それでも前に立つ意志
(緋桜さん、マスター意識戻ります)
「ミステルちゃん!?」
今までずっと閉じられて居た瞼が、ぴくりと震え、ゆっくりと目が開かれた。少しの間呆然と中空を眺めて居たと思ったら……
「…………っ!」
ガバッと跳ね起きると、焦った様子で自分のお腹辺りを必死に触って……何ともないのを確認すると、不思議そうに首を傾げていた。
「……大丈夫、何もされてないよ」
嘘をついた。胸にちくりと痛みが走るが、それでもこれがきっとこの子の為だから。
東狐や狸塚とも相談して、満場一致で口裏を合わせることにしたんだ。
わたしの声に、視線が止まったと思ったら……まるで、信じられないものを見たような驚きの表情を浮かべたかと思うと……くしゃりと、この子にしては本当に珍しく、恐怖と安堵、複雑に入り混じりどうしたら良いか分からないといった表情で、わたしの胸に飛び込んで来た。
「〜〜〜〜っ!! 」
そのまま、声が出ていたらわんわん泣いていたであろう勢いで、時々しゃくり上げたりえずいたりしながら、子供みたいに……いや、実際に子供なのだ、この子は……泣いている。
「……ごめん、ごめんね、怖かったよね……!」
辛い生き方をして来たこの子を、救い出した筈だったのに。
今後はいっぱい愛を注いで、暖かい世界に連れて行ってあげる筈だったのに。
また、傷付けてしまった。後悔が、ギリギリと胸を締め付け、それで少しでも恐怖が薄れてくれるならと祈りながら、泣き続けるこの子を強く強く抱きしめる。
――そうして、ようやくミステルちゃんが泣き止んだ頃。
「……さて、いつまでこうして無事を喜んでいる場合でもないな。実際問題、いつまたあいつが襲撃してくるか分からないんだろう?」
ぐしぐしと真っ赤に泣き腫らした目を拭い、まだ時々しゃくり上げながらも話に参加する姿勢を見せたのを確認し、東狐がそう切り出した。
……そうだ。まだ、取り戻しただけ。という事は、また取り返しに来るはずだ、それも万全の状態で。
『夜は、無いと思う。あいつは昼にしか行動しないから』
「昼だけ……? ああ、蝗が昼行性だからか」
ミステルちゃんが、壊れてしまった自分の携帯の代わりに、わたしの携帯に打ち込んだ文章に、東狐が相槌をうつ。
「……そういう所は普通の蝗と一緒なのね。っていうことは、朝方か……」
時間的な余裕があるのはありがたかった。少しでも休養が必要だ……皆、ボロボロだった。
「問題は、あの……あー、グラァバドーン? あいつがその子を餌としてターゲットしている、という事は、必ずまた襲って来るって事だよな……」
その東狐の言葉に、繋いでいるミステルちゃんの手がビクッと跳ねた。顔色が真っ青になり、カタカタと震え始める。
「……悪い、怖がらせるつもりじゃ無かったんだ」
「……大丈夫、誰も君を見捨てようなんて考えてないよ」
そっと抱きしめ、その背中を優しく叩く。ギュッと握られたわたしの服に、この子のがそれだけ、普段のように大人ぶろうと背伸びしている余裕すらなく追い詰められている事が見て取れた。
「そうだねー……それは、絶対駄目。心情的な理由以上に、この子を餌にされたら、あいつは手がつけられなくなっちゃう」
「向こうの戦力的にも、こちらの戦力的にも、な。口惜しいが、最大戦力はその子で、私達は戦力にもなれん」
二人が、そう賛同する……もう、この子を戦わせたくなんて無い。しかし、状況がそれを許さなかった。
――魔神将……『飢餓』のグラァバドーン。
無数の漆黒の蝗の魔神が寄り集まった、見上げるほどの巨人の姿をした魔神。
「ただ通り過ぎただけで、周囲一帯食い尽くされた不毛の地にしてしまう、最悪な一体……か」
……その存在の詳細がミステルちゃんによって語られ、部屋に重い沈黙が落ちた。
