貴族も庶民もやばい奴しかいないので誰も居ないおんぼろ学生寮を借りたら、油断して呟いたとんでもない独り言を王女様に聞かれて、色々収集がつかなくなる
魔術学院アカデミアの生徒は学生寮で生活を営む。そのため例えば、談話室で会話に興じたりすることもあるし、学生寮の食堂でだべったりすることもある。
普通、学生生活を長期に渡って共に過ごせば、嫌でもいろんな人間と仲良くなれるものである。
だから自分も学生寮で生活を送れば、きっと他の生徒たちと仲良くなれるであろう――そんな甘い見通しをクーガーは立てていた。
(人種が、違いすぎる。貴族も庶民も、どっちも同じ人間だとは到底思えない……)
学生寮生活しょっぱなから、クーガーの心は折れた。
貴族も平民も、価値観や善悪の倫理観がまるで違うのだ。それはちょっと頑張れば相手に合わせられる――というような程度のものではなく、本当にどこかおかしいのではないのかと思ってしまうほどの価値観の差なのである。
だがそれこそ価値観の差なのである。どこかおかしいんじゃないか、こいつ間違っているよ、という感情の先に文化理解はある。価値観の差とは「へー考え方が違うなあ」というような程度の生温いものではなく、時に一生理解できないほどの差があり、それでも互いに優劣をつけられないものである。
それをよく知っているクーガーは、だがやはり、それでもなお渋い感情になることはままあった。
貴族は、強烈であった。
『はっはっは! クーガー貴様、この私に貢物もないのか。――何だ、そんな変な顔をしてどうした? 普通は高価なものなり何なり貢ぐものだろう。
いいか、まずお前は、どうでもいい辺境地に任ぜられた貴族の家系だ。それこそ中央で複数の法務官を輩出している我がエーデンハルト家に、色々都合して欲しいことはあるだろう。
加えてお前は、嫡男といえど只の四男。社交界にも出たことのないバカ四男だ。領地継承権からも程遠いお前が今後生きていくとすれば、まあ、中央に仕官するのがよいだろう。
となれば普通は私、ヴァレンシア・エーデンハイトに面通しするのが基本というものだ。媚びを上手に売れないようでは、一生出世できないぞ――』
最初に出会ったこの女があんまりにも悪かったのかもしれない。だが、面と向かって貢物を要求されたのは、生まれてこのかた初めてである。それもクーガーのことを露骨に馬鹿にしながらそんなことを言うのだから、価値観が違いすぎると思っても仕方がないだろう。
これはあのヴァレンシアとかいう女が変なのだろう――とクーガーは思っていたが、どうやら違うようであった。
確かにヴァレンシアとかいう女は少々変な娘らしいのだが、あれは
「わざわざ田舎者に忠告してあげるヴァレンシア様のお優しさ」「普通の貴族なら、常識知らずの無礼者はそっと距離を置いて冷たくしておくはずなのに」「今からでもヴァレンシア様派に乗り換えたほうがいいぞ、田舎者」「無頼気取りか? たまにいるんだよな、お前みたいに俺は一匹狼だみたいに気取るガキが」「まさか田舎者で尚且つ四男坊の癖に、爵位が低い一族には頭を下げられないとでも考えているのか?」
――などなど。
何にも考えずぼーっとしていたクーガーは、まさか一匹狼に憧れる中二病扱いされるとは思っていなかった。ましてや、大名の子だから旗本には頭を下げられないよとのぼせている子供、みたいな言われようをされるとも思っていなかった。
要するに、価値観があんまりにも違うのである。何にもしないでぼーっとすることがこれほど失礼だとは思わなかったのだ。
では、庶民はどうかというと、こっちも強烈であった。
それはクーガーが、服のボタンを誰かに盗まれたときの話である。
『服のボタンを盗まれた? だからどうしたっていうんだ。お前らは常に私たちから搾り取って得ているじゃないか。富を独り占めするのは悪だ。ふざけたことを言いやがって。大体盗まれても次また買えばいいだろう。
お前たちには寒さで震え、飢えで腹を抱え、水を飲んでは嘔吐し、明日死ぬかもしれないと思って過ごす人間の気持ちが分かるはずもない。いつも俺たちを家畜みたいに見やがって。
