二十三:竃前の閑話

 この世界でも、陸に最も早く進出したのは植物達である。

 水辺を覆い、乾燥に耐えて独自の生態系を築き、そして今や極限の氷地にまで適応し、地の遍くに増え繁った。太陽光を使い栄養を得る生物は植物の他にも数おれど、やはりこの地に於いて最多の生産者たるのは、緑葉を持つ木本草本を置いて他にない。

 高山の植物が変じて生まれたこの魔竜も、そんな植物の強壮さをそのまま保持していた。


「Grr……g,gg,rr……」

「ゲェッまだ生きてんのかよアイツ! これ以上ないくらい粉々にしてやったろ!」


 一撃必殺の刺突を見事に決め、気流に乗って戻ってきた水龍とその騎士。そんな彼等が驚愕半分苛立ち半分に叫ぶのは、山肌にしがみ付き唸る魔竜のせいである。

 当然無傷ではない。竜の中核を成していた胸部の霊石は矢を射られた上木っ端微塵に打ち砕かれ、突撃降下パワーダイブの勢いが乗った一撃の余波で、背の翼全てと右の前脚は吹き飛んだ。今の魔物は最早死に体の残骸と言って差し支えないだろう。しかしながら、持てる最大威力の槍でも斃し切れなかった事実に、カザハネは困惑を隠せない。

 露骨に動揺を纏い、同じく怯えたような素振りを見せる相棒ミズタエと共に、雷竜とその上に跨る狩人達の傍へ舞い上がる。危機の峠は去ったか、速度を落としてゆったりと飛ぶテイカの隣へ付けば、チハヤは静かに淡々と、目下の魔物を見下ろしていた。こうなることは分かっていた、そう言わんばかりの落ち着きように、思わず首を捻る。


「なぁ。あいつ頑丈すぎじゃね?」

「うん。……ちょっと異様なくらいな。ひこばえ性質たちでも持ってるのか」

「切り株から芽が生えるって奴か。でもあれ草だぜ? 草は切れば終わりだろ」

「まあね。でも草だって、根さえ生きてりゃもう一度生えてくるのは多いよ。ひつじの穂は馬に食わせろってな」


 こともなげにことわざなど使って見せるチハヤだが、カザハネには何のことやらさっぱりである。相変わらず、地球儀頭の何処から引き出しているのか分からぬ知識量だ。頭の形的には、戸棚たる己の方が沢山入りそうなものなのだが。

 むぅ、と喉の奥から溢れた唸り声は、飛び渡る龍の羽音に隠し。代わりに、知識をひけらかされた不満だけを込めて言葉を紡ぐ。


「知るかンなもん。漁村の小倅こせがれに平原の諺で例え話すんなや」

「悪いって。でも浜辺の草だって頑固なのは多いだろ? それと一緒だ」


 ――魔物に適用出来るかはともかく。

 抑えた声で呟くチハヤの前で、魔竜が億劫そうに首をもたげた。紺碧の石がはまり込んだ眼窩に狩人を映し、恨めしげな呻きを一つ二つ。飛びかかろうと翼を広げかけ、そう言えば無かったとばかり力なく山肌にうずくまる。あたかもとどめを刺される前の獲物のような姿だ。いかに魔物とは言え、少々哀れだった。

 けれども、見つめ返す狩人に憐憫の色はない。黙って黒羽の矢をつがえ、弦を後頭部のすれすれまで引き絞り、

 ふと思い立ったように、構えを解く。

 地球儀の首を少しく傾け、再びまじまじと魔物を観察。見られている方も、観念しているのか虎視眈々と狙っているのか、じっとチハヤを仰いで動かない。両者は暫し見つめ合い、どちらからともなく視線を外して、チハヤは何も言わずに仔龍ちまきの喉を撫でた。ぐるるるる、と猫のように喉を鳴らすのは機嫌のよい証拠だ。恐らくはちまきも同じことを考えていたのだろう、と心の中で頷いて、狩人は徐に言葉を紡ぎあげた。


