冶金技術の重要性について考えつつ、舞踏会の裏方としてお菓子作りに奮闘するも、王女様が体調を崩すという事件が起きる

 冶金やきん技術。

 地味ながらも、この技術なくしては農業改革はやってられない、一番要となる技術である。


 クーガーが打ってきた全ての内政の手は、結局は冶金技術を発展させることである。そのために職人たちの雇用に大半の資金を費やしてきた。最初の一手が千歯扱き(と唐棹)の大量生産であるのも、今後を鑑みてのことである。

 鉄製の農具を作るには、冶金技術が発展しないといけない。

 そして職人を大量に集めて技術を進化させるには、安定した雇用が必要である。

 クーガーはまずもって鉄製の農具の一つとして、脱穀機である千歯扱きを作ったのであった。


(鉄製の道具は、今後ずっとお世話になる。それは歴史を見ても明らかだ。鉄がなければ人は生きていけない――)


 本音を言えば有輪犂ゆうりんすきを作るつもりであった。

 牛に引かせるだけで、簡単かつ深く土を耕せるこの便利な道具は、新しい土地の開墾に非常に役立つのだ。土地を耕すのはとても厳しい肉体労働である。土を掘り返して通気や水はけをよくするための畝を作る――口で言うのは簡単だが、それを行おうとするとどれほどの時間と力が必要になるか。それを家畜に引かせるだけでかなり手間を省けるこの有輪犂は、まさに歴史を変えるだけの発明である。

 問題は、水源。

 そんなに耕して、どうやって農作をするの、というのが今のザッケハルト伯爵領地の実情である。


 雨水に頼った農業でもまあ何とかなる――そんな土地的な背景もあってか、灌漑技術というものはこの【fantasy tale】の世界観ではあまり重要視されていなかった。

 水車で水をくみ上げたり、ため池を作って水路で農地に水を供給したり、そうやって水をどうにかせねば、基本的に農業は不可能なのであるが、その技術があまり発展していないことが、クーガーにとっては意外であった。

 そもそも治水技術が莫大な金がかかるし、失敗したときの水害は悲惨なものである。

 だがそれでもいつまでも目をつぶっていられる問題ではない。いずれは治水技術も進歩させないといけない――とクーガーは決意を新たにした。


 さて治水技術の話から戻って、冶金技術である。

 当然、冶金技術を発展させたいクーガーは、だからといって今は有輪犂をつくる段階ではないと考えていた。

 むしろ、即時的な効果が見込めるのは千歯扱きなどである。叶うなら次は、水車や風車を作って粉引き作業を自動化させるのがいい。一度に作れる鉄製品の量は限られているのだから、こうやって徐々に改革を進めていこうとクーガーは考えていた。


 無理に鉄製品の量産を推し進めては、燃料の木材を求め、森林伐採が極端に進む。そうなれば土壌の保水性は極端に悪くなる。

 中世ヨーロッパにおいて、森林は財産とされてきたぐらいの資源の宝庫なのだから、そのようにして使いつぶすのはもったいないのである。

 では木材ではなく使えば――となるが、石炭を使おうにも高温に耐えうる炉(高炉法)がまだ開発されていない。そもそも風車によるふいご・・・もまだ考案されていない時代である。効率が悪いのは目に見えている。


 一気に進めるのではなく、順番に、少しずつ、少しずつでいいのだ。

 少しずつ、鉄製品を断続的に受注しつづけていけば、やがて冶金技術も自ずと進化して、もっとたくさんの鉄製品を作ることが可能となるはずである。


(大量の資金で投資するということはこういうことだ。物ごとには順番がある。焦らず、着実に、手を進めるんだ……)


 出来ることなら、5000兆枚の金貨をぽーんと放って「お前ら好きにやれ」と言いたいぐらいである。だがそれでは何にもならない。何も世界は発展しないのだ。

 だから5000兆枚の金貨を使って、どんどんと新しいことを手がける。時間はたっぷりとかける。資金もたっぷりと用意する。そうやってすれば、いつかはクーガーの運命も変わるのでは――という淡い期待がどこかにあった。






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 貴族の集まる晩餐会にはいくつか種類があるが、主だったものは舞踏会とサロンの二つが挙げられる。

 舞踏会は、典礼や儀式などの機会に開催され、貴族や裕福な有力者が踊る正式なダンスパーティである。踊りの場であるが、出会いの場でもあり、ここで有力な貴族たちとの顔繋ぎをしたり、あるいは将来の結婚相手を探すのであった。

 一方のサロンは、哲学や美術などを語らう密会である。貴族たるもの芸術などに嗜み深くあるべし――そういう観点からか、夜な夜なこうして貴族同士が高度な議論を楽しむのである。

