第2号「週刊カノジョイド!爆誕!」

 激しくドアをノックする音。

 この場合、返事はいつも無用だ。

 ドアの向こうの女の子は、返事を待たずに入ってくるからだ。混乱と焦りの中で、野上羽継ノガミハネツグは胸の中の声を強く抱き締める。


「マスター、お客様ですよ? はーい、今出まーす!」

「ばっ、馬鹿野郎!」

「野郎は酷いですよぉ。あと、馬鹿って……真実は時として人を傷付けます! ……まあ、わたしはカノジョイドなんですけど。てへぺろ!」

「とにかく、少し黙ってくれ!」


 カノジョイド、とは?

 だが、今は目の前の驚異、もとい背後から襲い来る驚異が先だ。

 絨毯じゅうたんの上に広がるピンク色の髪を集めて、完全に羽継は自分の下にカノジョイドとやらの頭を隠した。

 同時に、ドアがバタン! と開かれる。

 そっと肩越しに振り返れば、ツインテールを揺らした小さな少女が立っていた。


、大丈夫!? 帰ってるよね! 入るよ、ってか入った! 無事だね、バツにぃ!」


 羽継には妹がいる。

 三つ年下の中学二年生、野上真璃ノガミマルリだ。

 真璃はとても優しく気立てがよくて、羽継と違って勉強もよくできる。だが、彼女は見ての通り普通じゃない。


「お、おう、真璃! ど、どした? なにもないぞー、ハハハ……」


 ――バツにぃ。

 真璃だけじゃない、親しい友人もみんな羽継のことをバツと呼ぶ。羽継と書いてバツと読めなくもないし、それ以上に彼にバッテンな特徴があるからだ。

 思わず羽継は、真璃を見上げたままひたいに手をやる。

 いつも前髪で隠しているが、小さな頃からそこには十字傷がある。

 どうやってついたのか、いつからあるのかはわからない。

 親さえもその瞬間を知らない、謎の刻印スティグマだ。


「バツにぃ、今ね、今……御影ミカゲのおじいちゃんちが爆発したって! あたしね、ビックリしちゃって。でも、バツにぃが無事でよかった。心配したんだから! ……あんなことがあったあとなのに、おじいちゃん……」


 羽継が聞いても、真璃は御影四郎ミカゲシロウの安否を知らなかった。

 無理もない、今も周囲をサイレンが囲んで大合唱だ。

 外には野次馬やじうまがひしめき、炎の光は窓の外で揺れていた。


「あんなこと、か……もう一ヶ月だよな」

「うん……でもっ! バツにぃ、最近は元気になった! あたしはそれが嬉しいの! きっとおじいちゃんも無事だよ。ガス管かなんかが爆発したとかさ、ね? ……ねえ、無事だよ、ね」