「カザハネ。トドメ、お前に任す」

「んー……んん? はぁ? 何でェ」

「何というか、俺がやる役目じゃない気がするんだ。やれ、戦利品総取りで良いから」

「何じゃァいきなり」

「問答無用。弓と矢貸してやるよ」


 ほら、と無造作に放り投げられる神器。大慌てで受け取り、自身の得物――此方もまた神器の槍――を腰鞄に捻じ込んで、カザハネは困惑しきりに手の中の銀弓とその持ち主とを交互に見る。もし受け取れずに取り落としたらどうするんだとか、弓矢はそう上手く扱えないから渡されても困るとか、そもそもどういう風の吹き回しなのかとか。聞きたいことが山ほどありすぎて、むしろ言葉が出てこない。

 何か言いかけてはやめ、出てこない言葉の代わりに頭を抱えようとしてそれもやめと、煮え切らぬ感情に手元を彷徨わせること三回。腰鞄を漁っていたチハヤが、何故か銀の香炉と練香数種を取り出した時点で、カザハネはとうとう真意の追求を諦めた。


「こんな強弓、俺じゃ当てらんねーよ」


 ぶつくさと文句を垂れつつ、一緒に投げ渡された鋼の矢をける。弦を引いてみたものの、引けなくはないがかなり苦労する重さだ。普段使っている機巧弓クロスボウでもこれほど力の要る代物ではないだろう。こんなものを軽々と扱う狩人の気が知れぬ。

 とは言え、カザハネの膂力はチハヤより上。一発射るだけならば泣き言を言う必要はない。矢先を魔竜の額に合わせ、弦を一杯に引き、解き放つ。矢は吸い込まれるように狙いの場所目掛けて飛び、途中で山肌沿いの風を受けて逸れ――


 ――あらよっと!


 楽しげな少年の声がカザハネに届いたかと思うと、あらぬ所へ飛びかけていた矢が元の軌道へと戻された。


「んな」


 驚きの声を上げることは許されない。

 とどめの一撃は空を切り分けながら魔物の額へと迫る。須臾にも満たぬ飛翔の後に、ストン、と乾いた木の板を打ち抜くような音を一つ立てて、矢はその半ばほどまでが竜頭にめり込んだ。

 ――それが、真の終わり。


「grr……r……」


 立ち枯れた木が裂け倒れるような、軋み音にしか聞こえぬ断末魔を低く零して、射抜かれた魔物は伏せるように上げていた頭を垂れてゆく。

 百年を経た大木の死の如く、森を越え村にまで響く大音声を上げて倒れ伏した魔竜を、二人の器族は看取るように見つめていた。



 時刻は第二透玉刻とうぎょくこく半。

 雪雲の合間に見える空は赤く染まり始め、初春だと言うのに激しい風雪が山肌を殴りつける。深い洞穴にもちらほらと雪と寒風が舞い込む中、高山病の症状を呈して倒れた人族らを連れての下山を、チハヤは迷うことなく不可能と断じた。

 幸か不幸か、雪山での野営は経験が無いわけではない。そして、今は過去の経験よりも数段過ごしやすい状況下だ。不安はあるものの、今にも死にそうなほどではなかった。よって、チハヤの行動には迷いも澱みもない。腰鞄からてきぱきと人数分の毛布を――此処へ飛んでくる前に家の倉庫から引っ張り出してきたものだ――引き出し、ランタンと燃料の獣脂も取り出して、火打ち石で火を落とす。赤々と燃え盛り始めた炎を、雲曳竜オウィスに頼んで集めてもらった薪に移して焚き火を作れば、人間どもが焦がれるように集まってきた。

 まだまだ本調子とは行かぬ顔の老若男女をよそに、火の回りに石を組んでかまどを作り、水と非常用の食糧を入れた飯盒はんごうを火にかける。そこまでやってようやく一息ついた狩人の頭を、ふわふわの白い尻尾がいささか乱雑に撫で回した。


