第27号「週刊カノジョイド!攻勢!」

 家を飛び出した羽継ハネツグを待っていたのは、破綻はたんしてゆく日常だった。

 大通りに出れば、そこかしこで大人達が携帯電話を手にしている。どれも画面は、無数のXエックスが乱舞するだけで機能していない。

 すでに、人類が築いた世界規模のネットワークが破壊されていた。

 怒号と悲鳴がなげき合う中、羽継はマリアの居そうな場所を考え走る。


「くそっ、全然繋がらない! なんてこった、今日は会社で大事な取引が……」

「なにこれ、サイアクー! 学校が休みかどうか、調べらんないじゃん!」

「ノォォォォ! 昨晩課金したばかりなのに! 俺の連続ログインボーナスがああああ!」


 まさに阿鼻叫喚あびきょうかん、ある種の地獄絵図じごくえずだ。

 この場にいる者達は、ネットワークから遮断されても死にはしない。だが、インターネットは衣食住に次ぐインフラとして普及し過ぎた。だから、ネット社会に属していなければ生を実感できない人間だっている。

 生きているとか生き甲斐がいとか以前に、不自由が寂しさを暴発させてしまうのだ。

 そんなことを漠然ばくぜんと思いながら、羽継は背中のかばんへと叫ぶ。


「マキナッ! お前、なんかその……レーダー的なの、ないのか! センサーでマリアさんを探すとかさ!」

「んー、バインダーBinDERがあればなんとかなるんですけど」

「だよな、そんな気してた! クッ、闇雲に探すだけじゃ――」


 その時、不意に羽継はあだ名で呼ばれた。

 再度、その声は「バツ!」と駆け寄ってくる。

 振り返ると、そこには制服姿の静流シズルがいた。彼女は文字通り息せき切って走り終えると、羽継の前で急停止。両膝りょうひざに手を当てて酸素をむさぼり、深呼吸して息を整えた。

 顔を上げた静流は、眼鏡の奥に不安と勇気を燃やしていた。


「お、おはよ……バツ。その」

「ああ、おはよう。静流、もしかして」

「もしかしてもなにもないのだわ! ……この異変」

「ああ、多分マリアさんだ。お前の携帯にも出てるだろ? X、X、X……多分、俺を呼んでるんだ」


 そう、マリアはきっとさそっている。

 罠を張り巡らせて、手ぐすね引いて待っているのだ。

 彼女にとって、人間であるとか機械であるとか、自身の存在を定義する意味は非常に大きい。そして、それは全て羽継を想えばこその肥大化したエゴなのだ。

 そういう意味では、相手ではなく『』しか見えていない。

 そんなところだけは、人間のあまりめられない一面がはっきりと浮き彫りになっている。


「実はね、朝……リーリアさんから連絡があったの」

「えっ? 連絡って、どうやって」


 フフンと鼻を鳴らして、静流は自分の右の手首を見せる。

 そこには、以前リーリアが渡した予備の携帯端末があった。多機能をコンパクトに納めた、遠い未来の万能端末である。瞬時に特殊スーツへと変身できるし、いざとなれば指定した空間を隔離することができる。本来の時間軸の流れから、その一部を切り離す力……その技術は、何度も羽継とマキナを救ってくれたのだ。


「これでの通信は、まだ妨害されないみたい。……未来のものだから、かしら?」

「だろうな。リーリアさんは、特殊な組織のエージェントだから。多分、そういった妨害も想定して作ってあんだろ。で?」

「今、リーリアさんは病院に行ってるわ。四郎シロウおじいちゃんが心配だって」

「無事だとは思うが、じいさんはマリアさんに恨まれてるからな。この混乱に乗じて、ってのはあるかもしれない」


 とりあえず、人目を避けるようにして歩き始める羽継と静流。その場で込み入った話をすれば、かえって周囲に混乱を広げてしまうかもしれない。既に町はそこかしこで、パニック一歩手前の状況にむしばまれていた。

