奪還、浄化
狸塚達を置いてミステルちゃんと別れた病院に駆け戻るも、そこにはもはやその姿は無かった。
……間に合わなかったのだ。わたしは。
しかし、自分を責めるのは、あの子を助けてからだ、手掛かりは残っていた。絶対に諦めてなるものか。
「……きっと、ここだ」
郊外にあった、建て始めたは良いが、計画の頓挫で外装だけ完成した状態で工事が中断された建設中のビル。
……郊外で人通りもあまりなく、潜伏するには、丁度良さそうだ。
腕時計をチラッと見る。レティムにあの子が意識を失ったと告げられた時から……既に二時間が経過してしまっていた。
「……っ」
後悔は、後にしろ……っ!
そう、唇を血が出るほど噛んで一歩踏み出す。その瞬間、ぞわりと肌が泡立った。
……居る。間違い無い。
今までの戦闘が只のお遊戯に思えてならない程に、ひしひしと強い圧力を感じる。
――勝てない。
だけど、引くわけにはいかない。逃げ出そうとする足を無理矢理前に進め、一歩一歩階段を上っていく。
そうして、ビルを登って言った先……
「ミステルちゃん……っ」
むき出しのコンクリートに囲まれた一室に、あの子は、居た。
両手を鎖に繋がれた状態で、体半分、下肢が蟲の群れに飲み込まれ、全身を無数の蟲達に這い回られた状態で意識を失っている。
そんな、ぐったりと力なく吊るされた白い裸身を、うぞうぞと我が物顔で蟲が這い回るたび、その端正な顔が歪む。
その間も、普段以上に真っ白で、まるで血の気を感じられないほど、蒼白になっている。
胃の中身がせり出しそうになって、咄嗟に口元を抑えた。
不意に、けほけほと力無く噎せた音。その際に、その小さな口から落ちた黒い小さな物は……まさか……蟲?
こんな状態で、二時間も経過してしまったの……?
……ごめんね。遅くなって。すぐ、助けてあげるからね。
「おや……思ったより早かったですね。何故ここがお分かりに?」
傍に立ってそんなあの子の惨状を満足げに見つめていた男が、今ようやくこちらに気がついた、……みたいな風にこちらを振り返る。
「簡単な話よ。GPSの座標を、移動経歴を辿ってきたわ。壊して安心していたみたいだけど、文明の利器を甘く見たわね」
入り口前に転がっていた、踏み砕かれた真新しい子供用のスマートフォンを思い出す……ありがとうお父さん。慧眼助かりました……おかげで、こうしてミステルちゃんを助けに来れた。
「…………全く、流石にこれだけの力を持つ体ではまだ定着にはだいぶ時間が掛かるというのに……前も、今回も、本当に厄介なお方だ、貴女は」
「……あの子に何をしたの?」
元々体の強い子ではないけれど、あの生気の無さは絶対におかしい。
それに、今の「定着」という言葉。嫌な感じが止まらない。
「なに、彼女には私の主人へ快く食事を提供していただけるように、『仲良く』しようと思っただけですよ。ところが、彼女の場合、こんなになっても抵抗してくるせいで、こうして常に弱らせて置かないと即座に浄化されると来た。流石というか何というか、神子と担ぎ上げられるだけあって全く苦労
「……どういう、事……?」
頭がガンガンする。刀を持つ手が震えた。いったい、あの子は何をされたの……?
