第9号「週刊カノジョイド!王道!」

 今日も今日とて、野上羽継ノガミハネツグは高校へと登校する。

 あんなことがあっても、自分の日常が滅茶苦茶めちゃくちゃでも、それは変わらない。平穏無事な学生生活を忘れてしまうと、本当に自分が平和を失ってしまいそうで怖かった。

 妹の真璃マルリと別れて靴を履き替え、教室に入る。

 おはよう、と挨拶すれば、すぐに男子が数人駆け寄ってきた。


「よ、バツ! どうだ? あれから進展は」

「もう一週間近く経つだろう? なあ、そろそろ教えろよ」


 クラスメイト達が気にしているのは、あの蝶院寺静流チョウインジシズルのことだ。チラチラと目の前の男子達は盗み見ているし、周囲の女子達も聞き耳を立てている。

 当の本人はといえば、今日も静流は様子がおかしい。

 少し思い込みが激しいところがあるが、彼女は快活で闊達かったつな普通の女の子である。それが、あの日以来ずっと羽継とギクシャクしていた。うまく会話も噛み合わず、なんだか避けられているような気がするのだ。

 無理もないと、羽継は溜息ためいきを一つ。


「はぁ……まあ、ちょっとな」

「おいおい、倦怠期けんたいきってやつかあ?」

「委員長が変なの、絶対にお前のせいだろ」


 実は、因果調律機構いんがちょうりつきこうゼウスのエージェントに襲われ、その後に見たマキナを変質者と思って気絶した……そんなこと、口が裂けても言えない。静流の名誉に関わる問題だし、なにより「気絶した静流を? どうした? どうしたの!」と突っ込まれるのが面倒だ。

 勿論もちろん、羽継は彼女をおぶって家まで送り届けた、それだけだ。

 その日からずっと、彼女は様子がおかしいのだ。


「まあ、想像に任せるけどな。好きにうわさしてくれ」

「おーおー、自信たっぷりだなあ! バツ、破局してねえのか?」

「破局もなにも、付き合ってないだろ。それ、静流が聞いたら怒るぞ? 俺なんかが相手じゃ嫌だろうし、あいつにだって好きな奴が……ん? どした?」

「いや……なんていうか、付ける薬がないたぐいの人間なんだな、バツ……まさにバッテンだぜ」


 やれやれと肩をすくめて、級友達は籍に戻っていった。

 せぬ。

 なんの話か、全くわからぬ。

 それでも、自分の席は静流のとなりだ。

 当然、顔を合わせる訳だが……頬杖ほおづえ突いてぼんやりしている静流というのは、確かにおかしいかもしれない。いつもはハキハキと声をかけてきて、生真面目きまじめな委員長気質で身だしなみやらなにやらをチェックしてくるのだ。

 その彼女が今、どこか視線を遠くへ放って外を見ている。


「よ、静流。おはよ……なあ、静流?」

「……うん、おはよ。……は、はわっ!」

「お前、なんか変だぞ? なあ」

「なっ、なんでもない! なんでも、ないんだから……なんでも」


 急に赤くなって、静流は机に突っ伏してしまった。

 彼女の長い長い三つ編みが、ゆらゆらと背中に揺れている。

 かばんを置いて、そっと小声で羽継は呼びかけた。


「お前、この間のこと、怒ってるのか? だよな……すまん、俺が悪かった」

「……違うわよ。違う……悪いのは、あの変質者。なのに、悪い奴なのに……私、ちょっと、その……ラッキーだったな、って」

「ん? そうか? まあ、不幸中の幸いだったよな」


 正確には、静流が見てしまったマキナは、敵じゃない。変質者かと言われれば否定はできないが、羽継を静流ごと守ってくれたのだ。

 だが、その戦いは全て、時間の流れから切り離された空間で行われた。

 静流にはただ、気がついたら目の前にマキナがいたように見えてるはずだ。それも、ほぼ全裸に等しいアンドロイドのマキナが。

 おずおずと顔をあげた静流は、顔が真っ赤だ。


「その……バツが助けてくれたんでしょう? あの変質者から」

「えっと、説明するのが面倒だし、詳しくは……ただまあ、俺の責任もあるからな。……俺のせいなんだよ、基本的に」

「バツは悪くないっ! それは違うのだわ!」


 突然、静流が大きな声で立ち上がった。

 それで教室中の視線を集めてしまう。

 羽継はドウドウと彼女を落ち着かせ、再度座らせた。

 全てを打ち明けられたら、どれほど楽だろう。だが、羽継自身にもわからないことが多過ぎる。その上、真実を知れば静流の身に災難が降りかかるだろう。

 だが、静流は声をひそめてくちびるを寄せてきた。


「私、あのあと自分なりに調べたのよ。だってほら、私はクラス委員長だから」

「なんでそう、無駄に行動力と責任感が有り余ってるの」

「やだ、そうめないでよ……照れるのだわ」

「褒めてねーよ! で? なんだよもう」


 静流の話はこうだ。

 やはり、あの周辺で変質者が多数目撃されている。付近には中学校や小学校もあるし、非常に危険だと彼女は感じたのだ。

 聞けば、涙ぐましいまでの努力で聞き込み調査を行い、噂話うわさばなしを集めたらしい。


「まず、この間も見たトレンチコートの謎の女。これが一番目撃証言が多いわ」

「ああ、リーリアさんな」

「……なんで名前、知ってるの? えっ……嘘、まさか……そんな、バツがすでに変質者の手に落ちてたなんて。……ちてたなんて。少年の純情を奪われ、ただれた偏愛へんあいに」