食器を使えることの何が偉い。文字を読めることの何が偉い。勉強できることの何が偉い。俺は全部できるけど、それは死に物狂いで努力してきたからそうなっただけで、お前らのように生まれつきできるからできました、みたいに甘ったれた生き方はしてない――!』
こちらも最初に会ったこの男――ソイニがあんまりにも悪かったのかもしれない。だが、物を盗まれたのはこちらなのに、喋っているうちに向こうが勝手に怒って勝手に怒鳴りつけてくるのは、余りにひどい話である。だが、たまにいる。こういった、喋っているうちに勝手に自分で怒りだす連中は。教養がない、心が未熟だ――とクーガーは思うも、それは本質とは関係がない話である。
そして、このソイニという男が間違っているというわけでもないらしい。少々激情家で変なところはあるのかもしれないが、でも彼の意見が全部間違っているというわけではなく、周囲の庶民はクーガーよりもソイニに同調している始末である。
「盗まれるほうが悪い」「持っている側の人間の癖に、物に執着するなんて見苦しいな」「ああやって物を盗まれたことにしておいて、適当な言いがかりをつけて、こっちの金品を全部巻き上げるクズな連中はいままでたくさん見てきた。盗まれたなんて言葉、信用できるかよ」「あいつ俺たちのことを野蛮だって目で見てるぜ。分かるよ、あの澄まし面」「この前兵士たちがうちの前を通るとき、貯めてた食糧を取り上げていったんだけど、これも盗みだよね」
――などなど。
全部、クーガーには謂れのない話である。きっと彼らの言うような横暴な貴族は実在するのだろう。だがクーガーは、そんな横暴な貴族の仲間だとばかりに糾弾されるとは思ってもいなかった。
要するに、価値観があんまりにも違うのである。住んでいる世界や見ている物事も、まるで全く違うのだ。
(――同じ人間だとは思えないな。貴族も庶民も、どっちも常識が欠如しているようにしか思えない。でも、向こうからみればきっと、俺のほうが常識知らずなんだ)
クーガーは、ふと魔術学院なんてやめてしまおうかとさえ思ってしまった。
この先仲良くやっていけるだろうか、という不安しかない。そしてきっと、仲良くできないだろう。クーガーは媚びるようなことは苦手である。せっかく生まれ変わった身なのだから、媚びっぱなしで人間関係に疲弊しながら生きるより、幸せに、かつ開放的に生きたいのだ。
結局クーガーは、学生寮はお金を出して皆とはまた別の寮を借りることに決めた。
寮生活で物を盗まれたり、あるいは日常の些細な動作にやっかみを付けられてザッケハルト家の責任にさせられては困るのだ。だからなるべく一人のほうがいい。友達を作って、そこから貴族同士の人脈を作ろうと思ったのが間違いである。
だから、学生寮は――誰も住んでいないというおんぼろ小屋を、自由に改造してくれていいという条件で住むことにしたのである。
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「美味しいものはたくさん食べたい。面白いものはたくさん見たい。便利な魔道具はたくさん欲しい。可愛い子たちとはたくさん遊びたい。魔物はたくさん狩りたいし、魔法はたくさん練習したい」
「これはもう世界迷宮に行くしかないな。金貨5000兆枚あるし」
「まあ、金貨1000万枚ぐらいつかったら世界最高峰の装備を入手しつつ、余ったお金で世界最高峰の騎士団を雇えるだろうしね」
「もちろんそんな真似しなくても、多分お金の力で何とかなるはず」
「……。あーあ、可愛い子たちといちゃいちゃ(意味深)したいなー。耳とか尻尾とかモフモフしたいし、何ならちょっとえっちなことも――」
「! ……誰だ!」
「……え、ビルキリス……王女……?」
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おんぼろ小屋の中で、王女ビルキリスはつんとした顔のまま、全くもって冷静そうであった。
