新生活、そして……
拓かれた空の下
――目覚めたら、緋桜の顔がすぐ目の前にありました。
……少し状況を整理しましょう。
あの後、伯父さんが部屋を取っていたというホテルに夜中たどり着いた私達は……よく、ボロボロの和服姿だった私が居て通報されなかったものですが……部屋に戻るなりシャワー室に連行されました。
この時、既に眠気に船を漕いでいた私の体に付着した汚れは、一緒に入っていた緋桜に洗い流され……どうやらそこで完全に眠ってしまったらしく、その後の記憶がありません。
私、規則正しい時間に寝起きしていたため、夜更かし耐性は無いのです……
という事は、すっかり眠ってしまった私は、着替えさせられ……一応浴衣に着替えさせられていました……その後緋桜の抱き枕になったのですね。
「……んにゅ……お姉ちゃんがぁ……守ぉ……」
むにゃむにゃと寝言を言いながら、私を抱く腕に力が入る。その感触に、安心感と幸福感で覚醒しかけていた脳が再度蕩け始める。
――こうして、安心して誰かに抱かれ、身を預けられる日が来るとは思っていなかった。
――こうして、また彼女の体温を感じることのできる日が来るとは思っていなかった。
目の前で安らかな寝顔を晒す顔をぼんやりと眺める。
――普段元気過ぎて分かりにくいけれど、美人よね……
今みたいに静かに眠っていると、どこかのお嬢様のような綺麗系の顔立ち。下ろした髪は艶やかな漆黒で、将来成長したらきっと大層な日本美人となるのでしょう。
そういえば以前も皆が口をそろえ、「黙っていれば美人」と称していたのを懐かしく思いながら苦笑いをする。
――こうしてまた、会えるなんて思ってなかった。
(……だから、もう少し……このままこうして居てても……良いですよね……?)
誰にともなく言い訳をすると、私もまた、彼女と共に心地よい
「……ふぁ……何か動き辛……ぉおぅ!?」
目が覚めたら、天使に抱き着かれてた。
吃驚した、てっきりいつの間にか天に召されたのかと。あれだけの出来事の後にも関わらず、目覚めたら不思議と疲れが全く残っていないため、余計にそう思ってしまった。
身動きも取れないのでベッドに横たわったまま周囲を見回すと……良かった、昨日のホテルの部屋から変わってない。
……それにしても、本当に綺麗な子だなぁ。
昨夜シャワーで汚れを落としている最中も思ったけど、相当酷い環境で暮らしていた筈なのに、肌も髪もとても良く手入れが行き届いていて綺麗。情報提供したという世話係の人は、よっぽどこの子を大切にしてくれていたのだろう。
お人形さんのようにバランス良く整った白い顔。髪もまつげも新雪のように真っ白で、その整った顔を覆っている。
顔に掛かっている髪の一房を避けてやると、子供らしく餅のようにきめ細かく滑らかな頰の感触。軽く押して見ると、張りのある皮膚が適度な柔らかさで指を押し返してくる。
……やっばい、これずっと触ってられるわ。
昨夜はあまり動いていなかった表情も、眠っている今は良い感じに脱力しているのか、幾分か柔らかくあどけない寝顔を晒している。
西洋系のハーフの子は美形が多いって言うけど、これは完全に二つの人種の良い所総取りだろー……
「……おーい、朝だぞー寝坊助ー、起きろー……」
小声で呼びかけて揺すってみる。すると、んぅ……と可愛らしい吐息を上げて、まるで私の体温を逃がすまいとするかのように、逆に私の胸に顔を埋めて来る。
しばらくもぞもぞと動いた後、落ち着くポジションを探り当てたのか、またストンと脱力して、すぅすぅと穏やかな寝息を再開した。
……うわ、やばい、どうしよう、滅茶滅茶可愛いぞ、この生き物。
見た目がとんでもない超絶美幼女っていうのもあるんだけど、その、こうね?
まるで迷子の子供が母親を見つけたみたいに、健気にこちらを求めるかのように甘えて来るこの仕草が、本当やばいの。私の腕の中で安心しきって無防備な姿を晒しているのが本当に幸福感半端ないの。母性本能オーバーヒートしまくりなの。
ああ、もう、今日はこのまま寝ちゃっていいかなぁ……そう色々諦めて腕の中の幸せを抱き、再び夢の中に……
――その瞬間、携帯電話がけたたましく鳴った。
「ああ、もう! 私の幸せぇ!?」
煩い携帯電話をひったくる。傍らでは、目覚めてしまったらしい天使……ミステルちゃんがもそもそと起き出し、目を擦りながらぼーっと周囲を見回している。
……ああもう可愛いなぁ!
