遭遇
「えっと……お腹空いたね?」
『すごく』
「……その、ごめん」
すっかり正気に戻ったお姉ちゃんは、私の責めるようなジト目に耐えきれなくなったらしく、所在なさげに明後日の方を向いて頬を掻く。現在すでに午後2時。お昼の時間は大幅に過ぎ、お腹は必至に空腹を訴えていました。
……あまり入らない分、燃料切れも早いんですよね、この体。
「お父さん、遅くなるかなぁ」
とりあえず荷物がこれ以上は持ち切れないという事で、一度車に置きに行ったお父さん。先に食事をしていなさいとの事で、私達は二人でフードコートへむかっていました。
両手いっぱいに荷物……全て私の服……を抱えふらついていたあの様子では、少々時間が掛かるのは間違いなさそうです。尤も、最後の方はお父さんもお姉ちゃんと一緒になってあれやこれやを持ってきては私に着せていたので、同情はしきれませんが。
……自分の服を買うのであればともかく。こんな、体のどこも薄い子供を着飾って、そんなに楽しいのでしょうか。何にせよ……
『お姉ちゃん、服買いすぎ』
はたして、あれの何割くらいが、私が成長してサイズが合わなくなる前に実際に着れるのでしょうか。より一層、ジトーっとした目で見つめます
……一瞬、育たなかったらどうしようという考えが脳裏を過ぎりましたが、そんなまさか。成長期はもうすぐなはずとその考えを振り払います。
「あはは……ごめんね、色々はっちゃけちゃって。疲れた?」
「……(ふるふる)」
疲れたと言えば疲れましたが、あくまで精神的な物であって、体自体はまだ問題はありません。
……まぁ、ずっと試着室の中でしたからね。
お昼時はすでに過ぎましたが、周囲の人の流れはまだまだ途切れていませんでした。慣れない人込みをきょろきょろと見回していると、ふと違和感を感じました。
――視線の先に居たのは二人組の男性……その首元あたりに、何か『ゆらぎ』のようなものを感じたのです。
「……ん?」
その二人組の一人が、視線を感じたのかこちらに突然振り返りました。慌てて視線を逸らします、が。
「……ミステルちゃん、私の傍を離れないでね」
遅かったようです。緊張が滲んだお姉ちゃんの声。さりげなく私を庇う位置に移動したそのお姉ちゃんの方に、男たちがニヤニヤしながら寄ってきているのが見えました。
「お、見ろよ、なんかすげぇ可愛い子居るんだけど」
「おー、マジでめっちゃ可愛いじゃん、モデルか何か? ねぇ、君、俺らと遊び行かない?」
馴れ馴れしくお姉ちゃんに声をかけてきた見知らぬ男たち。
……しかし、妙です。身なりも清潔に気を使っておりそれなりに真面目そうで、とても遊び慣れているとは言えなさそうな。
格好が、普通の一般人の風体です。まるで、普通に連れ立って出かけた先で豹変したかのように。
ただその目だけが欲望にぎらついている、そのようなちぐはぐな印象。
「ごめんなさい、見ての通り家族連れなの。妹も居るからできれば遠慮してほしいのだけれど」
お姉ちゃんも、あまりタチの悪い人たちのようには見えなかったらしく、私を背後に庇いつつ、当たり障りなく断ろうとしています、が。
「えー? いいから一緒に行こうぜ、奢るからさぁ。そっちの妹ちゃんも一緒でいいから」
「っていうか、この妹ちゃんもすっげぇ可愛いんだけど。俺、これなら十分いけるわ」
「あぁ? 何お前ロリコン? マジ引くわー、って、うっわマジ可愛いし。何この子外人?」
すっとこちらに手が伸びてきたため、隠れて覗いていた顔を慌てて引っ込める。
……高い所から手で視界塞がれるのは、本当に怖いんですよ。小さくなって身に沁みました。
「嫌われてるし。お前怖いってよ!」
ぎゃははと気に障る笑い声を上げながら、二人組の一人がお姉ちゃんの腕を取ろうとして――
「……ふっ!」
――パシン、と目にも止まらぬ速さで、お姉ちゃんがその手を叩き落しました。
