間話1 はじめてのおしごと

 ――もう秋も半ば過ぎとなったある日。


 朝食も済んだ日曜日の午前中。

 まったりとした空気の中、お姉ちゃんと一緒にソファでくつろぎながら、早朝からやっているアニメや特撮作品をぼーっと眺めていると、不意にお父さんから外へ出かけると言われ……あれよという間に二人とも車に乗せられて、外へと連れ出されました。


 車は、慣れた様子で街を抜け、郊外寄りにある、店舗の立ち並ぶ一角の中の駐車場へと止まりました。


「さぁ、着きましたよ」


 そうしてお父さんに案内されたのは……家と同じ建築様式らしき、赤味を帯びた木組みと白亜の壁の建物。

 道路に面する側にはレンガの塀と植物のアーチが設けられ、柵からは小さいながらも秋の花が整然と咲いている庭が見て取れます。


 建物自体は周囲のビルなどと比べると比較的小奇麗に収まっていますが、各所に花や観葉植物が活けられていて、その外観には非常に手間暇がかけられていると分かります。


 そして……その多くが、色とりどりの薔薇。アーチにかかっている名前は……


「……『Rosengarten《ローセンガルテン》』、私が日本での経営を任されている店の本社です。それほど規模は大きくありませんが、最近では結構話題なんですよ?」


 そう、お父さんが自慢げに笑いました。





 そうして手を引かれて入った店内は、とても煌びやかな世界でした。


 色とりどりの生地に、趣向を凝らしたフリルやレースの数々。ともすれば少女趣味になりがちな服の数々だというのに、それらにはどこか大人びた品が感じられます。


 そして、それらの衣装を見栄え良く展示された店内は、どこか暖かな雰囲気を湛えていました。


 そんな別世界の衣装部屋のような空間を、つい周囲の衣装にに目を奪われながらも手を引かれるままについて行くと……


「あ、社長、お疲れ様です!」


 お父さんが奥に進んで行くと、一番近くに居た女性を皮切りに、周囲の店員さんらしき方々から声が掛かりました。


「ええ、皆さんもご苦労様です。すみませんね、定休日だというのに出社していただいて」

「いいえ、皆好きで来た者達ですから」


 どうやら従業員のまとめ役らしい、二十代後半くらいに見える女性が、にこやかにお父さんと会話しています。


「それで……その子が、例の?」

「ええ、私が引き取った、新しい娘です……ほら、挨拶なさい」


 そうでした。あらかじめ、言われた通りにメモ帳に書いておいたページを開きます。


『ミステル・ヴァレンティンです。今日はよろしくおねがいします』


 そう書かれたページを見せて、空いている方の手で軽くスカートを摘まんで頭を下げました。


「……か……可愛い……っ! 社長! 本当に、この子を撮って良いんですか!?」

「ええ、お願いします。いやぁ、私も楽しみだったんですよねぇ、可愛くお願いしますね」

「任せてください!!」


 拳を握り、鼻息荒く力説するお姉さん。最初は物腰穏やかな人だと思ったのに……


 そうちょっとがっかりしている間にも。


「ほら、ミステルちゃん……だっけ、こっち、こっち」

「綺麗にしてあげるからねー、お化粧の経験は?」


 優しく、だけど有無を言わさない強さで他のお姉さん方に店の奥の方へと引っ張られます……って、ちょっと待って!?


 何となく想像はつきましたが……私、まだここで何をするのか聞かされてないです!!

 そう、必死に緋桜の方に目で訴えかけます……!


「……あ、ごめん、説明忘れてた」

「……説明、お願いしていましたよね?」

「すみません……言ったつもりで忘れてました……」


 にこやかに、だが目の笑っていないお父さんに尋ねられ、すっかり小さくなったお姉ちゃん。

 そのお姉ちゃんにとてとてと駆け寄ると、服のお腹あたりを掴んで、ジーっと見上げてみます。


 ……ジト目で。


「本当……ごめん……」


 割と本気で泣きが入り始めたので、この辺で勘弁してあげる事にしました。






 ――そんな訳で、時間が押しているとの事だったため、支度をしながら改めて事情の説明を受ける事になりました。


「……というわけで、今度、子供服の方にも事業の手を伸ばすことになったのですが、折角だから出版部と協力して、大々的に特集を組むことになったんです」


 そう、説明を切り上げるお父さん。

 自社でファッション誌の出版までやっているのは吃驚です。


「……けど、なかなかモデルが見つからなくてねぇ。私達の取り扱っている服はロリータ系が多いけれど、どうしても値は張るし、大量生産品には無いしっかりした製品作りが売りだから……落ち着いた雰囲気の子を探してたんだけど。だから、本当に助かります」 