 確信も根拠もなかったが、羽継は妹のためにうなずいた。

 今はそう信じたいし、これ以上の不幸は沢山だ。


「おじいちゃん、天国でマリアさんと……なんての、ヤだよぉ」

「大丈夫だ、真璃。心配すんなよ。あのじいさんのことだ、ひょっこり無事に現れるさ」

「……おじいちゃん、強いもんね」

「おうよ! 俺の師匠だぜ? 空手に柔道、虫取りとか木登りとか、あとは隠れんぼに」


 四郎の孫娘、マリアは死んだ。

 あれは、とても酷い交通事故だった。

 そして今、うずくまる羽継の胸の下にその笑顔がある。宅配便のダンボールから現れた、謎の美少女の頭部……それは、

 今も羽継は、胸に傷を負っている。

 しかも、その痛みを分かち合っていた四郎まで、突然の爆発で……いや、真相はまだわからない。希望を捨てるな、諦めだけが人をダメにするといたのは四郎だったはずだ。


「ところで……バツにぃ? どしたの? あっ! おなか痛いの!? 平気? さすろうか! 人工呼吸する? 心臓マッサージするなら、あたしの胸に触って! ほら!」

「ま、待てっ! 待てよ妹、真璃よ……な、なんでもないんだ」

「でも、なんか様子が変。なんでもあたしに言って、バツにぃ! あたし、ずっとバツにぃの側にいるから! 最後まで面倒見て、介護する覚悟だから!」

「いや、それはいい」

「こうしちゃいられないわ、バツにぃ待ってて! 今、栄養のつくものを……おかーさん! おかーさんっ、バツにぃがー!」


 バタバタと真璃は出ていった。

 恐ろしいまでの兄妹愛きょうだいあい、ただし一方通行な上にゆがんでいる。兄恋しの一念しか頭にない真璃は、それでもいつも羽継を支えてくれていた。

 そんな彼女を、突然の非日常に巻き込む訳にはいかない。

 そう思っている時点で、もう羽継は異変を察して自覚していた。

 足音が階段を降りてくのを確認してから、身を起こす。


「プハー! 苦しいですよ、マスター。どうしましたか? 妹さんですか? 攻略対象ですか? わたしにとってライバルになりそうですね!」

「う、うるさいよ……で? お前、なんなんだよ」


 ニコニコ笑いながら、マリアにそっくりの頭が浮かび上がる。

 彼女は羽継を見下ろす高さに対空すると、待ってましたとばかりに言い放った。


「わたしはカノジョイド、名前はマキナです!」


 マリアではなく、マキナ。

 だが、ふんわり小さく上下する彼女を見上げて、羽継は察した。マキナは首から下がない。その代わり、首から何本ものケーブルやコードが垂れ下がっていた。


「カノジョイド……つまり、マキナはロボットなのか」

「ちっ、がい、ますっ! 言うなれば、わたしはアンドロイド! ロボットではありません! ロボットとアンドロイドは、おでんとポトフくらい違うものです!」


 例えがいまいちわからないし、どっちも煮物では? と思ったが、羽継は黙っていた。

 マキナは鼻息も荒く、フンスフンスと羽継の顔に迫って話を続ける。


「週刊カノジョイドは、毎週木曜日に届きます! ……でも、マスターって御影四郎さんではないですよね?」

「あ、ああ。そのことなんだけど」

「大丈夫です! わたしがマスターと認識できているんで、問題なく造られてみせます! 立派な彼女として完成するので、期待していてくださいっ」

「お、おう。……顔、近い」

「あ、チューはまだ駄目です! まだ彼女ではないので」


 彼女ではないので、は関係性ではなく物理的な肉体の話である。

 しかし、今どきはこんなものも売ってるのかと、羽継は驚きを禁じ得ない。本当にマキナは、首からぶら下がる配線がなければ完璧に人間である。瑞々みずみずしい肌は白くて、まるで淡雪あわゆきのように透き通って見えた。

 思わず見詰めてしまったので、マキナはフフーンと鼻を鳴らす。


「おっと、マスター! いけませんよ? わたしの造形が素晴らしいからといって、そんな目で見てはいけません。全ては私の全身が完成してからです!」

「いや、そんな下心ないし。……けど、似てるの、ずるいよなあ」

「似てる? そういえばさっきも話してましたね。マリアさんとは?」

「ま、まあ……ほら、お前を買ったじいさんの孫娘なんだよ」

「あ、なーる! 因みに今のは『ああ、なるほど』という意味で、決してお尻の」

「わーっ! わーわー! お前なあ、なんなんだよ、もう!」


 マキナと名乗ったこのポンコツ、かなりイイ性格をしている。

 この辺は、マリアとはまるで別人だ。

 マリアはその名の通り、聖母のような人だった。いつでも優しくて、慈愛に満ちていた。

 そんなマリアが、羽継は好きだった。

 そう、初恋だったのだ。

 それが今、見た目だけは完璧にマリアなマキナがいる。

 しかも、首だけで。


「ん? どしましたか、マスター」

「いや、別に」

「と言って、極めて平静を装う羽継だった。……で、なんでバツにぃなんですか? お兄ちゃんって呼ばれる方がロマンありません?」

「うるさいなあ、ほんとに。……ほら、これだよ」


 羽継は伸ばした前髪をかきあげる。

 額には、欠陥や失敗を示すようなバッテンが刻まれていた。

 そこだけ何年経っても消えない傷で、周りの肌から変色して浮き出ている。

 それを見たマキナは、いかにもというわざとらしさで「おおー」と驚いた。


「羽継でバツって読めるからもあるけどな。でも、物心ついた頃にはこの傷があった」

「ほうほう……なんか、主人公っぽいですよね! 殺さずの人斬りみたいな!」

「な、なんだよ」

「おろろ、知らないでござるかあ。……あ、マスターってば結構コンプレックスですか?」


 別に、言うほど気にしていない。

 最初はバツだバツだとからかわれるのが、嫌だった。でも、そんな彼を救ってくれたのもまた、マリアだった。彼女の話を聞いてから、むしろ額の傷は羽継のトレードマークになっていたのである。

 だから、親しい人にはバツと呼んでもらってる。

 羽継の胸には、マリアの言葉が今も生きているのだ。


「それよりお前、マキナさ。お前を返品するから、会社の連絡先を教えて――ッッッッ!?」


 それは不意打ちだった。

 突然、急接近したマキナは……ぺろりと羽継の額をめた。

 舌の少し濡れた感触が触れて、背筋を刺激的な電流が駆け上る。


「なっ、なにしたお前っ! 今のなんだよ!」

「ほら、言うじゃないですか。ツバつけときゃ治るって。あ、でもカノジョイドとしてツバつけときましたから。ふふ、マーキングです! あ、わたしへのマーキングはちょっと待ってくださいね。週刊カノジョイド最終号にデカールがついてきますので!」


 トンチキなことを言いながら、マキナはあどけない笑みを浮かべた。

 マリアが時折みせる、つぼみほころぶような笑顔ではない。

 もっと純粋で無垢むくで、子供みたいな笑顔がそこには浮いているのだった。

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