……っと、そうじゃなかった。送信者は……
「……もしもし、どうしたのお父さん」
『……あれ、何か不機嫌ですか? 10時に出かけるからって言ってましたよね、できれば部屋に通してほしいのですけれど』
「あー……あー……」
時間ギリギリだねぇ。諦めて、ベッドを降りる。自分の姿を見下ろすと……まぁ、パジャマだけど別に良いか。お父さんだしね。
……この数秒後、私はお父さんが大量に抱えてきた袋の中身に歓喜するのだった。
「かっ……」
恥じらいながら寝室から私達の居るリビングに出てきたそれに、ガツンと衝撃を食らったように仰け反る。やばい、直視出来ない、けど見る!
「可愛いいいぃぃぃいい!?」
――一瞬で理性が吹っ飛んだ。飛びついて抱きついてぎゅーっと抱きしめる。腕の中でびくっと小さな身体が震えた気がするけど、それすらも愛おしい。
「――お父さん、この子私の妹にする!!」
「……いや、あのね、もう義妹ですからね? あと、苦しそうだからそろそろ離してあげましょう?」
「おっと、ごめんね?」
腕を緩めると、ぷはっと息をつくミステルちゃん。ちょっと目に警戒の色を浮かべて距離取っちゃった。ごめんねー?
着替えて出て来たミステルちゃんは慣れない服に照れているのか、整えられた髪を指で弄って視線を彷徨わせている。表情は少ないけれど、肌が白いから照れて顔が赤いのがすごく良くわかる。
ふわっとしたレースたっぷりの黒いワンピースに、白い清潔なボレロ。日照対策なのか黒タイツも完備。
サラサラの白髪は梳いてあげて、今は耳の後ろから左右一房ずつ掬って緩めの三つ編みにし、ハーフアップに纏めてあげた。いわゆるお嬢様結い。
……色々な髪型に弄りたい欲求はあるけど、まぁ今回はシックな感じの服だしね。
いや、普通こんな服着せたら頑張りすぎた学芸会みたいな感じになるよね。
よく見たらこれお父さんの会社のブランド品で、縫製もレースの出来もそんじょそこらの大量生産品とは見るからに違う、結構な額がする奴だろうし。
なのに全然服に着られている感じが無い。ばっちり似合ってるってどうなのよ。美幼女おそるべし……!
そんな訳で、今目の前に居るミステルちゃんはまるでどこかのお嬢様みたい。
いや、お父さんの妹さんの娘だから、実際コンツェルンのトップの家系の正真正銘のお嬢様なのか。確かお兄さんが親会社の社長って言ってたし……そう思うと私、凄い人に拾われたんだよねぇ。
「すみませんこの子が。悪気は無いので許してあげてください。良く似合っていますよ、朝一で駅地下を駆けまわった甲斐はありました」
あぁ。私達が惰眠を貪っていた間、お父さんそんな事してたんだ、ごめん。
でも、そうすると、買ってきたものの中には女の子の服が一揃い……
「……もしかして、女の子用の下着までお父さんが買ってきたの?」
その中には、女児用のショーツとキャミソールもあったよね……? しかもかなり可愛い奴だったし。
掘りが深くも優しげな、どこの映画俳優かと思う外国人の優男が、女児用下着のコーナーで商品を物色している図が脳裏に浮かんでしまい、気まずそうに目を逸らしたお父さんを、じとーっと見つめる。
「その若干引いた目はやめてください……その時は視線が本当に痛くて私も辛かったんです……貴女が起きていてくれれば頼めたんですけどね……」
「あ、うん、何かゴメンナサイ」
近くに自社の出店無ければ死ぬところでした、社会的に……そう疲れ切った顔で項垂れるお父さん。ごめんね!
