十九:返り討ち

 村外れの川。狩人達の溜まり場。

 今は人気のないその川縁かわべりに、カザハネは力尽きた風に腰を下ろした。

 相棒は深く眠り込んでしばらく目を覚ましそうにない。あのいけ好かない美形の言葉を信じるならば、チハヤと飛んでいる間に起きた良からぬことで気力が尽きたのだろう。死にはすまいが、これではいつ起きてくるか見当もつかない。

 肺腑から溢れてくる溜息を隠しも殺しもせず、カザハネは懇々と眠り続けるミズタエを川の中に沈めた。水龍の寝床は河原でもなければ主の膝の上でもない。いつもは村おさの許可を取って西の泉を借りているのだが、そこはチハヤの家から近く、村人の往来も激しい所だ。居座るには酷く気まずかった。

 もう一度、溜息。今になって、気を失うほど殴りつけてしまったことに対する罪悪感が湧いてくる。確かにワガママを言って相棒に無理を強いたことは許し難いが、彼女は疲れ果てているだけで怪我らしい怪我は一つもしていない。ならばあれは、八つ当たりと言うにもやりすぎだろう。だが――

 どうにも腑に落とせず頭を抱えるカザハネ、その背後から、砂利を踏む音が聞こえてきた。


「おぉ、王都のボウズじゃねぇかィ」

「……誰だ」


 古めかしい象牙の地球儀の頭に、漁師の己もかくやの隆々とした体躯。草葉に紛れる渋茶色のシャツに暗色のベストとズボン、鉄板も踏み抜けそうに無骨な黒革のブーツ。チハヤともいつぞや出会った父親ヤライとも違う、けれども確かにかの親子との縁を感じさせる大男が一人、無造作に青角鹿を抱えて立っていた。

 左手には使い込まれた長弓。弓の構造には詳しくないが、弦の太さからして途轍もない強弓であることはそれとなく察せられる。その推察は、抱えられた鹿の頭蓋を割って突き刺さる矢の太さで、否が応にも確信に変わった。器族は元から力が強い種族であるが、その中でも特に豪腕の持ち主であるらしい。下手なことは言えそうになく、カザハネは身体ごと老狩人の方に向き直る。


「俺? 俺ァトウヤ、見ての通り狩人だ。そう言うアンタは、あー……王都の……」

「カザハネ。龍騎士ドラゴンライダーのカザハネだ。チハヤの家を借りてる」

「嗚呼そうそう、カザハネ。俺の狩場で龍飛ばしたいっつったろ」


 いつの間に情報の伝達がなされていたのだろうか。訝りつつも、カザハネは黙って首を縦に振る。その様を老爺はじっと見て、やおら抱えていた鹿を川に放り投げると、僅かに首を横へ傾げた。丁度、疑問を呈するわらしのように。

 ざぼん、と鹿が沢に沈む音が響いて、そこにトウヤの問いが続く。


「俺ァどんな龍が飛ぶとかは聞いてなかったが……おめェ、水龍に火脈の真上を飛ばさせたんか? 可哀想なことすんねェ」

「嗚呼そうだよ。チハヤと仔龍の判断を信じた俺がバカだった」


 自省の皮を被った恨み節。トウヤは激情を堪えるカザハネにゆっくりと歩み寄り、どっかりと隣に胡座をかいた。

 流れるように、懐から取り出したるは無骨な煙管。同族から見ても何処だか分からぬ口に銀の吸い口を咥え、煙草入れから出した丸薬状の葉を詰め込んで、火打ち石で火を入れる。未成年のチハヤと違い、本物の煙草の葉に入った火は、たちまち紫煙を上げて燻されたような香りを周囲に漂わせた。

 その煙の行く先をぼぅっと追う老爺の喉から、低くしゃがれた声がまろび出る。


「ただ開けた場所だからって理由で相性の悪いもんを勧めたチハヤも悪いし、本場神サマのくせに異議を唱えなかったちまきも悪い。それによく考えもせんと乗ったおめェも悪い。お互い殴りあってそこは解決しなィ」

