再生

『……落ち着きましたか、緋桜?』

「……ひっく……はい、ごめ、なさい、お父さん……」


 ……久々だった。子供みたいに大泣きしたのは。


 私は、部屋でミステルちゃんの看病してくれている東狐とうこへ心配をかけまいと、お父さんの研究室のある、地下室へ続く階段の途中に座り込んでいた。あれからかなり長い時間泣いて居たらしく、出る声がかなり掠れていた。


 でも、おかげで少しは気分も持ち直した気がする。

 わたしはお姉ちゃんなんだから、頑張らないと。頰をパンパンと叩いて、気合いを入れる。


「もう大丈夫、続けて、お父さん」

『……では、今から言う場所にある薬を、あの子に与えてください。まず、私の研究室の鍵の隠し場所ですが……』


 久々に入った一階にあるお父さんの部屋。よく整理整頓されたお父さんの部屋の、机の引き出しの右上の引き出し、二重底になっていたところの下に入っていた鍵で地下の研究室の扉を開け、ガラスケースに入っているオルゴールを開けた場所には、小さな小瓶が三つ、入っていた。


 ……そのオルゴールの中には、高校生くらい? まだずっと若い頃のお父さんと、一回だけ会った事があるドイツに居る伯父さん、それに……ミステルちゃんが成長したらこんな感じかな? と思う見た目の、中学生くらいの可愛らしい女の子が写っている古い写真も入っていた。


 ――そっか、これ、お父さんが、妹さんが見つかった時の為に用意した薬なんだ……ミステルちゃんのお母さん、これ、一本貰って行きますね。


 そう、何となく断りを入れてから、大切に一本を抜き取る。


「オルゴールの中、あったけど……この小さな瓶の薬でいいの?」

『はい、余程の事が無ければ、それで大丈夫なはずですよ』

「へぇ……そんな凄い薬なんだ、これ。なんて薬?」


 ラベルも張っていない、綺麗な青い小瓶をしげしげと眺めつつミステルちゃんの部屋に向かいながら、興味本位で尋ねる。変なものを飲ませるのは怖いし……


『はい、それ、エリクサーです』

「――ぶっ!?」


 なんだか、ちょっと「頭痛薬ですよ」くらいのノリで、とんでもない名前が聞こえて来たんだけど!?


「エ、えり、エリ……!?」


 エリクサー……エリキシル剤とか、エリクシールとか、中国だと仙丹とか呼ばれてる、伝説ではパラケルススがそれを使って治療活動をしていたとか言う、あれ!?


『あぁ、でも、未完成品ですので、不老不死の効果はありませんのでご安心を。そもそもあれってただの誇大広告で、実際に不老不死薬なんて作った方は歴史上存在しませんけど』


 そんな事言われても、何の気休めにもなってない! ヤバい、小瓶を持つ手が震える……!


「……こ、これ、一本いくら?」

『値段、つけれると思います?』

「だよねぇ……」


 どんな瀕死の人間も治す霊薬だ、何を投げ打ってでも欲しがっている人間は一杯いるはずだ。そんなものに、値段をつけれる訳がない。


『お金に変えられない霊薬ですから。お金に変えられない可愛い娘を助けるために使う。ほら、完璧な等価交換でしょう?」


 さらっと、言ってのけるお父さん。本当、凄い。


「……お父さんが凄い人だって、再認識したわ……でも、ありがと。わたし、お父さんがお父さんで良かった」

『はは……娘にそう言ってもらえると、父親冥利に尽きますね……頑張ってください、貴女なら、きっと守れます』

「うん……お父さんも、お仕事頑張って。こっちは、わたしが、頑張ってみる……ところでさ」

『はい、何でしょう?』

「何でも治す霊薬なのよね……もしかして、あの子の声も治ったりしないのかな」


 もし、一緒にお喋り出来たら最高だなってふと思ったから。祈るような気持ちで聞いてみる。


『……難しいかもしれませんね。あの子はもともと生まれた時から、喉を壊すまでも一度も喋っていなかったようですから、もし体の方が不要な器官と判断して退化しているのだとしたら……もう再生しないのかもしれません』


 ……そう、だよね。あの子自体、治癒の力をずっと纏っていたのに、声は回復はしなかったんだから。


『……ですが、それでも、少しでも回復の見込みがあるのであれば……諦めなければ、いつかは声を取り戻すのも不可能ではないでしょうね』

「……そっか。分かった、わたし諦めない! だって、お姉ちゃんだもんね!」

『ふふ……どうやら、少しは元気が出たようですね……頑張りなさい、緋桜』


 その言葉を最後に、電話が切れた。


 ……そうだ、まだまだ一緒にやりたい事はあるんだ。新しい希望も出来た。絶対に諦めてやるものか、やってやろうじゃない!









