私が彼女の「妹」になった日

 ――眩い光と共に私の前に現れたのは……前世の私を作っていた核……小さな小さな、一本のヤドリギの枝でした。


「お、驚かせおって……そのような小枝が何だというのだ、お前達、構うな!!」


 唾を飛ばし、周囲をけしかける父上殿。ジリッと方位が狭まります……確かに、見た目だけを見ればその通りただの小さな枝ですが、これは……このような世界に関わるものであれば、そのような感想は出ないはず。そこまで目が曇っているのかと。


 その枝に手を掲げると、みるみる大きくなって、一本の木製の杖へと形状を変えて私の手の内に収まります。


 ――これは、ある、光の神の命を奪ったとされる枝の一部です。そしてその身には、かの神の力が強く残留してます。杖を掴んで、イメージするのは前世の自分。前世の『私』を形作った魔法の核は、この木の枝であるならば。ならば、きっと、できる……今度こそ……!


(今度こそ、絶対……絶対に、守る――!!)


 ――確かに、今生の私の、今の華奢な人の体では、この身に宿る力に耐えられません。


(バックアップをインストール、展開……っ!)


 ガンッ、と衝撃すら錯覚する頭痛と共に脳内に情報が流れ込み、杖から『私』という魔法の構成をこの身へと転写する。私の体が、『私』という神代の魔法へと置き換わっていく。


 ――この身が耐えられないのであれば……耐えられる体に変化すれば良い!




 ――魔力体変化エーテライズ!!





 その瞬間、私の中でスイッチが切り替わった感覚。周囲に膨大な数の術式が展開される。私の姿が、変化……変質していく。


 まず純白の髪が、糸状の光を無数により集めたかのような眩く輝くものへ。

身体が物質から解かれ、魔力……魔法そのものの存在へと変化していく体が、眩い光を放ちます。


(エラー……両腕部検出できません。擬似外骨格にて再構成します)


 霊的には失われている指先から肘までは、光が集まって小手のようなものに覆われていく。


(短期未来予測魔法『ラプラス』……起動確認。周囲の情報取得、予測範囲をコンマ5秒に設定、予測演算開始)

(統合魔法制御支援システム『オーリオール』……起動確認。各種情報、視界へと転写)


 脳内に響いた声に合わせ、後頭部へ十二芒星を起点とした幾何学模様の光輪が現れ、演算開始に合わせて歯車のように回転を始めました。

 視界には、周辺の敵性存在へのターゲットマーカーや周囲の魔力の流れが、この世界で言う拡張現実ARのように光学的視界に重ねて表示され、私にしか見えない様々な情報が、周囲に投影されます。


 体感時間が圧縮された中で、次々と変化していく身体。無数の情報、無数の術式に囲まれた、彼女……ヒオウの守護者である『私』が――今この時、この世界で初めて産声を上げました。





「な、なんだ、これは……何が起きている……! ええぃ、構うな、さっさとやってしまえ!」


 父上殿の指示に、先頭に居た一体の狐面衆が飛び掛かり……


 ――空中へ身を躍らせたその直後、その首に下弦の月のような光が掛かります。


 ――腕を振り抜く。


 一瞬で距離を詰めた私は今まさに動き出そうとした狐面衆の一人の懐に潜り込み、その私の手の内にある光が断頭台のように叩き落とす。数度地を跳ねたその体は力無く地に落ちます。


 シン……と静まり返った空気。よもや私如きに倒されるとは思ってもいなかったであろう、彼らの盾であり絶対の自信の要たる狐面衆が、反応すらできぬ間に斬り伏せられた事実に理解が追い付かず、固まっている周囲。そんな彼らををよそに、私は手の内にある物を再確認します。


 私の手に持った杖が変化していました。

 その形は……巨大な、刃だけでも私の身の丈を超える大鎌。杖が柄となり、その杖が内包した光の力で形作られた、禍々しくも神々しい、巨大な鎌でした――『形態モード:アズライール』


(少し、この体には大きいですか……しかし、これくらいであればやり様はあります……!)


