prologue2 今の話

 ――白く染まった街を駆ける。


 

 はらはらと降る粉雪が視界を塞ぐ中、一歩踏み込むたびに足元でまだ足跡一つなかった処女雪が爆ぜ、そうして発生した地吹雪すら置き去りにして疾る。


 国内最北端の政令指定都市は、11月も半ばだというのに既に路上は雪が積もり始めており、幾度か滑って足を取られそうになるが気合で転倒は堪える。現在位置は都市部の有名な繁華街ど真ん中。にも拘らず、こうして雪を蹴立てて爆走していても誰も咎める物は居ない……いや、周囲に人自体が存在していない。


 空にはやけに大きな紅い月が煌々と輝いており、視界は良好だが夜闇を紅く不気味に染め上げ、ここが真っ当な世界ではないと声高に主張していた。







 ――なんて現実逃避気味にモノローグかましてみたけど、迷子の女の子の両親を探しているうちに、いつの間にか一人と一匹で入り込んでしまった『ここ』で、こうして逃げ回る羽目になってどれだけ経ったかなぁ!?

  

 ずっと何かが追ってくる気配に、とうとう背中から来る圧力に耐えきれず、ちらりと振り返り背後の地面に視線を落とすと……後方では私の足跡を辿るように、足音すら無く人にしてはおかしな足跡だけがビタビタビタッと着いてくるというホラーな光景が展開されており、ひっと変な声が出る。


 でも、背後に迫っているのは、ホラーとは違うもっと直接的な命の危機なのよねぇぇええ!?


「ああもう何でこんな寒い日に出て来るのよぉ! ひゃぁあ!?」


 たまたま躓いて転倒しかけたところで、頭上を何かが薙いでいった。視界の端をかすめた赤い物は……


「あああ!? わたしの髪!? 何てことすんのよ乙女の髪にぃ!!」


 後ろで束ねていた髪の先端が一房切り飛ばされた事に恨み言を叫びつつも、脚は止めない。いや、止めたら死ぬ……! 

 先程からずっと何か見えないものに追われており、背後からはひしひしと殺意を感じるのだ。それはもうグサグサと!


(正面100m先、T字路です足元注意を)


 脳裏に、義理の妹の使い魔で……今は私の肩の上に居る、白いワンコ――いや、実際は竜らしいんだけど――の声が響く……けど!


「っていっても!? 言うのが遅いわよぉう!?」


 トップスピードに乗っている今の速度はオリンピックに出れそうなほどで、こんな速度では足元は滑ってブレーキは効かない。ぜぇったいコケる!


「ええいままよ! ふん! ぬ! らぁ!?」


 とっさの判断で、ならばと逆に前へ跳躍し、正面の壁を蹴って横へ跳ぶ。勢いが付きすぎて反対側の壁が迫ってきたのでそれももう片足で蹴り衝突を回避し、ようやく地面に着地する。


 ――人間その気になればできるんだね、三角跳び! 初めて知ったよ! 乙女が出して駄目な声が出た気がするけどきにしなぁい!


……と、油断した瞬間足が滑った。それはもう盛大に。


「ばぁ!!?」


 雪の下がつるつるに凍っており、見事それを踏み抜いた私は雪の中へ頭からヘッドスライディング。


『ケケケケケ!』

『キャッキャッキャ!』

『ケタケタケタケタ!』


 周囲から湧き上がる、子供のような甲高い、人を馬鹿にした嗤い声……蝙蝠の羽根を持った体長20cm位の二頭身の小さな影。その手には、体同様小さなバケツとスコップ。その中には水が……って


「お前らのせいか! うがぁ!?」


 雪を跳ね飛ばして跳ね起きて、手に握っていた刀を抜く。


「乙女の鼻の皮の恨みを思い知れ! 『Burn out燃え尽きろ』ぉ!」

(ちょっと、火事を起こさないでくださいよ!?)

「気を付ける!!」


 轟、と刀身を中心として猛火が吹き荒れる。火に驚いて動きを止めた小さな影たち……『ティキラ』という、見た目は愛らしくとも、これでもれっきとした魔神らしい。それも悪質な……へと刀を振るう。内二体を焼き切るが、三体目の手ごたえは無かった。我に帰った三体目はすばしっこく逃げてしまっており、ケタケタと空ぶった私を嗤っている。その体から、先程斬ったはずの二体がにょきっと生えてきてまたゲラゲラケタケタ……


「ああぁぁあああ、もう、ムカツク! こいつまじむかつくぅ!!」

(落ち着いてください、彼ら『ティキラ』は、人の怒りや苛立ち、羞恥心等を糧にします、それでは喜ばせるだけです!)

「ああぁぁぁあああ!! もう何だって魔神ってぇ奴はそんな奴ばっかりぃ!? お姫様はまだお色直し中!?」

(もう少しかかります、どうにか凌いでください!)