「もし……もしもだよ? それが、完全に復活……顕現したら、どうなるの……?」
震える声で問いかける狸塚のその質問に、少し悩んだこの子は……
『この街は、たぶん明日には地図から消えるとおもう』
そう、書いてみせた。絶句する二人……だけど、先程考え込んだ様子を見ると、かなりオブラートに包んでいる言葉に違いない。
「あ、あはは……何て言ったらいいのかな……」
「今までそれなりに戦闘経験はあったと思っていたが……そんな奴まで、居るのか……」
二人が、引き攣った笑いを浮かべる。
……できれば、タチの悪い悪夢であって欲しい。そんな、まるで現実味の無い話だった。
『あの』
青い顔でしがみついていたミステルちゃんが、再び震える手でノートに文字を書いて何かを言いたそうにしている。
「ん? どしたの、ミステルちゃん」
『ひとつ……付け入る隙はあるとおもうの』
「「……本当に!?」」
身を乗り出して食い付く二人に言葉を続ける。
『あの魔神将は、まだ本体の……頭脳の顕現ができていないの』
「でも、話を聞くと……相当、悪辣に痛いところを集中して突いてきたのよね?」
その言葉に、横から、ひぅ、と変な呼吸音が聞こえてきた。手の震えが強くなったのを見ると、おそらく襲われた時のことを思い出してしまったに違いない。
それでも、必死に何かを書こうとしているこの子を、ぐっと抱きしめて慰めたくなる衝動を堪えて見守る。
『それは、兄』
一度、その言葉をぐしぐしと鉛筆で消して、書き直した。
『レドルグが、コントロールしてるんだと思う』
「あの魔神か……だったら」
その言葉に、ミステルちゃんが頷く。
「あのいけすかない男をぶっ倒せば、あとは残ったグラァバドーンは、ただの統率を失った蝗の群れになる……?」
「それなら、統率されて動かれるよりは、ずっと相手にしやすい……かなぁ?」
「それでも危険だと思うが……正直、私はあいつにも敵う気が全くしないぞ」
申し訳なさそうに、挙手して東狐が告げる。それ以前に、そろそろ薬も切れる頃らしく、時折辛そうにしている東狐をこれ以上酷使は無理だ。
「……それは、私も一緒。それに、話を聞いていると、私も蝗の群れの中で戦える手段も無い……ごめんね」
狸塚も、これで剣を使ったインファイターだから、ミステルちゃん同様……いや、それ以上に相性が悪い。何よりも、狸塚も相手にとってはご馳走の可能性が高い。
「……実質、まともにやり合えるのはミステルちゃんだけか……向こうはそれを踏まえて、この子に相性が悪い蝗の群れを連れているのが問題だ……」
――重苦しい沈黙が降りる……そう、これが私たちとミステルちゃんとの間に立つ壁。
それだけ、わたし達とこの子の間には戦闘力に開きがあり、そのミステルちゃんが、負けたのだと……その事実が、重く伸し掛かる。
――だけど、わたしは……
「あの、グラァバドーンさえ居なければ、レドルグ自体には勝てるのね?」
『必ず、倒す』
キッパリと、断言した。ならば、やる事は決まっている。
「……なら、私がやる。ミステルちゃんは、私が守る」
――わたしは、逃げない。逃げたくない。
「緋桜……」
「緋桜ちゃん……」
絶句した友人達。ミステルちゃんが、目を見開いて、驚いた様子で私の服を掴む。まるで、引き留めるように。
だけど、今回ばかりは絶対譲る気は無い。怯えている妹にだけに任せるなんて、嫌だ。誓ったのだ、今度こそ守るって。
――私は、この子のお姉ちゃんに、そして子供っぽいと笑われても良い、この子の――になりたい。
それは、胸に灯った強い望み。
「それに……勝算がない訳でもないし。私が使うのは炎だから、小さな虫の群れ相手なら相性で有利を取れる。そうよね、レティム?」
ずっと、この小さな使い魔が何かを言いたげにしながらも、黙っていたのは理解していた。きっと、