 幾度か手の中で回転させ、懐かしい手の中の重みを確認します。


「何だ貴様は……何だその姿は……!! お前は何の力も無い役立たずではなかったか!?」


 そんな私に浴びせられる怒声。今までの余裕をかなぐり捨て、取り乱す父上殿に言われ、自分の姿を見返してみます。

 見た目は、今生の女児の姿から変わっていないようですが、もはや羽織っているだけという風情のボロボロの着物の下の体は全くの別物のように軽い。肉体という枷から解き放たれた全能感が身体中を走ります。

背には、懐かしくも馴染んだ翼の感触。試しに一振りしてみると、問題なく宙へと体を浮かび上がらせました。


 その翼を一振り羽ばたかせ、宙を駆る。一瞬で今まさに動こうとした別の狐面衆の一人の懐に踏み込むと、鎌を持つ手の反対側に凝縮した私の神力を、掌打として叩き込みます。


 ――ガァン! と、金属を殴ったような音が響く。


 ひとたまりも無く砲弾のように背後へ吹き飛んだその体は、背後で今更慌てて式を呼び出そうとしていた分家の一人を巻き込んで、もんどりうって転がり、起き上がっては来ませんでした。


「な、何をしている! お前たち、一斉射の大火力であれば押し切れる、傀儡たちを支援し、とっととあれを黙らせろ!!」

「で、ですがあれは一体!? 何故狐面衆があのように紙のように……!?」

「良いからやれ、奴を止めろ……!!」


 ヒステリックに叫ぶ父上殿に、のろのろと周囲の分家の者たちが動き出し、それぞれ思い思いの術を編もうとする。


 その瞬間私の視界を瞬く光点は、彼ら術の発動する起点……その予測地点。短期未来予測により割り出された攻撃の始点が、次々とまだ事象が発生する前に先に置かれたターゲットマーカーに捕捉され絡めとられていく。


(銃身形成……チャンバー内加圧……オートターゲット、対象、敵性存在術式!)


 周囲に超小型の閉鎖空間『銃身』が生成され、その内部に私から光が充填される。超高圧で封入された魔力が、僅かに解放された針の穴のような隙間から噴出し、『ヂッ』という大気を焼いた小さな音だけを上げ、周囲の敵の術を、符術であれば手にした札を、そうでなければ発生地点を、発生する傍から打ち抜いて消滅させていく。


 突如周囲に巻き起こる、触れれば蒸発必至のイルミネーションに、混乱の坩堝に陥る分家の者たち。

 ですが、そんな光景は尻目に、僅かに足が地から離れた高さを滑空し、周囲を囲む狐面衆の中で最初に動いた……否、動き出そうとした者へと疾り、すり抜け様にその胴体へ刃をひっかけ、駆け抜けながら振り抜く。


 ――これで三人目。胴を薙ぎ払われた彼は、力なく崩れ落ちました。


 実のところ、斬っているのは肉体ではありません。私が斬っているのは、彼らの精神……そして、彼らを蝕んでいる傀儡の外法です。彼らはもはや目覚めても傀儡ではありません。


「くっ、おのれ……! 向こうの小娘を盾に取れ、式を扱えるものはあの化け物を足止めしろ!」

(させない……っ!)


 私を無視し、後方に寝かせているヒオウの方へ向かった狐面の一人に、体を大きく旋回させ手にした鎌を思い切り投げつける。手を離れ、高速回転し光輪となった鎌が、まるで意志を持つかのようにその背を薙ぎ、機動を変えこちらへ戻ってくる――あと一人。


 しかしそれでも、未だ鎌を手放した私に、彼らの使役する狐や狼、中には鬼なども見受けられる無数の式や使役獣がこちらへと殺到します、が。


(レティム、もう近くまで来ていますね?)

(は、はい、もう間もなく!)

(いいえ、今なら力を出しても大丈夫……やってしまいなさい!)

(……了解です、マスター!)