「あ、緋桜ちゃん、お帰りなさい」

「……あ。狸塚まみづか、もう着いてたんだ」


 ミステルちゃんの部屋に戻ると、いつの間にか来ていた狸塚が、眠っているあの子をベッドに横たわらせ、お布団をかけてあげている所だった。後ろを覗き込むと、ちょこんと行儀よく座ったレティムが、心配そうにミステルちゃんの方をじっと見つめていた。


「……ごめんね、狸塚、それにレティムも」

「ううん……私こそ、ごめんなさい。私さえ捕まってなければ……」

「でも、それだってこっちの事情に巻き込んだようなもので……」


 お互い引っ込みがつかなくなって、交互に謝る私達に……


「――あああっ、もうっ!? お前ら、済んだ事をぐちぐち謝り合うの辞めろ! それよりやる事あるだろうが!」


 二人で謝罪し合っていたら、東狐がおかんむりで中断させた。そうだ、今はもっとやるべき事があった。


「あ、ごめんね。とりあえず、緋桜ちゃんの居ない間に、ミステルちゃんのお腹の中の洗浄は済んだから、伝えておくねー」


 ああ、なるほど。それでさっきベッドに寝かせ直してたのね。


「……ありがとう、狸塚。本当に、あんたが水系統の扱いが得意で助かったわ」

「えへへ……どういたしましてー」


 いそいそと狸塚が学校指定のスポーツバッグにしまい込んでいる、普段から何本も持ち歩いているそれ……確かに、安心なんだけど……なんだけど!


「……でも、聖水をミネラルウォーターのペットボトルに入れて持ち運ぶのは、本当どうなの? ありがたみもへったくれも無いんだけど?」

「え? でも便利よ?」

「そりゃそうだけど……」


 わかる、解るよ。便利だよねペットボトル。

 だけど、スーパーで一本何十円で売られている飲料水の容器で持ち運ばれてるのは、見ていて悲しくなるの……それも、よりによってぺらっぺらな薄いアレ。


「それで、あんたの方はどうだったんだ、緋桜。って言っても、その顔なら何か良い物あったんだろうが」

「……わたし、そんな酷い顔だった?」

「それはもう。けど、今は目は赤いけど、少しはマシだな」

「そっか……うん、そうだね。わたしの方は、お父さんのとっておきの薬をもらって来たから、今飲ませるね」

「あ、緋桜ちゃん、手伝うよ」


 狸塚にミステルちゃんの上半身を起こしてもらって、ビンの栓を抜くと、その小さな口に当てがった。


 ……小さなビンだから、少しも中身を無駄にしないように、少しずつ、少しずつ……液体を嚥下し、喉がこくりと動いたのを確認しながら飲ませていく。


「……お父さんが言うには、これを飲ませておけば大丈夫、らしいんだけど……」


 ――変化は、甚大だった。


「…………――っ!?」

「――ミステルちゃん!?」


 突如、ずっと力無くぐったりしていた身体が、跳ねた。

 もしかして、駄目なの……? どうしよう、これでも駄目だったら。


「……大丈夫、急激に回復が始まって、身体が驚いただけだよ。危なく無いように、抱いていてあげて?」

「う、うん、わかった……」


 暴れようとするその体を、しっかりと抱きしめる。


 ……本当、弱い力。無意識で暴れていても、こんな簡単に抑え込めるなんて。

 改めて、この子はこんなにも体が弱いんだと思って、胸が締め付けられた。


 その状態は、しばらく――数分続いて、やがて……


「うわっ!?」


 腕の中で、ミステルちゃんの胸のあたりから手足に向かって無数の光の線が走ったかと思うと、背中から朧気な……翼、かな。が一瞬見え、すぐに消えてしまった。


 そうして、それが落ち着くと、すぅすぅと、安らかな寝息が聞こえて来る。


「今のは……」

「本当に一瞬だったけど……綺麗、だったねー」


 後ろで二人が、今の現象を呆然と見ていた。


(……緋桜さん。マスターの魔術回路、経脈、元々失くしていた両腕意外、完全に再生しました……快癒するまで年単位はかかると思っていたんですが)

「そっか、君が言うなら間違いないね。この子の事、経過観察お願いね」

(はい、任せてください……所で、今の薬、エリクサーですか? )

「あ、解るんだ」

(はい、以前も何回か、使わざるを得ない事態がありましたから……まさかこちらで手に入るとは思っていませんでした、ありがとうございます)

「……? それってどういう――」


 以前?