 そう、私の頬に軽く朱を指しながら教えてくれる、最初に案内してくれた女性……佐倉さん。

 彼女はどちらかというと出版部門の人らしく、今回撮影した画像が使用される予定の雑誌の編集長的な立ち位置の方らしいです。


 ちなみに、お化粧自体は軽く頰と唇に薄めの朱を指した程度。いくつか幻想的なものをテーマにした写真を数点撮りたいらしく、私の顔をあまり人工的な化粧で整えたくなかったらしいです。


「……とは言っても、他の人でやるならこうは行かなかったと思いますけどね……はぁ、なんて透明感のある白い肌……」


 細かなお化粧の調節をしながら、こちらが恐縮する程にそう褒めちぎっていた佐倉さんでしたが……ふと、その手が止まった。


「……?」


 どうしたの? と訪ねるつもりで、彼女を振り返って首を傾げる。


「……ごめんなさい、貴女はその身体に色々苦労していますよね……軽々しく言う事では無かったわ」


 そう言って、次は髪のセットを始める。

 しかしその動きは、先程までに比べどこか壊れ物に触れるようで、精彩に欠けていました。


 ……彼女はきっと、善良な人なのでしょう。


 そんな彼女の様子を見て、私は膝の上に置いてあったメモ帳を取って、伝えるべき事を書き、見せる。


『大丈夫。気を使ってくれて、ありがとうございます』

『可愛くお願いしますね?』

「……ありがとう。えぇ、任せて頂戴」


 そう言って、今度は真剣に私の髪を整えてくれる。


 普段はストンと真っ直ぐな髪に、ふわりと付けられる柔らかなウェーブ。

 所々にさりげなく花や花型のアクセサリーを混ぜ込まれて……




 ――十数分後……そこにはまるで、花か雪の精のような少女が鏡に映っていました。


「……どう、可愛くなったかしら?」


 呆然と座っている私の肩を支え、そう問いかけてくる彼女に、コクコクと頷く。


 ――あまり大きくいじった訳ではないのに……お化粧とヘアメイク、すごい。


 そう、心の底から思うのでした。










 ◇


 撮影は、順調に進んでいた……ように見える。

 ミステルちゃんは今着ている衣装での撮影は終わりらしく、今は休憩中。この後、また別の服に着替えて撮影を続けるらしい。

 そんなあの子はお父さんが甲斐甲斐しく世話を焼いているため、わたしは手持ち無沙汰になった。


 なので、雑誌にどのように掲載するか指揮している佐倉さんのところへと、話を聞きに来ていた。


「あの、様子はどうですか?」

「あ、緋桜さん。順調ですよ……というより、順調すぎるくらい。凄いですね、あの子」


 そう言って、ミステルちゃんを褒めちぎる佐倉さん。

 手招きされたので近寄ってみると、佐倉さんの眼前のテーブルには、試しにプリントアウトしてみたらしい写真が何枚か散乱していた。

 おそらく見てみろという事だろう。どれどれ……と覗き込んでみる。

 そこには……


「……うっわ、マジパネェですね」

「……ええ、マジパネェですよね」


 語彙力は死んだ。

 だが、仕方ないのだ。


 決して、被写体が悪いのではない。

 むしろその逆で……あまりにもインパクトがあり過ぎた。


 以前にネットで、海外のアルビノのモデルの女性の画像を見た事があるけれど……あの時感じたものと同様の衝撃。本当に、幻想的という言葉がしっくり来る。


 過去、特別な子供として、崇め奉られたり、逆に忌避されたりしたというのも……これを見てしまうと納得する。


 ……普段あの子を見慣れている筈の、わたしですらそう思うのだ。初めて見る人にはどれほどの衝撃だろう。


「……ファッション雑誌の片隅のコーナーに載せるような写真じゃないわね……もう、専用の写真集作れそう……」

「これとか……もう、小学生の発する色気ではないですよね……」


 そう言って佐倉さんが一枚差し出した写真。

 そこには、手にした小さな白い花を、物憂げに目を伏せて見つめるミステルちゃんの姿が写っていた。

 しかし……佐倉さんの言う通り、存在感が半端ない。


 まるで泣き出す寸前のように伏せがちな瞼。

 それを縁取る白く長い睫毛、奥にある赤い瞳を見つめるだけで、背筋がゾクリとするほどだ。


 雪をモチーフにしたという白いドレスコートと、その下に覗く甘めな冬用のワンピースと相まって……それはまるで、これから散りゆく花を憂う、冬の精の如き幻想的な光景となっていた。


