ミスティルティン
【前書き】
ミステル→東狐→???→ミステルの順に視点が変わっています
【本文】
「うん、ここまで離れれば大丈夫、かな?」
お姉ちゃんがそう言って私を抱く手を緩めると、炎一色に包まれた視界が晴れる。傍らからドサリと別の音がしたのは、緋桜がもう片手に引っ掴んでいたレドルグの依り代……兄をその辺の地面に放り投げた音か。
お姉ちゃんが私達を抱き、焼き払いながら強行突破してきた蝗たちの群れは大分遠ざかり、今は無秩序に滞空しているだけで目立った動きは見せていない。頭脳を代行していたレドルグが消えたことで、突如指揮系統を失いその動きを止めていた。
しかし、放置しておけば、やがて再度動き出すだろう……今度は統率を失って、文字通りの
「……さて、統率したレドルグは倒したとは言っても……アレ、どうにかしないといけないよね」
お姉ちゃんの視線の先には、大幅に数を減じたとはいえ、未だ無数に飛び回る黒い霧のような蝗の群れ。
「……ちなみに、アレ、放っておくとどうなるの?」
(……もうすぐ、この裏界も崩壊する……そうしたら、あれは現実世界に解き放たれてしまう……と思う)
「そっか、放っておくわけには行かないか……どう、まだいけそう?)
少し、考えて……首を振る。もう、魔法体化が維持できそうにない。末端部分から終了が始まっている。もう立っているのも正直に言うと辛い、そんな私の様子を見て取ったお姉ちゃんが、さっとベンチに腰掛けさせてくれた。
「……それじゃ、わたしがやるしかないね、キミにずっと力を借りていたおかげで、まだまだ余裕があるし」
そう言って、屈伸運動を始めるお姉ちゃん。だけど、今更ながら、違和感に気づいて声をかける。
(ところで、お姉ちゃん……その髪)
「ん? ……って何これ!?」
お姉ちゃんの髪は、いつもの戦闘時の赤ではなく、その中程までが金色に染まっていました。
(何か、体に違和感とか、無い?)
「そういえば……いつもよりずっと力が湧いてくるような。てっきり君の力のおかげだと思ってたんだけど」
(私は、もう余裕も無いからお姉ちゃんに供給してないよ。だから、それはお姉ちゃん自身の力)
……おそらく、過剰供給された私の力に、一時的に未使用の潜在能力が刺激され、緩やかな暴走状態なんだろう。あくまで一時な物。リンクを閉じれば、緩やかに元どおりに戻っていくはず……でも、これならば――
(待って、お姉ちゃん)
「……ん?」
(今のお姉ちゃんなら……多分、大丈夫だから。
私の言葉に、私の前世の記憶を見たお姉ちゃんが、驚きに目を見開かせる。
「……いいの? だって、それは…‥」
(うん、良いよ。ヒオウに託されたものだけど……緋桜になら、お姉ちゃんになら、いいよ)
本当は、ヒオウに返却された時点で、二度と誰にも委ねるつもりは無かった。
だけど、今、私はその決意を翻す。私の意志で、私の二人目の、誰よりも守りたい人のために。
「そっか……うん、分かった」
覚悟を決めて頷いたお姉ちゃんに私も頷き返し、手にした杖を、一度体内に戻す。そうして、胸の前に両手を当て、扉を開けるように、開く。
その私の両手の間に、輝く魔方陣が現れ……そこから頭を覗かせたのは――剣の、柄。両手で持つための物ような、私の腕くらいの長さの、剣の柄だった。
(……もう一度、新たな所有者に託します……
――ミスティルティン……何よりも弱かったがゆえに、神殺しを成し遂げてしまった小さなヤドリギの新芽。
それを、前世の私とヒオウが丹念に育て上げ、鍛え上げた光の剣。これが、ヒオウの守護者であると同時に、ヒオウの剣そのものであり、その管理者でもある前世の私の本当の姿。
緋桜の手が、私が胸に抱いた剣の柄を掴む。
(……ぅ……ぅあっ!?)
