第5号「週刊カノジョイド!変形!」

 野上羽継ノガミハネツグはずっと、気が気じゃなかった。

 勉強道具を筆箱ごと忘れてきたからではない。強いて言えば、羽継が忘れた訳じゃない。だが、常に隣の蝶院寺静流チョウインジシズルに教科書を見せてもらい、昼はなけなしの小銭でコッペパンをかじるだけ……なんとも切ない一日となった。

 これも全部カノジョイドのマキナって奴の仕業なんだ。

 そう、全てマキナが悪い。

 下校中の今も、その想いは虚しく身に満ちている。


「ちょっと、大丈夫? バツ、今日はなんだか……その、少し面白いけど、変よ?」


 隣を歩く静流が、深刻な顔で覗き込んでくる。

 ギギギギと不協和音を奏でるような気持ちで、羽継は彼女へと首を巡らせた。

 静流はフラットな表情の羽継を見て、プッ! と吹き出した。

 そういうとこは、とてもかわいい女の子だと思う。

 意外と隠れファンが多いのも納得だ。


「なぁに? バツ、この世の終わりって顔してるんだもん……やだもう」

「この世の終わり、かあ。俺、始まってすらいないんだけど」

「そ、そうよね、確かに、そうだわ! 私達、始まってすらいないのだわ!」

「おいおい、なんで急に盛り上がるんだよ」


 そういえば静流は、時々こうして羽継についてくる。彼女の自宅は反対方向のはずだ。羽継としては、妹の真璃マルリを犯罪者にしたくないので、もう少し離れてほしいのだが。

 だが、そのことをやんわり伝えたら、彼女は何故なぜほおを朱に染めた。

 なにか失礼なことを言ったかなと思ったが、心当たりはない。


「そっ、そそ、それは、ほら! 今日、帰りのホームルームでも言ってたじゃない? この辺に不審者、怪しい女が出るって! もしそうなら、一人は危険よ」

「っべー、それな。うん……すっごい心当たりがあるっていうか」

「違うわよ、あんたのキモウトじゃなくて。あれは不審者じゃなくて、変質者でしょ」

「否定できないのが兄として辛いな」


 そうか、と羽継は静流の言葉に感謝した。

 彼女は生真面目きまじめで律儀で、一応クラス委員長としてこうして一緒にいてくれるのだ。


「なんか、ありがとな、静流」

「なっ、なな、なによっ! 改まっちゃって……その、クリスマスは暇でしょ? 元日とか、バレンタインとか……それにほら、卒業式は体育館裏の桜の木の下で待ってるから」

「なんだそれ、意味がわからん」

「ッ! なんでもないのだわ!」


 うろつく不審者の女というのは、ホームルームも虚無感に浸っていた羽継には記憶に薄い。だが、いて言うなら今の静流がおかしな言動だった。

 だが、プイとそっぽを向いてしまった彼女を追いかける。

 異変が襲ったのは、その時だった。


「……ん? あれは……ははーん、あれか」


 住宅街で人通りは多くないが、往来にはまだお天道てんとうさまが目を光らせている。

 冬の訪れを感じる冷たい風の中、一人の女が立っていた。

 第一印象は、怪しい。

 不審者と呼ぶに相応しい様子だ。

 その女性は、長い長いトレンチコートを着ており、伸ばした髪はなんと緑色だ。ちょっとセンスを疑う。そして、郵便ポストの影に隠れるようにして、大通りの方をこっそり見ている。まるで監視しているかのような雰囲気だ。