周囲遠くから上がる悲鳴。気が付くと周囲を野次馬に囲まれており、中には警察か何かを呼びに行ったのか慌てて走り去る者も居ましたが、厄介ごとに積極的に割って入ろうとするものはおらず、遠巻きに眺めているだけです。
「ってぇ!? 何しやがるこのアマ!」
「こっちのセリフよ、冗談ならハイさよならで済ませてあげるつもりだったけど、この子に手出しするつもりなら微塵も容赦しないわよ」
じりっと、素人目にはそうと分からぬ程度に、体をずらし、重心を傾けていつでも攻撃に移れるような体勢に移行する。
その気迫に周囲がただごとではないとざわつき始めるが、男たちはさほど気にした風も無くじりじりと距離を詰めて来ました。
……大の大人の男性が二人とはいえ、いつでも強化術が使用できるうえ、剣術に加えて実践的な格闘技も納めているらしいお姉ちゃんが、引けを取るとは思えません。だから、この状況で、最も怖いのは、私が捕まってしまう事。
お姉ちゃんを軸に対称の位置となるように、慎重に男たちの様子を観察しながら位置取りをしていると……そんな中で、ふと違和感を感じました。何か空間の揺らぎのようなものを感じ、目を凝らしてみる。
(あれは……)
絡んできた男達の首のあたりに、不気味な姿をした節足動物のようなものがくっ付いていました。
くい、となるべく邪魔にならぬように、お姉ちゃんの袖を軽く引きます。注意を逸らさぬままこちらを振り向いた彼女に、メモを書きなぐった帳面を見せる。
『首のあたりに居る虫が、なんか変』
「……え、虫なんて、どこにも……」
怪訝な顔で返してくるお姉ちゃん……見えていない?
(レティム、相手の肩のところ、居るわよね?)
(はい、ただ、マスターは、神力を纏っているから見えるんだと思います、原理的には神々の方々が人から姿を隠すときのそれに似ていますが、その力は比べ物にならないほどにとても小さいです)
神々と同質の、しかし禍々しい亜種の力、それって……
(……多分、信じがたいですが)
(……信じる信じないは置いておいて、実際問題、どうしたらいいと思う?)
流石に、この野次馬の中心で『
(展開している力はおそらく最小限度のもので、ちょっと揺さぶればすぐに剥がれる程度だと思います。だから空間を、マスターのそれと同じ力で満たせば、緋桜さんみたいな魔術師であればおそらく)
(視認できるようになる、と……でも、この体で力を使うのは)
(いえ、必要なのは量ではありませんから、普段無意識に身体から漏れているのと同じようにするだけです。ただ、それを薄く広く周囲に広げていくようなイメージで)
(……わかった、やってみる)
目を閉じ、手を組んで、水が水蒸気になって広がるように、自分の周囲の空気がこのフードコート全体に広がるようにイメージする。
額に汗が浮かびはじめ、たらりと一筋水滴が流れたころ、ぱきんと、何かが割れたように魔力の振動する手ごたえがいくつか、周囲から波のように伝わってきた。
「……っ、虫!? それか!」
前から、お姉ちゃんの鋭い声。ボッっと空気を引き裂く音がした。
「あっ……がっ……?」
目を開けると、手刀を振り抜いた姿勢のお姉ちゃんが相対していた男が、突如白目をむいて膝をついていました。その首から、バラバラになった
「なっ……お前、よくも……え?」
何か言おうとしたもう一人の男性ですが、その時には既に懐にお姉ちゃんが入り込んでいました。
――ダンッ!! と、激しい踏み込みの音。
「――はぁああっ!!」
「あぐっ!?」
引き絞った弓のように、全身の力を余さず速度に変えて解き放たれた、裂帛の気合と共に放たれたお姉ちゃんの手刀。
その一閃が、今ようやく動き出そうとしたもう一人の首にへばりついていた虫を貫き、その背後にあった観葉植物の葉を揺らします。
同時に、やはり同じよう直接は手出しされていないはずのもう一人の男がうめき声をあげ、気を失いました。
