生まれ変わりの守護天使
@resn
プロローグ
prologue1 昔の話
ある世界に、一人の少女が召喚された。
その世界では、二つの大陸で人族と魔族、海を隔てて分かたれたその二種族がお互い不干渉を貫くことで永い永い刻を共存していた。
ところがある日、神界より逃げ出した下級神がその内の魔族の王に取り付いたことで、状況が一変したそうな。
豹変したかの王は自らを邪神と名乗ると、突如もう一つの大陸、人族の世界へと宣戦を布告し、神々に収監されていた魔神と呼ばれる存在を次々と召喚すると、その圧倒的な戦力で瞬く間に人の世界を千々に引き裂いていったらしい。
その世界の人々には、その侵略を止める術をついぞ見つけることができなかったらしい。ゆえに、外部から……この世界ではない、別の世界からの助けを求めた。
そうして呼び出されたのが、彼女だったそうな。
とはいえ、彼女の居た世界はこちらと比べればまだずっと平和な世界だった。どころか、魔法的な物すら存在していなかったという。当然、そのような邪神や魔神と戦う力など備えているわけはなかった……本来であれば。
その状況を打破したのは、この状況を手をこまねいて眺めていた神々だった。身内の恥と気にかけつつも直接の干渉を避けたがっていた神々は、これ幸いと彼女に様々な加護……彼女は、転生チートだとか転生特典だとか呼んでいた……を盛り込み送り出したそうな。
――先程から、らしい、とか、だそうな、と語っていることは申し訳ないと思う。しかし、生憎私はまだこの時は生まれていなかったため、これらの話は伝聞でしかないのだ。
そんな中の神々の一柱……彼女の住んでいた世界の担当の神が、過酷な運命に選ばれた彼女を憐れみ、その守護をする補助役として、一本の、とある神の力の残留したヤドリギを核にして一体の天使を創造し、彼女の元へ送り込んだ……それが、私。
そうして作り出された私は彼女の下に送り込まれた。その初顔合わせの際の、彼女のセリフが……
「え? それじゃあなたも転生特典?」
だったのには思わず目が点になったものです。
彼女は勤勉で努力家でした。少々、普通の人間という定義から外れる程に。
剣を習えば誰よりも自らを虐め抜き、人族でも最上級クラスの剣技を収めてしまいました。
魔法を習えば、幾日も不眠不休で研究を重ね、大賢者とまで呼ばれた者たちですら舌を巻く使い手となっていました。
その中には多分に神々から与えられた、彼女の言う『転生チート』なるもののおかげなのでありましょう。かといって、それで彼女自身の身を削る努力まで否定されるようなものではないと私は思います。
一度、なぜそこまで頑張ろうとするのか聞いた事があります。
そうして聞いた彼女の身の上話……彼女は、元いた世界では、空飛ぶ乗り物……ヒコーキなる物の事故の生き残りだったのだと。絶望的な状況下にあって、まだ幼い幼児だけでもと周囲の乗客が一丸となり、最後の瞬間まで悪あがきをした結果、一人だけ、奇跡的に生存したのだそうな。
――だがしかし、五体満足とは行かなかった。重体の身であった彼女は、寝台から起き上がる事も二度と出来ぬ身であったと。
「大勢の犠牲の上に生き残った以上、何かしないと、っていう焦燥感がずっとあったの。『サバイバーズギルト』、って私達の世界では言うんだって。だけど、そうは思っても、私はベッドから起き上がる事も自分では出来なかった……凄く、悔しかった」
故に、選ばれたのだろう。誰よりも人の役に立ちたいと願いながらも、人の世に縁が切れかけていた彼女が。その結果としてこうして存分に動ける体で喚ばれた。だから頑張るのだと。機会をくれたこの世界の人々には感謝していると。
その言葉を聞いた私は……怒った。
貴女は何も悪くはないではないかと。貴女の献身は確かに尊いものではあるかもしれないが、なればこそもっと自分も大事にするべきだと。
その後しばらく、主張があべこべな口論が続いた。彼女を擁護する私に、その彼女当人がそれを否定する。周囲の人間は皆呆れ果て、いつの間にか自分たちの部屋に戻ったのも気付かずに。
「……このっ……頑固者!!」
「お互い様です!!」
……思えば、私が自らの意思で彼女の意思に逆らったのも、これが初めてだったでしょう。