 中央から遠く離れた辺境地に任ぜられているザッケハルト家にとっては、社交場とはもっぱら舞踏会を指しており、サロンには滅多に呼ばれないのが現実であった。


 そして、件の晩餐会である。

 この度は、ザッケハルト伯爵ことジルベルフ卿の誕生日ということで、遠くからも色んな貴族たちが駆けつけてくれたのだった。

 形だけとはいえ伯爵。近々辺境伯に任ぜられるという話も出ている。辺境伯といえば、王家の血筋を引かない貴族としては最大級の爵位である。そのこともあってか、このたびの舞踏会には少なくない人数の貴族が集まったのであった。


 三人の兄たちや、姉、妹は皆、このザッケハルト伯爵誕生記念の舞踏会に参加している。

 主催者であるジルベルフ卿の子供ということもあって、皆は遠くからわざわざ足を運んでもらった貴族たちに労いの言葉をかけているのだ。そしてそれが普通の貴族である。これは常識でありマナーなのだ。

 それを守らなかったクーガーの肩身は、より一層狭くなっている。きっと社交界からも見放されたであろう。

 影でどれほど内政に力を入れていようと、そんなことは関係がないのだ。常識を守れない人間に、社会は優しくはない。


(でも、俺はこっちの裏方作業のほうが、随分と割に合っている――料理だったら俺の得意分野だ)


 クーガーは、今の自分にできることを頑張ろうと考えた。

 今現在、彼が作っているのはお菓子である。とはいえさほど凝ったお菓子ではなく、パフォーマンスを兼ねた珍しいものを作ろうとしているのだった。


 この世界の甘味は貴重である。


 例を挙げると、サトウキビは温暖な気候でしか育たないため、サトウキビ由来の砂糖の生産量は限られている。甜菜テンサイは広い地域で育てられるが、砂糖を搾り取っても独特のえぐみが取れず、砂糖を取るよりも専ら家畜のえさとして栽培されている。

 ならばメイプルシロップはどうかというと、時期が限定されるので年一回しか取れず、しかも一本の樹木から取れる量も限られている(とはいえ三週間で30リットル近くの樹液が手に入るので、1.5リットルぐらいのメイプルシロップになる)。

 もちろん、蜂蜜という選択肢もある。クーガーも蜂蜜には目をつけていたし、この世界でも養蜂は時々見られるらしいので、今後のザッケハルト領地の内政計画に盛り込んである。だがやはり、蜂蜜も比較的高価であることは否めなかった。


 では、これら甘味の消費をなるべく抑えつつ、なおかつ満足のいくお菓子となると何があるか。

 クーガーには、バタークッキー以外の選択肢を思い付かなかった。


(バターを手にいれるのは比較的容易だ。冷蔵庫がないこの世界では、牛乳をバターやチーズに加工して保存するのがむしろ常識的だ。でも保存の際に塩をいれるから、塩味がどうしても出てしまう。――ならばケーキとかを下手に作るより、さくさくしたバタークッキーのほうが、塩味のアクセントが逆に美味しく感じられるはずだ)


 クーガーの判断は果たして悪くなかった。

 そもそもこの世界において、お菓子はあまり甘くない。例えばブリオッシュなどがお菓子として知られていたが、ブリオッシュにしたってバターをふんだんに使っただけのパンという方が正確であろう。

 もちろんデザートには、甘い果物、ゼリー、そして果実酒などがあるが、甘いバタークッキーはきっと貴族たちにとって珍しいデザートであろう。


(バタークッキーはレシピも簡単だ。バターに粉砂糖を加えながらクリーム状になるまで練る。そこに卵黄、小麦粉を加えて混ぜる。あとはそれを焼くだけだ)


 注意点をあげるならば、バターはあらかじめ溶かして上澄みを使うようにしなくてはならない。バターは保存用に塩をふんだんに入れるので、あまりにもしょっぱいのだ。

 何度かの失敗を経て、クーガーはこの塩分を取り除く方法にたどり着いた。


(他にも、少し塩味が強いがパウンドケーキを作ってある。オレンジの皮、干しブドウ、蜂蜜を加えたものをそれぞれ別々に用意しておけば、それだけでもちょっと珍しいお菓子になるはずだ――)


 クーガーのお菓子作りはまだ続く。

 パウンドケーキは、実のところバタークッキーと殆ど同じ材料で作ることが出来る。こちらの作り方も簡単である。そのため、料理人たちにもあまり負担を強いないという隠れた利点があった。