「おっつかれー」

「お疲れ千冬チフユ。奥さん元気?」

「元気元気ー、今三女の卵抱いてるね。チハヤは元気してた? 父君と祖父君おじぎみはどう?」

「全員いつも通りだよ。俺は……山の主と契約するわ“門”は開くわ、居候が遭難するわで大変だったけどさ」

「まーまー恨まない皮肉らない。ボクの仔を森の傍で拾ったから送り届けてくれたの。ボクの仔に免じて許しておくれよぅ」


 ねー、と白竜、もといチフユが同意を求めた先は、いつの間にか親竜の頭の上によじ登っていた、ちまきと同程度ほどの大きさの白毛玉。四肢も翼ももこもこの巻き毛に覆われ、ぱちりと円らな紺碧の双眸とまだ小さな角以外、親の頭に同化してしまっている。どうやらあの毛玉が今期の雲曳竜オウィスの仔であるらしい。

 竜の仔は無言を貫いたまま。じっと狩人を見つめ、それからその周囲にいる人間達を見つめ、最後に漫然と己が手の内を眺めて考え事をしているもう一人の器族カザハネを見つめて、何を思ったか父竜の頭から滑り降りた。

 頭から長い首、背を伝い、伏せた前脚からつるりと地面へ。羊か高山山羊アルパカかと見紛うふわふわの仔竜は、いささかたどたどしい足取りでチハヤの傍まで歩いてくると、まん丸な目を潤ませて首を傾げる。


「きゅぅん……」

「くっ、そ、その仕草反則……!」


 千年の怒りもしぼむ必殺ゆるして攻撃。

 うるうるの目と細いゆるしてボイスにあえなく撃沈したチハヤは、膝の上で丸まるちまきを、身悶えする代わりに思い切り撫で回した。


 ――などと。

 白竜の親子と駄弁り、至る所を撫でさすられてご満悦のちまきを毛布の中に寝かしつけ、自分もとばかり弱体化ウィークニングの権能を使ってすり寄ってきたチフユとその仔、名付けることの冬羽フウの毛を存分に撫でくり回しながら、冷え切った飯盒の中身が煮えるのを待つこと半石刻しゃっこく

 ようやく火の通ったスープが良い香りを漂わせ始めると、それまで悶々と思案に耽っていたカザハネも現に戻ってきたようだ。肩の上で付き添っていたミズタエに何やら言い含め、元気一杯に風雪吹き荒れる外へ飛び出していく様を見送って、やはり手の中の何かを見つめたまま焚き火の傍にやってきた。

 言葉を交わすでもなく、チハヤの隣に腰を下ろす。対するチハヤも無言のまま、木の器の中に夕食を取り分けた。


「ほい」

「ん」


 ほかほかと湯気を上げる器を受け取り、中に突っ込まれた木匙でスープを一掬い。何処ぞにある口に含めば、耽るあまり忘れていた寒さを、熱くさえある滋養がゆっくりと溶かす。無意識のうちに安堵めいた溜息をつき、その緩みのままに、龍騎士はぼんやりと言葉を紡いでいた。


「何で拾わせたんだ、あんな面倒なもん」


 何のことだ、ととぼける気はない。ずっと見つめていた手の内のもの――魔物の核を成していた霊石を指しているとは明白時であるから。

 聞き返す代わりに、狩人は黙って腰を上げ、飯盒から自分の分のスープを取り分ける。再び元の場所へ座りざま、答えとなるべき言葉を選んだ。


「霊石は霊力オドの塊だし、それでなくても価値の高い宝石だ。……何かの役に立つよ」

「何、売って金にでもしろって? 意外とお前商売根性強ェな」

「それもいいかもね。でも」


 一旦言葉を切り、スープを一口。いつぞやのカザハネの如く、口の中に匙を突っ込んだまま、チハヤは腰鞄を漁って石を一つ引っ張り出した。

 何やら星に似た結晶が内に散る、青色透明の小さな石。器族に霊力オドを探知する力はないが、何となく普通の石ころとは違う、つまるところ霊石であるように思われる。だがそれがどうしたとばかり首を傾げたカザハネの前で、チハヤはおもむろに声を織り上げ始めた。


〈お前は流星 夜の語り部〉

こいねがうこの声を聞き 三つの言葉をのみ父の耳に届けて〉

〈『我等氷山の洞』『魔竜は形無し』『万難無事解決の兆しあり』 以上、星光せいこうの封蝋を添えて――流星雨の言伝ドラコナイズ・ヒアセイ


 それが術の聖句で、しかも術として成り立っていると知ったのは、手に乗せた石が青白い閃光を放ったが故。ぎょっとして狩人の地球儀頭を睨みかけた龍騎士は、風の速さですぐ横を通り過ぎていった閃光、その身を切るような冷たさに否が応でも気勢を削がれた。


――確かに三つ、聞いたよ千の矢! 今すぐ父君に届けます! 返書待っててねー!


