養蜂とレンゲ農法による農業改革を検討しつつ、魔道具購入を検討しつつ、剣術の訓練に打ち込むなどする

 クーガーは甘味をあきらめた訳ではなかった。

 舞踏会ではあんまり甘味の効果は振るわなかったが、それでもこの時代の甘味は黄金に匹敵するだけの価値がある。ゆえにクーガーは、その甘味をどうにかこのザッケハルト家の経営の軸に織り込みたかった。

 特に、蜂蜜に関しては殊更の興味を抱いていた。


(養蜂の効率化を図りたい。蜂蜜が安定して供給できるというのは、財産になるはず)


 養蜂――編み藁製の巣箱を作って、そこに巣を作ってもらうだけ。言葉にすれば簡単だが、蜂蜜を採る時にはミツバチを殺して巣を破壊する必要がある。殺人蜂がいることもしばしばで、蜂蜜を採集するのは命がけだとも言えた。

 一応、この世界でも養蜂の技術は確立されている。ろうそくの原料の蜜蝋を取るため、各地で養蜂が行われているのだ。

 養蜂は命を張る行為なので、もっぱら農民か奴隷がその仕事を行うのであった。


 クーガーはそこに、近代養蜂の技術を導入しようと考えていた。

 すなわち、ラングストロスの巣箱である。


(今までは、蜂蜜を採る時にはミツバチを殺して巣を破壊する必要があった。けれどもこのラングストロスの巣箱を使えば、蜜だけを効率よく採集して、ミツバチを殺さなくてもいい。それだけじゃなくて巣箱のなかを検分しやすいから、病気にかかっていないか検疫が楽になる――)


 ラングストロスの巣箱は、比較的簡単な構造をしている。

 まず、巣礎と呼ばれる厚板を直方体の箱に八枚程度並べる。

 巣礎はミツバチが巣板を形成する土台になる。この土台にはあらかじめ六角形の型が刻まれているので、ミツバチが巣を作りやすくなっているのだ。

 この層状の巣礎のうち、ミツバチは本能的に巣板の上部に蜜を溜める。下部には卵を孵し、幼虫を育てるための領域が存在するので、蜜のところだけから蜂蜜を採集すれば、ミツバチを殺すことも巣を破壊することも両方ともせずに済むのだ。


 技術的に難しいところは、せいぜい壁面に蜜蝋をつかって、巣を作りやすいように工夫してあげるところだけであろう。

 クーガーは巣箱の作成を早速急いだ。


(もちろん、巣箱だけ作っても意味がない。どこから蜜を採集するのか、という問題が付きまとう。だから俺はレンゲを植えて、蜂蜜の採集の効率化と、農耕収率向上を狙う)


 さらに、蜂蜜政策の二の矢はレンゲ農法である。

 レンゲ農法というのは、地力回復のためにレンゲを植えるという農法である。例えばマメ科のクローバーを植えると、窒素固定効果が見込めるので地力が回復し、農作物の収率があがる――という話は有名である。マメ科のレンゲもまた同じで、根っこに共生している根粒菌が、空気中の窒素を呼吸によって窒素肥料へと合成するのだ。

 つまり植えるだけで、ある程度やせた土地を豊かにしてくれる訳である。

 これらクローバーやレンゲがある程度育ったら、緑のまま土に鋤き込むことで、それはそれで肥料になるのだが――このクローバーとレンゲは、実は蜜源植物なので、なんとミツバチが蜂蜜を集めてくれるのだ。養蜂にも役立つのだから大したものであった。


 一石二鳥――これは農法の基本である。


 養蜂の研究が進んでいない間に、クーガーはこれを早い段階で確立させておきたかった。現在、養蜂は伯爵以上の爵位の貴族にしか認められていない。これ以上制約を増やされないうちに手を打ちたいのだ。

 もしも宗教団体あたりに、この養蜂利権を握られて専業にでもされたら最悪である。なまじ技術的に簡単なだけに、この利権には何とかザッケハルト家も大いに噛んでおきたいところであった。