「……さぁ? 自分で、確かめて見れば良いのでは?」
――カッと、目が眩むほどの怒りに、ふつふつと腹の奥から力が湧き上がって来た。視界の端で、まだ何もしていないにも関わらず、黒から変じた真っ赤な髪が踊ったのが見えた。
「……何で……あんた達は、なんでいつまでも……あの子を苦しめるのよ……っ!」
ずっと、目の前の少年はどこかで見た気がしていた。
あの京都の夜、あの子を組み伏せて居た、あの子の兄だという男。肚の底から湧き上がって来る怒りに、手が、声が震える。
「いい加減にしろと言いたいのは、こちらも一緒なのですが……まぁ、記憶も無く、以前の力も無い貴女を始末する、絶好の機会だと思えば腹も立ちませんがね」
その言葉に、眉を顰める。さっきから、何言ってるの、こいつ。
……いや、そんな事はどうでも良い。
――こいつは、こいつだけは、絶対に、許さない。
だけど、私では、勝てない。
だから、今やるべき事を見失うな。
怒りを燃料にしながら、冷静さだけは失うな。
そう必死に自分に言い聞かせる。
腕を一振りする。普段は銀の腕輪になっているお父さん謹製の特殊流体金属『メルクリウス』が、登録された情報に従い刀へと変化していく。その鞘を払って、構える。
「勇ましいお嬢さんだ……届くと、お思いで?」
「やってみないと、分からないでしょう……!」
相手は、あのミステルちゃんが負けた相手だ。
その実力は想像もつかない。もしかしたら、無謀なのかもしれない。だけど……
「……いいえ、やるのよ。絶対に。その子は返してもらう。私は……お姉ちゃんだから」
勝機があるとしたら、最初の一瞬。それに全てを賭ける――
「――『Burn Out』」
後は考えない。全て持っていけ……!
「オーバー、ヒート……っ!!」
全身の魔力が、一瞬で絞り取られるような錯覚を覚えた。
かちりと、何かが私の中で開いた感覚。
炎の色が、いつもと違い、赤に金を混ぜたかのような色合いで煌々と揺らめく。
目がくらむほどの炎が嵐となって私を包み、まるでジェット噴射のように身体が前に弾き出された。
「――おのれ、このタイミングで目覚めるか!! だが、まだ温い! 飛んで火に入るなんとやら、ですねぇ!?」
一瞬だけ驚愕を浮かべるも、すぐに喜悦に歪んだ男が手を振ると、眼前に、湧いて出た黒い雲のような蟲の群れが、行く手を阻む。
――構うものか、あの子を助けるだけの間、身体が残っていればいい……!
そう、覚悟して、群れに最大速度で頭から突っ込……
「――はっ、狸塚から一つこっそり拝借していて良かったぜ、喰らいやがれ、『
――入り口から、聞き覚えのある声……病院で寝ているはずの
何がが私の横を追い越して、黒い雲に突っ込んだ。
「何!? ぐぁあ!?」
雲を貫いた弾丸が、後ろで余裕ぶっていた男に命中し、眩く輝く光に包まれる。
男が怯み、意識が逸れた事で、コントロールが乱れ、蟲の群れに隙が出来た……いける!
「どけぇぇぇええええっ!!」
無数の、ジュッと蟲が灰と化す音が鳴り響き、蟲達を焼き払い、あの子が間近に迫る。
勢いそのまま拘束している鎖を白刃一閃斬り払い、その身体を掴みあげて眼前に迫る壁を蹴り、反動で元来た方へ跳ぶ。
小さく、柔らかな、今にも儚く消えてしまいそうな華奢な体。ようやく腕の中に取り戻した……!
しっかりと強く抱き込み、叫ぶ――!
「飛っ……べぇぇぇえええっ!!」
後方に、ありったけの炎を噴射し、弾き飛ばされるように距離を開ける。受け身を取る余裕なんて微塵も無い。
しっかりとミステルちゃんを腕の中に抱えると……
「〜〜っ!?」
そのまま、地面をゴロゴロ転がる。衝撃が襲い、全身あちこちをぶつけ、痛みが走るが、寝ている場合ではない!
「……おい、大丈夫か!」
「大丈夫! さっさとずらかるわよ!!」
「あ、ああ……」
唖然とする東狐を尻目に、ガバッと跳ね起きると一目散に駆け出す。身体が痛むとかは言っていられない、そんなものは後回し……!
背後からは、慌てて東狐もついて来ているのを確認すると、見かけた窓を蹴破って、建物の外、宙に身を躍らせた。
「く、くくく、ははは、ははははははははははぁっ!!」
笑いが止まらない。いやいやいや、もう笑うしかない。
念入りに準備を進めていた『苗床』はまんまと掻っ攫われ、私は人間の作った玩具などで手傷を負うというザマだ。
これを笑わずしてなんと……なんと――
「――またかあの女ぁああ゛あ゛!? 何が勇者だ!! 何が神々の愛し子だ!! いつもいつもいつも!! ここぞとばかりに現れては邪魔ばかりしやがってェッ!!?」
目に付いた壁を八つ当たりに蹴り砕く。こちらの世界でならと、今の力を失ったあの女ならと思ったのが間違いだった!!
