界で虐げられてきた下級階級の者が、常界では今このように人と交わっていることを学ぶのも、恐らくはずっと後のことだろう。
それを見通すから、星神は今此処で自身への不信を無理に正そうとはしないし、不信を煽る行為もしない。ただそっと、無知なる人間のことを小さく嘲笑って、その身を引くまでである。
ふわり、とまた一足で人間どもの頭上を飛び越え、客間に設えられた採光用の窓の前に降り立ちて、星神は首だけ捻って一行を顧みた。
「龍の亡骸は清めておいたぞ、千羽の矢、千の晝、人の子ら。埋めてはおらぬ。盗らせも朽ちさせもしておらぬ」
「きゅー……?」
「そうじゃ、龍の仔ちまき。その欠けた魂を埋めに来るがよい。その時には我が友の想い出話を語ろう。星の下で夜通しでも語ろう。人の子らも来るがよい。月の秘話を、火の山の逸話を、空果て彼方を目指した人の神話を語ろう。待っておるぞ?」
「うぎゅっ!」
元気よく鳴いて応えたちまきに愛おしさの滲んだ微笑みを返し、再び軽めの跳躍。
直後、部屋を一瞬真っ白な光が塗り潰して、星神は忽然と姿を消していた。
‡
「やぁっと戻って来れたのじゃー……ああ、愛しの我が領地!」
そのカササギの脚が立つは、先刻影の竜を下したかの森の中。
見回す。流された魔物の血とその亡骸は焼き清められて骨も残っていないが、ヤライの流した分は地の精が吸って持って行ってしまった。後にはあの竜が倒れた時に作った窪地と、その真ん中に落ちた、黒曜石のように艶やかな黒い石一つのみ。あの時はすぐに
うきうきしながら黒い石へ走り寄り、取り回しのしやすい少女の手で拾い上げて、すぐ異変に気付く。
「むぅ、
渡し守の手に収まった石は、一見何の変哲もない。けれども彼女には、それと同じような存在たる彼女には、石が禍々しいばかりの
霊気は単なる力の一単位、あらゆる物体に含まれる純粋な変化の
そして、霊石――魔物はその溜め込んだ霊気の総量の為に、死すると残留した霊力が凝って硬質化することがままあった――に籠っている力もまた霊力。表面を撫でるだけでは無秩序な霊気に取れるその力は、しかし深くまで潜ることで、燃え盛り熱を帯びる火の伸びやかさと眠るように深い影の静けさを感じ取れる。その力の源泉が何で、一体何がこれを秘めるに至ったのか、渡し守に分からぬはずがなかった。何しろその持ち主は自分で、己はそれに力を見せつけたばかりなのだ。分からない方がおかしかった。
黒い霊石の表面を指の腹で撫で付けながら、渡し守は企む悪童のように口の端を釣り上げる。
「
ただならぬことの起きる予感に、星神の周囲から、たちまちの内にすだま達が逃げ出した。
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