さっきクーガーが呟いたとんでもない言葉を、よもや聞いていないのではと思わせるほどの澄ましぶりである。そういえばゲームでは、『不機嫌のビルキリス』というキャラクターだったなとクーガーは思い出した。
ともかく、このおんぼろ寮は自分ひとりだ、と油断していたクーガーの落ち度である。一国の王女にとんでもないことを聞かれてしまったのだ。彼女が至極冷静そうなのが唯一の救いであった。
「可愛い子とえっちなこと。……クーガー、あなたもそのような気分になることがあるのですね。深く、深く勉強になりました。王族として、人の営みの一面に触れられたような気がします」
――冷静そうなだけだった。表情と口調だけ冷静を保っているだけで「なるほど、えっちなことですか、人の営みですね、ええ、えっちなこと」とよく分からないことをぐるぐると何回も繰り返し口走っている。駄目だった。よく見ると彼女の耳はほんのり赤い気がした。
「クーガーは、その、得意なのですよね、えっちなこと」
「何かひどい誤解してませんか?」
「きっと、5000兆あります、なりませんか、と可愛い子を口説くのでしょう」
「最悪な口説き文句ですね」
何を言ってるのだろうか――クーガーは、目の前にいる王女が色々と取り乱していることに気付いた。この子はおろおろするタイプの子なのである。以前クーガーの服に吐き戻したときも、受け答えはしっかりしているように見えながらも、その実かなり狼狽えていた。
今回も同じだ。内心あたふたしつつも、慌てないように客観的な言葉を自分に言い聞かせているだけのようにクーガーには見える。
「その、具体的には、どのようなことをなさるのですか、5000兆枚で、可愛い子と」
「……具体的には、モフモフと毛並みを確かめたり、尻尾や耳を触ったり、抱きついたり、いちゃいちゃしたり……ですね」
「今度犬を送りましょうか? 可能な限り良いものを見繕います」
「えーと、そういう訳ではないのですが……」
「! 手は出さないように!」
「色々ひどい」
などと、先ほどからとんちんかんなことを口走っているビルキリスだったが、途中から思い出したように「……どうしても我慢できないことも……どうすれば……どうしよう……」と真剣に何かを思い詰めているようであった。絶対にろくでもないことであろう。嫌な予感しかしなかった。
やがて、神妙な面持ちでビルキリスは何かを語り始めた。
「……クーガー。もしどうしても我慢できない、ということがあれば、私が可能な限り相談に乗ります。その、物には限度がありますが、力になれることも幾つかあるでしょう。……思うところはありますが、我慢をしすぎるのも良くはないと考えております」
(あ、この子、息子のエロ本を見つけたときの母親みたいな顔してる)
「道さえ踏み外さなければ良いのです。その、私とて時には、悩まされるのですから――」
「あーあーあー今日はいい天気ですね! お日柄もよくお茶日和です! お茶にしましょう!」
「! あ、あ、ああ、その、あああ」
大爆発。
クーガーはもうどうすることもできない。盛大なまでの自爆を華麗に決めたビルキリスに、ここから何を声をかけたところでどうにもなるはずがない。とりあえずクーガーは「殿下はお優しい方です、改めて尊敬いたしました」とだけやんわりフォローをすることにした。
涙目で俯いている彼女は、先ほどから言葉にならないようなうわごとばかり喋っている。言い訳しようとしているのかどうなのかクーガーには分からなかったが、とりあえず話半分に聞き流すことにした。
それにしても『不機嫌のビルキリス』とは一体何だったのか。
クーガーからしてみれば、目の前の少女はただの年相応の少女である。そしてきっとその通りなのだろう、とクーガーは思った。ビルキリスはとても聡明で気品を持っているが、クーガーにとっては貴重な一人の友人であった。
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