(まあ、だからあのビルキリス王女を助けたというのもある。王家とのコネクションは使い方次第。交渉するきっかけが一つでもあるのはいいことだ)


 クーガーの計算は、あくまで冷徹である。






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 神は言った。

 お前に巨万の富を与えたのは、お前が願ったからだと。

 神は言った。

 人生を変えてみたいと願ったお前のために、人生を変えてやったと。

 そして神は言った。

 この少年の人生を変えてくれと。この世界の数々の人の人生を変えてくれと。そのための5000兆枚の金貨なら何も惜しくはない、と。

 ――全ては夢の話である。






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 魔道具というと、世界迷宮から産出される世にも珍しい道具たちである。クーガーはこれを強く渇望していた。

 目立って買い集めないのは、「どこからそんなお金を作ったのだ」だとか変な言いがかりをつけられてお家取り潰しに遭わないようにするためである。そうでなければ5000兆の力で一瞬で買い漁っている。喉から手が出るぐらいに魔道具は欲しいのだ。


「水を注いだら勝手に製氷してくれる箱……水を分解して飲み水にしてくれるろ過装置……ううむ、どれも魅力的ではあるが……」


 この世界において、氷と飲み水は非常に貴重である。

 製氷技術が確立されていないこの世界では、氷は、取れたての天然のものを冬の間に氷室と呼ばれる地下暗室に放り込んで夏まで長持ちさせる、という方法をとっていた。魔術師たちに氷を作ってもらうという手もあったが、それにしても謝礼は結構かかる。言わば氷は殆ど贅沢品だったのである。

 飲み水にしても、井戸や泉、はたまた雨水に頼るほかはなかった。浄水施設らしいものは殆どなく、水よりも比較的保存が容易で腐らないアルコールが水の代わりに飲まれることが多かったぐらいである。水の貯蔵施設としてダムや貯水池はあったものの、当然塩素消毒などはしておらず、気休めのようなものであった。

 氷と水は、かように貴重である。

 それをいとも簡単に作ってしまえる魔道具は、是非とも欲しいところであったが。


(金貨一万枚か。微妙なところを突いてくれる。公共事業としてダムを作ったほうがいいのか、魔道具を買ったほうがいいのか、悩ましいところだ)


 両方やってしまおう、とならないのがクーガーの冷静なところである。


 そもそも貯水ダムはあまり作りたくない。

 ダムほどの大規模な土木工事を実行するのは、今のクーガーの裁量を大幅に超えている。これほどの規模の土木工事をしようと思ったら流石に国王の許可が必要になるのだ。

 それらを行うのならば、父ジルベルフの名義で施策をする他ない。

 なのでクーガーが今やっていることは、もっぱら「貴族が私財をなげうって出来る範囲」にとどまっていた。


 内政できる範囲が限られている、だからこそ魔道具が欲しいのだが――全然安くないのが困りものである。

 クーガーにとっては大したことのない値段でも、世間からすれば恐ろしく高い。だからこそ、下手に買い漁ると目立つのだ。


 あんまり目立たない方法で、魔道具を集められないだろうか。


 そんなことに頭を捻るクーガーは、5000兆も存外扱いにくいものだな、とひどく難儀していた。






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「……ナターリエ姉さん、私の服を掴んでどうなさいましたか?」


「お金、どうしたのさ?」


「……直球ですね、姉さんは」


「そりゃそうだろ。日頃から粗野だって言われてるアタシだって流石に気付くさ。お金の量が明らかに変だ」


「冒険者としてはいかがでしょうか? 近頃、名声をよく耳にしますよ。『閃光』のナターリエと。弟としても大変誇らしい限りです」


「おいおい、露骨に話を逸らすなよ。いいじゃん、変に警戒しなくてもさ。それともここじゃちょっと口にできない話題なのか? 一緒に風呂でも入るか?」


「結構です。……私は私で自由にさせてもらっているだけですよ」


「んー、自由ってのはおかしいな。どうせお前のことだから我が儘言って、親の脛をめちゃくちゃかじってるんだと思ってるんだが、なあ?」


「いえ、完全に私財です。余裕で賄ってます」


「はっは、嘘つけ嘘を! お前が蓄えてるのは脂肪ぐらいだけだろ! え? 今のうちに白状しとけよ、な?」


「5000兆あります」


「5000兆」


「金貨5000兆枚です」


「金貨5000兆枚」


「なりませんか」


「何それ詳しく」






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 訓練に打ち込んでいると、ビルキリス王女がひょこっと顔を出してきた。

