当日の警備の夜、ランジェリー同盟らとついに邂逅し、熾烈な戦いを繰り広げる

『作戦はこうだ! どうせ例のランジェリー同盟は、魔術学院アカデミアに忍び込んで、この貴族女子寮『月の塔』の洗濯物置き場にやってくることだろう! そこを狙う! この私ヴァレンシア・エーデンハイト、ソイニ、エローナ、そして希望卿のユースタスケルの四人が、この『月の塔』の入り口を警護する!』


『そして、警護には特別に、ビルキリス王女と、オットーと、その問題児の部下、クーガーを含めた三人にも入ってもらうことになった! これで監視――もとい協力体制もばっちりであろう!』


 ――そんなヴァレンシアの絶望的な宣言もそこそこに、クーガーはとうとうその日・・・を迎えることになった。

 ちなみに何故その日を知っているのかというと、青い顔をしたエローナから「今日が作戦決行日。でも監視が厳しい」と困り果てた声で泣きつかれたからである。


「……覚悟を決めるしかないな」


「自首?」


「いやそういう覚悟じゃない。俺は何も盗んでないし自首しないし」


 エローナの言葉に答えつつ、クーガーは考えた。

 覚悟を決める、というのは勇者たちと戦う覚悟である。場合によってはまた、希望卿たちとしんどい戦いを繰り広げる必要があるだろう。しかも今度は、一人でも戦闘不能になったらこっちの勝ちとかいうハンデがない、全力のユースタスケル一行と戦うのである。気の滅入る話であった。

 クーガーはなるべく戦いたくなかったが、最悪の事態に備えて軽く身体を動かしていた。


「……そろそろ夜か。どうか神様、何事もなく無事ランジェリー同盟が作戦を遂行できますように。捕まらないようにお願いします」






 …………。

 ……。






 そして、夜が訪れる。


 貴族女子寮の入り口近くにぞろぞろと色んな人間がたむろする光景は、中々異様なものがあった。緊張はない。皆どこかしら、これだけの強者が集まったのだから大丈夫だという楽観があった。

 逆に言えば、それしか弱点はないであろう。ここにいるのは指折りの強者だけである。


 一度に何度も行動できる男、希望卿ユースタスケル・フォルトゥナート。

 何度でも立ち上がる不屈の男、不屈のソイニ・ラーンジュ。

 魔力や残存体力を自由に分配できる女、秩序のヴァレンシア・エーデンハイト。

 今まで戦った大型魔物を召喚できる女、創造のエローナ・ドロワーズ。


 まだ周囲には秘密にしているが、古代魔術を一部使いこなし、魔石の扱いに長ける王女、不機嫌のビルキリス・リーグランドン。

 まだその奥の手は隠しているが、調薬技術と医療魔術に精通する、辣腕の錬金術師、策士オットー・クレンペラー。

 そして――いかつい筋肉と無駄にある魔力、そしてどこからともなく『爆発する魔石』を取り出して戦う厄介者、クーガー・ザッケハルト。


 この七人がいる――それだけで並大抵の賊は太刀打ちできないだろう。

 油断していたところで、勝てるような人間はそうそういるまい。


 そもそも、これは油断というのではなく泰然というのである。無駄に気を張って消耗していないだけであり、いつどんな敵が来ようとも自然と戦いに移れる姿であった。水である。水の流れのように、悠々として、そして形がないだけである。


油断じゃない・・・・・・。油断じゃない気がする・・・・。そうさ、たとえこの隙をつこうとしても――例えばエローナや俺たち三人がいきなり反旗を翻して三対四になっても、ユースタスケルたちに悠々と勝てるようなビジョンが全く思い浮かばない……)


 この油断・・は、油断じゃない・・・・・・気がする――。その理由は不明のまま、この奇妙な感覚に胸騒ぎがするのに、胸騒ぎがしない・・・・・・・。幻覚のような気分であった。