「あーもー既に二発殴ってきたよ。だのに、向こうは何もしなかった……これじゃ俺がただの暴力野郎みたいじゃねーか」

「ありゃァ親父に似て女々しい奴だ、獣と魔物と泥棒以外に手は上げんぜ」


 はっはっはっは、と笑うトウヤは、まるで他人事のよう。仮にも孫に暴力を振るった相手だと言うのに、鷹揚なのか雑なのか分からない。

 言葉と感情のやりどころなく、カザハネは再び俯く。そこで目についた、削れて平たくなった河原の石で水切りなどして遊び――ふと気付けば、隣で寝かせていたはずのミズタエが、沢の深い所に潜り込んで尻尾だけを出していた。


「あ? 何やってんだありゃ」

「いや、俺も分かんねーよ。てか何で起きてんだ……ミズタエ、ミズタエ?」


 呼びかけると、嬉しがる犬のようにぶんぶんと尻尾が振られる。なるほど愛嬌のある仕草だが、水面から水色の尻尾だけがにょっきりと伸びて左右に揺れている様は、何とも言えぬ味わい深さ。トウヤもカザハネも反応に困り、しばし何やら奮闘している尻尾の動きを見つめて……

 ざぱん、と水飛沫を上げてまず飛び出したのは四枚の翼。

 続けて、ばしゃんっとより大きな飛沫と共に長い首が持ち上がり、

 その口に咥えられた二匹のあゆが、びちびちと活きのいい音を立てて激しく踊った。


「カザハネ、これ美味しそう!」

「……お、おう」

「ぶくくっ、くふ、フフッ……」


 尻尾をぶんぶんと振りながら目をきらきら輝かせる水龍に、カザハネはただただ当惑し、トウヤはひたすら笑いを我慢し続けた。



「ところでボウズ、結局練習には来るのか?」

「んー……練習場所の代わりがあればそっちに行きてーな。でも他に都合よく開けた場所なんて思いつかないし……ぁっぢィ!」


 河原の傍で焚き火を起こし、それで二匹の鮎の内一匹を塩焼きにしながら、もう一匹は生のまま。嬉しそうに採れたてぴちぴちの魚を頭から齧る水龍の横で、器族どもも間食の時間である。

 石を組んで作った即席の竃に、川の水で満たした鉄鍋を直置き。干した鹿肉と近場からもぎ取った山菜類、曰く「狩人の必需品」であると言う香草類と塩の調合物をまとめて沸騰した湯の中に投げ入れ、煮えるのを待つ間に黒パンへ乳酪バターを落として火を通す。そうして出来上がったスープの熱さに四苦八苦しながら、若き龍騎士は老翁の問いにもにゃもにゃと言葉を濁した。

 カザハネは何も、自信過剰の若輩というばかりではない。自身の実力とミズタエの能力、それらを合算した力量は正しく把握しているし、不得手と分かったことを無理に押し通すほど無謀でもない。故にこそ、火脈旺盛な裏手以外の場所での練習を所望した。

 しかし、トウヤの考えは違うらしい。煮込んでも硬い肉をもごもごと咀嚼しながら、スプーンの先でぴっと青年を指す。


「おめェさん、何故龍と一緒の練習に拘る」

「は? 実戦で使う動きを練習すんだぞ、当たり前だろ?」

「違ェな」


 即答。すぐに答えが続く。


「おめェさん、恐らく龍乗りは完璧だ。でなきゃ素人のチハヤに何の疑いもなく龍を預けたりせんだろ。龍との信頼はもうとっくに出来てる」

「おう。八年一緒にいりゃそうもなるぜ」

「自覚してんならいい、龍乗り以外の足りんところを地面で練習しろ。練習するってこたァ何か不安なんだろ? ならその不安だけ潰せ。――それとも、何が出来ないか分からいでかァ?」

「おい」


 くすくすと喉の奥で笑いながら、トウヤはカザハネを指す木匙をぶらぶらと上下に揺らす。これで人間の顔が付いていれば、さぞかし悪い笑顔をしているところだろうが、生憎地球儀では表情筋など望むべくもない。だが、大仰に抑揚をつけた声と先程やったように小首を傾げる仕草で、此方を馬鹿にしていることは伝わってきた。