 病院の四郎は、特殊な治療機器が必要な怪我ではない。

 リーリアがついていれば、少なくとも当面は大丈夫だろう。静流と同じ端末を持っているので、なにかあったらすぐに連絡が取れるはずだ。

 戦慄にざわめく中、羽継は鞄を胸に抱き直して中に語りかける。


「マキナ! とりあえず俺達は、引き続きマリアさんを探すぞ」

「ほいきた! 今、使えるスタンドアローンなリソースで、ターゲットをサーチしつつクリエイティブなアクティビティでプランをデザインしてまっす!」

「無理に横文字使わなくてもいいでしょ、って……なにその声! 変よ、まるで機械の音声みたいなのだわ」


 まるでもなにも、マキナは機械だ。

 今回の事件で、羽継は思い知らされた。

 彼女は、週刊カノジョイドなる雑誌に付属するパーツの集合体、その名の通りカノジョイドなのだ。世の男性の恋人になるために存在する、アンドロイドなのである。

 だが、それ以上の意味を今の羽継は感じていた。

 だから、今は自分の気持へのケジメよりも、マキナをどうにかしてやりたいと思う気持ちが強い。そのためには、マリアに奪われたバインダーを取り返す必要があるのだ。


「担当の声優が変更されました! ……ってネタは、もうやっちゃったからー、ええとー、まあ、ほら! ボーカロイド、的な? この時代だと、初音ミク、みたいな」

「……と、とりあえず、しゃべれるようになったんだ。ふーん……リーリアさんが言ってたのより、少し元気そうだけど」

「元気と美貌だけが取り柄ですからねー、カノジョイド的には! ニハハ」


 この図々ずうずうしさ、間違いなく精神的に立ち直っている。

 だが、取り戻したいのはマキナの笑顔だけじゃない。彼女がずっと笑っていられる時間は、バインダーを奪い返さないと戻ってこないのだ。


「あ、そうそう……バツ」

「ん? どした」

「リーリアさんが、一つだけ確認してほしいことがあるって。自分もあとで行くけどって、言ってたのだわ」

「なんだ! 緊急の話か?」

「そう。なんかね……四郎おじいちゃんとリーリアさんって、未来人じゃない? つまり、あるのよ……この時代に来た時の、タイムマシンが」

「……マジで?」

「ええ、マジなのだわ」


 リーリアは、以前所属していた因果調律機構いんがちょうりつきこうゼウスの、十全たるバックアップを受けてこの時代にやってきた。使用されたタイムマシンは、施設から人間だけを時間跳躍タイムリープさせるタイプのものである。

 それに対して、組織から逃げつつ時代を行き来していた四郎は、搭乗タイプだ。

 そして、四郎の乗ってきたタイムマシンは、この町のある場所に隠されている。そのデータが、マリアにはあるというのだ。現代で隠居いんきょした老人四郎と、その孫娘であるマリア……そういう認識しかなかった彼女の中に、タイムマシンの全てが情報として存在する。


「……じゃあ、もしかしてこの異変は」

「四郎おじいちゃんのタイムマシンを使ったのかも。なにせ、ハイテクの固まりだって言ってたから。だから、まずそれがマリアの手に落ちてないかを確認して欲しいって」


 そう言うと、静流は僅かにほおを赤らめた。


「そっ、そそ、その……マリアが襲ってきたら、わ、わわ、私が戦うのだわ。……アレに着替えるの、すっごく恥ずかしいけど。でも、バツを守ってあげる!」

「お、おう。あり、がと?」

「どうして疑問系なのよっ!」

「いや……感謝はしてるけど、普通逆だなと思ってさ」


 小さな頃から、裏山の一軒家に済む四郎は教えてくれた。武道の鍛錬や、勉強、そして生き方をだ。羽継は幼少期から、適度に健全で真っ直ぐな少年として育ったのだ。もちろん、四郎は悪戯や悪巧み、悪い遊びも教えてくれたのを忘れない。


「じいさんがさ、小さい頃から言ってた。まずは自分を守れ、その上で……守れた自分を使って、守りたいものを守れってさ」

「バツ……」

「俺が今、守りたいのは……色々あって漠然ばくぜんとしてたけど、今ははっきりしたよ。静流、俺はお前達を――ごふぁっ!」


 突然、腕の中の鞄が跳ね上がった。

 強烈なアッパーカットを食らった状態で、思わず羽継はよろめく。

 響くマキナの声は酷く平坦で、普段とは違う電子音声なのでことさら冷たく感じた。


「オーット、テガスベッター! マスター、ワタシトイウモノガアリナガラ!」

「な、なんでカタコトなんだよ、お前。頭突きは手じゃないだろ。あと、本当の手を出さんでいい」

「いいんちょみたいなのがいいんですか! 眼鏡メガネが萌えなんですか!? わたし、アイセンサーは視力15.0なんで、眼鏡必要ないですが……マスターが望むなら!」

「望んでないって! ……まあ、その、なんだ。女の子は、守らなきゃ。おっ、お前のこともだぞ、マキナ」


 流石さすがに、口に出すと気恥ずかしい。

 だが、言葉にしたことにより、羽継の中の意思が鮮明になる。

 同時に、もう一度マリアに会いたいという気持ちが固まった。

 四郎はいつも、技術と経験で羽継に語ってくれたものだ。

 自分を大事にできない人間は、なにも守れない。

 自分を大事にしてくれる人間は、守ってやりたいと思うものだ。

 そして……女の子や御婦人は、積極的に守れるだけ守れとも。


「まず、じいさんのタイムマシンの無事を確認する。で、マリアさんともう一度会って、説得だ。こんな馬鹿なことをやめさせる」

「……それから?」

「あとは静流、簡単だ。その……元通りに、ってのが俺の望み、だけど」

「私は、ヤ! 元通りの友達じゃ、嫌なのだわ」


 鞄の中でマキナが、物凄いわざとらしさでヒューと口笛を吹いた。

 思わず無言で、羽継は鞄に鉄拳をお見舞いする。


「い、痛いですよマスター! 人間だったら鼻血出てますって、ゲンコツで殴ったし!」

「静流……あのな、俺」

「ん、いい……バツはとりあえず、今は真っ直ぐ突っ走って。いつもみたいにさ。私、できるだけ助けるから。上手くできないかも知れないけど、支えるから」


 それだけ言うと、静流は歩調を強めて早足で進む。

 耳まで真っ赤になっている彼女が、なんだかいつものクラス委員長である以上に、羽継には頼もしく思えた。


「守りたい……俺は静流を守りたいんだ。そう思いつつも羽継は、ムラムラと込み上げる劣情れつじょうを燻らせながら、静流を人影のない場所へと連れてゆくのだった」

「おい待てマキナ……勝手に妙なナレーションを入れるんじゃない!」

「おっと、フヒヒ! サーセン! で、そのタイムマシンとやらは何処いずこに!?」


 静流がリーリアから教えてもらった場所は、意外なところだった。

 灯台下暗し、二人の進む先にはが待っているのだった。

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