十八:思惑

「ミズタエ、それは流石に欲張りすぎだと思うな俺。割ってやるから後は売るか返すかしちまえ」

「うぅー……」

「唸ってもダメ。独り占めはよくないぞ」

「ぅきゅ……分かった。元の場所に返す」


 ミズタエの抱えてきた水色の宝石アクアマリンを金槌でかち割り、拳大にしたものをミズタエに渡して、残りは横たわる遺骸の中に安置――そこまでやり遂げたところで、渡し守はチハヤからの要請を完遂したと扱ったか、或いは何か用事が出来たらしい。シンタンを一柱残して飛び立ってしまった。

 残された影龍の方はと言えば、まるで動揺せず。落ち着き払った態度でするりと距離を縮め、チハヤの手に残った宝石を上から覗き込んでくる。


「美しいものだ。地龍は心の臓が見も知らぬ宝石に変わると言うが、本当らしい」

「“門”を開けたのはそれが目的ってか?」


 感心した風に語る龍へ、投げたるは尖らせた言葉のつぶて。対するシンタンは、やはり動じない。ただ面白げに目を細め、細い瞳孔を更に細めて、試すかの如くチハヤを見つめる。狩人も負けじと見上げなば、ぐつぐつと唸り声混じりの笑声が喉奥から溢れた。

 なるほど確かに、己には闇霊人ダークエルフであった頃の記憶が全て残っている。二度に渡り世界間を繋ぐ“門”を開け放ち、その先に待ち構えていた地神龍フラクシナス分御魂わけみたまに病毒の呪術を掛けて死に至らしめ、そして二度目の開門。死と転変、二度目の死。いずれもはっきりと、嫌がらせの如く明瞭に覚えている。だが――


「宝石に興味はない。一度目の侵略、我々は地神龍フラクシナスを打倒出来れば土地自体のことなどどうでもよかった。二度目で金月を打破し、開いた座に我等が神を祀り上げる。それが我々の目的だった」

闇霊人ダークエルフの神?」

「日蝕の王、翳りに住まう転変の神よ。かの方は力及ばぬ我々を赦し、常界でも生きられる面を与えて下さった。私は今でもかの方をこの上もなく敬仰けいぎょうしている」


 誇らしげな様子の影龍に対し、チハヤは何も言わなかった。

 元々、器族は異界を故郷とする種族だ。戦いを好まぬ彼らは、実力主義一辺倒の異界では底辺も底辺。術が使えないのをいいことに嬲られ、頭脳明晰であるが故にこき使われ、他種の繁栄の影で足蹴にされ続けてきた。それに耐えかねた先祖が決死の覚悟で“門”を開き、その先を開拓してきたからこそ、今のチハヤら常界住まいの器族が生きているのである。

 つまるところ、器族は異界のものに対してあまり良い印象を抱いてはいない。それはチハヤも同様である。

 しかし、だからと言って、彼はシンタンを悪く言う気は無かった。“門”を開いてその先に自身の神を引き込んだのは器族らとて同じこと、それが時期として遅いか早いかというだけの違いでしかない。それに、今や神の眷属と化した者に正面を切って喧嘩を売るほどの度胸もない。故に、チハヤはただ軽く肩を竦めるのみ。


「来るならもっと穏便に来いよな。あんたらのせいで俺達は守護神を亡くしたんだぞ」

「我々とて無闇に戦をして命を散らしたいわけではない。話し合いか何かの場が取れれば良かったのだが、日蝕の王はどうも常界住まいの神がお嫌いのようだ。金月はまだしも、泥臭い地神龍フラクシナスなどのいる地に足など付けとうないと」

地神龍フラクシナスのいる地って、此処まさしく本尊の真上なんだけど……」

「そうだが、地龍の本御魂もとみたまは滅多なことで動かんのでな、全く気付けなかった。おかげで山が龍と知らされたのは死んだ後からだ。王はすっかり拗ねてしまわれたよ」


 拗ねるだけならば可愛いものである。これで、祀られなかった怒りで八つ当たりなどされようものなら、自分たちの村はおろか山もどうなっていたか分からない。温厚な神性であったことに感謝する他ないだろう。