「急いでよね! ……うひゃぁ!?」


 殺気を感じて慌てて跳び退ると、その瞬間元立っていた場所が何かに斬られる。間一髪……って


「あああぁ!! お気に入りのコート!?」


すっぱりと、コート後ろの裾が断ち切られていた。これもしかしたらスカートまで行ってない!?


(なんでそんなもの戦いに着てきたんですか……)

「だってぇ! 可愛い可愛い義妹とのデートよ!? 可愛すぎて頑張らないとわたし霞んじゃうじゃん!……って、やっば!?」


 いつの間にか眼前に回り込んでいた何かの、たぶん鋭い爪のついた腕が振り下ろされる瞬間だった。咄嗟に刀を構え、受け流そうとするが……明らかに膂力で勝てそうにない、せめて怪我を最小限に、と腹を括る。


 ――最低限、頭と心臓さえ無事なら、死ぬほど痛そうだけどあの子が居れば大丈夫……!


 あぁ、でもすごい怒られそうだな――そんな覚悟を決めた次の瞬間、何かがものすごい勢いで頭上すれすれを薙いで飛んで行った。

 眩い光を放つ輪のような飛翔体だ。それは、何の抵抗も許さずに眼前の敵の腕を肘のあたりを貫通して飛んでいく……あ、ブーメランみたいに戻ってきた。どういう原理だろう。


『グギャアアアァァァアア!?』


 おぞましい悲鳴を上げて、歪な人型の何かが苦悶の声を上げる……なぜ形が分かるかというと、奴が、断たれた肘の先から噴き出す自身の血を浴びて、その形状が浮き彫りになったからだ。


 同時に、私の横を小さい影が駆け抜けていく。重力などないかのように敵の頭上を飛び越え先程の飛翔体を空中でキャッチすると、ふわりと降りて来る。


 粉雪と共に舞い降りて来るのは……一言で言うと、天使。

 比喩ではない。

 いや、比喩的にも天使なんだけど。マジ天使なんだけど。それは置いておいて。

 今は実際に、フリルをふんだんに使用したゴスロリ風のドレスに包まれた体のその背中から、ふさっふさの白い羽が生えている。

 たしか冬が明けたら10歳ってことだったけど、整っているけれど表情はあまり動かない顔は、年齢不相応に落ち着いているように見える。

 アルビノだという白い肌に赤い目。普段は見事に真っ白なサラサラの白髪は今はまるで無数の光の線のように輝いてたなびいており、さらにその頭上には大きな幾何学模様で構成された光輪がまるで後光のように夜の闇を照らしている。

 そして、その手に持っているのは、そんな容姿に居合わぬ凶悪で巨大な光の鎌。先程の飛翔体の正体だ。


 つい先月同居しはじめた、可愛い妹、兼、頼れるパートナーの登場に……内心、助かったぁ! と安堵した。











 ――間一髪、腕が振り下ろされるのには間に合いました。そっと胸を撫でおろします。


(敵は……下級魔神ティキラが複数、それに中級のインビジブル・アサシンですか……5分で片付けます)


 そう長く戦闘を行える身ではないので、無暗に時間を費やすつもりはありません。


 こちらを脅威と見定めた敵。最大の武器である爪と、隠蔽能力を失ったその敵は、周囲の空間をゆがめて内部にエネルギーを蓄え始めます。砲撃戦のつもりでしょうが……その数20と少し、中々の数ではありますが……遅い。


(……Bewein汝の dein大いなる suende罪を gross嘆け


 出ない声の代わりに、心の内でそう告げると、迎撃のための術を編みます。


(銃身形成……チャンバー内加圧……ターゲット、ロック!)


 純白のガントレットに覆われた腕を振り下ろすと、無数に作り上げた小さな閉鎖空間『銃身』に光が充填され始める。魔法で拡張された視界に無数の照準ターゲットマーカーが標的を固定し……ごくわずかに『銃身』に空けた針穴のような隙間から、凄まじい勢いで光線が射出されます。その数……30。


 ――一瞬、視界が閃光に真っ白に染まる。

 

 その大半は狙い違わず敵の作り上げた空間に飛び込み、内側で炸裂して消滅させました。そして、その残りは全て敵の中心線上へと着弾……閃光が収まった時には、抉れた体の内側、額と、心臓に当たる位置に赤い核が露出します。


(今です、姉上殿!)

