第26号「週刊カノジョイド!勃発!」

 その日はリーリアさんから紙袋をもらって、それにマキナの頭と手を入れて羽継ハネツグは帰宅した。突然夜中に飛び出したので、妹の真璃マルリに酷くいぶかしげに見られたが、誤魔化ごまかすどころではなかった。

 そのまま、すぐに着替えて寝た。

 食欲もなかったし、あまりにも突然過ぎた異変だったから。

 疲れてたからもあるが、布団ふとんに転がり込んでくるマキナ(の頭部)を、追い出したりはしなかった。ただ、なにか粗相そそうをしそうな気がしたので、右手だけは押入れに放り込んでおいた。


「はぁ、でもなんか……眠れたような、そうでもないような」


 一夜明けて、消えない疲労感を感じながら羽継は身を起こした。

 すぐに隣を見下ろせば、マキナが大いびきで眠りこけている。ムニャムニャと口をもごつかせながら、よだれらして爆睡していた。

 危機感のない奴だなと、自然と笑みがこぼれる。

 そういえばと思い出して、押し入れからもマキナの右手を出してやった。どういう仕組かはわからないが、右手の方は起きていた。ピョコピョコと二本の指で走って、頭部を起こしにかかる。

 便利だなあと思っていると、キンキン響く特徴的な声が響いた。


「んあ? 朝、れふ、か……もう、少し、ねむねむ……」

「おいこらマキナ、起きろって。って……声!? おいっ、マキナ! お前、声!」

「ほえ? ああ、はいはい。おはよーございました。CVキャラクターボイス坂本真綾さかもとまあやさんでお送りしてまっす」

「いや、全然イメージ違うけど……それよりお前、喋れるようになったのか!」


 だが、マキナの顔は相変わらず半分がターミネーター状態だ。

 朝からショッキングなのだが、露骨に表情に出すのも可愛そうである。そして、彼女の右手はどうやら顔の傷を気にしているようだ。長い髪をチョチョイと寄せて、顔半分を隠す。


「声は……今はこれが精一杯! ですっ!」

「そういえばなんか……以前と全然、違うような」

「二代目の声優ですから! 以前は榊原良子さかきばらりょうこさんでした」

「……だから、さっぱりイメージできないんだが」

「恥を知れ、俗物ぞくぶつが! ……どです?」


 朝からおどけて、マキナはにっかりと笑う。

 少し無理をしてるようにも見えるし、それでも羽継を心配させまいとしてくれるとこが意地らしい。

 どうやらマキナの説明に寄れば、声帯はまだ直っていないらしい。

 それどころか、バインダーBinDERをマリアに奪われたままで、自己修復もままならない。


「そういう訳で、頭部と右手だけでできることと言うと……声帯を介さず、合成音声でわたしの考えを伝えるしかできないかなーって。ほら、腹話術みたいでしょ!」

「あ、ホントだ……口を閉じてても声が」

「因みにスピーカーは、耳にあります。集音と各種センサー系は、全部この辺に集まってる感じですかね。嗅覚と味覚は、それぞれ鼻と舌ですが」


 器用にパタパタと両耳を羽撃はばたかせて、マキナの頭部が浮かび上がる。

 改めて羽継は、マキナが機械……カノジョイドであることを痛感した。

 だが、彼女が一晩で自分に応急処置をしてくれたおかげで、紙とペンを持ち歩く必要はなくなりそうだ。

 そういえば、確かに今のマキナは電子音っぽい声をしている。

 より一層、彼女が機械であることが強調されてる気がした。

 だが、どうですかエッヘン! とマキナが胸を張る……ようにして上を向くので、頭をでてやる。足元では右手も、嬉しそうに跳ね回っていた。


「さて……今日からまた学校か。マキナ、お前は」

「はいっ! 今日はマスターの本棚、上から三段目の漫画を攻略したいと思いまっす!」

「……違うだろ、ん? 他にやること、あるだろうがよ」

「え、あ、ハイ。とりあえず、ネットワークを介してマリアさんを探してみます。バインダーがないと困るのは、わたしも一緒なので! だから、その……ちょっとだけ、漫画を」

「わかったよ、程々にな。さてと」


 一応、真璃に見られたら命が危ないので、マキナを押入れにもう一度放り込む。それから制服に着替えて、羽継は一階へと降りた。洗顔と歯磨き、少し寝癖を直して朝のルーティーンをこなす。

 すでにダイニングからは、味噌汁みそしるのいい匂いがしていた。

 だが、妙に静かである。

 野上ノガミ家は羽継にとって、キモウトこと真璃が跳梁跋扈ちょうりょうばっこする危険な場所でもある。妹の定義を常に破壊し続ける真璃は、毎朝常にテンション爆超ばくちょうだ。


