温泉に嬉々としつつ、膨大になった内政計画を見直しつつ、自己鍛練に打ち込む

 ザッケハルト領内のどこかでお湯の源泉が湧いたという言葉を受けて、「それはまことか!」と叫んだのはクーガーであった。

 近くの植物が枯れているので飲み水としては適さず、おそらく泉として使うのは難しい、という残念そうな報告を聞いても、クーガーには関係なかった。


「いい、いい。飲み水として適さなくても、それは快挙だ! 最高だ! 公衆浴場を作る! 絶対だ!」


 急きこんで熱く語るクーガーに、ザッケハルト家の者たちは皆してぎょっとしたという。


 改めて説明すると、水が不潔とされたこの世界では、入浴は身体を害するものとみなされている。

 そもそも、あまり汗をかかない気候だから、肌がべたつかないこともあって、市民は入浴することや体を拭うことをあまりしないこともある。


 加えて、水の環境の劣悪さが致命的だった。塩素消毒もできず、深掘りの技術もないため浅く汚れたところからしか水を掬えない井戸。水が貴重だったため水を使いまわして疫病の発生源と化していた公衆浴場。ワイン利権を握っている宗教団体のプロパガンダ。そして保存が困難であるため水は腐りやすかった、アルコールの方が保存が簡単であった、という技術的背景が相まって、水は不潔、という迷信が信じられるようになったのである。


 当然そんなことは、治水をしっかり行っている領土からすれば風評被害もいいところである。

 むしろそういう土地であれば、水を使ったほうが色々と便利なのだが――そんなことを知る人間はごく少数である。

 例外として、温泉は比較的清潔で飲めることが知られてきたが、近くの植物が枯れている場合はその限りでない。これは豊富なミネラルのせいだったりするのだが、そんな化学的なことを知るものは少ない。


 公衆浴場を作る――というクーガーの言葉が奇妙に聞こえるのも無理からぬ話であった。だが、クーガーは公衆浴場を作るつもり満々であった。


(早く作りたい。温泉だ! 温めた湯で体を拭く生活から解放されるんだ!)


 パン焼釜の余熱で湯を沸かし、それで朝に体を拭う(そして一週間に一度ぐらいは垢すり式の風呂に入れる)ということはクーガーの楽しみであったが、どうせなら思いっきり温かい湯に体を沈めたいものである。

 それに公衆浴場を正しく管理すれば、そちらのほうが衛生向上につながり、疫病を抑制できる。公衆浴場を作るのは、全体の利益にも、クーガー個人の利益にも直結しているのである。


 クーガーは初めて、自分が子供であることを強く恨んだ。権限がないと大掛かりな土木工事ができない。親に我が儘をねだればあるいは――とも思ったが、許可が下りるまでは辛抱であろう。

 それまでは実験的・・・に色々するしかないのである。きちんと湯につかれるのはいつになるのか――とクーガーは逸る気持ちを抑えられずにいた。






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「やることが多すぎる」


 クーガーはここにきて、今更過ぎることを呟いていた。傍で聞いていた使用人が呆れていたほどである。

 しかし言葉の意味が「今やることが多すぎて大変だ」という意味なのか「まだまだやらねばならないことはたくさんある」という意味なのか、というところで齟齬があり、クーガーは後者のつもりだったことが分かると、使用人はさらに呆れていた。


 以下はクーガーの手帳(日記帳)に書かれていたメモから抜粋されたものである。


 洗濯板の作成(済。使用人は喜んでいた)。

 薪ストーブの作成(薪の節約)。

 冶金技術の勉強(削り出し→鍛造→鋳造→プレス加工の順に発展させることが目標。現在は鍛造~鋳造レベル)

 羅針盤の改良(揺れに強くする)。

 塾の扉に問題を貼り付けて、競って解かせる文化を作る(娯楽の少ない庶民+算術の一般化?)。

 毒性の少ない農薬(ボルドー液、石灰硫黄合剤。硫黄を使う量を減らす。バイケイソウ、ウチワマメ、ドクニンジンの煮汁や、オリーブ油のしぼりかす、石けん水、石灰水、タバコの煮汁)。

 手押しポンプ(足踏みポンプ)の作成。

 静神丸(はちみつ+練りゴマ+α)の作成。

 マダニを殺せるお香を探す(疫病対策)。

 ネズミ駆除に百合の球根を使う。

 漬物や芋類、海藻を食べる文化を作り、壊血病を予防。

 使用人たちの名前を覚える。

 条播機により一定間隔で種を植える(種蒔き器。学校で校庭に白線を引くときにつかったアレみたいなもの)

 蓄音機のような魔道具を買う(冶金技術が発展したら制作実験を行う)。

 鉄条網の作成。

 テキサスゲートの作成(農作物の害獣対策)。

 衆愚化政策の歴史の勉強。

 ぜんまいの作成(ぜんまい時計の作成)。

 腕木通信、信号旗通信の実験(望遠鏡の作成)。

 大衆娯楽での文化侵略→外貨獲得など(印刷技術確立後に要検討)。

 隣組政策の検討(犯罪防止、スパイ防止)。

 アトラトルを使った投擲訓練(簡単に槍を投擲できる、修練が楽)。

 蒸留酒の作成実験(蒸留酒を用いた医療機器の消毒など)。

 揚げ麺を作る(調理・保存しやすい?)