 舐められたものである。こちとら八年も龍に乗ってその為の勉学と訓練に励んできた身なのだ。いくら老獪なる山の狩人とは言えども、ここまで子ども扱いされるほど怠惰に生活してきたわけではない。

 殺気を交えた低い声。その辺の大人でもたじろぐほどの威圧だが、しかし。


「俺から見りゃァ学院カレッジ通いの騎士なんざ甘ちゃんの小僧ボンボンよ、百回って負ける気もしねェ」


 挑発で返された。


「このジジイッ!」


 此処まで虚仮にされては我慢ならぬ。いつになく罵りの響きを交えた言葉を口走りながら、カザハネは自身の腰鞄に手を突っ込むと、刀剣の抜刀よろしく槍を抜き放ちながら構えた。

 対するトウヤは、その場に胡座を掻いたまま。我関せず魚を齧っていたミズタエも、実際に主人が動き出したとなれば無関心を貫いてもいられない。さりとて今の疲弊具合では加勢も出来ず、水龍は立ち上がったカザハネと座りっぱなしの老翁の間でおろおろし、結局食べかけの魚を咥えて川の中に退避した。

 しゃぽん、と軽い水音を立て、相棒の尻尾が溶けるように水の中へ消え――その波紋が落ち着かぬ内に、槍の穂先が柏手のような音を立てて空を切り裂き、


「甘ェぞ小僧」


 ひょいと掲げた木匙一本で、呆気なく虚空に逸らされた。

 さりとて此処で怯んでは思う壺である。呆気に取られかけた気を引き締め、刺突によって伸びきった腕を即座に引き戻して、再び刺突。最初の一撃は肩口辺りを狙っていたが、最早容赦など必要ない。より狙いを正確に絞り、放つ先は先程の一撃を弾いたことで空いた喉元。

 しかし、素直に喰らってくれるほどトウヤも愚かでなし。突き出された分だけ上体を引いてかわし、刃が空を突いて戻る刹那の隙に匙を放り投げて片手を空けたかと思えば、戻ろうとする槍のえいをひっ掴んだ。

 ぐっ、と引っ張り、戻そうとする動きを止める。しかしてカザハネも膂力では後れを取らぬ。強引に引っ張り戻そうとより強い力を込め、狙い通り膠着を解いた。

 が――


「そィやっ!」

「っぐぅ!?」


 トウヤは、引き戻す勢いを殺さない。それどころか傾いた上体を戻す自身の力も乗せてながら、押し込みざまに軌道を変え、カザハネの鳩尾に石突を喰らわせる。

 これには鍛えられた騎士も堪らず、槍を手放してその場に膝をついた。すかさず老翁が得物を奪い取り、それを杖代わりにのんびりと立ち上がっては、いっそ緩やかにも感じる滑らかさで低く構える。

 しかし、向けるのは穂先ではなく柄の尻。手加減されている、とカザハネは見て、キリキリと痛む腹を押さえながら呻く。


「舐めてんのか……!」

「舐めちゃいねェ、殺す気で殴ってやるさ。ただし、俺が刃物を向けるのは飯と素材と脅威ってだけでナ、同族の男は――しとねでなら齧っても美味ェか?」

「しっ……!? こっ、この色情魔いろじじいっ!」


 此方は殺すつもりで掛かっているのに、相手には命のやりとりをすべき脅威とも見なされていない――カザハネにとって、その扱いは屈辱以外の何物でもなかった。ついでに、先程の発言は控えめに言っても性的嫌がらせセクハラだ。

 向こうがその気ならば此方とてそのつもりである。腰鞄を漁り、内部に付与された多次元庫アーカイブから予備の槍を引き出した。……否。

 予備などではない。


「ほーぉ、霊具の槍けェ」

「神器だ」


 その手に握りこむは、海の青さをそのまま石にして固めたような、全長二ようの藍色の槍。槍頭やりがしらは刺突に特化した三角錐状で、面には深い溝が一本入っている。柄は塩首けらくびに相当する部位のみが二重螺旋を三回描き、そこから先は石突までまっすぐ。石突は一際青い握り拳大の石がはめ込まれ、思い切り殴れば骨の一本や二本は容易に叩き折れそうだ。

