小さな悩み事
「ミステルちゃん、お風呂行くわよ!」
夕飯……普段用意しているらしいお父さんが、帰ったばかりで用意が億劫だと言って出前のお寿司で済ませた……が済み、リビングのソファーで手持ち無沙汰に膝に乗せたレティムを撫でていると、お姉ちゃんがそんな事を言い出しました。
『一人で入る、お姉ちゃんお先にどうぞ』
「……一人で髪、洗える?」
その言葉にさっと目を逸らします……自分でやった事、無いです。
『がんばる』
「だーめ、適当にやったら傷んじゃうんだからね、折角の綺麗な髪なのに。それじゃ行くわよ」
おっふろ、おっふろ、と拍子を取って歌いながら手を引くお姉ちゃん。一緒にソファーで寛いでいた、手近にいたレティムを咄嗟に捕まえながら、私はなす術もなく連行されるのでした。
(というか何故僕までええぇぇぇえ!?)
何やら叫んでいるレティムですが……ふふふ、マスター独り危地へ行くのを黙って見送るとは何事ですか、死なば諸共、です。
……なんか違う気がしました。
結局、有無を言わさず連れてこられた脱衣所。先にてきぱきと衣類を脱いでいく緋桜からそっと目を逸らしながら、渋々私もワンピースを脱ぎ始めます。
「ほら、もう何回も一緒に入ってるでじゃない、早く入りましょ……それとも、お姉ちゃんとは嫌?」
恐る恐るという風に聞いてきた緋桜に、首を振ります――そんな悲しそうな顔で言わなくても。断れないじゃないですか。
ワンピースと、キャミソールを脱いでショーツ一枚になると、否が応でも目に入ってまう私の肢体。
一緒に入るの自体が嫌というわけではないのです。ただ、自尊心の問題というか……端的に言うと。帳面に筆を走らせます。
『子供体形だからはずかしい』
……ああ、こんなことを書くこと自体が恥ずかしいです。顔の下半分を帳面で隠しながら、恐る恐るその理由を伝えます。
今、眼前で下着姿をあられもなく晒している緋桜は、引き締まったスレンダーな体形ながら、健康的に女性らしい凹凸のあるボディラインをしています。
一方、私はというと……胸は見事に大平原、お腹もほとんどくびれも無く若干ポッコリしているため、このか細く貧相な肢体をつい彼女の健康的に育った身体と比較してしまい、見られるのが、酷く恥ずかしく思ってしまう。
「そんな事無いよー綺麗だよー! できれば写真に撮って携帯に保存したい」
『それはヤダ』
流石にジトーっとした目で見る。なんでショーツ一枚のヌードを撮影されなければならないのか。
「さ、流石に冗談ヨ、あはは……」
気まずそうに目を逸らしたお姉ちゃん。視線が外れた隙に、最後の一枚を脱ぎ捨ててお風呂場へ滑り込みました。
「それじゃ、流すから目、瞑っててねー」
こくりと頷くと、ばしゃーっと頭からお湯がかけられ、頭皮を包んでいた泡が洗い流されます。そのままよく濯がれ、髪に付着したシャンプーが丁寧に洗い落とされました。
「どう、痒い所とかは無い?」
「……(ふるふる)」
首を振って答えると、お姉ちゃんは洗い終わった私の髪に嬉々としてトリートメントを擦り込み始めました。
もう、かれこれ十分以上は優に私の洗髪に使ってしまっています。面倒じゃないのか、と視線を送ると、それに気が付いたお姉ちゃんは、にへら、と上機嫌に相好を崩します。
「全然面倒じゃないよー? ミステルちゃんの髪はサラサラで綺麗だし、触ってて楽しいもん」
そういうものなのでしょうか? 首傾げますが、実際に鼻歌交じりにケアしているのでそうなのでしょう。
おかげで私は身体も髪も洗うのはお姉ちゃんに任せっぱなし。ずっと手持ち無沙汰なので、私は合間を縫ってレティムの毛皮をわしわし洗っていました。
(マスターは、僕が雄だって忘れてませんかね……)
何かよく聞こえない事を呟いていますが、目を閉じて、大人しくじっとしているため、特に嫌では無いのでしょう、多分。
そんな風にレティムを洗うのに集中していると……
「あー、でも、自分でも洗えるように練習しないとねぇ。今度から少しずつケアの方法も教えていくから、挑戦してみようか」
「……(こくり)」
ポツリと呟いたお姉ちゃんの言葉に、頷きます。誰かにやって貰わないとできないというのは、流石に問題でした。教わる事に異論はありません。
ただ……こうして、一糸まとわぬ姿を見るのも見られるのも恥ずかしいの以外は。
鏡を見ると無防備なお姉ちゃんの裸体が飛び込んで来るため、必死に見ないようにしています。教わるという事は、そうして目を逸らしているわけにもいかなくなってしまいます。
今は女同士、今は女同士……そう脳裏で繰り返してはいるのですが、まだ慣れるにはしばらくかかりそう。
それはさておき。そうなると……身体の洗い方、髪の洗い方。特に髪は、早希さんもお姉ちゃんも、まず髪をブラシで梳いて、温めのお湯でよく洗い流して、シャンプーの使い方も決まり事があるらしく、覚える事が大量過ぎて気が滅入りそう。
『いっそ切りたい』
「ダメ、お姉ちゃん絶対許さないからね!?」
正直な心境を湯気で曇った鏡に指で描いたら、途中「切」を書き始めた段階で猛反対を受けました。
「絶対ダメー! こんな綺麗なのに、勿体無いよ!」