いつもそうだった。
どれだけ追い詰めても、何かしら横槍が入って切り抜けていく。
危機的状況に追い込まれる度、新たな力に目覚め一層強くなっていく。
何をしようにも、何だかんだで最終的にはぶち壊してくれやがる。
吹けば飛ぶような小娘が、気がついたら手の付けられない勢力を作りあげて居たが、あの女の最大の脅威はそんなところでは無かった。
ご都合主義にも程がある、何なんだ、あの女の悪運は……!?
「――いいさ、今度こそ絶対に仕留めてやる、幸い……こちらには十分なあの娘から奪った力がある、万全の態勢を整えて、確実に、絶対に、今度こそ、その魂の一片残らず消し去ってくれる――っ!!」
あの天使の娘の力を存分に蓄えた眷属を食い尽くそうと群がる主人の体躯を眺め、そう、恨み言を轟かせた――……
人目を避けて逃げている最中、裏通りでサボっていたタクシーを偶然見つけて飛び込み、入院着の東狐と、裸に東狐から奪ったパーカーのみというミステルちゃんの格好に訝しむ運転手に、聖薇の女学生という信頼を武器に財布の中身全てを叩きつける事で黙らせ、何やら義憤に駆られた様子で法的にアウトであろう速度で走るタクシーの運転手に感謝して……家までたどり着いた。
「……はあっ!……はあっ……な、何とか逃げ出した、わね……」
「あん……た……速すぎ……もう……少し病み上がりを……気遣いなさい……!」
二人、タクシーを降りて全力疾走で自宅まで駆け戻り、玄関に飛び込むと、流石に限界で、壁を背にしてゼェハァと息をつく。
……追って来ている様子は、無い。
「はあっ……ありがと、東狐、凄い助かった」
「……たまたまよ……それで、その子は? 大丈夫?」
腕の中のミステルちゃんを眺める。付着していた蟲の名残はここに来るまでに一通り私の炎で焼き払ったが……外見上は見た感じ傷などは無いが……
担いで走っていると、お腹に触れた時に薄い脂肪の下に否が応でも感じた。
ごろっとした
「……お風呂、用意してくる」
「……ありがと、お願い」
きっと、意識がないとはいっても何人にも見られたくは無いだろう。普段は口の悪い友人の、心遣いに感謝する。
女の子なのだ。命があるから、無事……という訳にはいかない。
「……ごめんね、ちょっとだけ、確かめるからね?」
無性に嫌な予感に苛まれ、意識のない彼女にそれでも一言謝ると、外から見えない部分も何か入り込んでいないかを確かめた。
……
…………
………………
「……く……そぉ! ちく、しょう……! ちくしょう……!!」
衝動的に、拳が砕けろとばかりに、床を、殴りつけていた。
「……私が! 私のせいで……っ!」
……ぎりっと、歯を食いしばる。
だけど、怒るより、まずは清めてあげないと、このままでは余計にこの子が傷ついてしまう。
そしてそれ以上に、絶対このまま放置してはいけないと、本能がガンガンに警鐘を鳴らしている。
目の前のこの子が、失われてしまうという確信めいた予感。
不思議と、何をどうすれば良いのか知っているかのように体が動いた。
正面から抱きしめ、背中へ手を回すと、さらにその下の……本来なら他者が触れるような場所ではない所にそっと指を充てがう。
「ごめんね……嫌だと思うけど、あとでどんなに嫌われても良いから、今だけは我慢してね……っ!」
許しを請いながら、罪悪感をこれは医療行為と必死に自分に言い聞かせて圧し殺し、できるだけゆっくりと、優しく、指を進める。
「……っ」
「ごめん、ごめんね、すぐ済むから……」
異物が入ってくる感触にであろう、ビクンと震えた小さな身体を強く強く抱きしめる。
指先から炎を生じさせ、慎重に効果対象を選別し、この子の身体の中を火傷させないように、中の異物を焼き払う。
元々、私の炎は私が望んだ物しか燃やさない。
だけど、人の体内に炎を通すなど、やった事なんてあるはずがない。
にも関わらず、やらなければいけないという焦燥感と、自分ならできると根拠不明な確信をもって、必死に制御し続ける。
「……っ! ……!?」
「大丈夫、大丈夫だから……! 大事な事だから、少し我慢してね……っ!」