ずずっとその柄が引き抜かれていくたびに、全身から、ヤドリギの枝を核として私の体の隅々に張り巡らせられていた魔法が抜き取られていく感覚。その全てが柄に集まり、その刀身を形成しながら、かつてのヒオウの、そして今は緋桜の、文字通りの剣となって、私の体から抜かれていく。
……苦痛はない。
誰かに身を委ねる安心感と幸福感が全身を駆け巡り、歓喜に体が跳ね、声が漏れそうになるのを必死に堪える……だって、恥ずかしいし。
そうこうしているうちに、とうとうその切っ先まで完全に構成され、しゃらんと、光が箒星のように尾を引いて、私の胸から離れていく。
魔法体を全て剣にして託した私は、これでもう今は何の力もない女の子、ミステル・ヴァレンティンでしかない。
――天使でも、神子でもなんでもない、本当に何の力も無い、頼りないちっぽけな人間の体。だけど、恐怖心は無い。
「これって……」
呆然と、いつの間にかその装いを変じた自分の姿を見下ろしている緋桜。
白を基調に赤のラインで彩られた、ドレスに鎧を組み合わされたような可憐な衣装に身を包む自分の姿に見入っている。
手には光で構成された、精緻な意匠の、細身ではあるが刃だけでも私の身の丈くらいはあるの剣が握られ、その背には、私の時にも存在した光輪が、一定のリズムを刻んで回っている。
「あはは……なんだか、ファンタジー過ぎて照れ臭いね、これ」
(大丈夫、似合ってるよ、お姉ちゃん。どう、違和感とかは無い?)
「うん、大丈夫、感じるよ、君に守られているって……ところで、これ、多分だけど……時間制限とか、あるよね?」
(うん。今のお姉ちゃんなら……あと、三十秒くらいかな?)
「それは……」
お姉ちゃんが一瞬ぽかんとした表情を浮かべ、しかし次の瞬間には、凛々しい表情を浮かべて敵へと向き直った。
「……結構、余裕があるのね。それじゃ、行ってくる」
(うん、お姉ちゃん……いってらっしゃい)
気負いもなく駆け出したお姉ちゃんの姿が、掠れて見えなくなっていく。
その初陣の雄姿を見送ったことで、ギリギリでつなぎとめていた限界がとうとう訪れ、すぅっと意識が遠ざかっていく。
――でも、不安は微塵もないよ。
ベンチに体重を預け、目を瞑る。その直前に眼前で、視界一杯、空一面に広がった黄金の炎。紅の世界が、輝きに染められ、浄化されていく。
これで、私の仕事は全部終わり……きっと、目が覚めたらまた平穏な日々が再開されるのだと信じて、その意識を手放した――……
「終わった……みたいね」
恐る恐る、外の様子をうかがう狸塚。
邪魔にならないように、裏界化した家の中で様子を見守っていた私たち。すっかり静かになった外に出ると、空は、朝の清浄な空気に包まれた青空に戻っていた。
「だな……本当に、二人共、凄いな」
「あはは、そうだねー」
私達を守るかのように傍に佇んでいたわんこが、真っ先に平穏を取り戻した外へと駆け出していく。私達もそれに遅れて続き、人気の無い早朝の道を、二人並んで歩く。
「……今度は、ちゃんと力になってやりたいな」
「うん、頑張ろうね、東狐ちゃん」
すっかり泣き腫らした赤くなった目で、それでも晴れやかに笑顔を見せる狸塚。どうやら、吹っ切れたみたいだ。
目的地には、僅か数分で到着した。人気の無い公園、先にこちらへ向かっていたわんこの視線の先にあるそのベンチには……
「全く、呑気に幸せそうな寝顔しやがって」
スヤスヤと、しっかりお互いの手を握り、安らかな寝息を立てている親友とその妹。とはいえ、今はもう夏も終わり、秋の朝。このままでは冷えてしまう事請け合いだ。
「……さ、早くベッドに連れて行ってあげよう?」
「仕方ねぇなぁ……しかし、これで何日休みだ、私ら?」
「えっと……出席日数足りるといいねぇ……」
乾いた笑いを上げている狸塚に、私も深くため息をついた……補修で勘弁してもらえるといいな、私ら三人とも。
平穏になったとたん、思い浮かぶのはそんな世知辛い話題。私らも大概現金なもんだ。だけど……
「ま、そんなことを悩めるのも、平和だから、か」
なんせ、数分前まで人知れずこの都市一つが地図から消え去るところだったってんだから。それに比べれば補習くらいは甘んじて受けてやろうって気分になってくる。やれやれと、背の低い狸塚に