力説するお姉ちゃん。それ以前に、紫外線対策にも伸ばしているべきとお父さんにも言われてますので……髪を短くする自由は私には無いみたいです。
「はふぅ……移動続きでバキバキに固まった体に染みるわぁ……」
「……(こくり)」
広い浴槽に二人で浸かる。暖かいお湯の中で手足を伸ばして浸かっていると、電車、飛行機、それに車と、移動ばかりの一日だった体に、お湯が染み渡り疲労が溶け出していきます。
「……それで、さっき子供体形がはずかしいって言ってたけど」
浴槽で、お姉ちゃんに抱っこされる形で二人で浸かっていると、先程の話が再び持ち上がりました。
「君の年齢で、気にするような事じゃないと思うの。私の友達にも、小学校の時は背も小さい子が居たけど、中学高校と進んだら、今じゃすっかり育っちゃっで肩が凝るとか悩んでる子も居るわよ?」
少し躊躇った後、頷く。私はまだ成長期前で、悲観するような年齢ではない事は分かっています。ただ、比較して勝手に凹んでいただけで。
「……気にしてたんでしょ、『成長の遅れが見られる』ってお医者さんに言われて」
ぎくり、と、図星を突かれて体が跳ねた。
「……これはお父さんの受け売りなんだけどね……子供はね、ご飯だけじゃなく、勉強したり、遊んだり、怒ったり泣いたり、そういった物を『食べて』大きくなっていくの」
それは、なんとなくわかる気がします。今はまだ、色々と学ぶべき時期。将来、なりたい自分を見つけるために、可能性を蓄えながら。きっと、そういう時期。
お姉ちゃんが、そっと取った私の腕にうっすらと走る、白い肌よりさらに白い、裂けたような傷跡をそっと撫でながら続けます。
「……ミステルちゃんの今までの辛い仕打ちは、そういうのとは違う。あんなものはきっとただの毒。君はようやくそうじゃないものを食べ始められるようになったの。今はまだ分からなくても、きっとこれからは学校にも行って、色々な人に会って、友達なんかもできて……これから成長していくための準備をし始めるところ。だから、少しくらい遅れてる程度で慌てちゃ駄目よ」
弱い体の自分。
普通に生活する上では、お姉ちゃんとお父さんのお世話にならざるを得ない自分。そういう自分に引け目を感じ、焦っていたのではないかと言われたら否とは言えません。
……この小さな身体は、そんな無力の象徴に見えて恥ずかしかった。
「君は育ちのせいで妙に賢いもんね、色々考えすぎちゃったんだと思うけど……でもね、ミステルちゃん、キミはまだ9歳なのよ? まだまだいっぱい人に頼って、甘えていい年齢なの」
「……っ」
改めて突きつけられた、なまじ前世の記憶があるせいで、ついつい忘れがちな自分の年齢。この世界では、紛う事なく子供として扱われる年齢。
「だから……迷惑をかけたくない、って思われるより、むしろ一杯甘えて、迷惑をかけて、そのうえでこれから少しずつ大きくなっていくところを見せてもらった方が、お姉ちゃんは嬉しいよ?」
背中から回された手が、ぎゅうっと私の小さな体を抱きしめます。
早く迷惑を掛けずに済む、庇護されず一人前として扱われる年齢になりたかった。しかし、相手はそれを望んでいないと言う。
……できるかどうかは分かりません。それだけ、前世の記憶が私の人格形成を占めるウェイトは大きいです。だけど……
「……(こくん)」
「うん、よし、一緒に頑張ろうね!」
だけどもう少し、甘えて見れるように頑張って――
「うにゃああぁぁぁああ!! 恥ずかしい事言っちゃったよぅ!? 」
「……――っ!?」
突然、背後で奇声が上がると同時に、私を抱えていた手が脇腹、触れるか触れないかのあたりをわしゃわしゃとくすぐったため、ビクンっ、と体が跳ねました。
突然の出来事に目を白黒させて混乱していると、背後からはぁはぁと荒い呼吸音が聴こえてきた。
危険を感じ離れようとしても、今はがっちり抱かれているため逃げられない。
……あれ、もしかして今
「そんな恥ずかしい事を言わせた子はこうしてやるぅ!?」
「〜〜っ!? 〜〜!!」
お腹や太もも、脇をあちこち
「うふふふ、ミステルちゃんは敏感ねぇ、皮膚が薄いからかなぁ? ここか? ここが良いのか?」
グヘヘと怪しげな笑い声を上げたお姉ちゃんが、次第によりくすぐったいポイントに絞ってピンポイントで責め立てはじめた。もっ、無理、笑い過ぎでくるしっ……
「ここは? こんなのはどうかなぁ?」
完全に正気が吹き飛んでそうな、目にぐるぐるマークを幻視する様相のお姉ちゃんの、細い指がお臍の窪みに入り込み、ぐりぐり優しいく捏ね回される……なんでっ、そんな場所……ふあぁ!?
(僕、先に上がってますね……お二人はごゆっくりー)
(まっ、待って、レティム見捨てないでぇ!? ふわぁ!?)
器用に浴室のドアを開け部屋の外に滑り出たレティム。伸ばした手の先で、バタンと無情にドアが閉まる。
――結局、お姉ちゃんが正気に返ったのは、散々笑い疲れ、少し逆上せた私がぐったりと抵抗する力がなくなった頃でした……
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