「はいそこ、いつもの妄想力を働かせんなって」


 とりあえず、リーリアのことをぼやかしながら伝える。国の機関の調査員で、ちょっとしたアンケートをとっている……服装に関してはまあ、ちょっとフォローが難しかったが。

 それで納得してもらい、最後に見たマキナについても同様に試みる。


「そう、次に私が見て気絶した、その……ロボット? みたいなコスプレの女」

「ああ、うん。あれは変態だ。悪い奴だ。全面的に賛同する。うざいし」

「夜な夜な、そのロボットコスプレがボロ布一枚で出歩いてるみたいなの。何人もの人が見たと言ってたわ。あと、

「……へ? 怪物?」


 怪物という言葉に、思わず羽継はマキナのことを忘れた。

 あの駄目ダメロイドのことだ、羽継が寝てる間に夜の町を満喫しててもおかしくない。なにせ、彼女は本当にラジカルでパワフルで、無駄に元気だけは有り余っている。

 だから、むしろ突飛とっぴな怪物というワードが気になってしまったのだ。


「驚かないでね、バツ……

「ア、ハイ。へー、そうなんだあー、こわいなあー」


 思わず棒読ぼうよみになっていた。

 それは多分、恐らく、絶対確実にマキナだ。

 どうやらその怪物というのは、頭だけの生首で、胴体の代わりに片腕がそのままぶら下がってるらしい。詳しくは聞かなかったが、それは多分右手だと思う。

 羽継は夜は、あれこれうるさいからマキナのアーリィフレームを消してる。頭と右手だけになった彼女を、押し入れに放り込んで寝ているのだ。そうしないと、あのシルエットだけは完璧にむちぷりなカノジョイドが、布団ふとんに忍び込んでくるのである。

 だが、首から下に右手をぶら下げ出歩かれるのは、困る。

 今日はそろそろ、きつくいって聞かせる必要がありそうだ。

 そう思っていると、不意に静流はしおらしくひとみうるませた。


「その、バツ……ゴメン。でも私、気になって。……お、重かった、でしょ? 気絶した私。いっ、家まで運んでくれたって、お母さんが」

「ん? ああ、まあ重かったけど……安心しろよ、じいさんに鍛えられてるからな、俺は」

「……重いって言った。女の子に、デブって……無駄肉むだにくかたまりだって。二の腕プヨプヨって言った……」

「いやいや、言ってない! 言ってないぞ、いいな? 普通じゃんかよ、見た目だってせてるし」


 この蝶院寺静流という少女、もだもだとしてて本当に面倒臭い。

 だが、入学からずっと席が隣の腐れ縁でもある。

 だからこそ、巻き込めないと羽継は思っていた。

 変質者の件に関しては、とにかく真実を伏せて話を合わせるしかない。そして、できれば探偵の真似事まねごとはやめてほしかった。些細ささいな正義感でも、大きなあやまちへとつながることがあるからだ。

 そうこうしていると、周囲がバタバタと慌ただしくなる。

 担任の教師が来たので、皆が席へと戻ったのだ。

 そして羽継は絶句する。


「はい、おはようございました! みんなそろってるわね? うん、大変よろしい!」


 そこには、スーツ姿のリーリア・ラスタンが微笑ほほえんでいた。

 ドン引きしつつ、羽継はいわゆるお約束なんだなとあきらめた。

 つまり、自分を監視するためにリーリアは女教師おんなきょうしとして学園に潜入してきたのだ。これでもう、学校も日常の平和を失ったことになる。だが、既にリーリアとの誤解は解消済みで、なにかと足並みを揃えて謎に挑む必要があるのだ。そう思えば、都合がいいと彼女が判断したのも頷ける。

 そう、謎……御影四郎ミカゲシロウ何故なぜ、因果の調律に失敗したあと、この時代へ? どうして一度は殺害対象として始末した羽継を、赤子の頃から見守っていたのか?


「はい注目! 私はリーリア・ラスタン、今日から臨時でこのクラスを受け持つことになりました。前の担任は……ま、産休とかでいいか。そういう訳で、よろしく!」


 こうして見ると、リーリアは異国情緒のある美人だ。

 ただ、というのは、いささか無理がないだろうか……羽継は頭痛がしてきた。だが、むさ苦しい体育会系の男が、突然美女になったのだ。クラスの男子は歓迎ムードで、その露骨ろこつな拍手や口笛には女子達もあきれていた。

 だが、一人だけ冷静で、それゆえ驚愕きょうがくに固まる生徒がいた。

 静流である。


「バツ、あれ……この間の」

「あっと、その、まあ」

SMエスエム趣味の女王様みたいな変質者! 高笑いがキモくて、いかにも変態って感じのドSエスな!」

「いや、そこまで思い込むのやめような……まあ、第一印象は変質者なんだけど」


 こちらの声に気付いたのか、リーリアはこっそり羽継だけにウィンクする。

 こうして、日常生活の最後の砦、平和な学園生活は終わりを告げた。

 いよいよもって、羽継は静流に事の次第を説明せざるを得なくなり……そのことでリーリアと打ち合わせし、口裏を合わせることになるのだった。

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