 怒りを収めてくれるならありがたい、そう王に伝えておいてくれ――まるで買い物のついでを頼むような気軽さに、シンタンは愉快さ半分呆れ半分と言った風に青年の肩へ頭を載せた。


「神官でもないお前が、上位存在に見返りもなく頼み事か? 流石に不敬だな」

「それもそっか。じゃあ黒酸塊くろすぐりの酒一本でどう? 今年の初物」

「王への献上品もだ」

「追加でもう二本と日蝕晶にっしょくしょう

「もう一声」

擬金剛ぎこんごうの指輪」

「よし」


 頷きと共に肩の重みが離れ、思わず安堵の溜息を一つ。なし崩し的に、豊穣祭の時に見つけて買い込んでいた掘り出し物を放出する羽目になったが、ずっと手元に秘めていても仕方のないものだ。死蔵品で神の機嫌が取れるならば安いだろう。

 よじ登ってきたちまきを脇の下から持ち上げて抱きかかえ、今までシンタンの顎が載っていたところに頭を乗せて、ざらざらとした鱗の生え揃う背を撫でる。何時間もはしゃいでいたせいだろう、仔龍はたちまち目をとろんと緩めて、一砂流刻さるこくと経たぬ内に寝息を立て始めた。


「ふむ」


 そんな仔龍と飼い主の様子に、シンタンは何か感じ入るものがあったらしい。ぱちりと円らな目を思案げに細めて首を傾げ、やおらチハヤ達から距離を取る。

 大きく広げた九枚の黒翼が、器用に動いて龍の全身を包み――見守るチハヤの前で、羽が一斉に光沢を失って真っ黒に変じたかと思うと、切り抜かれたような黒さがするりと縮んで人の形を取った。

 そのまま、影は瞬く間に細部の形を作り、諸処の質感を浮き上がらせて、服を纏う人の形を完璧に再現し終わった途端頭の上から色付いていく。


「えっ……えっ? シンタン?」

「いかにも」


 少しの後、そこに立っていたのは、渡し守にも勝らんばかりの美貌の男だった。

 チハヤと同程度の高い上背、ほっそりとして男性とも女性ともつかぬ体格。青みのかかった白髪を低く結い下げ、褐色の肌と横に長い耳は闇霊人ダークエルフ特有のもの。深い紺色の目に見える瞳孔は針のように細く、こめかみ辺りから生えた夜明け色の角と合わせて、己が龍であることを主張している。古めかしさのある衣装は上から下まで様々な質感の黒。唯一腰に引っ掛けた飾りベルトだけが、陽を受けて緑色の光を散らしている。

 シンタンが変じたのは、生前の姿。人から神龍へと生まれ変わった出自に加え、彼が転変の加護を受けていたが故に可能な、自身が持つ二つのすがたを行き来する人化じんかの権能であった。

 そんな権能を以って変じた人の腕を、シンタンはまっすぐにミズタエへと伸ばす。


「あれこれと気を揉んで疲れただろう? 主人の元まで休むがよい。抱えて行ってやる」

「…………」

「気にするな、抱える以外は何もせんよ」


 長く伸びた犬歯を見せながら、シンタンは尻込みするミズタエへ更に呼びかける。チハヤには今から女龍を捕食しようとする野蛮人にしか見えないのだが、彼女――姿は男であっても――には関係ない。怯えたように空中を揺蕩い続ける水龍に大股で歩み寄り、逃げる暇も与えずに両腕で抱きしめた。

 抱え込まれたミズタエは、逃れようと身をよじらせて、ぎょっと硬直する。


「冷たい!」


 シンタンの身体は、冬の水のように冷たかった。人間と瓜二つの姿だと言うのに、身体の芯にまでも体温を感じない。火の熱さが苦手な水龍には心地の良い冷たさであるが、その快さ以上に不気味さが勝る。