 金切り声を上げる風、そこに混じって、幼い少年の声が吹き荒れる。

 聞き届けた上位存在のものであろうか。バッと音を立てて振り向けば、そこには最早静まり返った洞窟の壁があるばかり。しんしんとした寒さ暗さだけが募る暗闇を睨んで、カザハネは諦めたように頭を元に戻す。はぁー、と気の抜けた溜息が、木の器から立ち上る湯気を勢いよく蹴散らした。


「何だお前。大昔の御伽噺か、ぁあ? 今時擬神能力チートなんて王都の寝物語でも流行んねーぞ」

「そんな大それたことしてない。石の霊力オドを対価にして上位存在ともだちに聞いてもらっただけだ」

「黙れ擬神チート野郎! それが簡単に出来るならとっくにやってるだろ!?」

「そんじゃやってみたら?」


 簡単に言ってくれるものである。出来るか馬鹿、とムキになって喚けば、チハヤは何やら微笑ましいものを見るような、懐かしむような視線を向けてきた。自分も最初はそう思った、とでも考えているのか。

 失敗したら絶対に一発は殴ってやろう。そんな物騒な決意を固めながら、龍騎士は手で暖めていた魔竜の霊石を腰鞄へ突っ込み、入れ替わりに紅玉髄カーネリアンの小片を受け取った。ちらちらと中で揺れる炎のような煌めきからして、これも霊石らしい。平原の王都では小指の先ほどのものでも数万てんは下らぬ高級品のはずなのだが、まるで路傍の石の如き扱いだ。一体全体この山の鉱石資源はどうなっているのやら。

 平原の常識が崩れ去る幻聴を聞きながら、カザハネは教えのままに石を軽く握り込む。

 途端。


――こんばんは、水風みなかざの子。

――ちゃんと通じ合うのは初めてかしら?


 背後で、少女の声と熱風が揺らめいた。


「いっ!? だっ、何だ!?」


――あら初心うぶな反応。そうよね、滅多なことでわたしと貴方は会わないものね。今日は場と縁があるから、特別よ。

――わたしのあざ絶えぬ縁の火ヴェスタ。普段は千の矢のお家のかまどにいるのよ。今はここを借りてる。


「嗚呼ビックリした、精霊……精霊ィ!?」


――そう精霊。貴方が呼んだから来たの。

――わたしたちの事でお悩みでしょ?


 意味深長な響きを込めた声は、カザハネの背後から正面へ。姿を探して頭を上げるも、術使いの器無き器族の視界には、やはり精霊の姿など映らない。そこには赤々と燃え盛る火だけが揺れ、そしてまだ熱いスープの湯気ばかりが渦を巻いている。

 その渦をそれとなく視線で追っていたカザハネは、丁度己が視線の自然な高さの辺りで、湯気が不自然に曲がる様を見た。あたかもそこに滑らかな曲面があるかの如く、するりと横へ流れて何事もなく上にすり抜けてゆく。


「あれ、今そこ……」


――あら、居場所バレちゃった。


「バレ……何、精霊って実体あんの? それともお前の気まぐれ?」


――どっちかしらねぇ。


 くすくすくす、と楽しげな笑声がまた一つ。精霊の声と気配は再び場所を変え、龍騎士の右隣にふわりと飛んできた。

 どうにも上手く話の進まぬ苛立ちに、虚空を平手で殴ってはみたものの、実態のない精霊に触れた手応えなどあるはずもなし。遠火の熱さは変わらず右隣に凝ったまま、囁くような細い声だけがはっきりと届く。