 ユースタスケル、ソイニ、ヴァレンシアの三人をどう無力化するか。それがクーガーの課題である。

 しかも普通に無力化するのではなく、なるべくクーガーたちは『ランジェリー同盟とは無関係である』という体面を守りたい。

 策はなくはないが、かなり博打になる、どうすればいい、とクーガーは内心焦りを覚えていた。






 ――そのときである。


「そうら、夜がやってくるぞ。……君たちに覚悟はあるかい?」


 突如現れた夜の翼が。


「では、お聞きあれ。――音楽魔術『希望の行進曲マーチ』『悲しみの哀歌エレジー』」


 ぶわりと人の目を奪うほどに広がって。


「力がない人間が下手なことをしたところで、大きな力につぶされるのが関の山だ。――そうは思わないかい」


 ずどん、と身体を叩きつけられたかと思うと、クーガーたちはようやく、自分たちの体が思い切り地面に倒れこんだのだと気がついた。


(――エンリケ、兄さん!)


 ――そして夜がやってくる。空には、誰もかも等しい夜が翼を広げている。






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「音楽士のエンリケ・ラーンジュ・ザッケハルトは、ザッケハルト領を跋扈する間諜の一人で、音楽魔術に長けた強敵だ」


「諜報技術の師匠は、ザッケハルト家の執事長、セバスチャン・ラーンジュ男爵。気功術や体術に精通しており、暗器の使い方に明るく、そして恐ろしく切れ者である、言わば強い方のジジイだ」


「エンリケは、ランジェリー同盟の初代盟主セバスチャン・ラーンジュ男爵から、ついに二代目ラーンジュ卿の名を譲り受けた」


「ランジェリー同盟とは、貴族の裏サロンでありながら、実はザッケハルト家が秘密裏に保有している諜報機関の一つなんだ」


「そして、ゲーム【fantasy tale】で出てくる、『消える音楽士』ラーンジュ卿と、『不撓の狼』コッドピース卿の二人は、どう見ても明らかに、エンリケ兄さんとセバスチャンなんだよ」


「……ばれるわけにはいかないんだ。この秘密は隠さないといけない」


「悪く思うなよ、皆。言うなれば、そうだ、巡り合わせが悪かっただけだ」






 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△






 音に気をとられていたクーガーたちは、続けざまに起きた煙幕に対応できなかった。

 一瞬の出来事で、あっけなく全員が虚を突かれる。音を奪われた。視界も奪われた。この鮮やかすぎる手管に、クーガーは違和感を覚えていた。


(違う、最初から聞いてた・・・・んだ! 聞こえない・・・・・程度の音で、遠くから音楽魔術を既にかけられていて、俺たちはずっと幻覚に・・・・・・惑わされて・・・・・いたんだ――!)


 そうでなければ、この七人が一斉に虚を突かれることなどありえないのである。

 この相当な強者である七人が、だ。

 一番ありえないのは希望卿ユースタスケルが動けなかったことだ。普段なら一気にオーブを発動してランジェリー同盟など一瞬で片付けるはずである。


 それができなかったのは――こっそりとエローナがこの場に持ち込んでいた、貝殻のせいであった。


(エンリケ兄さんの魔道具、『貝殻と響くオカリナ』を通じて、ずっと弱体化の魔術と、幻覚魔術をかけられていたのか。幻覚のせいで弱体化にも気付かず・・・・に、そのまま弱りきった状態にさせられたというわけか。……なんて悪辣な手口だ)


 しかもどうやらエローナは、こっそりとユースタスケル一行のデバフ耐性のある装備品を描き変え・・・・て、彼らがデバフ魔術にかかりやすいように仕向けたらしい。おかげで、そもそもデバフに強く、更に装備の効果でほぼデバフを受けないはずのソイニでさえ、今は露骨な弱体化に苦しんでいた。


 今まともに動けるのは、デバフ対策をしていたエローナや、とっさに対策を発動した・・・・・・・クーガーら三人と、辛うじて根性で動けるソイニぐらいである。まともと言っても、全員平衡感覚はすでになく、視界もうねうねと歪んでろくに歩けない。ここに更に、エローナが装備品に書き込んだ強烈な呪い・・が加わっていたら、おそらく本当に何もできないであろう。