……しかし店員さんも災難ねぇ。早朝にいきなり自分たちのトップが姿を現したと思ったら、女の子の服と下着をくれと言われてどんな気分だったのやら……あははと、笑ってごまかす。
「でも、出かけるってどこに行くの?」
「それは勿論……」
「――アレルギーの反応も特に無し、ひとまず、現時点で特定の異常や疾患は見当たりません。やや貧血気味なのは若干気になりますが、普通に生活する分には問題無い範疇でしょう。体力の低下と、成長がやや遅れている事、先天性白皮症の注意点には十分に留意して、決して無理はさせないようにしてください」
そう締めくくられた医師の言葉に、背後から安堵の吐息を漏らす緋桜と伯父さん。予防接種等はされて来ていないみたいなので、また後日、体力が戻ってから順次行うそうですが、ひとまず一安心でした。
注意点として、ます肌を露出は極力避ける事。できれば服の無い部分はしっかりと紫外線カットクリームを塗る事。
それと日の光が眩しいと思うから、外ではできるだけサングラスを使用するように。
あと、若干の近眼もあるので、そのうち眼鏡を作ってもらうことになりました。
伯父さんたちの心配していた骨粗鬆症は今のところ問題ないらしく……そういえば、あの家は主に魚主体の食事でしたしね。そのおかげでしょうか。
――あの後、ホテルを出てタクシーに載せられた私が連れていかれたのは、大きな大学病院でした。
血を採られたり、尿を採られたり、変な機械に寝かせられて狭い場所でじっとしたり……目まぐるしくあちこちを回っているうちにあっという間に午後になっておりました。
用事があるからと緋桜に少しのお金を持たせた伯父さんは先に出てしまい、二人で歩く病院内は、あれだけ沢山いた人も今は医師と看護師などの関係者しかおらず、すっかり静かです。
「注射、よく我慢したねー」
子供をあやす様にぽんぽんと叩いてくる緋桜に、すこしむっとする。首に下げた手帳に書きなぐり、反論する。
『そんな子供じゃない』
ちょっと針刺されるくらいどうってことないのです。
……その、ちょーーっとだけ、鋭い針の先端が肌に迫ってくるのは見ていて予想外に恐ろしかったし、容器の中で暗褐色の私の血がびゅーって出てるのは見ていて気持ち悪くなって……少しだけ涙が滲んだ気はしますが、それだけです。それだけなのです。
「はいはいな……それじゃ、お義父さんが用事を済ませている間、折角だし私達は観光でもしてようか?」
「……(こくり)」
「とはいえ、あまり外を歩くのも良くないよねぇ……よし、どこか雰囲気の良い茶店でも探してお茶しよう! ヘイタクシー!」
そう決めるや否や、一足先に飛び出していく彼女。そのあとに続いて日傘をさして外に出ると、外で待っているはずのレティムを探す。
「やー、何この子可愛いー!」
「全然吠えないのねぇ、賢い子ねぇ」
……居ました。すごく分かりやすかったです。お姉さん方に囲まれて、澄まして座っている彼。
……ねぇ、あなた。すっかり犬扱いに慣れてない? 大丈夫?
そんな心配をしていると、私を見つけた彼がすっと立ち上がり駆けて来る。
(レティム、大丈夫?)
(え、ああ、さっきみたいに囲まれることですか? 慣れてるから気にしませんよ?)
……うん、何も言わないことにしましょう。
「あ、あの子が飼い主みたいね」
「うわ、すご、真っ白……綺麗な子……」
視線がこちらを向いたことで、思わず、すすっと日傘を動かして顔を隠す。
嫌なわけでは、無い。あの家に居た時に比べ、こちらで向けられているのは主に好意的な視線です。
先程待合室で診察待ちをしていた際も、周囲からの目は微笑ましい物を見る目や心配そうな目。中には珍しい物を見たという視線も多いですが、基本的には嫌とは感じないものばかりでした。
……だから、今までとのあまりのギャップに、慣れない。
青い空を見上げる。昨日の今位の時間には、こうして外で何にも束縛されずに空を見上げている光景など、想像できたでしょうか。
――思えば、微塵も想像もしていませんでした。
どこかで、諦観し切っていたのでしょう。外に出たら、なんて考えることもできないくらいに。
諦觀していた私はもう居ない、きっと昨夜のあの時を境に生まれ変わったのでしょう。だから、今すぐには無理でも、きちんとこの時を楽しむことが出きるよう、精一杯頑張って見よう。そう決意を新たにし、手を降っている緋桜の元へ歩を進めるのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます