十二:感応
貯蔵してある鹿の肉と野菜と近場でもぎ取ってきた茸を適当にぶち込んで煮込んだスープと、そのままでは口の中どころか喉まで水分を奪われそうな硬いパンを
少ないのではと王都の者には驚かれたが、概ね日の入りと同時に寝静まってしまうことの多い玉龍山の狩人にとっては、これが通常の食生活である。故にチハヤはそれ以上の心配も文句も受け付けず、やや多めに作った自分の食事をちまきと分けて食べていた。
「それ、腹減らんの?」
「大体いつもこんな感じだよ。そりゃあ夜に狩りするんなら夜一杯食うけど、俺は陽の高いとき専業だし」
チハヤの計らいとルッツからの依頼により、修士生は広すぎる一軒家を借りることとなり。多くは割り当ての部屋で一息ついたり荷を解いたりしている中、応接間に一人、例の器族――カザハネの姿があった。
両開きの扉と真鍮の持ち手が付いた、桐の戸棚に見える頭。その何処が口なのか、同族のチハヤにもさっぱり分からないが、とにかく木の匙を何処かしらにある口に咥えて上下にぶらぶらさせている。スープの入っていたカップは図々しくも二回空にされており、現在三杯目。保存の効く硬いパンは、一緒に差し出した牛乳と共にミズタエの腹へ収まっていた。
一方のチハヤはと言えば、やっと一杯を空にしようと言うところ。漁師が早食いのせいなのもあろうが、何よりも狩人の食が細いのだ。少々心配になる程度には。
「あんまり食わねーのもどうかと思うぜ」
「漁師の基準で俺の腹を語るなよ。ちょっと空きっ腹で寝るくらいが丁度良いんだ、満腹で寝たら明日後悔する」
そこまで受け答えしてようやく一口。続けざまに掬ったかと思えば、これは膝の上で待ち構えているちまきの口に入ってしまい、そしてそれで中身は干されてしまう。龍にやるのは少なくて良いだろうと咎めてみれば、心底不思議そうに首を捻られた。
「龍つったって子供だろ? 食ってデカくなるもんじゃないの?」
「神格持ちの龍の飯って、それ趣味みたいなもんだぞ。契約主の
「えっ」
「えっ」
そんなこと全く知らなかった、の驚きと、今まで片時も離れず吸われていたはずのに大丈夫だったのか、の驚きと。二つの声と視線が重なり合い、そして問いが投げられる。
「吸うって、えっ何処から? 血とか吸われてんの?」
「いや、ンな猟奇的なことしねーよコウモリじゃねーんだからよ。その、なんだ……龍と契約したんならそういう紋章みたいなのが出るはずなんだけど、腕とか」
「えっ何それ全然知らない」
「……お前契約したんじゃねーの? 説明聞いてねぇのか?」
「それっぽいのは確かにした覚えあるけど、そんな紋なんて――あっ!」
心当たり一件。というよりは、狩人の勘が騒いだ。ダァン! と勢い込んでマグをテーブルに叩きつけ、その音にびっくりしたちまきが膝の上から退避するのも構わずに、チハヤは着込んだシャツのボタンを外し、躊躇なく前をはだける。
果たして、それらしいものは――あった。
「これが……?」
正中線のど真ん中、心臓の真上に、血を染料にしたような赤黒い線で描かれた、地を踏み咆哮する
シャツの前を直しながら首を捻って、チハヤはカザハネに助けを求めたものの、彼は彼で様子がおかしい。両手で自身の腕を抱きすくめ、ソファの上に縮こまっている。何か不味いものを見てしまったような風だ。
「ヒェ……し、
「心血紋?」
「うぎゅーぅ、うきゃ〜っ」
ちまきは訳知り顔だが、生憎と説明出来るほどの語彙がまだない。ただ、随分と高い声を上げて心血紋とやらの上にぐりぐり額を擦りつけてくる辺り、ものすごく深い親愛めいたものを感じはする。だがそれだけだ。