――そんなに怒らないでよ、水風の子。からかったのは悪かったわ。お詫びに良いことを教えてあげるから、殴り掛かったりしないで頂戴。

――そうね、わたし達は居るところにしか居ないし、居られないものよ。人間は自分の霊力オドを使って手繰り寄せられるのだけど、貴方達にそれは無理。そこはわたし達が変えられるものじゃないの、ごめんなさいね。


「何言ってんだお前、チハヤは術使ってんじゃねぇか。何でこいつに術が使えて、俺はこれっぽっちも使えねぇんだよ。不公平だろ」


――千の矢は確かに、そうね。天性の才能なのかしら。ちょっと魅力的なのよね。いると何だか引き寄せられちゃうの。それにわたし達の好きなものを良く知ってる。

――でもね水風の子、貴方だって今わたしと話してるじゃない。今なら、貴方のお願いごとを聞いてあげてもよろしくってよ?


 今此処で、見えるものが彼女を見ていたならば。そこには、えへんと得意げに胸を張る橙髪の少女が見えただろう。

 しかし、器族には見える由もない。ただ竃の精の提案を受け、少しく思考回路を回転。よし、と己が中で追認の首肯を一つすると、やおら少女のいるであろう方へと向き直った。

 手にした紅玉髄カーネリアンの欠片と共に、畳んだ毛布を差し出す。


〈此処は寒ィな。だから、俺達に一夜の暖を貸してくれ。――母子守の火よファイアプレイス


 普段通りの軽薄さを纏った請願、その短い余韻が途切れた、直後。

 隙間風のような音を立て、霊石から霊力オドが引き抜かれた。

 あっと思う間もなく、火の周りに集まっていたものどもの周りを暖かい風が囲み、隅の方に沈滞していた冷気を瞬く間に追い出してゆく。春の陽を身に受けたような、或いは抱かれているような、身体の芯をほどくじわりとしたぬくさは、逆巻く風がその勢いを弱め消えても残ったまま。

 本当に出来るなどと思ってもみなかったのだろう、唖然として己の起こした結果を眺める若き器族の頭を、強い熱を孕んだ何かが優しく撫でた。


――おめでとう水風の子。ちゃんと貴方にも出来るじゃない。


「俺は、でも」


――御膳立ての中でやっただけ? いいえ、人との縁も才能の内。貴方は良い機会を得たわね。中々無いことよ。

――巡り合わせを大事にしなさい。


 撫でる熱は桐戸棚の上面から両側面へ。諭すような物言いと言い、まるで母に言い含められているようだ。そんなことをふと考えかけ、やにわに気恥ずかしくなって、心中でのみ小さく苦笑する。

 分かったよ、と敢えて突き放せば、竃の精霊はくつくつと含みのある笑声をこぼし、そして愉快げに返答した。


――折角の縁も、ちゃんと勉強しないと意味ないんだからね。

――特に器族はわたし達と縁を繋げる状況が限られてるんだから、どこにどんな子がいるかは覚えておくのよ。教材は何処にでも。千の矢に聞いてもいいと思うわ。

――それとも、勉強は嫌い?


「ゔっ」


――あら図星。しょうがない子ね、本当。

――これも何かの縁よ。付き合ってあげるから、暇になったら竃の前にいらっしゃいな。みっちり叩き込んであげるわ。


「えー俺一応実習生としての課題が」

「ほぉーぅ。何かにつけ脱走するお前もちゃんと課題をするのかぁ。先生嬉しいぞぉ」

「ゔぅっ……!」


 洞穴が暖かくなって調子が出てきたのか、ルッツの横槍が入った。まだ青ざめている顔にそれでも堪えきれぬにやにや笑いを浮かべ、待ち構えるように揉み手なぞしている。

 前門の精霊後門の先生。さあどうするとばかり迫られ、言葉を失った修士生の答えは。


「分ァったよもお! どっちもやりゃーいいんだろどっちもォー!」


 やけくそ気味の宣言。

 ひっくり返って両手を投げ出す生徒カザハネをよそに、教官ルッツが小さく拳を握ったことに気付いたのは、いつの間にやら蚊帳の外にされたチハヤばかりである。

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