 これはまずいぞと、羽継は思わず前に出る。

 片手で静流を制してかばった、その時……例の女はこちらを振り返った。


「むむ? ああ、丁度よかった。そこのキミ……って、ありゃりゃ? ……ほうほう」


 かなり美人だ。

 外国人だと思うが、すっきりとした目鼻立ちは日本人にも見える。なにより、人懐ひとなつっこい笑みを浮かべてムフフと緩んだ口元がチャーミングだ。

 だが、怪しい……彼女は羽継を見るなり、目の色を変えたからだ。


「あ、あのっ! 俺に手を出すと妹がタダじゃおかないですよ。ほんともう、あいつは警察沙汰になりますから! 俺、妹を犯罪者にだけはしたくないんですよ、だから」

「ん? えっと……キミ、野上羽継クンよね?」

「そうですけど……おい、静流。やばいぞ、お前だけでも……あれ?」


 謎の女を睨んだまま、羽継は口早に呼びかけた。

 だが、反応はない。

 妙だと思って振り返り、絶句。

 そこには、姿


「お、おいっ! 静流! お前、なにやってんだ……逃げろって!」

「無駄よ、羽継クン。いえ……DIVER-Xダイバー・エックス


 女は着ていたトレンチコートを脱ぎ捨てた。

 やっぱり不審者、変態さんだった。

 白い肌に悪目立ちする、毒々しい黒のラバースーツ。しかも、局所的に露出度が激しい。こういうの、よく子供向け番組で悪の女幹部が着てる気がする。

 でも、現実で遭遇したらただの変態さんだった。


「くっ、どうなってるんだ? おいっ! 静流になにをした!」

「そのにした訳じゃないわよ? まわりを御覧なさいな」


 空を飛ぶ鳥、大通りの車、そして周囲の全てから音が消え去っていた。

 それだけではない、あらゆるものが静止して見えた。

 そう、まるで時間が止まってしまったかのように。

 ありえないと思いながらも、羽継は改めて女に対峙たいじする。


「……時間を止めた、のか? どうやって」

「正確には、私とキミだけを時間の流れから切り離したの。つまり……こういうことになっても、誰も助けには来てくれないわよ? そう、誰の邪魔も入らない」


 突然、轟音と共に風が舞い上がった。

 そして、激震。

 風圧の中で自然と、羽継は自分で静流を守る。

 だが、まるで彫像のように黙した静流は、普段の元気も柔らかさもなかった。ただの冷たい輪郭、彼女の外側だけがそこにかたどられているだけだ。

 それでも、羽継は舞い上がる砂埃すなぼこりから彼女を庇う。

 そして、振り向く肩越しに見た。


「なっ……おいいっ! 待て待て、待てって! なんだよ、それ」


 そう、そこには巨人が立っていた。

 静止した世界の中で、女と羽継の他に動いている。

 全高はゆうに7mはある。そして、人の姿をしているが、全身が筋肉で膨れ上がったプロレスラーのようだ。勿論もちろん、角ばった金属で覆われた姿は機械、つまりロボットだ。

 甲高い駆動音と共に、その鉄巨人はこちらへ一歩を踏み出した。


「あの人のかたき、取らせてもらうわ……そして、ついでに世界も救ってみせる。やりなさい、モビルタイタン!」


 羽継の前に今、迫る死がそびえ立っていた。

 その巨大な躯体くたいが広げる影に、飲み込まれる。

 こんな時、走って逃げればいいのに足が動かない。完全にすくんでしまって、ひざがガクガクと震えた。

 だが、ふと頭の奥から声がする。

 師匠と慕った男の声が、その教えが響いてくる。


「クソォ、なんだってんだよ!」


 ――あきらめだけが人間を殺す。

 その男、御影四郎ミカゲシロウは教えてくれた。武道もサバイバルも教えてくれたが、一番叩き込まれたのは気持ちのありかただ。どんな局面でも、諦めてはいけない。人は諦めを感受した時、本当に終わってしまうのだと。

 その意味がようやくわかって、羽継は身を投げ出す。

 アスファルトに無様に転がれば、先程まで自分がいた場所に鉄拳が振り下ろされていた。

 えぐれた道路から右腕を引っこ抜き、モビルタイタンと呼ばれた巨大ロボットは再び迫る。


「クッ、どうすれば……冷静になれ、冷静になるんだ!」


 打開策を頭の中に探して、立ち上がろうとする。

 全身の力が漏れ出てゆくようで、入れ替わりに絶望が這い上がってきた。

 だが、必死にあらがう中で羽継は、とある言葉を思い出す。


 ――おお勇者よ、死んでしまうとは情けない……マスターはわたしが守ります!


 反射的に羽継は絶叫していた。


「あのダメロイド! 回想なのに細部が全然違う喋りじゃないか、クソォ!」


 迷っている暇はなかった。

 リュックサックを放り投げるようにして下ろし、中からバインダーBinDERを取り出す。それは、あのマキナが大事なものだと言っていた品だ。よく、あの手の雑誌は創刊号にバインダーがついてくる。

 震える手で開けば、光が広がった。

 それを見た例の女が、表情を引きつらせる。


「むっ? な、何故……どうしてそんなものを!? それは――」


 だが、構わず羽継は叫んだ。


「マキナッ! 助けてくれ! お前の力が……お前が必要だ!」


 情けない話だが、他に手はなかった。

 そして、次の瞬間……開いたバインダーから天へと光条ひかり屹立きつりつする。

 そのまばゆい輝かしさの中から、ゆっくりと少女が現れた。


「呼ばれて飛び出て、ズババババーン! ツヨキャワ☆カノジョイド、その名もマキナッ! マスターのためにただいま参上!」


 しゅたっ、とマキナが目の前に舞い降りた。

 同時に、羽継を踏み潰そうと迫る鉄塊の足を受け止める。

 華奢きゃしゃなマキナの身体が軋んで、その足元が音を立てて陥没した。


「うっ! ぐぐぐ、んぎぎ……うおおっ、高まれ女子力!」

「マッ、マキナ! お前」

「マスター、バインダーを! そう、バインダー……バディBodyインinダイバーエントリーライドDiver Entry Ride! おっしゃあ、いつでもカモォーン!」


 アーリィフレームと呼ばれる、マキナの仮の身体。その全身が光り始めた。

 溢れ出るまぶしさが、あっという間に羽継を飲み込むのだった。

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