何となくくすぐったい気分になって、きゅーきゅー言ってしきりに頭を押し付けるちまきの前脚を握って遊んでみたり。握られた前脚をぶんぶん上下に振りたくってくるのに合わせて手を動かしたり、たまに自分から仕掛けて豊穣祭の踊り子よろしくくるくる回してみたり。満足するまで膝の上でじゃれさせ、すっかりご満悦の様子で仰向けに四肢を投げ出したちまきの、比較的柔らかい鱗が覆う腹を優しく撫でさする。
そんな一柱と一人を呆れたように見つめていたカザハネは、のそのそと近づいてきたミズタエの顎が太腿に載っかってきたことで我に返った。自身が
「あー、えーと……心血紋ってのはまあ、契約の中でも位が高い――って言うか、最上級の奴だな。神龍との契約は他の
「つまり、今の俺はちまきの神官ってこと?」
「それも
ほえー、とはチハヤの感嘆。呑気なものである。
龍騎士は頭を抱え、隠せぬ溜息と共に声を吐き出した。
「普通の龍騎士の契約は
「そう言えば、全部持ってって良いとか言ったっけな」
ぼんやりとチハヤはそうのたまい、カザハネがまた信じられないものを見る視線を突き刺してきたが、当の本人は全く自覚出来ていなかった。
契約の詳細は自身もよく覚えていない。腕を飛ばされて死線を彷徨っていたとき、何かとても巨大なものに途轍もなく膨大な親愛友愛の情で迎えられ、戸惑っていたら「ずっと友達でいよう」だか「ずっと一緒にいよう」だかと持ちかけられた。訳も分からず、ただ殴りつけるような親しさに流されて承諾したらつらつらとその恩恵やら何やらについて一方的に説明され、「これほどの
そのあれこれした結果が
と。大体そんなことをもんやりと話せば、龍騎士と乗騎は揃ってソファに崩れ落ちた。
「もっ勿体ねぇ……! そんなん
「カザハネ……?」
「何だよーいちいち言わなくても分かんだろー。お前は大事な相棒だよ。分かった、分かったから。分かってるっつの」
カザハネはソファにぐったりしたまま、不安げに語尾を揺らしてすり寄ってくるミズタエをぐりぐりわしゃわしゃと撫で回す。その様子が羨ましいのか妬ましいのか、張り合うように頭をぶつけてきたちまきを、チハヤは何も言わずに抱き上げて顎を肩に乗せてやった。
何も恩恵が受けられないからと言ってすぐに困ることはない。ましてやちまきはまだ孵って間もなく、自分自身も龍の養育経験など全くない。そして、幸いなことに器族は比較的遅老長寿で、龍と共に歩める時間は人よりも多少は長かった。ならば、ゆっくりと歩めばいい。
――そうだろ?
心の内だけで問うたチハヤは、直後に走った心の臓の痛みに苦鳴を堪える。
そして一瞬の鈍痛が過ぎ去った直後、心血紋が
――でもはやくチハヤとしゃべりたいな。
今まで言葉になっていなかった仔龍の感情が、奔流の如く紋から流れ込んできた。
或いはあの時感じた波濤のような親愛と敬愛の情、或いはそれを言葉に出来ないもどかしさや苛立ち、また或いは孵るときに声を上げ居場所を示してくれたことへの感謝の念や、はたまた生まれ出でる瞬間の溢れんばかりの期待。その他、もう細かく読み取るのも億劫なほどにめまぐるしい感情の機微推移。それら全てが、紛れもなくただ一人にのみ向けられたもので、チハヤはズキズキと脈打ち痛む心臓をなだめながら呆然として……ふと我に返る。
「ちまき、今のお前?」
「チハヤもー」
抱き上げて、声で確認。差し向かいでカザハネが唖然としているが関係ない。
その後同じことを声に出さず問いかけあって、狩人と仔龍は頷きあい――
「わァ――ッ!!」
揃って歓喜の声を上げ、ぼふっとソファに倒れこんだ。
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