「了解、上は任せたぁ!! 『Burn out燃やし尽くす』! オーバァ、ヒィィィイイトォ!!」


 義姉の肩にしがみついている、白い犬みたいな私の眷属が、私の意を汲んで指示を出したのを確認し、翼をはためかせて宙へ身を躍らせます。同時に、敵を挟んで対角線の向こうで、翼のように……あるいはロボットのブースターのように炎を纏って突撃する姉。


 ――炎と、光。刀と、鎌。刹那に二閃。


 頭部と、胸部の弱点を同時に破壊された敵……魔神が、オォォオ……と怨嗟の声を上げながら消滅していきました。


「……ふいぃ……助かったぁ、いつもありがとー……ぉおう!?」


 抱き着いてこようとする姉の鳩尾に……丁度良い位置なのです……頭突きを一つかますと、突然の攻撃に目をぱちぱちさせている彼女の服のお腹あたりを掴んで、下から半眼でじぃぃぃいいい、っと見つめてやります。たちまち視線を彷徨わせ落ち着きをなくす義姉。


「あー……もしかして、怒ってる?」

「……(こくり)」

(マスターは、何故一人で突っ込んだのかと問いています)

「いや、だって……女の子がね、困ってるかなぁって」


 その女の子は、魔神の作り出した、餌を釣ってこの空間に引き摺り込むための疑似餌でした。まんまと飛びついたお人よしのせいで、こちらの準備が整う前に戦闘が始まってしまい、その結果が先程の姉の鬼ごっこです。


(それで確かめもせずに簡単に疑似餌に飛びついたのかって言ってますね)

「……(こくり)」

「ごめん、ごめんて!!」


 しばらくぺこぺこと頭を下げる姉に、ふぅ、と一つため息をつくと解放しました……と見せかけて、火急の案件が発覚し、義姉のおへその辺りに勢いをつけて顔を押し付ける。


「げふぅ!?」


 何やら頭上から呻き声が聴こえましたが、知りません、私の羞恥心を和らげるのを優先して貰います。腰に腕を回してぎゅうっと力を込めて顔を押し付けます。


「……ごめん、心配かけちゃったよね」


 その通りだ、と顔は押し付けたまま頷きます。生きてさえいれば私の全存在をかけて絶対に助けますが、それでもまた先立たれたらと考えるだけで、まるで心臓か絞られる思いがするのです。

 だから、そんな思いをさせた姉が悪い。そっと頭を撫でる手の感触に、落ちつくまで付き合わせて些細な抗議をするのでした。




 ……っと、こうしてる場合ではありませんでした。周囲を精査するとティキラもすでに逃げてしまっており、そろそろ、この魔神の作り出した空間も消滅しそうです。

 

顔を離すと、なんだか頭上から「あっ……」って聞こえましたがそれどころではありません。手で目元を拭うと、くいくいと、姉の服の裾を引っ張ります。


「っと、そろそろ通常空間に戻るのね。もう変身解く?」


 こくんと一つ頷くと、私は意識を切り替えました。天使から、人間へ。


 ――魔法体化エーテライズ


 第五元素がどうとかそういった理屈はあるのですがそれはさておいて、魔法そのものとなっていた私の体が、翼が消え、手を覆うガントレットが消え、髪は元の白髪へと戻り、人の肉体へと回帰していきます。

 そうして人へと還ってきた瞬間、がくりと全身に力が入らず崩れ落ちます。魔法体から肉体へと還ってきた際の差異で、一時的に全身が機能不全を起こすためです。

 そんな私を姉が慣れた手つきで抱き留めると、その背に背負いました。その姉も、すでに真っ赤に燃えるような髪だったのが、元の艶のある黒髪へと戻っています。


 そうしてなんどか背負い直されポジションを合わせた次の瞬間、赤い月に染められていた空は元の夜空を取り戻し、途端に喧騒に包まれました。


 



 ……周囲は普段通り大勢の人が足早に行き交い、酒の入って気の大きくなった者や客引き、様々な声に溢れる夜の繁華街へと戻っていましたが、そんなど真ん中に現れた私達を、周囲は誰も気にも留めません……解除された際、素養のない人間には異常を異常と認識出来ない、そういう仕組みの空間なんだそうです。

 故に人知れず怪事件が起こされているのですが……奴ら魔神は『前の世界』に比べ、大きく弱体した代わりにこうした小技には秀でてます。


 ……ただ、騒ぎにならないのは良いのですが、その代わりおんぶされている私に時折微笑ましい物を眺める視線が刺さります。


「それじゃ、不審がられないうちに帰ろうか……高校生と小学生だと下手すると補導されるし」

「……(こくり)」

(お姉ちゃん、スカートが切れてパンツ見えてるしね、とマスターが言ってます)

「…………え゛、本当?」

「……(こくり)」










 ――『彼女』が生前語っていた、彼女の居た世界。


 そこと全く同じように見えてどこか違う世界で、前世の記憶を持って人へと転生した私と、記憶も力も全て無くして生まれ直した彼女は再び出会いました。だから私は……今度こそ、彼女を守ると、そう決めたのです。




 ――私は、たとえ人に生まれ変わっても、彼女の守護天使だから……

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