 どうやって追い払おうかとクーガーは考えたが、「体調はいかがでしょうか」と口ではあらぬことを喋っていた。


「……この度はご迷惑をおかけしました。第九王女として、深くお詫び申し上げます」


「とんでもございません。私は臣下としての務めを果たしたまでです。それよりも、殿下の体調に合わない料理を用意してしまいました我らの方に落ち度がございます。厨房を預かった最高責任者として、このクーガー・ザッケハルト、謹んで処罰をお受けいたします」


「処罰はいたしません。貴方たちには何の責任もありません。私の方から改めて、ザッケハルト家には一抹の非もないという旨を手紙にしたため、念を押しておきます」


 おや、とクーガーは少し驚いた。

 ソーシャルゲーム【fantasy tale】のシナリオでは傲慢不遜な王女だったビルキリスであるが、話してみると物分かりがいいように思われる。

 何がともあれ妙な難癖をつけられずに済んだ、と内心安堵したクーガーは、じゃあさてどのように彼女をあしらうか、とこっちはこっちで傲慢なことを考えていた。勝手な男である。


「失礼ながら、剣術の訓練の途中ですので、このあたりでお暇を頂戴したく……」


「構いません。どうぞ私に構わず続けてください」


(……え)


 そうくるか、とクーガーは一瞬顔を顰めてしまいそうになった。否、もしかしたら顔に出てしまっていたのかもしれない。一瞬ビルキリスも「……不愉快でしょうか」と少し眉を顰めて問うたので、いよいよクーガーは「いえ、まさか」と言うほかなかった。


(……王女様に見せるようなものは何もないんだが。むしろ見られていると全然集中できないし、それに)


 クーガーはいよいよ覚悟を決めて木刀を振った。

 何を隠そう、これ・・が嫌だったのである。

 ぽよぽよ、ぽよぽよ、と二の腕が震えた。ついでにお腹の肉も震えた。


 きょとんとするビルキリスの顔が視野の端に映った――かと思うと、「……っ」と何かを押し殺したような声が聞こえてきた。

 ――絶対笑いをこらえている、とクーガーは思った。最悪なことに姫は笑いをこらえるのが下手くそであった。えん、ええんとよく分からないせきを何度もしているが、えふっ、と時々どう考えても噴きだしているようにしか聞こえない音も紛れ込んでいる。


 扇子がびらりと広げられる。口元を上品に隠しているが、ビルキリスはどう考えても笑っていた。

 クーガーはますますげんなりした。


「……お見苦しいところをお見せしました」


「い、いえひえっ……な、なんでもっ……ええ」


 ぽよぽよ、ぽよぽよ、と腕が震えるのを感じながら、クーガーは努めて冷静を保った。気付かないふりがいい。何もない。そう考えながら無心で木刀を振る。

 はー……、という一旦落ち着いた呼吸が聞こえたので、ようやく慣れたかとクーガーは安堵した。

 が、剣を振りつつちらっとクーガーが顔を向けると、振り向き方がまずかったのか、凄い勢いで扇子に顔を隠されてしまった。真顔がいけなかったらしい。真顔ぽよぽよ。クーガーはますますげんなりしてしまった。

 本当にこの女は笑うのを隠すのが下手くそであった。


「……戻られますか?」


「……はい」


 適当なところまで案内し、王女をザッケハルト家の屋敷の中に戻したクーガーは、今一度体を鍛えなおすことを硬く決意していた。

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