 クーガーは心底、エローナと手を結んでいたことに感謝した。


「! 『希望の行進――』」


「許されると思ったかい、希望卿?」


「ぐはッ!」


 この状態から回復しようとしたユースタスケルを、エンリケは腹部を思いっきり蹴っ飛ばして妨害した。

 強烈な蹴り。

 ただの音楽士がこれほどの膂力を持っているとはとても思えない。その一瞬だけで、エンリケという男がいかに侮れないのかが窺い知れた。

 ふとエンリケは何かに気付いて呟いた。


「……妨害魔術。ほう、王女様は面白いこと・・・・・をするね」


 それを一瞬で看破したエンリケも、食わせものだが。


 果たして、妨害魔術という魔術そのものが面白いのか、それともそれをユースタスケルに向かって放ったことが面白いのか、エンリケのつぶやきは意図が読めなかったが――ビルキリスは、苦悶の表情を浮かべながらも己の仕事を全うしていた。


 妨害魔術――ユースタスケルたちへの。

 ユースタスケル一行を邪魔して、ランジェリー同盟を手助けすることが、クーガーたちの仕事である。目の前で起きた奇妙な仲間割れをエンリケはどう受け取っただろうか。

 エンリケの表情は、仮面に隠れて読み取れない。


(? 早く行かないのか?)


 クーガーの疑問と裏腹に、エンリケはその場を動こうとしない。

 否、動かなくてもいいと言わんばかりの様子である。

 クーガーの内心の疑問と焦りを読み取ったのか、エンリケは仮面越しにさらりと語った。


「ふ、行かなくてもいいのさ。何せ私たちには『閃光』シュミーズ卿と『最速』ビスチェ卿がいる。私たちの仕事は、ここで君たちを足止めすることなのだよ」


 私たち――その言葉にクーガーは全てを悟った。つまり、この場にいるのはエンリケ・・・・一人ではない・・・・・・のだ。

 刹那、倒れていたはずのヴァレンシアが、首からかけていた天秤の首飾りに触れて叫んだ。


「~~ッ! 価値を問え、正義の女神ユースティティア天秤リブラ!」


(! ぐっ、俺に、押し付けるの、かよ……!)


 改めて説くまでもない。

 秩序のヴァレンシアの保有する天秤は、状態分配器である。パーティ間で、残存魔力、残存体力、状態異常など様々な状態を再分配できる便利なもの。それを使えば、今のようにクーガーに状態異常全て・・を押し付けて全員復活することも可能なのである。


 しかし、状況は加速する。

 恐ろしい速度で闖入者が、それら全てを踏みにじったのだ。


「――かはっ」


「なりません。ヴァレンシア様。遅すぎます。この爺やでも簡単に後の先・・・を取れてしまうほどに弱っておいでです」


 影から、貫き手が伸びて、ヴァレンシアの喉を襲う。

 音楽魔術と煙幕の中に潜んでいたのは、『不撓の狼』を名乗る老師。


「呼吸の仕方を忘れ、仲間がどうなっているのかも分からないような前後不覚の幻覚の中で、しかも偽物の天秤・・・・・を使って儀式魔術を発動しようとしたその腕前は、この爺やもお見逸れいたしました。よってヴァレンシア様からは今一度、気功により呼吸を奪わせていただきます」


「じい……ちゃん……?」


「じいちゃんではございません。この爺や、『不撓の狼』コッドピース卿と申します」


(状況が掴めない! 幻覚がけたけたと笑いかけてきて、呼吸も出来ない! 熱風が俺の顔面を焼いている、息を吸うのが苦しい、肌がぶくぶく膨らんで破けている、虫が血管をもぞもぞ這って内側から俺を噛んでいる! 音楽に色がついて見えて最悪な気分だ! 何もかもが踊ってやがる――)


 状況は加速する。そろそろ周囲が分からなくなったクーガーは、今一度整理した。


 恐らくヴァレンシアが天秤を発動して、クーガーに状態異常を押し付けたのだろう。偽の天秤という言葉から、おそらく無理矢理の発動だったに違いない。

 おかげでクーガーは今、五感をほとんど失って、全てが滅茶苦茶にされていた。状態異常対策の呪印を体に施して、それでもこれである。死んでしまうのではないか、死なないよな、と不安がクーガーの体を走る。


「死ぬ」


「死ぬ死ぬ」


「死ぬ死ぬ死ぬ」


 遂に幻覚が死を煽り始めた。クーガーは黙れと叫ぼうとして、空気が肺の中にないことに気が付いた。いや、ある。いや、ない。どちらかとも分からない状況に、周囲の空間がどんどん粘り気を帯びて、クーガーを絹のようなもので押し付けた。地面が冷たい。否、クーガーの肌は灼けるように熱くなっていた。


(典型的な幻覚だ! 死を意識しだした途端、死についてしか考えが回らなくなっただけ! 空気を意識した途端空気が消えただけ! そして空気が重たくなったのは重力と誤解したからだ! 地面が冷たいのは正しい! 俺が肌の熱さを意識したから、今肌を掻きむしりたいほどに熱いだけだ!)


