間章
間章 農業改革の前触れ
ザッケハルト家の長男ウォーレンは、農業は領地経営の要であると考えている。これは父ジルベルフや、優秀な執事長セバスチャンも意見を同じくするところであったが、特にウォーレンは、二人よりも農業を重んじるところがあった。
(何もないザッケハルト家だからこそ、収穫の安定化により自給自足で領内の民を飢えさせないことが大事なんだ。他の産業を育てて金貨を稼ぐことも大事ではあるが、様々な魅力に乏しいザッケハルト領だ、どうせ交渉負けするのが目に見えている。ならば些か地味でも、農業生産力を底上げするのが長い目で見て得策であろう)
ウォーレンは保守的な思考の持ち主である。いずれは新しい産業を誘致する方法なども勉強せねばならないと痛感してはいたが、新しい産業がザッケハルト領を復活させてくれるとは思っていないのだ。
すぐに効果が出るものは、すぐに廃れる。
これはウォーレンの考えの基軸でもあった。
(クーガーは天才だ。あいつは、俺に足りない改革的な考え方を持っている)
このザッケハルト領の農業は、四男坊クーガーの登場により劇的な変化を迎えようとしていた。
すぐに効果が出るものはすぐに廃れる――その言葉を嘲笑うように、クーガーは魔法を使ったかのような答えを導くのだった。
それは未来を知っているかのような感性。あるいは答えを知っているかのような予見性。
クーガーの計画には、長年人々が試行錯誤してたどり着いた歴史を一足飛びに実現させているような恐ろしさがある。
まだ内政計画の殆どが実験段階に過ぎないものであったが――逆に言えば、成功した暁には、このザッケハルト家の農業は一気に躍進することになる。
次期領主ウォーレンは、クーガーの内政計画を手伝いながら、己に足りないものは何なのかを今一度見つめ直した。
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クーガーの計画には夢があった。
「千歯扱きと唐棹を一気に普及させます。脱穀の時間を短縮させることができるでしょう。無闇やたらに農地を広げても脱穀の手が追い付かなければ意味はないのですが、脱穀の手間を短縮することができれば、ゆくゆくは農民一人あたりに任せる農地面積をじわじわと広げられることでしょう」
「脱穀の手間が省けたら次です。本当は粉引きを風車、水車で自動化したいのですが、これは大掛かりな土木工事になります。千歯扱きや唐棹などの脱穀機の効果が出始めてから手をつけるぐらいでいいでしょう。――副業奨励を行います」
「脱穀で余った時間で、草履や草鞋編み、蚊帳編みをしてもらいます。靴は消耗品ですし、室内用や、積雪時の長靴など、いくらあっても困りません。最悪煮て食べる保存食にもなる――かもしれません。靴は室内用と外出用と履き分けることで土を家にいれないようにして、衛生を向上させたいですしね。蚊帳は窓につけると、風と光を通しつつ虫除けができる貴重品です。窓ガラスが貴重なこの時代ですから、蚊帳も重宝がられるでしょう」
「ハーブ栽培ですか? 害虫避けになるかの実験です。ハーブ自体も医薬品としての使い出はありますし、何よりハーブティー文化を徐々に市民に浸透させたいですからね。そういえばハーブとは少し違いますが、ヒガンバナなんかはネズミ避けの効果があるみたいですから実験中ですね」
「輪作ですか? これは三圃式農業というものでして、小麦やライ麦などの冬穀、大麦や豆などの夏穀、放牧する休耕地――この三つをローテーションさせるものです。同じ作物を同じように作り続けると、土地が痩せてしまうのが難点ですが、こうやってローテーションさせると土地痩せを防ぐことができるのです。放牧地には、牛、ヤギ、羊、豚、鶏などを飼います。特に鶏なんかは、魚の骨や野菜のクズなど人間が普通食べないものを餌にできますし、結構悪くないですよ。冬季は飼料が不足して、家畜を飼うことが困難になるのですが、そのときは何体か肉になってもらいます」
「ああ、こちらはノーフォーク農法です。小麦→かぶ→大麦→クローバー……という順番で回してますね。かぶは家畜の飼料になります。クローバーは植えているだけで耕地の地力を回復する効果があります。これで全体の生産量が上がる――と思っていたのですが、かぶが病気になったりしてちょっと苦戦してます。かぶは種から油が取れたり、いざというときは煮物にして食用にも流用できるのでなるべく育てたいのですけどね」
「クローバーとレンゲは、根粒菌による窒素固定効果により、耕地の地力を回復させる効果がありますが、実はさらに蜜がとれるんです。養蜂と組み合わせて、ザッケハルト家も蜂蜜をたくさん作りましょう! 新しい巣箱も作りましたし、おかげでミツバチが病気になってないかの確認も簡単になりましたし、きっと養蜂はいい結果を出してくれますよ――!」
「温度計によって温度管理を徹底した実験です。あの小屋では養蚕を、あの小屋では発酵食品の実験を行っているところです。絹製品を作るには繊細な温度管理が必要なのですが、いかんせん温度計があんまり精緻じゃないのです。それでも勘に頼るよりは、遥かに効果が高いと思いますよ。まだ胸を張ってザッケハルト名産だと言えるほどの効果はありませんが、多分徐々に軌道に乗るかと」
「じゃが芋、薩摩芋の栽培実験です。栽培自体は何とかなりそうですね。ただ病気に弱いと聞いているので、そのあたりは品種改良を地道に続ける必要がありそうです。かぼちゃの栽培実験と並立して、じわじわと普及を見込んでます」
「ミミズを使った堆肥コンポストです。パンくずや落ち葉、余った藁や生ごみなどをこの中に捨てて、ミミズによって堆肥化させます。水分管理は大変ですが、まあ割と繁殖力があるので、ミミズを増やす目的で期待してます」
「オガクズトイレです。試験的に導入してみましたが、処理能力を越えて大変ですね……。手回し、足漕ぎ等の人力で攪拌できるような装置を作ったものの、故障が多くて大変ですし、こっちは長く試行錯誤する必要がありそうです。幸い汚物を下水に流す人たちが減ったので、少しずつ疫病も少なくなっていくと思われますよ」
――などなど。
殆どが実験段階で、まだまだ拙いものばかりだが、それでも上手くいったときは今までの常識を変えるような効果が見込める。
一部は既に、徐々に効果を出している、というのも恐ろしい話であった。
流石に課題も多いので、すぐに導入とまでは行かないものの、実験を終えたらザッケハルト家主導でこれらの改革に着手するのも面白いと思われた。
(多分、国王はこのザッケハルト家に、領土自治の大幅な裁量権を与えたことを後悔するだろうな――)
ウォーレンは確信した。
今実際に動き始めている計画は、いずれも途方もない可能性を秘めている。どれか一つでも成功すれば、大きく歴史は動く。
国王の失敗――それは、目ぼしいものは特にない領地だからと、領土経営の裁量権を大幅に与えてしまったことであろう。
確かに王国が管理すると税の支出もかさむので、妥当な判断ではある。
だが、『領地の裁量権を大幅に持っている』というこのザッケハルト領に、クーガーが生まれたのは流石の国王も予想外だったのであろう。
ザッケハルト家が名実ともに辺境伯になる――その日の訪れは、意外と近いように思われた。
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