 じたばたと翼を羽ばたかせてもがきながら、ミズタエはあわあわと声を震えさせた。


「あ、ぁな、アナタ……!」

「星の翳とは絶対の空虚だ。そこは氷など及びもつかぬ零下が潜む。その翳たる私が冷たいのは当たり前だろう」

「そうかもしれないけど――」

「納得したならば良し。糾弾するのも追求するのも後にしろ、今は村へ降りるのが先だ」


 問答無用。言うが早いが、シンタンは水龍の華奢な体躯を片腕でしっかりと抱え直し、細くも大きな手でミズタエの視界を遮る。

 そして紡がれるのは、子守唄を歌う父にも似た、慈愛深き密やかな声。


〈今はただ安く眠れ、――“灯火無き夜スターレスナイト”〉


 渡し守のそれと同じ、けれども彼女のそれよりも随分と穏やかに織り上げられた聖句。その余韻が消え去ると同時に、ミズタエが観念したかの如く大人しくなる。より正確に言うならば、シンタンの使った眠りの術に耐えきれず眠りに落ちたのだ。

 数ある術の内、対象の精神や生命活動に影響を及ぼすようなものは、時に対象の強い拒絶や過度の興奮により極端に効力が減衰する。抵抗レジストなどと呼ばれるこの現象は、術者の力量に対する対象の精神力に差があるほど起きにくい。つまるところ、シンタンの強力無比な催眠の術に対して、疲弊しきったミズタエは抵抗レジストに失敗せざるを得なかったのだった。

 くたりと脱力した水龍を両腕に抱え直し、シンタンはちらとチハヤらを振り返ると、何も言わずに、けれども正確に村落の方へ向かって歩き出す。チハヤも無言のまま、呑気に鼻提灯など膨らませているちまきの背を撫でながら、男の背に続いた。



 狩場から村の大通りへ出て、チハヤの家へ。

 修士生達は、どうやら今日も実習内容をこなしに山の中へ行軍しに行ったらしい。一人で暮らすには広すぎる家の中は閑散として――応接間にただ一人、痛苦に耐えるかの如く背を丸めて座り込んだカザハネ以外、人の姿は無かった。

 気配を感じて部屋の扉を開けても、ソファに身を沈めたカザハネは動かず。仕方なく、チハヤはちまきを起こして部屋から出した後、一人その差し向かいに座った。


「ごめん。俺が迂闊だった」


 言い訳はしない。ただ、込められるだけの謝意を込めて深く頭を下げる。それ以上チハヤに出来ることは無かった。

 ミズタエの主人は、そんな彼の姿に何か感銘を受けたのか、或いは他の感情が揺さぶられたか。ゆっくりと俯けていた頭を上げ、引きずられるようにソファを立ち上がり――

 チハヤの腕を引っ掴んで無理矢理立たせ、戸惑う暇も、覚悟を決める暇も与えずに脇腹へ右の拳を叩き込んだ。


「っ!?」


 チハヤの、見た目以上に重い体があっさりと宙を舞い、ソファを乗り越える。

 重心の移動も足場の安定もない、ただ腕の力と遠心力だけの大振りな拳で男一人を殴り飛ばすとは、魔物もかくやの恐るべき怪力である。当然そんなものを無防備に喰らった方が無事で済むわけもなく、頭から床に叩きつけられたチハヤは言葉もなく殴られた箇所を押さえて呻いた。

 凄まじく重い殴打をあばらに喰らい、まともに呼吸が出来ない。それどころか、あの一撃で骨をまとめて叩き折られたようだ。押し寄せてきた激痛に、喉が勝手に悲鳴を零す。


「ゔ……っぐ、ぁ……」


 容赦はない。怒りも数周回ってむしろ冷静になったか、ゆっくりとソファを回り込んで来たカザハネは、這いつくばったまま動けぬチハヤの胸倉を掴んで引きずり起こす。

 力の入らぬ脚を奮い立たせ、何とか自力で立ち上がる。しかしそこにまた一発。今度は首から上、真新しい象牙の地球儀の球に重いパンチが突き刺さり、身構えも出来なかったチハヤは遂に意識を飛ばした。