「おはよ……って、どした? おーい、真璃? 母さんも」


 食卓に座っている二人が、固まっていた。

 母と妹の視線を追って、自然と羽継もリビングのテレビを振り返る。

 そこには、恐ろしいニュースが現在進行系で叫ばれていた。


御覧ごらんください! こちらは成田空港の国際ターミナルです。現在、あらゆる電子機器が停止しています! 高度なハッキング攻撃を受けたとの情報が飛び交う中――』


 液晶画面の向こう側は、異変に飲み込まれた別世界だった。

 羽継も耳を疑うが、そんな彼に現実を突きつけるように真璃が立ち上がる。


「バツにい、大変なの……なんか朝から、ネットが繋がらないんだよ? 見て、携帯も駄目」


 中学校の制服を着た真璃は、ポケットからスマートフォンを取り出す。

 彼女が見せてくれた画面には、無数の文字が乱舞していた。

 大小様々、色もフォントも違うが、羽継にははっきりと悪意が伝わった。同じ様な現象を、ニュースの中でレポーターも叫んでいる。

 真璃のスマートフォンには、羽継との兄妹きょうだいツーショットを撮影した壁紙は映っていたい。

 ただ真っ暗な画面の中に、無数のXエックスが流れていた。

 バッテン、それはX……未知数を意味するアルファベットだ。

 瞬時に羽継は、意図いとするところと犯人に思い当たる。


「ねえ、バツにい……これって。このバッテンって」

「……真璃、いつからだ?」

「朝起きたら、世界全土でこうだって」

「世界、全土……外国もか」

「病院とか、大変みたい。今日は学校、休みになるかも。でも、なんかあたし怖いよ。ねえ、バツにい……なんか、怖いことが始まってる気がするよう」


 妹は時々、鋭い。

 羽継と女の子の接触にも敏感だし、その痕跡こんせきを目ざとく見つける洞察力がある。常軌を逸した兄への執着を除けば、彼女はとても思慮深く直感に優れた少女だった。

 だが、その目が今は不安に揺れている。

 羽継のご飯をよそい始めた母も、心なしか落ち着かないように見えた。

 ニュースはその後も、日本各地や海外の被害状況を伝えてきた。


『被害地域は爆発的な速度で広がっています! 東京都は先程、非常事態宣言を出し、首都機能が事実上麻痺したことを――』


 突然、音声が途絶えた。

 同時に、テレビの画面が真っ暗になる。

 身を震わせた真璃が、なにも言わずに抱き着いてきた。普段のブッ飛んだ愛情表現ではない……純粋に怯えている。華奢きゃしゃな肩を抱いてやりながら、羽継は黙ってテレビを注視した。

 そして、先程のスマートフォンと同様に画面が乱れ始める。

 X、X、X……見るだけで心胆を寒からしめる、未知の恐怖が発信されていた。

 その正体をもう、羽継はもう知っている気がした。


「まあまあ、大変ねえ。あら? 羽継、ごはんは?」

「それどころじゃないだろ、母さんっ! ゴメン、ちょっと俺、急いでるんだ!」


 真璃を優しく引き剥がして、潤んだ視線に頷いてやる。

 そうして妹から離れると、羽継はダッシュで階段を駆け上がった。

 部屋に戻ると、勝手に押し入れを出たマキナが漫画本を読んでいる。血相を変えて戻ってきた羽継に気付くや、彼女は「あ、ヤバ」と固まった。

 そんなマキナの頭部を拾い上げて、ひたいに額をぶつけるように覗き込む。


「大変だ、マキナ」

「そ、そうですねえ、まさかわたしがサボってるなんて……あ、今から、これからマリアさんを探そうとしてたんですよ? ほら、その前に、つい」

「そんなことはどうでも……いや、よくない! 急いでマリアさんを探さなきゃ。マキナ、超特急で頼めるか? 今すぐにだ!」

「ガッテーン! いいですけど、なにかありました? ……ん? んんん、これって?」


 マキナは頭上を仰ぐように視線を外した。

 恐らく脳裏で、ネットワークへの接続を試みたのだろう。こんな緊張感がないボケボケのカノジョイドでも、その頭部はスパコン並の演算能力を誇る。……らしい。あくまでマキナの自称だが、彼女が未来の科学の結晶であることは疑う余地がない。

 珍しく難しい顔をして、マキナは電子音声を強張こわばらせた。


「マスター、ネットに接続できません。かなりの広範囲に渡って、ジャミング……つまり、妨害電波のたぐいが広まっています。それに、これって」

「お前も見たか? X……これって多分」

DIVER-Xダイバー・エックス、マスターのこと、ですかね。なら、犯人は……マリアさん!」

「嫌な予感がする。あの人はなにを……そう、まだ人なのに、なにに変わってしまうんだ。このままじゃ、本当に変わっちまう」

「マスター……」


 今、世界に危機が訪れている。

 今という時代、人類の科学文明は便利な機械によって支えられている。それこそが人類の叡智えいちを具現化させたものだからだ。

 こうしている間にも、世界中のエレベーターに誰かが閉じ込められている。

 病院では手術中に電源が落ち、人工呼吸器や生命維持装置が止まっている。

 幸い我が家に被害らしい被害はないようだが、時間の問題だ。

 マリアの狂気が今、地球全土を席巻せっけんしようとしていた。


「……わかりました、マスター。もう一度マリアさんを説得しましょう! それで駄目なら」


 よいしょ、とマキナは自分の頭部を右手に持ち上げさせた。

 そのまま彼女は、放り投げられて羽継の胸に飛び込んでくる。

 受け止めた羽継の手の中には、マキナの強い眼差まなざしがまぶしかった。


「話して駄目なら、ブン殴ってでも止めます! わたしにはまだ、スペシャルに有能な頭脳と、右の拳がありますから! マスターを助けるついでに、世界も救ってみせますとも!」

「マキナ、お前……」

「どのみち、バインダーは取り返してもらわないと。それと……わたしの中の禁則事項きんそくじこう、機密レベルが高くて開示不能な情報が、なにかを訴えてきます。そういう気が、します」


 女の勘だと言って、ニシシとマキナは笑った。

 迷わず羽継は、かばんに彼女を納めて部屋を出る。

 マリアの所在など、わからない。突き止めるすべもないし、心当たりもなかった。だが、マキナと二人なら必ずたどり着ける……奇妙な確信だけが今、なけなしの勇気を支えているのだった。

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