 助けて、助けて、助けて、と祈りを捧げるように心の中で強く念じた。赤ん坊が心の中で泣いた。周囲のみんなが助けて、助けて、と恨み言を言うようにクーガーにまとわりついた。消えろ、邪魔をするな、とクーガーは叫びそうになった。助けてほしいのはこちらだった。思考が先ほどから支離滅裂で、クーガーはこの時絶対に動いてはならないと決意した。


(今下手に動いたら、ビルキリスとオットーを殴るかもしれない。だめだ!)


 血がごぼごぼとよだれのように吹きこぼれた。頭が血を失ってくらりとした。灰色の視界になって、クーガーは舌でも切ったかと不安になった。――あり得ない、とクーガーは自分を叱咤して、怖くなって口を半開きにするしかできなくなった。

 背中がぶくぶくと膨らんだ。悪夢がもう一度ぶり返した。「背中は完治していないよ」「猛毒が残っていたよ」とみんながくすくす笑っていた。――違う! とクーガーは胸中で叫んだ。あれだけ丁寧に治してもらったじゃないか、とクーガーは何度も自分を説き伏せた。


「おいで」


「おいでおいで」


「おいでおいでおいでおいで」


(首が、曲がっている)


 自分の首が曲がっている、他人の首が曲がっている、真っ直ぐってどうだったっけ、とパニックが脳を走った。真っすぐが正常なのは知っているが、真っ直ぐじゃないとだめだったら、全員の首がもうだめである。――落ち着け、人の首は自在に傾げられるし、俯いたり曲がったりできる、と心が語りかけた。クーガーはもう、正常が何なのかを理解できずにいた。


「――『リザレクション』!」


 どくん、とクーガーの心臓が揺れた。幻覚は嘘のように軽くなり、クーガーはめまいの世界に戻った。足はふわふわするし、重力の方向は分からないし、ついでにぐにゃぐにゃして気分は最悪だったが――溺れそうな感覚は見事になくなった。


(! 今の『リザレクション』は、ビルキリスとオットーだ! 確かに蘇生術には混濁した意識を復活させる効果がある! きっと、二人が蘇生術を使って俺を助けてくれたんだ!)


 状況は混迷の中にある。それでもクーガーは――自分が暴れなかった理由をようやく理解した。


(肌が熱くなったんじゃないし、体が重くなったのでもない。背中が暴れていたのでもなくて、俺は――)


 クーガーは理解した。

 彼は、大地に押さえつけられながら看病されていた。指を切って血文字と薬草で治癒を施しているのはオットー、ぶつぶつと対抗魔術を唱えながら祈っているのはビルキリス。二人に両腕を押さえつけられて、クーガーはいま地面に寝転がっているのであった。


 泣きそうな顔の二人と、ようやく目が合った。


 ――状況は、それでも加速する。






 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△






 希望卿ユースタスケルのオーブと、秩序卿ヴァレンシアの天秤がいつの間にか偽物にすり替えられており、装備品にまで丹念な呪いが仕込まれていたにも関わらず、それでもユースタスケル一行はよく粘った。

 魔術を発動しようとするたび、どこからともなく妨害魔術が飛んでくるのに、それでも一行は諦めずに食いついている。


 中でも獅子奮迅の戦いぶりを発揮したのは、不屈卿ソイニである。


「何故だ! 何故だエローナ! 何故だじいちゃん! お前らどういうつもりだ!」


「まじかるすけっち――キマイラ」


「じいちゃんではございません。ソイニ様。コッドピース卿でございます」


 一対二の状況で、更にはラーンジュ卿エンリケが遠巻きから妨害してくる中で、それで殆ど一人で戦って凌いでいるのだから、ソイニはかなりの戦い上手と言える。

 逆に言えば、衰弱しきっているヴァレンシアと、彼女を庇って本領を発揮できないユースタスケルが、ラーンジュ卿エンリケコッドピース卿セバスチャンドロワーズ卿エローナの三人のコンビネーションに押されて、殆ど戦いに参加できていないというのが実情であった。