 ……これから背景と合成する予定だというのに、すでにその背後に白銀の世界が幻視できるレベルで。


「本当……社長も、とんでもない子を見つけて来たものだわ……」

「何か、気になる事でも?」

「ええ、その……何というか……」


 佐倉さんもどうやら戸惑っているらしく、困惑の色が見える。


「この子……本当に初めて? 以前にも、モデル経験があったりしませんか? それも超本格的なやつを」

「それは、無いはずですが……何かあったんですか?」

「ええ、なんでしょう……見られ慣れているというか……こちらの指示に対して思う通りに動いてくれるし、ポーズなんかも、少し指示を出せば、ここだ、って思う所で何も言わなくてもぴたりと止まってくれるんですよ」


 その言葉に目を見張る。

 わたしが最初にここでお仕事した時は、慣れない事の連続でなかなか指示通りに動けず、多大な迷惑を掛けてしまったというのに。


「普段は……特に、そんなことは無いんですけど。写真も家ではあまり……」


 それは、彼女が数ヶ月前まで過ごしていたあの家でも一緒な筈だ。


「ええ、最初はおっかなびっくりだったんです。だけど、撮影が始まったとたんに雰囲気が変わって。まるで、今までずっと、周囲からどう見えるかを意識して動いてきた……それこそ、お姫様みたいに……そんな感じです」

「あー……」


 成る程、心当たりはあった。


 あの子は、子供の頃から『従順な生きた人形に見える様に』……そう演じていたらしいから、きっとそれだ。


 だけど……きっと、それだけではないだろう。


 それは、以前見た、あの子の前世の記憶。


 そこで、あの子は……私の守護天使として背後に控えていた前世のあの子は、よく私と一緒に民衆の前に立っていたみたいだから、それこそお姫様並みの経験はあるのだと納得した。




「ところで……緋桜さん、今年の冬物、緋桜さんにも合うサイズのものが一着すでにサンプルが上がって来ているんですが……折角だし、どう?」

「……ぅえ!?」


 思案していたら、突然振られた話に変な声が出た。


「い……いや、今日は付き添いだけのつもりだったから何も準備していないし……っ!」

「大丈夫、見た感じ髪や肌のケアなんかも十分……というか、なんかまた綺麗になってない?」

「そ、そうでしょうか……?」

「ええ、ハリとかツヤとか、前見た時よりも……」

「きっ……気のせいではないかと……」


 そう何とか絞り出すけれど、心当たりはあった。

 ここのところ二日に一回くらいの頻度でミステルちゃんと一緒に寝てるせいで、あの子の発散しているらしい力の影響を受けているのではないか……と。


 夜はかなり冷え込むようになって来たからなのか、暖を取りに私の布団に潜り込んで来るみたいなのだけれど……あの子の子供特有の高い体温を抱いていると凄くぬくぬくで、私にとっても天国なのよねぇ……


「……緋桜さん、特にスキンケアに拘りは無かったわよね……?」

「ええ……洗顔と、保湿くらいしか……」


 下から訝しげに覗き込む佐倉さんに……その嫉妬混じりの視線に、引き攣った笑みを浮かべ体を逸らして逃げようとする。


「若いって、良いなぁ…………」

「あは、はは……」


 しみじみと呟く佐倉さん。

 これは、ミステルちゃんの能力を知ったら、きっと数日貸して欲しいと頼まれるな……


「それで、どうする? この後にあの子が着る予定の一着とちょうど似たような雰囲気の衣装だから、折角なら巻頭でツーショットでも、って考えているんだけど……」

「やります!」


 咄嗟に叫んでいた。

 だけど、折角あの子と一緒に撮影する機会だ、絶対に逃したくは無かった。











 ――後日。


 本が発売されると、たちまちその子供モデルがSNSを中心にネットで評判となり、刊行以来トップクラスの売り上げを叩き出す事となったのだが……それは、また別の話。


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