「……そう、あのバカな子はやられちゃったの」
ふらふらと跳んできた、見覚えのある黒い蝗。主人を復活させるためと言いながら、その実、その力を振るうこと自体に心奪われていたあの様子を思い出し、嘆息した。
「――全く、
鞄の中からごそごそと、先程買ったばかりでほかほかと湯気をあげているたい焼きを取り出し、頬張ろうとして……ふと、眼前の蝗をひょいと摘まみ上げると、ぱくりと口に含んでみた。
途端に、口に広がる懐かしい味。つい何度も追い回してしまって、可哀想なことしたかも……と、今になって思うこともある、あの味がした。
きっと蝗がたっぷり蓄えていたんであろう、その懐かしい濃密な神力にぶるっと体を震わせる。お腹の奥が熱くなって、じゅん、と何かがしみ出してくるような感触がした。
「……ふぁ…………あぁ、やっぱり美味し。頼んだらまた食べさせてくれないかなぁ……」
あの子も来ていたのね、また会いたいな、そんなことを考えながら、改めてぱくりとたい焼きにかぶりつき……さっきのアレのあとだとちょっと物足りないけど、我慢我慢。
さて、また遅刻したら怒られるし。面倒だなぁとため息をつきながら、目的地……学校に向かうため、駅の雑踏に紛れていった。
中心街では珍しい物を見たという視線を集める、ダークブラウンンのワンピース――
――目覚めたら、お姉ちゃんの顔がすぐ目の前にありました。
何だか物凄い既視感を感じながら周囲を見回す。たった数日ではあるけれど目覚めるたびに目にしている天井は、私の部屋でした。その、子供用にしては大きなベッドの中に、私達二人は寝ていました。
すやすやと安らかな寝息を立てているお姉ちゃんを起こす気にもなれず、いまひとつ状況が掴めずきょろきょろしていると、がちゃりとドアの開く音。
「……良かった、目覚めましたか」
入ってきたのはお父さん。あれ、でもまだ数日は出張のはずだったのにと、少し戸惑っていると。
「貴女は、丸二日、眠っていたのですよ」
そんなに……道理ですこし体が重いわけです。もともと弱い体が、さらに寝っぱなしで衰えたせいですか。
でも、なんでお姉ちゃんが一緒に寝ているの? と、目で訴えかけると、どうやら通じたようでした。
「この子も全身何故か凄い筋肉痛で、本当は安静だったのですけれど……貴女が目覚めるまで看病していると頑として譲らなかったので、一服お茶に盛って一緒のベッドに放り込んだのですが……嫌でしたか?」
ふるふると、首を振って答える。枕元に紙とペンが置かれていたので、正直な感想を書き綴った。
『あったかい』
「それは良かった。良い暖房器具になってくれましたね」
ちょっと酷いことを言ってるお父さんに、苦笑を返す。しばらく、そんなのんびりした時間を楽しんでいると……
「――私から、一つ、約束約束して欲しい事があります」
お父さんが、真剣な表情でそう切り出した。
「今後……貴女の、えぇと、
首を傾げる。しかし、お父さんの表情は、どこか必死さを滲ませた切実な物だった。
「一時間、二時間……その程度、意識を失うくらいならまだ許容できますが……今回みたいに、数日目覚めない、などという事が頻発すれば、きっと貴女にとって酷い負担になる……最悪、あの魔法体から帰って来れない可能性だってあるんですよ?」
……確かに。
私の今の体は、前世と今世が微妙に入り混じった不安定な物だ。いつどのような拍子で決定的な破綻が訪れるかは、知る由もない。
それに、私に何かあれば、きっとお姉ちゃんは悲しむ。それは本意ではないし、私もそんなに早く別れたいなんて思わない。
「とはいえ、自己責任と放り出すのは私の趣味ではありませんので……変化のプロセスの穏便化、今の貴女の状態を維持するための機能、能力の段階的なリミッターと、魔法体化の管理システム。この辺をなんとかできるようなものを私も何か用意できないか試してみます。それまで、決して無理はしない事。いいですね?」
願っても無いその言葉に、私は深く頷いたのでした。
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