その後十数年に渡って転戦を続け……いつしか世界の希望とされるまでに成長した彼女の周囲には稀有な人材が集まり、多数……それこそ国の抱える軍に匹敵する数の英傑の集団の長へと成長していた。
人々に『希望の軍勢』と呼ばれるようになった彼女らは大陸各地を転戦し、魔神たちの情報を集めて討伐手順を確立して人々に伝え、分断された各国を再びつなぎ合わせ、様々な武器や兵器や魔法を開発し、やがては大陸から魔神の軍を駆逐して魔族の本拠のある大陸へとその手を届かせた。
当然、無数の別れが存在した。時には辛い、非情の決断を迫られることとなった。魔族の大陸に攻め上がった後などは、向こうから見れば私達の方が侵略側であると自分達の正義に疑問を抱いたが、それでも歯を食いしばって戦い抜き……最後にはこの戦争に疲弊していた魔族とも講和を成し遂げ、手と手を取りついに邪神の討伐に成功する。
邪神を滅ぼしたのち彼女は、人々が歓喜に震える中で一人でいることが増えていた。最初の約束通り元の世界に帰還するか否かで悩むようになった。それだけ、こちらで育んだ絆が強固であり、いつしか元の世界への未練よりも、こちらの住人との別れの方が耐えがたくなっていたのだ。
――今にして思えば、この時点で周囲が、彼女が、何を言おうとも、私は彼女を元の世界へ還すべきでした。
長きにわたる戦乱に疲弊しきっていた人間たちは、清廉にして勇敢、そして 精強な存在……全てを終わらせた英雄である彼女に統治を願うようになりました。請われてしまえば断れないお人好しな彼女は、とうとう帰還を止め、担ぎ上げられるままに当時小国であった、統治者不在であった一つの国にて戴冠した。彼女に付き従っていた英傑たちも、そんな彼女についていって新たな国を興す手伝いをしていました。
――そうして十数年は、平穏な時代が過ぎた。
こちらへ来た際に老化の止まっていた彼女は、周囲が老いていく中でも、未だ来たばかりの頃と同じ若々しい外見を保っており、衰えを知らぬ女王に民たちは心強さを覚えていました。
また、いくつかの産業改革を成功させ、国を豊かにした彼女は、やがて賢王との評判を得ていきます。
だが、しかし……彼女の周りにずっと居た者は、知っていた。彼女は特段賢い王ではないのだと。だが、彼女の世界の技術を朧げな記憶を辿り再現しようと失敗を重ねながらも挑戦し、時には自ら農民の皆と土を耕し、技師と何夜も頭を悩ませ、知識人に頭を下げて教えを請い、その結果の大成であったと。美麗な庭園の代わりに城内の庭に開かれた広大な畑こそ、彼女のたゆまぬ努力の証だと。
――そうして、数十年が過ぎた。
その間、色々な事があった。元の仲間たちとも別れ。次々老いてこの世を去っていくのを、彼女はただ笑顔で見送り続けた。残された彼らの子孫を見守ることを約束しながら。
その間、様々な争いが彼女の周囲を襲った。騒乱も遥か遠い記憶となり、豊かさを増した世界は、今持つもでは満足しきれなくなり、次第に余地をめぐって衝突を繰り返すようになっていきました。
当然、彼女の治める国も例外ではなく……否、むしろ、人族最大戦力として伝説となっていた彼女こそ真っ先に蹴落とそうと周囲が結託し、そしてその全ては精強な彼女の軍と、なにより彼女に討たれた。その間、彼女は決して自分から攻め込まず、専守防衛に尽くしていたことは私が証言しましょう。
――そうして、百年の時が過ぎた。
周辺から襲い来る国を相手取り、次々と併合していった中で、彼女の国は小国から、大陸全土を統べる大帝国と化していた。これはこの世界の歴史上、最も巨大な人間国家……否、この時にはすでに魔族の垣根すらなく、お互い共存し高め合う、一つの理想の国家となっていたように思います。
そんな自国を見て、彼女はまるで以前と変わらぬ能天気な様子で、「いやぁ、ずいぶんおっきくなっちゃったねぇ」と、私の前ではあっけらかんと宣っていました。
……そんなはずは無いでしょう。
彼女は疲労していたはずです。もはや親しかったものは残っておらず、その肩にはどう考えても許容量を超えた重責がのしかかっていました。
だから、彼女が私の下を訪れた時は、彼女は決まってこう言うのだ。
――やっぱりここは落ち着くねぇ、と