 意識を飛ばすと、すぐに待ってましたとばかりに喜色を帯びた返事。


 ――次の瞬間、空から、閃光が一つ瞬きました。


 それは木々を触れただけで一瞬で焼き斬り、地面に蛇のように蛇行する、真っ赤な融解跡を描いて、式達の先頭に居た者たちを易々と薙ぎ払い分家の立っている場所の横を突き抜け……遥か彼方、屋敷の一角まで光の舌を伸ばすと彼方で小さな爆発を起こします。


 ……屋敷まで撃つ必要あったかしら。レティム、あなた実は凄い怒ってる?


 一瞬で壊滅した自分たちの手勢のみならず、一直線に刻まれた破壊跡に呆然とする視線が集まる中、夜闇から、純白の毛皮に覆われた、3mくらいのやや小柄な竜…が、光学迷彩を解いてすっと姿を現しました。


 同時に、戻ってきた鎌をキャッチした私が、切り結んでいた最後の狐面を斬り伏せる。これで、狐面衆はもう居ない。


(マスター! マスター! 無事で……よくぞご無事で!!)

(ごめんなさい、あなたにも長い間、随分と心配をかけました)


 レティムは、狐面衆をあらかた切り伏せ終えた私の傍に着地すると、その顔を摺り寄せてきました。そっとその鼻先を撫でてやります


「……そんな、五体もいた傀儡がこんなあっというま間に……」

「……竜、だと……こんなの、敵うわけが……! ひ、ひぃ!?」


 仲睦まじく戯れる私達に、分家の者たちが我先にと逃げ出します。そんな中で必死に瓦解を食い止めようとしている父上殿ですが、すでにその潰走は狂乱の様相を呈し、もはやその声は誰にも届いてはいないようです。


(レティム、私の代わりに喋ってもらってもいい?)

(はい、お任せを!)


 嬉々としてついてくるレティムを従え、ついには周囲の者に見捨てられ、一人呆然としている、父上殿の下へと歩を進めます。彼は、びくっと肩を震わせると、憎々し気にこちらを睨みつけてきました。


「ぐ、お、おのれ……化け物め……!」


 その口から洩れる怨嗟の声に……自分でも驚くほど激しい落胆を覚えました。


(玩具の次は化け物ですか……私はとうとう、今生の肉親に、愛されることは……いいえ、そこまで贅沢は言いません、人扱いすら、される日は来ませんでしたね)

(……マスター、準備は出来ました)

(ありがとう……始めてちょうだい)


『マスターの言葉を、私が変わって伝えよう』


 竜が声を発したことに、ひっ、と声を震わせ父上様が座り込みます……相変わらず、念話と肉声では全然口調の違う子ですね、と苦笑します。


(それじゃ、喉を借りますね)

(はい、どうぞ!)


 快く了承してくれたレティムに心の中で感謝を述べ、その体に同期します。


『今まで散々、どうもありがとうございました。とりあえず、これで借りはチャラとしておきます……追ってくるのであれば、今度は容赦しません』

『……だ、そうだ。しかと伝えたぞ』


「な、な、な……!」


 顔を真っ赤にして憤慨する父上殿ですが、その身の回りには既に取り巻きは誰もおらず。


「……おのれ……おのれぇ……!!」


 憤慨しながらも、すごすごと引き上げて森の中へ消えていくその姿を、黙って見送りました。


『……良かったのですか、マスター』


 その言葉に、いいのだと、一つ頷く。

 タイムリミットが迫っている。背後で木に背を預け眠っているヒオウのところへと戻り、その傷ついた体に手をかざすと、みるみるその全身から傷が消えていき、うっすらと瞼を震わせて目を開け始めました。


「……あ、あれ、全然痛くない……どうして……って、君!?」


 その様子に安堵すると、ふっと魔力体化が切れ、背中から羽が消滅し、髪も元の物へと戻りました。巻き戻るように人の体へと還って行きます……どうやら、限界のようです。意識が、遠くなっていく。


(今度こそ……貴女は……私が……守…………)