……傍から見れば、目にも止まらぬお姉ちゃんの突きが、男の耳元を掠めて気絶させたように見えるでしょうか。周囲から、おおぉ、と歓声のような声。
「……ふぅ。見える様になったのはキミのおかげ? 怪我はない、大丈夫?」
男たちがすぐには起き上がってこないのを確認し、すぐに私の方に屈みこんでこちらの様子を気にするお姉ちゃん。
(……あっ)
「おっと、危ない」
ふと、気が抜けてかくっと膝が砕けた私をお姉ちゃんが素早く抱き留め、近くのベンチに座らせてくれました。
(マスター、大丈夫ですか? ひどくお疲れのようですが)
(……大丈夫、慣れない集中の仕方をしたから気が抜けただけ)
流出量を変えずに効果範囲だけを広げる……言葉にするのは簡単でも、おそろしく繊細にコントロールが必要でした、が、今後を考えたら、しっかりと練習して習得する必要がありそうです。
……これでもう終わり、とは考えにくいですから。
「……あ、れ? 俺、何をして……?」
程なくして最初に倒れた方の男性が、頭を振りながら意識を取り戻す。事情を呑み込めない男の目の前に、お姉ちゃんが腕を組んだ仁王立ちで立ちふさがり、影が落ちます。
「目、覚めたのね。自分がした事を覚えてる?」
「――っ!? スンマセンでしたぁ!!」
底冷えするような、怒りを多分に含んだお姉ちゃんの声。男がはっと周囲に気がついたと思ったら、勢いよく土下座し始めた男性に、びっくりして固まる私とお姉ちゃん。
「こ、こんな事しちゃあいけないと思ったんだけど、なんだか夢の中に居るみたいに現実感が無くて。妙に気が大きくなって……とにかく、スンマセンでした!!」
先程とは一転、必死に謝りながら、土下座を崩そうとしない彼に私達があっけに取られていると。
「俺は……何てことを……」
もう一人、後に倒された方も、ふらふらと起き上がりました。まるで幽鬼のように何事かをぶつぶつ呟きながら。
「……幼女に手を出そうとするなんて……俺は紳士失格だ……ノー、タッチを守れない奴なんて最低だ……」
壁に手をついて俯いた姿勢でぶつぶつと言い出した彼に、少し引きます……が
『……悪い人じゃ、なさそ?』
「そうね……やっぱりあの虫が原因かしら。でも、悪い人じゃなくてもミステルちゃんは絶対近付いちゃ駄目よ」
こくりと頷きます。何か、本能的に恐怖を感じましたので。
「とりあえず、貴方達」
「「は、はいっ!!」」
「……反省しているのなら、それでいいわ。何か変なものに憑かれていただけと思って忘れなさい?」
『きにしないで。もうやらないようにね?』
「姉さん……」
「マイエンジェル……」
『それはやめて』
なんだか変な呼び方をされたので、即座に拒否の言葉を殴り書きして拒絶します。あ、鳥肌が。
「ミステルちゃん、これってどういう事? あの虫が何か関係ある?」
「……(こくり)」
男たちが平謝りしながら走り去り、野次馬もまばらに散った頃……ようやく口を開いたお姉ちゃんに頷きます。あれは……
(レティム、お姉ちゃんとの念話許可するから、説明お願い)
(了解です……緋桜さん、緋桜さん、聴こえますか?)
「うわっ!? ……この声、レティム? こうして声を聴くのはあの夜きりだけど、どうしたの?」
(はい、マスターから事情の説明を頼まれましたので、僭越ながら)
こほん、と彼が一つ念話で咳払いすると
(あれは……僕も俄かに信じ難いのですが……『魔神』、と呼ばれる者の使役する眷属です)
前の世界で私と緋桜が戦い、殲滅した魔神……その片鱗が、まさかこの世界でも遭遇するとは、私達も想像していませんでした。
――どうやらこの世界、思っていたほど一筋縄ではいかなそうです。
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