だから、私は彼女を可能な限り甘やかしました。外に出れば、途方もない重責を背負うのだから、ここでくらいはその荷を下ろして寛げるように。
だから、私はどのような時であっても彼女の味方をしました。彼女は、どれだけ苦しくても歯を食いしばって正しい道を選択しようと彷徨い続けていたから。
――そうして、二百年の時が過ぎた。
……限界だった。むしろ、不老とはいえ人の身でここまで持ったという方が奇跡なのです。この時になると、彼女は未だ若々しい外見ながら、その記憶は時折大きく欠落を見せるようになっていました。確実に、壊れ始めていました。
私は、何度も帝位を退き何処かで静かに暮そう、あるいは主に掛け合って、元の世界に帰れるようにすると持ちかけたが、彼女はそれでも首を一度も縦に振りはしませんでした。
不可侵にして神聖な唯一帝。その威光に陰りを帯び始めたことを察し、周囲からは人が消え始めます。彼女の目はもはや膨らみ過ぎた国土全てを観ることは叶わず、私腹を肥やそうとするものにじわじわと食いつぶされ始めていました。腐敗は、もはやどうにもならないほどに進行していました。
そんなある日、とある辺境で流行り病により大勢の人が亡くなります。なんてことはない、よくある病でしたが、その地が彼女の目の届かぬ腐敗の温床と化した地であったのが災いします。
彼女の把握していなかった、重税によって疲弊した民たちには病に抗う力は残されておらず、その死者数は夥しい数に膨れ上がりました。その間何の手も打とうとしなかった領主に、民たちは怒り、武器を取って立ち上がったのです。
そして、そこを治めていたものが、民衆の蜂起の末断頭台に上げられた際、必死に自らの責任を他者に押し付けようとする中で、このような事を宣いました。
――私は悪くない、お前たちが税を出し渋るから、陛下の怒りに触れたのだ……と
最初は欲に塗れた元領主の戯言と鼻で笑われたそうです。しかし、これを皮切りに偶々各地で厄災が襲い、そのような状態にあっても表に出てこない彼女に、徐々に徐々に澱の様に疑念が積もっていきました。いや、実際はここまでの中でも積もり続けていたのでしょう。
――決して滅びぬ賢王。
――何物にもにも負けぬ覇王。
――では、そのような人物が、暴君となってしまったら?
民衆の間に芽吹いたその疑念が憶測に憶測を呼び、やがて何かよからぬことがあるたびに全て彼女のせいになります。
そこからは、坂を転がるようにあっという間でした。ものの数年で、彼女はすでに賢王に非ず、世を闇に覆う新たな魔王であると。初めに彼女へと付き従った天使……私はすでに堕ちており、その私に唆され悪に墜ちたのだと。そう恐れられるようになっていました。
余程身近に接していたもの以外、その言葉を疑う者は皆無でした。事実、私が彼女をただひたすら甘やかしていた存在であったことは周知の事実であったから。
――だが、しかし。であれば、私はどうしたらよかったのだろうか。誰よりも頑張りすぎた彼女を、私も突き放せばよかったのだろうか。
――何度考えても、私にはそのような事は出来そうに無いと、そういった結論しか出ませんでしたが。
「……もう、終わりだね。今まで、ありがとう」
彼女は、私の足音の接近に気が付くと、こちらも観ずにそう告げた。そこに居るのが私であると、全く疑っていない様子で。
……当然だ。なぜならば、もはやこの巨大な王城には、私と彼女しか残されていないのだから。
兵には、もはやこの城を守らなくてよい、それよりも民衆を守ってやって欲しいと全員暇を出した。それでも最後まで忠義を尽くそうという者は、すでに全員戦死した。
仕えていた者たちも、換金すれば財になるであろうものを持たせ、渋るものは力ずくでも退去させた。
今この時も城周辺は無数の民衆に包囲し尽くされているであろうが、城内は痛いほどの静寂に包まれていた。
「……今ならまだ、貴女の元いた世界に送り返すことも可能です。主にも、貴女が望むなら、と許可は……」
「もう、またその話?」
はぁ、と深くため息をつかれる。
「ごめんね、貴方が私の為に言っているのはよく分かってる。だけど、何度も言ったけどその気は無いよ。私は十分に生きたし、それに……きちんと、後始末しないといけないしね」
「……はぁ、この頑固者め」
