報告、相談



「はい、ミステルちゃん。あーん」


 数滴お醤油をつけた、剥き身の蟹の足が突然眼前に差し出され、咄嗟にぱくりと口に含む。途端、ジュワッと口の中に広がる旨味。

 そこで、またやってしまった事に気が付き、恥ずかしさで俯く。顔が熱いです。


「……本当に、条件反射なのねぇ」

『お姉ちゃんのいじわる』


 にへら、と緩んだ顔で向けられる生暖かい視線に、いたたまれなくなって文句を綴った帳面で顔の下半分を隠す。


 結局、あの後は周囲の人の視線が中々途切れなかったため、荷物を置いて戻ってきたお父さんと合流すると、逃げ込むように個室のある和食のお店へと避難しました。


 お刺身や先程の蟹の鍋、小さな七輪で今まさにグツグツ音を立てて焼かれている、バターの香りが漂って来る貝まで。掘り炬燵のあるお座敷で、テーブルに並べられた様々な海鮮料理を堪能していました。


 ……あまり人に聴かれたくない話をする為とはいえ、最初の予定だったフードコートに比べ、随分豪華になってしまいました。







「……俄かには、信じがたい話ですが」


 頭痛を堪えるかのように、先程まで私達の話を聞いてからしばらく顔を顰め、黙り込んで居たお父さんがようやく再起動しました。


「話を整理しますが、その……えーと、『魔神』っていうのは、神力……ですか? そういうものを持っていないと見つけれないものなのですか?」

「……(こくり)」


 お姉ちゃんがあの虫の姿を見つけられなかった事から、おそらく間違いないでしょう。


 前の世界はそのような事はありませんでしたが、それはおそらく向こうは大気中に魔力や神力が満ちていたのに比べ、こちらの世界にはそれが皆無な為だと考えられます。


 だから、少しだけ大気中に私の力を拡散させただけで揺さぶられ崩壊するような微弱な力しかない隠蔽でも、姿を隠していられたのでしょう。


 ……相応に、弱体化もしていますが。おそらく姿を隠す手段は、力を落とした身を守るために、こちらで身に付けた手段だと思われます。


「私達のような『魔力』を扱う訓練をした魔法使いでも、その『神力』、あるいはそれに類する力を持つものでなければ見ることも触れる事も叶わないのですね……?」

「……(こくり)」


 正しくは、姿を隠している力の弱い者は、ですが。

 あれは、あくまで魔神の手足となり行動する眷属でしかありません。精々が、取り憑いた生物の精神を侵し、変貌させる程度の力でしょう。

 あのような眷属ではなく、魔神本体であれば、その気になれば現実に強く影響を与える……あるいは、物理的な力を持って顕現してくることも不可能ではないかもしれないと、訂正を加えておきます。


 ……正直、突拍子もない話だと思いますので、果たして信じて貰えるかどうか。


「なるほど……貴女が、一体何処からその知識を得たのか、という点は気になりますが……分かりました、信じましょう」


 さらっと肯定された事に、逆に驚愕する。


『信じてくれるの?』

「ええ、まあ、貴女も緋桜も、つまらない嘘をつくような性格ではないですからね。二人が口を揃えて言うならば、私は父として信じましょう」


 にっこりと笑いかけて来るお父さんに、私とお姉ちゃんが息を吐きます。

 普段の行いって大事。お姉ちゃんは、面と向かって褒められた事に照れて頰をぽりぽり掻いていました。


「それに、気になっていた事もありましたからね」

「……あー。あの人たちか。なんかこっちをやけに敵視してるから苦手なんだよなぁ」


 二人で何かわかり合っている様子に、首を傾げます。


「そうですね、貴女こそ、無関係ではないので知っておくべきでしょう」


 真剣な様子で居住まいを正したお父さんに、真面目な空気を感じて箸を置いて向き直ります。


「……我々魔術師とは違う、信仰による加護の力を振るう祓魔師エクソシストたちが集まっている、とある修道会の者達が……数年前、ちょうど私が緋桜を引き取った頃からですね。やけに活動が活発化していまして」


 そのとある修道会の者達が頻繁に街で目撃され、その近辺では突然通行止めとなり人払いされる事も多く……お父さんが伝手で集めた内密な話では、怪我などで入院した者もかなりの数に昇っているのだそうな。


「先程の話を聞く限り、おそらく彼らであれば、見る事ができる者も居るのでしょう。秘密裏に何かを処理しているという話を耳にはしていましたが、もしかしたら無関係ではないのかもしれませんね……」


 そのような者たちも居るのですか。ですが、それならば可能性は高そうです。


「……何か、貴女がその場に居ない時でも対処できそうなものを準備できないか調べてみましょう。その時は、もしかしたら協力をお願いするかもしれませんがいいですか?」

『まかせて』

「……すみませんね、本当はこういう荒事とは無縁な生活を送らせてあげるつもりだったのですが」


 申し訳なさそうに謝るお父さん。だけど、お姉ちゃんやお父さんのためにできることがあるのであれば、協力を惜しむつもりはありません。


「それと……貴女のことも、修道会には秘密にしておくべきでしょう。きっと彼らにとっては垂涎の存在でしょうから……能力的にも、それと偶像的にも」


 私の『魔法体化エーテライズ』は、見た目がまさに天使そのものですから、尚更でしょう。偶像崇拝禁止が聞いて呆れるものですと、溜息をついて愚痴るお父さん。


「神子信仰なんて過去の迷信、と以前であれば鼻で嗤っていましたが、貴女は実際に、そうした力を示してしまって居ます。そうした面倒ごとに巻き込まれる可能性がある、という事は重々認識しておくべきでしょう」

「……(こくり)」


 真剣な顔で真っ直ぐこちらを見つめて言われた内容に、頷きます。


「……と言っても、緋桜と同じ学校に通う場合、会うのは避けて通れないんですよねぇ」

「あー……うちの学校の理事長だっけ、あの修道会の一番偉い人。私も勧誘未だにされてるからなぁ……ひっ」


 何気なく呟いたお姉ちゃんですが――その瞬間、周囲の気温が少し下がった錯覚を覚えました。

 ダラダラと、冷や汗を流し始めお父さんの様子を気にし始めたお姉ちゃん。


「ほう? ……どうやら、彼女とは一度ゆっくり『お話』しないといけないみたいですね」


 おかしいです、表情はいつもどおりの穏やかな笑顔のはずですが、冷や汗が止まりません。

 何やら不穏な空気を滲ませ始めたお父さんに、薮蛇を突かないようにしようと内心誓いながら、その空気から逃避するように、ほっけの焼き魚をつつきました。


 ……あ、塩加減が好みな感じで丁度良くて美味しい。そんな、現実逃避にふけるのでした。





 普段は優しいお父さんですが、怒らせてはいけない。そう、心に刻みました。

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