 機先を制されて、圧倒的優位を築き上げられ、ユースタスケル一行は今、苦しい戦いに突入していた。


「うららららららッ! 金剛招来ヴァジュラダラ! 行くぜ!」


「なりませんな。若い。――『鎮心勁』」


 拳と拳がぶつかり合い、ソイニとコッドピース卿セバスチャンの気功が激しく飛び散った。溢れんばかりの金剛仁王の覇気が、鋭く老練された気合に食いちぎられていた。

 幾度となく交わされる技の応酬。ソイニが爆発する気合で威圧し、コッドピース卿セバスチャンがそれを切り裂く。

 雪崩のように次々叩きつけられる技の数々が、お互いに牽制し、お互いの攻撃を殺し合っていた。奇跡的な拮抗である。


 しかしそれは、横合いから攻撃を試みるドロワーズ卿エローナと、音楽魔術による幻覚をかけてくるラーンジュ卿エンリケによって容易に崩される。

 ただでさえコッドピース卿セバスチャンは強敵である。そこにドロワーズ卿エローナラーンジュ卿エンリケが加われば、一人では凌ぎきれようもなかった。


「――ぐはっ」


「ソイニ様。負けでございます」


 朗々と語りながら、コッドピース卿セバスチャンは今度は攻めの型に構えなおした。


「秩序卿ヴァレンシア様は、例の天秤で皆さまの状態異常を、クーガー様一人に押し付けようとなさいましたが、この爺やがそれを途中で阻止いたしました。偽物の天秤で無理矢理に儀式魔術を発動し、しかも途中で阻止されたとなれば効果も不完全。――皆様の体には、結局状態異常の幻覚がまだまだ強く残ったままのはずでございます。

 そこに来て更に、この爺やの気功を何度も打ち込まれているようでは、呼吸もままならず意識も朦朧としておられるはず。

 現にヴァレンシア様とユースタスケル様は、この爺やの気功で立つのもままならない状況に追い込まれておいでです。どうぞ賢明な降伏を」


「……っ、俺は、そんな、甘ったれた生き方はしない――!」


「残念でございます」


 狼のごとき猛攻が、ソイニを思い切り吹き飛ばし、体を何度も地面に跳ねまわらせた。勢いが鋭い。下手をすれば生身の人間では死ぬような猛攻。

 加えて悪辣な気功がソイニを内臓から蝕んでいる。浸透勁――骨身に響く鈍い一撃が、打撲のダメージをより深刻にさせていた。

 更に、ドロワーズ卿エローナの召喚した大型魔獣の一撃が追い打ちをかける。毒の息、痺れ粉、巨人の一撃――いずれも対処を誤れば死が見える攻撃である。ソイニの消耗は尋常ではなかった。


 見かねた希望卿ユースタスケルが、歯を食いしばって剣を杖にして立ち上がる。


「……っ、ソイニ、今行くぞ、『希望の――』」


「――希望卿は周囲を見たほうがいい」


 刹那、急に現れたラーンジュ卿エンリケはその脚力でユースタスケルを鳩尾から蹴り飛ばし、彼の体躯を、エローナの召喚した巨人の拳へとぶち当てた。

 強烈な挟み撃ち。内臓を押しつぶして肋骨をへし折らんばかりの蹴りから、背骨を砕かんばかりの巨人の拳を受けて、ユースタスケルはべしゃりと大地に叩きつけられるのみであった。


 反射的に受け身を取って、クレイヴソリッシュによる斬撃を二、三度飛ばしたのは、それでも流石はユースタスケルとばかりの見事な立ち回りだったが、へろりと弱った斬撃に威力はない。