 何回か?

 これってそんなポンポン手に入る物じゃ無いよねぇ?


 ……そんな疑問が浮かんだけれども。


「うん、ずいぶんと血色も良くなったし、大丈夫……かなー?」


 様子を見ていた狸塚の声に、安堵で力が抜けてしまい、どうでも良くなって、ミステルちゃんの寝ているベッドの端にに突っ伏した。


「……はー……良かった……良かったよぉ……ぐすっ」


 頰に赤味が戻り、唇も紫っぽかったのが桃色に戻った。その様子に安堵して、滲んだ涙を拭う。


「……にしても、凄い効き目だな」

「修道会にも、こんなお薬聞いたことないよ? 一体何を飲ませたの?」


 う。興味深々な二人の視線が、こちらに集中してる。でもなんて言っていいの、これ。


「え、えっと……あはは……何だろうねぇわたしも良く分からないや!」

「……本当か?」

「まぁまぁ、そういう事にしてあげよう、東狐ちゃん?」


 ジト目で疑いの眼差しを向けて来る東狐と、苦笑してそれを宥める狸塚。




 ――言えない……っ! 家の中を漁ったら伝説の秘薬が出てきたなんて絶対言えないわよぉ!?




「でも、お薬の効果は凄いけど、この子が助かったのは間違いなく貴女のおかげよ、緋桜ちゃん」

「狸塚……あなた、何か知ってるの?」

「ええ……まぁ……実はこういう被害、私達にも時折出ているの。被害に遭っているのは、皆現役の祓魔師で……」


 そこで、狸塚が、チラッと恥じらいながらミステルちゃんの方を見る。


「私達は『魔神の苗床』って呼んでたんだけど」

「うわ。もうこの時点で不穏」

「あはは……でも、本当に、酷い話で……狙われているのは、決まって、その……男性経験のない、子が、そのね……?」

「あぁ……そういう事……」

「……まぁ……穢れなき乙女を……なんていうのは生贄関連だと割と良くあるからな」


 微妙な空気が私達の間を流れる。自然と狸塚に視線が集中し、それに気がついた狸塚が、急にはっと慌て始め、テンパって胸を両手で隠した。


「わ、私もそういう経験は無いからね!?」

「あー、ごめん、ごめんって」

「悪い、ちょっとデリカシーに欠けてたな」


 涙目になって疑惑を必死に否定する狸塚……そうだ、この子も今日はだいぶ際どい貞操の危機だったのよね……


「大丈夫、あんたがそういう子じゃないのはちゃんと分かってるから……それで、その子達はどうなったの?」

「うー……こほん。発見が遅れた子は、だんだんいつもボーっとするようになって……完全に体内に根を張ると、自分から魔神達に身を捧げようとするみたい。そして、最後には……」


 狸塚が、下腹を抑えたあたりで、その結末は予測がついた。


「あ、でも、ミステルちゃんは大丈夫だと思う!さっきも言ったけど緋桜、貴女の処置が完璧だったから、安心して!」

「そっか……うん、少し気が楽になったよ、ありがと、狸塚」


 場慣れした修道会所属の狸塚がそう太鼓判を押すならば、大丈夫なのだろう、安堵の息を吐く。


「しかし……緋桜、お前、どこでこんな異常事態の対処法なんて覚えて来たんだ?」

「私も、気になるわ。正直、私達でも完全な対処法なんて確立してなくて、こんな綺麗に除去出来た前例なんて無かったのに」


 なんでも、修道会では、今回のように『苗床』を植え付けられた子に対しては、大量の聖水を絶えず飲ませて消化器官を洗い流しているそうなんだけど……それでも処置が遅れ根を張った卵は除去できず、処置の早かった子でも半数くらいは体内に残ってしまい結果発症してしまう事が多く、外科手術で摘出する事になるのだという。

 その結果、まだ若いのに、重い食事制限を課せられる者も少なくないのだと、沈痛な面持ちで狸塚が話を締めた。


 聞けば聞くほど、もしかしたらあの子もそうなっていたかもしれないと、背筋が寒くなる。


「それは……えぇと……なんでかな、『こうしないと』っていうのが、自然と頭に浮かんで来て、無我夢中でその通りにしたら……」


 あれ?そうだ、あの時は必死だったけど……


「……そういえば、なんで出来たんだろ? お腹の中で異物だけ焼く、なんて細かい炎の操作……」


 それに、今にして思えば、その炎の色も、勢いも、いつもと違っていた気がする。


 一体、私に何が起こっているの……?


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