 更にクーガーはだめ押しを用意していた。

 先程から手を動かして、何かを煮詰めている。デンプン質の多い穀物に麦芽を加えて、一日中とろとろ暖めたものを煮詰めたもの――すなわち水飴である。

 これを切ったリンゴにくるりと巻いて差し出せば、きっと物珍しいに違いない。そう考えたクーガーは、この簡易版のリンゴ飴をせっせと作った。


 バタークッキー、パウンドケーキ、そしてリンゴ飴もどき。

 甘味の文化が余り発展していないこの世界において、クーガーの作ったお菓子は、そのいずれもがザッケハルト領名物として売り出せそうなものである。


 この領地に足を運んでくれた貴族たちや商人たちには、是非ともこの味を覚えて帰って貰おう――。

 そう考えるクーガーにとって、今回の舞踏会はあくまで商品の宣伝であり、そして一種のビジネスチャンスでもあった。






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「うぇー……うっぷ……あー……空気が吸いたいー……」


「失礼します。お酒を召されているようですが具合はいかがでしょうか? 顔色が優れないようにお見受けしますが……」


「ぅー……コルセット外したいー……やば、ぅぇ……」


「あ」


「ぅぇぇ……ぉぅぇぇ……」


「どうか落ち着いてください。その、拭くものと新しいお召し物を用意いたしますので」


「ご、ごめんなさ……ぅぇぇ……」


「大丈夫です。私も無理にお酒を飲んで気分が悪くなった経験がありますので。変に我慢せず、楽にしてください」


「よ、汚してしまってご……ぅぇ……ぅぅぇ……」


「ああ、ご心配なさらないでください。私の服でしたらいくらでも替えはありますので。それよりも無理をなさらないでください」


「べ、弁償いたします……うぷっ……ぉごぇっ……」


「いえいえ。弁償だなんてとんでもありません。わざわざ遠くから父の誕生記念のためにお越しになられたのですから、そのような方に弁償などさせる訳にはいけません」


「そんな……ぅぇ……で、ですが……ザッケハルト家は有り体に申し上げて、お金が……ぉぇ……そのような方に無理をさせるなど……」


「5000兆あります」


「5000兆」


「金貨5000兆枚です」


「金貨5000兆枚」


「なりませんか」


「何それ詳しく」






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 舞踏会で気分が優れないとして、第九王女ビルキリスはふらふらとバルコニーへと出ていき、そこで嘔吐した。

 普通ならば醜聞の事態としてかなりの騒ぎになるのだが、クーガーはこれを内々の話として穏便に片付けさせた。


 これだから田舎料理は。どんな腐った食材を使われたか分かったものではない。全くわざわざ中央から足を運んだのにとんだ歓迎だな。

 そのような謂れのない悪い噂も流されてしまったが、クーガーは仕方がないことだと割りきった。


 恐らくは何者かの仕込みであろう、とクーガーは読んでいた。王女のグラスに気分の悪くなる薬でも一服盛ったに違いなかった。

 お陰でクーガーの計画は、いくつか完全に潰れてしまった。商人たちが物珍しいそうにお菓子を見ていたが、こんなことになってはお菓子の商談をする気分にもならないだろう。

 薬を盛った人間の狙いはザッケハルト家なのかそれとも王女なのか、それはクーガーにも分からなかったが、いずれにせよしてやられたことに違いはない。


(第九王女ビルキリス。【fantasy tale】において悪役だった女にして、選択肢次第では学園編で死ぬ可哀想なキャラ。まさかこんなところで会うとは思わなかった)


 王女の介抱を女給仕たちに任せながら、クーガーはふとそんなことを思い出していた。

 不運のビルキリス。

 死んだあとに人気が出た典型的なキャラクターでもある。

 王族としてのプライド、度重なる主人公たちへのいじめ、そして当て馬化――テンプレをしっかりと踏襲するスタイルに、【fantasy tale】ファンからも妙な支持を得ている。

 クーガー・ザッケハルトがずっと出てくる鬱陶しい噛ませ犬だとすれば、ビルキリス王女は要所要所で出てくる当て馬なのである。そしてどのルートでもろくな目に遭っていない。大抵死ぬ。

 ちなみに彼女は、公式サイトのざまぁ投票ランキングで女性部門第一位を獲得するという華々しい栄誉を与えられている。公式からも愛されており、ハロウィンイベントやクリスマスイベントの度に脱がされるという憂き目に遭っていた。なお、ざまぁ投票の男性部門第一位はクーガーである。


 それはさておき。

 まさかこのタイミングで邂逅すると思っていなかったクーガーは、とりあえずビルキリスの体調が戻るまでザッケハルト家が責任をもって丁重に扱う、という旨の文書をしたため、王女付きの臣下へと手渡した。

 王女の体調に万が一があれば事である。それは例え王位継承権が第十六位と圧倒的に低いビルキリスであったとしても、である。これでもし「体調悪そうだけどまあ帰ってね、頑張って、ばいばい」なんて放り出したほうが、後で周りに何といわれるか分かったものではない。クーガーの本音としては面倒なので、じゃあね、ばいばいとさっさと送ってしまいたかったのだが、そうも行かないのが現実であった。


(……何故俺は5000兆の金貨を持っていることを思わず口走ってしまったのだろう?)


 ビルキリスを預かるという旨の手紙を渡し終えたクーガーに、ふとそのような疑問が舞い降りたが、直ぐにそれはどこかへと消えてしまった。










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