 そのまま息を荒くして苦しんでいるユースタスケルは、再び急に現れたラーンジュ卿エンリケに蹴り転がされて、大地に這いつくばった。


 闇に溶けるように消え、闇から突然現れるラーンジュ卿エンリケ

 その翻弄するような戦闘スタイルは、コッドピース卿セバスチャンドロワーズ卿エローナとの息の合ったコンビネーションも相まって、まるで隙がなかった。


 満身創痍のソイニとユースタスケルは、意識を手放さないよう気をつなぐので精一杯である。

 趨勢はすでに決していた。


 ふとそこで、ラーンジュ卿エンリケが「む、起きたようだ」と呟いた。


コッドピース卿セバスチャンドロワーズ卿エローナ、この場を頼もう。私は背後の彼と決着をつける――」


「承知しました、ラーンジュ卿エンリケ。ご武運を」


「分かった、任せて」


 二人に言い残したラーンジュ卿エンリケは、夜の翼であるその亜麻布ラーンジュの外套に身を包んで、瞬間、その姿を闇に溶かした。

 仮面の奥で不気味な笑みを浮かべる彼の行く先には――ようやく立ち上がったばかりのクーガーが待ち受けている。






 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△






「そうら、夜がやってくるぞ。――クーガー、お前に覚悟はあるかい?」


「そうだ。前からお前とは本気で戦ってみたかった。私にないものを持っているお前と、一回本気でぶつかってみたかった」


「お前が見てる遠い世界を、この私も見たいんだ」


「悪く思うな、クーガー。言うなれば、そうだ、巡り合わせが悪かっただけだ」






 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△






 たまには兄弟喧嘩してみるとしようじゃないか――。


「な」


 意識を取り戻したクーガーは、しばらく立ち上がることさえもままならなかったが、徐々に感覚を取り戻して、辛うじて今立ち上がったばかりであった。


 だから、正面に突然現れたエンリケを前にして、クーガーは呆けるしかなかった。それは側で看病をしていたビルキリスとオットーも同じであった。高まる緊張の中、エンリケは口を開いた。


「クーガー、覚悟はあるかい?」


「……ラーンジュ卿、時間稼ぎが貴方の狙いのはずだ。今ここにいるコッドピース卿、ドロワーズ卿と三人でこの場を撹乱して、その間に他のお仲間が裏で作業を完遂する、というのが貴方たちの作戦のはず」


「知ってるさ。だがね、こう見えて私は我が儘でね」


 鷹揚に手を広げたエンリケは、背後をちらりと見て、まだ時間がありそうだということを確認した。


「コッドピース卿とドロワーズ卿は強い。いかに勇者たち一行といえど、正義の女神ユースティティア天秤リブラと運命の宝珠オーブを偽物にすり替えられて、装備品に丹念に呪いを仕込まれて、その上であれほど幻覚で痛め付けられたとあっては――私がいなくとも、あの二人は負けないさ」


「戦う振りならしましょう、ラーンジュ卿。頃合いを見て貴方たちを逃がします。それで十分では」


「まさか。私は運命・・と戦いたいんだ」


 奇妙な会話に、クーガーばかりでなくビルキリス、オットーの二人も要領を得ていない。むしろ何故クーガーと親しげにこの男が会話しているのか、と訝っているようであった。エンリケは「すまないね、お嬢さんたち」と続けた。


「はじめまして、私はエンリケ・"ラーンジュ"・ザッケハルトだ。しがない音楽士として、舞踏会にまぎれて演奏を弾いたりして生活している。いつも弟が世話になっているよ」


「! あなたは、まさかクーガーの兄なのですか……!」


「! んふふ、なるほど。道理でクーガー殿が手助けしようとするわけです。クーガー殿の一連の態度に、今納得いたしましたよ、ええ」


「エンリケ兄さん、それは秘密にしておかないと……!」


「秘密にしなくてもいいのだろう? 死人に口はないからね」


 死人に口はない――それはどういう意味だと問いただす前に、エンリケは既にクーガーの眼前に足を突きつけていた。

 寸止め。

 もしこれがまともに入っていたならば、クーガーは鼻を盛大に折っていたかもしれなかった。


「エンリケ兄さん……?」


「戦ってもらおう、クーガー。それも本気で、だ。そうでなければ秘密を知ったそこのお嬢様二人には、少々嫌な目にあってもらうとしよう。死人に口なしというのは冗談だが――私は容赦しないぞ」


 そして、クーガーは腹部を盛大に蹴り飛ばされた。

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