「お互い様でしょ?」
違いない、と私が苦笑すると、彼女は出会って間もない頃と変わらぬ表情で、顔を綻ばせた。その顔を見て、ああ、やはり、と胸が締め付けられる。大陸を統べる唯一帝という立場は、彼女にはやはり重荷でしかなかったのだと。こうして人がいなくなって、孤独になって、ようやく彼女は還ってこられたのだと。
「……申し訳ありませんでした。私は、この世界とは無関係な貴女を、孤独に、不幸にしてしまいました」
「ううん、そんなことない……だって貴方は、いつだって一緒に居てくれたでしょう? 私こそ、ごめん。貴方に『堕天使』だなんて不名誉な風評を被せてしまって」
「それこそ気遣い無用というものです、私も好きでやっていた事でしから。貴女はいつも大袈裟なくらいに喜んでくれるから、私も楽しかったです。ついつい料理研究も進んでしまいました」
「そうだよ! 貴方が作るお茶とお菓子が美味しいのが悪い!」
子供っぽくバンバンと肘掛けを叩きながら主張する彼女に、苦笑する。
こぽこぽと、私がお茶を淹れる音だけが広い謁見の間に響く。今回ばかりは茶菓子も存在しない。食料は、これも全て退去する者に頼んで民へと放出した。唯一残ったこの茶葉は、私個人で少量だけ取っておいた最後のへそくりだ。
……そういえば、最初に彼女に会った召喚後の顔合わせ時も、こうしてお茶を淹れてあげましたね。
そんな懐かしさに苦笑しながら、彼女の前にカップを置く。これが、私のしてあげられる最後の事になるのだろう。そして彼女も、それが解っているのだろう。ゆっくりと、惜しむように香りを楽しんだ後、ようやく口を付けた。
「……でも、お別れだね。貴方も自分の居るべき場所に帰っていいのよ」
「そうですね……貴女を最後まで見届けたら、そうさせてもらうことにします」
「……頑固者」
「お互い様でしょう?」
私の言葉に、二人揃ってぷっと噴き出した。
そういえば、彼女の、どこか諦観を湛えた笑顔以外の笑顔を見たのは、いつ以来だろう――
「……そろそろね。お茶、ご馳走様。いつも通り美味しかったよ」
「はい、お粗末様でした……いってらっしゃい」
もう二度と帰ってこないであろう主を、私はそう言っていつも通りに見送った。
――帝国歴、236年。
長きにわたって栄華を誇った国の、最後の日の朝だった。
「見つけたぞ、堕天使め!!」
「よくも……よくも俺達の国を! 陛下を!!」
義憤に駆られる武器を携えた者たちに囲まれながら、私は苦笑した。そのように距離を取って囲まなくとも、幾重にも施された結界に全ての力を押さえつけられた私には、どのみちもはや何もできることはないし、しようとも思わないというのに。
……先程、私が生まれてからこの二百余年片時も離れず傍に存在したつながりが、消滅した。
……もう、私にこの世界に存在する理由は、何も無かった。
きっと、この先に待っているのは、突如唯一の頂点を失った巨大国家をどのように分割するかで起きる、人々の血で血を争う抗争でしょう。しかし何代にも渡る長い時を誰かに統べられる側であった彼らには、そのようなことは予想もできていないのであろう、が、それももうどうでもいい。
それでもきっと、長い争いを経て、また誰かが統治する国ができるのでしょう。正しく『人』の国が。共に魔神達を相手取って世界を駆けた仲間たちは、英傑たちは、もう誰も残っていない。長い平和の中で過剰な火力を誇った兵器も魔法もとうに遺失し、あとは最後に私が消えれば、神代の時代は終わりを告げるのだ。
――ああ、もし、この先生まれ変わった貴女に会うことがあったら。今度こそ、その時は貴女を幸せにしてあげられますように……
こうして、一つの巨大な国が終焉を迎えた。実際に歴代唯一の皇帝が討たれたその場に居合わせた一人が、晩年息を引き取る前に語った内容によると……包囲され、無数の刃を突きつけられたかの皇帝は、一度も自ら刃を抜かず、ただ穏やかな顔で己の最後を受け入れたと言う。
その、最後の言葉は……
『嘘つき、意地っ張り……この、頑固者』
命尽きる間際、そう、慈愛すら感じる穏やかな表情で小さく呟いたと言われている――……
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