このまま学園に行ってもどうせコテンパンにされるだけなので訓練も頑張りつつ、ハーブ栽培の研究をする

 久我崎は、そろそろ自分をクーガーとして認識しようと努力をしつつあった。

 ある日、目が覚めれば、元の久我崎悠人に戻る――そんなことを考えていた時期もあった。だが待てど暮らせど、いつもこの身はクーガー・ザッケハルトである。

 クーガー様と呼びかけられても、気を抜いていたら無視してしまう――そんなことは今後はあってはならないだろう。他ならない自分の名前を聞き逃すのは些か不自然である。認めるしかないのだ。自分がクーガー・ザッケハルトであると。


(俺は13歳だ。もうすぐ15歳になる。そうなれば俺は【魔術学院アカデミア】に通うことが可能になる。そこから、いよいよクーガーとしての人生の勝負が始まるわけだ……)


 久我崎、もといクーガーは覚悟を決めなおした。

 ここからである。人生を変えるなら、ここからが最大の踏ん張りどころなのだ。


 この世界の教育は、基礎的な教育を15歳までに修了し、その後大学に進学するというものであった。

 基本的には、庶民は、学校に通うかそれとも工房などで弟子入りするかを選び、下級貴族は勉強に励んだ。――が、上級貴族ともなると基本的な教育は家庭教師から教わり、そのまま貴族として親の後を継いだりするのが殆どであった。基本的に学問というものは、臣下筋がするようなものなのである。


 だが、ここにきて伯爵の嫡子クーガー・ザッケハルトの立場は危うい。

 何せ、元々ザッケハルト家は貧乏貴族でしかない。伯爵家とは言えどそれはあくまで形だけである。本来は四人も男兄弟がいて、女姉妹も二人いるようでは先行きが危ういのだ。幸い、愚鈍な子供は四男坊のクーガーだけであったが、それでも全員が全員、領地経営だけで食べていけるとは思えなかった。


 故に学問である。伯爵家の生まれではあるが、学問を修め、中央の官士となれば、十分に食いつないでいくことは可能であろう。それだけではなく中央とのつながりも出来れば、辺境に任ぜられているザッケハルト家も色々と融通が利くであろう。要はパイプが欲しいのだ。

 クーガーはそういった理由から、大学である【魔術学院アカデミア】で学問を修め、裁判官なり財務官なり、どこかに仕官することを期待されているのであった。


(だが、ただ単に学園生活に気を付けていればいいという訳じゃないはずだ。足掻いても上手くいかないかもしれない。勉強を頑張っても、社交を頑張っても、それでも全然運命は変わらないかもしれないんだ。――だから領地経営を頑張る)


 もしも学園生活で失敗したとしても、領地経営で何とか生きていけるように。

 クーガーは万が一に備えて、様々な方策を考えていた。それは言わば、このクーガー・ザッケハルトという人間の末路を何となく知っているからの、より安全を求めての行動であった。






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 金貨が5000兆枚あれば何もしなくてもいい――そんな風に思っていたクーガーは、自分の認識を改める必要があると感じた。

 例え金貨が唸るほどあろうとも、幸せに生きられるとは限らないのだ。

 何せ、産まれた乳児の三割ほどが死ぬ世界である。生水が不潔であるためか、ワイン利権を独占している宗教団体にすがって生きなくてはならない。

 ならば水を飲めるようにする方法を考えるべきだ――というのが普通の発想であるが、様々な利権のしがらみあってのことか、それが中々浸透していないのが実情でもあった。


(政治とは交渉だ。どうせ俺は、あと少しで学園に行って内政から離れないといけない。だからこそ今のうちに、長期に渡って伯爵家を持ちこたえさせられるような有効な手を打っておかないといけないんだ……)


 クーガーはここにきて、単純な内政の限界を感じていた。

 アイデアと資金力勝負――内政計画の立案はそれで何とかなるのかもしれない。だがそれを有効に・・・活用するとなると、それは完全に政治の世界であった。――すなわち交渉である。


(商会、教会の影響を無視できなくなってきた。それどころか、我が領地の役人に妙な癒着がないか、常に目を光らせる必要もある……)


 クーガーは、このザッケハルト領における汚職がないかどうかを軽く検閲したことがある。

 といっても、手掛けたのは帳簿計算の検算、および帳簿と市場価格で不当に値段が乖離していないかの調査である。

 幸い、クーガーが調べた限りでは問題がなさそうであったが、もし汚職があればあったでクーガーにしてみればその方が美味しかったとも言える。何せお家取り潰しと財産没収ができるのである。その汚職役人とつながっている商人に対しても、財産没収、ないしは有利な契約をねじ込むことができるであろう。

 ――そんなことを期待しての調査ではあったが、既に優秀な兄たちがそのあたりを徹底しているようであった。流石である。クーガーは素直に汚職がないことを喜ぶことにした。


(となると、商人とのコネクション作りかな……。市場安定目的の財政出動とか、戦時調達の特別措置の時効の延長とか、迂回輸入の関税相殺……この辺を餌にして、ザッケハルト家も利権に噛めるように交渉するのがいいだろう)


 残念ながら、クーガーにとってこの分野はあまり得意ではなかった。

 発想が要求されるような内政はできるのだが、交渉となるとさっぱりである。

 それ故にこの分野は兄たちに任せることになる。クーガーは大人しく、あれこれ考える役のほうが性に合っていた。


(5000兆枚の金貨があるからといって、何でもできるわけではないんだよな……。俺はあくまでただの子供だ。我が儘をある程度許してもらっているこの環境に感謝しないとな)