 倒れていく体が柔らかいものに抱き留められる感触を最後に、私は意識を手放しました。















 ――ガタガタとした振動に、目が覚めます。


 魔力体からまた人の体に戻った事により、体はまるで自分の物ではないかのように動かず、視機能が短時間で大きく何度も変動した反動か、視界がうまく定まりません――予想以上に負担が大きい。全力起動は今後控えておいた方が良さそうです。


 何か座席のようなものに寝かされているようで、頭のうしろには柔らかな感触。


(ここは、迎えの車の中です、安心してください)

(そう……車って結構広いんですね)


 私の身長が低いというのもありそうですが、脚を伸ばして横たわる事が出来ていました。


(SUVっていうんだそうですよ)


 褒めて、と言わんばかりに上機嫌に知識を披露するレティムに、ついつい内心苦笑します。






「あ、目醒めたのね、良かったぁ……」


 声が、頭の真上から聞こえました。私の髪を左右に払う感触……ああ、なるほど、頭の後ろの柔らかな感触は彼女の膝でしたか。そんな、安堵の息をつく彼女に、一つ頷きます。


「ごめんね、助ける筈が、逆に助けられちゃったみたい」

「……(ふるふる)」


 そんなことはないと、首を振ります。彼女が来てくれなければ、あそこから逃げることも出来ませんでした。



「協力者……君の世話係だった女性とその家族も、私達が確保した。家中が混乱していたから思ったより簡単にすんだよ、安心しなさい」


 前席から微妙に発音の異なる日本語の、大分年上そうな男性の声……早希さんも、無事なんですね。安堵の息をつきます。


「さて、自己紹介をしないとね……私は、ヨアヒム・ヴァレンティン。君の……母親の兄、叔父にあたる。君の身元引受け人となるから、今後よろしく」

「肝心なところで間に合わなかった、私のお義父さんよ」

「はは……手厳しい。これでも一人で陽動してたんだけどなぁ。追手を振り切って駆け付けたら全部終わってて驚いたよ」


(では、この方も裏で動いていてくれていたのですね……レティム、彼に感謝を伝えたいのだけれど)

(ヒオウさん。マスターが彼にありがとうって言ってます)

「あいよー。ねえお父さん、彼女が、ありがとうってさ」

「……いや、うん、どうも照れるね……どういたしまして」


 不思議な伝言ゲームを経て伝えられた感謝の言葉に、恥ずかしそうに頭を掻く彼。


(そういえば、レティム、ヒオウと念話できるの?)

(あ、はい、なんだかできるようになったみたいです。マスターとのつながりが戻ったからでしょうか)


 そういうものですか。ですが、何か彼女に言いたいことがあれば頼めば良さそうですのでありがたいです。


「私は、天野アマノ緋桜ヒオウ。一応戸籍では養子になってるから、緋桜・ヴァレンティンになるんだけど、前の名前を使わせて貰ってます……あなたのお姉ちゃんになるのかな、可愛い妹が出来て嬉しい、よろしくね」


 膝枕で寝ている私の髪を梳きながら、彼女の自己紹介。

――アマノ・ヒオウ……名前も、前世と一緒ですか。これは……どういう事でしょう。


……そんな事を考えていると。


「はい、これ」


 何か差し出されました……これは、紙とペン?


「あなたの、お名前も教えて?」


 その言葉に、一瞬虚を突かれます。何か重大な事を忘れていたような……


(あれ……ねぇ、レティム)

(どうしました、マスター)

(私……今生の自分の名前、知りません)


 その言葉に、彼が絶句した気配がしました。


……そういえば、私は今まで神子とか、玩具とかしか呼ばれたことがありません。あとは早希さんが呼ぶ時のお嬢様、くらいでした。


(……なら、自分で好きに名乗ればいいのでは?)

(……それもそうですね)


 こちらの親族に未練も無いですし、早希さんが呼ばなかったというのであればおそらく本当に無いのでしょう。そうと決まれば、さらさらと名前を書いていきます。前世で、彼女から貰った名前を。


「へぇ、ミステル……ミステル・ヴァレンティン、だね。よろしく!」


 その言葉に、私も、あまり動かない表情筋を総動員し、ぎこちなく笑顔を返したのでした。

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