 見る限り、水神か何かが作り出した神器なのだろう。どう言った権能を秘めた代物かは分からないが、少なくとも己が今手にしている普通の槍では分が悪い。

 だが、相手が武器を持ち替えたからと言って、負ける気はさらさら起きなかった。トウヤは軽く肩を竦めざま、突進する獣を待ち受けるような姿勢から、やや重心を上げて人を相手にする構えへと変更。河原の石を足の裏全体で踏み、その軸足を軽く捻る。

 その捻りを、身体全体で増幅。大きく踏み出して焚火を越え、同時に螺旋を加えた刺突を繰り出した。突き出された石突は易々と空を切り裂いて悲鳴を上げさせ、一散に桐戸棚の扉の真ん中に向かい――急上昇。空を突いたかと思えば、水晶を弾いたような甲高い音が鳴り響く。


「やるねェ」


 老翁の脇腹の位置でせめぎ合うは、鋼の刃と青石の刃。トウヤがカザハネの急所を狙ったように、彼もまた急所を貫きに来ていたのだ。刺突の速さでは互角らしい。

 だが!


「引き戻しが遅ェわッ!」


 槍の速さとは即ち、一度伸び切ってしまった腕を、どれだけ早く元の構えに戻せるかで決まるものだ。少なくとも、四十年以上山を相手にしてきた経験はそう語る。そして、老翁はその経験を信じて今まで生きてきた。

 一息に咆え、その間に槍の構えを戻して、更に一歩前進。カザハネの持つ長槍の間合いを潰しつつ、お手本の如く綺麗な喉元への突きを放つ。対する青年は首を傾けてこれを躱し、槍は突き出したその位置に固定したまま、身体だけを大きくトウヤの方へ寄せた。

 比較的短いトウヤの得物、その射程内へと入り込んだカザハネの手が、槍の持ち方を変え。


「っでェァらああああッ!!」


 激声一つ、渾身の力で槍の向く先を反転させながら、トウヤの持つ槍を塩首に絡めて吹っ飛ばした。流石に力技で得物を奪い取られるとは予想の範疇になかったか、僅かに鼻白んだトウヤは、続く追撃の石突を大きな横っ飛びで避ける。

 カザハネとしては、好き放題言ってくれた老翁に一矢報いた、と思っていたところであるが。対する彼から戦意は失せておらず、それどころか、


「奇手は正統を極めてからにせんかァッ!」

「っき……⁉ がぁッ!」


 破城槌の如き横打フックが、刹那の容赦もなく横っ面を撃ち抜いてきた。

 頑健な器族とは言え、頭部だけはどう頑張っても鍛えられないのは人間と同じだ。弱点となる部位に大猩々ゴリラよろしくの拳を叩き込まれ、悲鳴も上げられずその場にへたり込んだカザハネから、トウヤは何も言わずゆっくりと距離を取った。

 観察。中々に根性のある青年らしい、桐の箱にヒビを入れられながらも気絶せず、倒れ込みもせずに膝立ちで堪えている。しかし脚には力が入らなくなっているのだろう、その場で槍に縋りうずくまったまま、カザハネは吐き気を堪えるような声で呻く。


「ぁ、が……ぐ、くそ、殴れよ……」

「やるさ。おめェさんが何発も鉄拳入れなきゃ分かんねぇようなウスノロならな」

「畜、生……っ」


 本当に、何処までも、子ども扱いだ。

 喩えようもない屈辱感と、これだけ身を粉にしても一撃すら入れられなかった悔しさと、それらに覆われた隙から顔を出す、今の己では当たり前だと言う納得感と。混ざり混ざった感情に載せて、カザハネは一言だけ絞り出し。

 そこで気力が尽きたか、眠るように意識を手放して伏した騎士を、狩人はただ黙って見つめていた。

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