 もちろん圧倒的に優位であることは間違いない。それでも、金貨が山ほどあるからといって、所詮はただの四男坊なのである。クーガーにできることと言えば、まだまだ非常に限られていた。






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「それにしても珍しいな、クーガー。お前が剣術に精を出すとは思っていなかったぞ」


「ああ、ヒューバット兄さんですか。確かに驚かれるでしょうね、ここの所全く剣術を学んでおりませんでしたから」


「昔のお前は、勉強はしたくない剣術はしたくないの我が儘坊やだったからな。今は今で忙しそうで、結局剣術をする暇もなさそうだが。まあそれでもこうやって、たまーに剣術に励んでくれたらそれだけで十分嬉しいさ。兄の欲目かもしらんが、筋も悪くないと思うぞ」


「まさか。内政疲れでちょっと頭を空っぽにしたいから、こうやって剣を振るっているだけです。とてもじゃありませんが、筋がいいはずはないでしょう」


「おいおい、俺の頭は空っぽという皮肉かね?」


「とんでもありません! ヒューバット兄さんは、あの王国騎士団に入団を許された、ザッケハルト家の歴史に残る人です。私なんかよりも――」


「謙遜するな。俺の頭は空っぽさ。正直いうと兄も姉も弟も妹もみんな優秀で、多分頭で勝てるのはお前ぐらいだって思ってたんだが、それがここ最近を見てるとそうも思わなくなった。父上も母上も、お前の変貌ぶりに驚いて、そして喜んでいるよ」


「……恐縮です」


「……。なあ、内政ごっこなんてやめろよ。剣術なら俺が教えてやるからさ」


「……兄さん?」


「お前は遠くを見すぎてるよ。お前の内政、全部博打だよ。あんまりお金を無駄遣いしたら、本当に助けるべきだった人たちを助けられなくなってしまうぜ」


「……まだ続きがあるんです。唐棹と千歯扱きだとかイモ類の栽培実験だとか、そんなのじゃなくて、もっと大きな計画を考えているんです」


「おいおい、まだ博打を打つつもりなのかい? 俺は反対だな。悪いがザッケハルト家の財産は俺たち家族だけのものじゃない、領地全体の人々のものなんだ。あんまり無責任に浪費しちゃダメだ。そんなに色々とやったら、お金がいくらあっても足りない――」


「5000兆あります」


「5000兆」


「5000兆枚の金貨です」


「5000兆枚の金貨」


「なりませんか」


「何それ詳しく」






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 ザッケハルト領では農業政策として、肥料の改善にも着手している。クーガーは肥料の改善は常識だと思っていたのだが、手をつけてみると意外と改善すべきことは多そうであった。


 家畜の糞尿――牛糞や馬糞を一箇所に集め、藁などと混ぜ合わせて放置すると、反応により熱が発生し、堆肥になる。ただし、十分な発酵がされないまま土壌に混ぜてしまうと、農作物の根が腐ったり、害虫が湧いたりして問題になる。

 ちなみに肥料作りで言うならば、鶏糞は窒素分が多い。鶏を飼っている農家がたまにいるのは、卵製品の為でもあり鶏肉の為でもあるが、鶏糞にも使い出があるから、という知見からなのである。


 ここにクーガーは可能性を見た。


(ハーブティーの文化をもっと大衆に広めたい。健康促進と農業改革の両得になる)


 ハーブ栽培。これは趣味でも何でもなく、非常に実利的な考えである。

 農作物の側にハーブを一緒に植えておくと、ハーブの成分によって害虫予防ができる(他にも線虫補食菌と共生するハーブもあるので線虫対策になる)。

 特にマリーゴールドは、この世界では異臭が強く有害な花だと誤解されているが、害虫予防として効果が高い植物である。


 これを農作物の側に植えておくのだ。

 害虫駆除は地道な作業である。農耕者に対して並みならない負担を強いる。であるからこそ、植えるだけである程度の害虫予防になるというハーブは、彼らの大きな助けになることは間違いなかった。


 それだけではない。

 ハーブは健康によい成分を多分に含むのである。例えばマリーゴールドは、すり潰して虫刺されや火傷などの患部に塗ることで回復を促せる。ハーブティーとして飲むことでも、血行を改善したりと良いことが多い。


 何となれば、出涸らしにも使い出はある。堆肥に混ぜるのだ。

 ハーブの種類にもよるが、カテキンなどの成分が、堆肥に湧く有害な疫病菌を抑制してくれるのだ。

 本来は堆肥の発酵熱により有害な菌が殺されるのだが、そこに更にハーブティーの出涸らしを混ぜたところで発酵を妨げることはない。有害な菌を抑制できる手立てはいくつあっても困ることはないのだ。

 むしろハーブティーの出涸らしに含まれる栄養分が堆肥の質を僅かながら良くするのだから、この上ない。


 害虫予防、領民の健康促進、堆肥発酵施設の衛生改善――様々な利益を見込めるこのハーブ栽培実験は、早速クーガーの内政計画に盛り込まれた。


 全てはクーガー・ザッケハルトに待ち受ける悲惨な運命を回避するため。

 臣下たちは、またもや増えた内政計画に呆れてもいたが、これも公共事業、領地に資金を回す財政策なのだと考え、ハーブ栽培法の模索に取り組んでいた。



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