 足踏み式ミシンの作成検討。

 算盤の改良(そろばん。小型化と、玉を指ではじきやすいようにひし形に加工する)

 特許の概念の検討(国内外から有能な技師を集めるため)。

 腹帯式馬具の改良(胸当て式馬具のように、馬車を引く魔物が苦しくなさそうなものを調査する)。

 ゴムチューブを車輪に巻き付けることによる馬車の改良。

 銀行経営の勉強(今後のザッケハルト家の運営の要にする予定)。

 手を洗う文化を作る(宗教?)。

 紡績機の制作(糸車の改良)。

 歯木というものをしがんで歯を磨く(歯木には歯肉を引き締めるような成分があるものがいい)。

 間者(歩き巫女、占い師)の雇用検討。

 石鹸の改良(硬水でも泡立つ種類)。

 綿火薬の材料の調査(硝石から硝酸を作る、綿花の栽培法の検討)。

 真珠の養殖。

 ガラスの改良検討(酸化鉛などを混ぜる)。

 石炭の利用技術の確立(先回り。大掛かりな製鉄設備などは木炭では間に合わないので石炭を利用する。時代が追いつく前に)。

 紙漉き(絹でパルプを濾す)。

 バルバス・バウの検討(造波抵抗を減らす。要計算)。

 オギノ式避妊法の概念の教育(人口計画に効率的?)。

 ミミズによるコンポスターの作成(生ごみをそのまま捨てても堆肥になりにくい)。

 合成染料の作成の検討(インディゴを腐った尿に溶かす……などといった危険なことをしなくてもいいようにする)。


 ――などなど。

 後の歴史家によると、クーガーの手掛けていた仕事の範囲は普通の人のそれよりも圧倒的に広く、なおかつ効率的であったという。いかにも未来の答えを知っているかのような、千里眼の如きクーガーの慧眼は、後の研究で「歴史を数世紀、場合によっては千年近く」進めたとまで語られるほどであった。


 むろん、そんなことなど知る由もないクーガーは、いつも通り忙しすぎる日常を過ごしていた。

 幸い、クーガーは金策に困ったことはない。やりたいと思ったらそれをすぐに実行できるというのがクーガーの強みである。

 思い付きで行動し、色んなことを齧っては平気で放り出したり――相変わらず、実態を知らない人間から見れば、我が儘なバカ四男坊が奇行を繰り返しているようにしか見えない。

 これがいい隠れ蓑になった。

 あんまりにも価値がありすぎる・・・・・・・・ことを、さもバカ四男がお遊びのようにすることで、誰も興味を持たなかったのである。

 この興味を持たれない数年間のうちに、クーガーは、どれか一つでも誰も追いつけないほど高度に発展させよう――とまで決意したという。






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「5000兆あります」


「金貨5000兆枚です」


「なりませんか」


「……」


「!? ……ひどい夢を見た」


「ハーレムの女たちにいちゃいちゃされて、調子に乗ってこんなことを呟いてしまう……我ながら浮かれているな」


「……うーん、どうにも溜まっているのかな……こんな夢を見るなんて。はあ」






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 クーガーは、ついに自己改造に一層の時間を使うことにした。

 具体的に言えば、ラジオ体操に代表される各種のエクササイズを実施することに決めたのである。というのも、剣術と称して木刀の素振りを続けたところで、体の方がまず鍛えられてないならあんまり意味がないと思ったからであった。

 もちろん素振りや型の訓練は続けるものの、比重を筋トレの方に重く置き、一旦効率化を図るのだった。


(生理学や医学の発展がまだ乏しいこの世界では、筋トレの効率的な方法は体系立てられていない……)


 トレーニングは、6~10回ほどできつくなるくらいの負荷に調整。

 大胸筋や広背筋、腹筋や足周りといった比較的大きい筋肉を重点的に鍛練。

 特に、筋肉は負荷をかけた状態で収縮伸展することにより大きく発達するので、負荷をかけながら筋肉を伸び縮みさせるようにする。腕立て伏せなら深くゆっくり、V字腹筋もきちんとお腹を伸ばしてしっかり深く体を起こす。


 回数を増やせ、と人は言う。悪くはないだろう。そうすれば持久力が手に入る。低負荷で高回数のトレーニングは遅筋を鍛える効果が高い。

 しかしクーガーが今欲しいのは、速筋なのである。故に集中して高負荷のトレーニングを行う。


(貴族社会においても、見た目は重要だ。ぽよぽよとがっしり鍛えられているのとでは受ける印象が異なってくる)


 食糧難のこの時代において、基礎代謝を上げるような真似をしているのには理由がある。

 全ては侮られないようにするため。

 二年後に控えている学院入学にそなえ、クーガーは自己鍛練に手を抜かない。

 今まで貴族同士の社交会にとんと顔を出さないままでいたのだからこそ、クーガーはせめて体格だけでもがっしりと鍛えておくことで、変に侮られないように神経を払っていた。








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