震える小さな体を、必死に強く抱きしめ抑え込みながら、処置を続けていく。
聴覚を強化し、お腹の中から聞こえてくる、柔らかい、水気を含んだ何かが熱せられ、プチュ、ジュッと潰れ灰になっていく音にだけ全神経を集中する。
万が一にもこの子のお腹の中を焼かないように、慎重に、慎重に、消化器官を遡って内部に入り込んでいる異物を焼き払い、清めていく。
……いったい、どれだけの時間が経過したのか。
生まれて始めてのレベルの深い集中の中にいた時間は、一瞬にも数日にも思えた。
最後に、口から同じようにして胃に残った異物を全て灰にし、ミステルちゃんが苦しそうにその燃え滓を吐き出した時には、外はすっかり夕焼けに染まっていた。
「せい……こう、した……?」
気がつけば、顔中滝のような汗が流れ、服まで全身から噴き出した汗でべったり張り付いている。
……大事な所は、幸い一切手付かずだった。
……処置が早く出来たから、今回は何事もなかった。
痕跡も残らないと、断言できる。私が言いさえしなければ、この子が自分がされた事を知ることは無いだろう。
だけど、それが、どれだけ慰めになるというのか。許せない。こんな小さい子に、こんな仕打ち。
――絶対に、許さない……っ!!
……それは、生まれて初めて感じた、本物の憎悪だった。
処置を済ませ、お風呂で身を清め終わった頃になっても、小さな身体は目覚めて来る様子は見受けられない。ぐったりと脱力した体は、まるで氷みたいに冷え切っている。
「……よくわかんないが、お疲れ。
「そっか……あの子も無事だったのね、良かった……」
どうやら、向こうも無事切り抜けたらしい。
ミステルちゃんを看病するにしても、立場上、介護慣れした狸塚が居てくれるなら心強い。
「まったく……あまり、自分を責めるんじゃないの。酷い顔だぞ?」
「……うん、ありがと……ねぇ、東狐、あんた、何であそこに居たの? まだ起き上がれるような怪我じゃ無かったわよね?」
なんせ今朝は人工呼吸器までつけていたのだ、走り回れるような怪我では無かったはず。
「あー……目覚めてふと窓の外を見たら、必死の形相のあんたを見かけたからな」
照れくさそうに、頰を掻く彼女。
「…………あんたの父親に貰った薬を使った。治癒力を一時的に著しく高める魔術薬だって……ただ、使用後しばらくすると激しい疲労が来るらしいから……悪いな、私はこれ以上役に立てない」
「……そんな事ない、そんな事はないよ……! ありがとう、東狐、この子を助けられたのは、あんたのおかげだよ……!」
「そ……それなら、まぁ、良いんだけど」
直接的な感謝の言葉に慣れていないらしい東狐が、顔を赤くして視線を逸らしたのを見てふっと苦笑する。
……そうだ、お父さんにも連絡しないと。何か良いものを持っているかもしれない。
「……ごめん、お父さんに連絡してくる」
「ああ、こっちは見ててやるから行ってこい」
のろのろと、重く沈む気分を無理やり奮い立たせ、一人部屋を出ると、かけ慣れた番号をコールする。
数回の呼び出し音のあと、割とすぐに繋がった。
『……もしもし、緋桜ですか。珍しいですね、貴女が仕事中に電話をしてくるのは』
「……お父さん」
『……何か、ありましたか?』
それは、質問ではなく確認の口調。その声にふっと気が緩み、必死に堪えていた涙がポロポロ溢れ始めた。
「……お父さん、ミステルちゃんが、ミステルちゃんがぁ……っ! 私、私ぃ、一人にしないって、あの子と約束したのに……っ!」
限界だった。自分の不注意が、あの子を、あんな目に遭わせてしまった。
その事実が、今まではそれよりも急ぎやらなければいけない事があると、必死に考えないようにしていたその事が。
ようやく一息ついて、お父さんの……唯一、私が無条件で守られる側であると認識している人の声を聞いた瞬間、緊張の糸が切れ、もはや止められない濁流となって私の中を駆け巡ったいった。
「守れなかった……私、守れなかったよぉ……っ!!」
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