(……その通りです、この中で、あいつに勝てる見込みがあるのは……緋桜さんだけです)
「……っ!?」
私の腕の中で、ミステルちゃんがレティムを睨むように、非難の眼差しを送っている。気まずそうに、レティムが視線を逸らした。
「レティムを責めないであげて……何と言われても、私はこの役目を譲る気はないから」
私の目を呆然と見つめた後……諦めたように、ミステルちゃんが視線を伏せた。
「……ふぅ、なんて顔してるのよ、私は別に自暴自棄になった訳じゃないし……むしろ、絶対に一人も欠けず、皆で日常に帰る気なんだから」
くしゃりと、俯いたままのミステルちゃんの髪を撫でる……ちょっと傷んできてるかな、うん、もう一個やらないといけない事が増えた。
しばらくそうしていると、根負けしたのか、私の撫でていた頭が小さく頷いた。
「決まりね。私は何としてでもあの蟲たちからミステルちゃんを守る……あの男は、任せても、いい?」
しばらく、視線を彷徨わせていたが、それでも……こくりと、頷いた。
……これ以上、話は出ないな。すっかり黙り込んだ緋桜とミステルを見て、頃合いだと切り出す。
「さて、それじゃやる事は決まったな。まず、お前らは出来るだけ休め」
「こら、東狐ちゃんもでしょ。いい加減、お薬も切れているんじゃない?」
実際に戦うことになる二人を気遣ったつもりが、スポーツバッグからゴソゴソとスーパーのビニール袋を取り出していた狸塚に、聞き咎められ、怒られた。しかし、正直なところ、すでに全身がギシギシと悲鳴を上げている。
「……それじゃ、二人は隣の私の部屋を使って。私は、この子に付いてるから」
「……悪い、そうさせてもらう」
「何か冷めても食べれる、簡単に摘める物を作っておくから、気が向いたら食べておいてねー。緋桜ちゃん、キッチン借りるね」
「……うん、ありがと」
緋桜達を残し、狸塚と部屋を出た私は、子供部屋の扉を閉じる。
少し話したい事があった。痛む体を押して、キッチンに向かう狸塚に語りかける。
「なぁ、狸塚」
「なぁに、東狐ちゃん」
――その返事の、震えている声の調子には、あえて触れない事にした。
「凄いな、緋桜は……あんな迷い無く、立ち向かう事ができて」
「あはは……それが、緋桜ちゃんだから……だから私も、自分の立場より、あの子の友達でいる事を優先したんだもの」
「……そうだったな」
出会った当初、初等部の時の事を思い出した。
連日のように私と喧嘩し、緋桜に付きまとっては宗教勧誘に勤しんでいた狸塚。あの頃は、正直なんだこいつふざけんな、と思っていたのに、気が付いたらいつも三人一緒で……
「……会ったばかりの頃は、本当に酷かったもんな、お前」
「あー! 人の黒歴史に触れるの止めてって、言ってるのに!」
苦笑する私に、食ってかかってくる狸塚。こんなやりとりも、いつもの事。
……いつもの事、だった。
――いつの間に、緋桜の背中はこんなにも遠くなってしまったのだろう。
「……悔しいな」
ポツリと、そんな言葉が口をついて零れ落ちた。
ポタリポタリと、目の前を歩く狸塚の方から水滴が床に落ちる音が嫌に響いた。
緋桜は、自分が守りたい物を明確に定め、強くなった。
そして、そんな緋桜が守りたいと決めたあの子……あんな小さな子が、一度は散々にやられた相手に、震え、怯えて、それでも歯を食いしばって立ち向かおうとしている。
だけど、私は何だ。戦力外……同じ土俵に立つ事すら許されない。
「……強く、なりたいな」
「……そうだね……悔しいな、東狐ちゃん、本当に悔しいよ……っ」
ポタポタと、涙を零しながら声も立てずに泣く狸塚を軽く抱き、肩を貸しながら……ただ、私達は、二人、無力感を噛みしめるしか無かった――……
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