「チハヤ!? チハヤ!」


 そこに駆け寄って来たのはちまき。恐らくは心血紋伝いに主の危機を感じ取ったのだろう、半ば蹴飛ばす勢いで半開きの扉を開け入ってくると、突き飛ばされ倒れ伏したチハヤを庇うように四肢を突いて翼を広げた。幼いとは言え上位神格の威厳たるや凄まじく、神性の威圧を真正面から叩きつけられて、近づきかけていたカザハネの足が止まる。

 睨み合いがしばし。最初に言葉を探し出したのはちまきだった。


「チハヤにちかづくな」


 その声は、舌足らずな幼龍のままだと言うのに。一体何処から、これほどまでに苛烈な拒絶と否定の念が溢れてくるのだろう。浴びせられたのはたった一言でありながら、カザハネは完膚なきまでに叩きのめされた気がして、泣きそうになりながら頭を抱えた。

 がり、と。指の先が桐の板に傷を付け、強く掻きむしったことで割れた爪に血が滲む。それでも尚収まらぬ怒りと屈辱感が、カザハネにやり場なき呪詛を吐かせた。


「おめぇらは良いよ、ちょっと危ない時でも神様だの妖精だのがうじゃうじゃ手助けしてくれるんだから。でもな」


 声が掠れる。上手く言葉を引き出せなくなる。それでも、言い出してしまえばもう止まらない。


「俺にはあいつしか居ねェんだよ……」


 もうそれ以上何か言うことは出来ない。

 水龍の主は、ともすれば露呈しそうになる弱気な面を必死に胸中へ押し込めながら、ちまきの開け放した扉から部屋を飛び出した。

 そのまま家の外まで出て行こうとして、おぞましいほど冷えた手に腕を掴まれる。己からも体温を吸い取っていきそうな冷たさに振り返れば、何やら微笑ましげな表情をした闇霊人ダークエルフの男――果たして猫目に角付きの闇霊人ダークエルフなど存在するのかはさておき――が、己の大事な相棒を抱えて立っていた。

 敵意と警戒心も露わに見下ろす器族へ、男、もといシンタンは、まるで畳んだ衣服でも差し出すかのような気軽さでかいなの水龍を差し出してくる。


「忘れものだぞ」

「……誰だ、てめェ」

「誰でも良かろう。ほれ、一緒に連れて行け。疲れ切って寝ているだけだ」


 怪しさ満点である。そして、今の猜疑と苛立ちに凝り固まったカザハネには、この男だか女だか分からぬ顔立ちの何かが途轍もなく気に入らない。

 ならばやることは一つ。尚も掴んでくる手を片手で強引に引き剥がし、くたりと項垂れた遊草龍サリクスを置いて、カザハネは今度こそ踵を返した。


「おぉい、流石に相棒を置いていくのは不味いだろう」

「てめェのことなんざ信用出来るか」

「私のことはどうでも良いが、彼女のことくらい信じてやったらどうだ。盟約の紋は飾りか?」

「! この野郎ッ!」


 激昂。瞬時に身を翻し、チハヤに見舞ったものよりも力を込めて拳を振り上げる。しかし、男はまるで動じない。龍を抱きしめたまま、風切り音すら立てて襲い来る右の直拳ストレートを片手で受け止め、かと思えば己の顔の脇へと流し、腕が伸びきった隙に手首を掴む。

 まさか本気のパンチを受け止められるとは思っていなかったらしい、呆気に取られて動きの止まったその一瞬で、シンタンはミズタエをカザハネの胸に押し付け、右腕を曲げて抱えさせた。

 そこまでしても、美麗な顔は僅かも歪まない。春風の中に佇むような、自若として穏やかな微笑を浮かべたままだ。


「労ってやれ。この子はお前の為に飛んだんだ。お前以外の誰でもない」

「てめェに何が分かる……!」

当龍とうにんから聞いたことだけさ」


 殺気すら込めた呻きも何処吹く風、シンタンは綽々しゃくしゃくとした態度で苛立つ青年に背を向け、未だ起き上がれぬらしいチハヤの元へ向かうべく扉の向こうに消えてゆく。

 カザハネはただ、力なく身を預けてくる水龍を抱えたまま男の細い背を睨み付け――不意に、堪えかねたように身を反転。玄関を飛び出し、そのまま街路の奥へと消えていった。

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