惨劇の三十分 ②



【前書き】

*警告

今回の話は、主人公・ヒロインの危機展開が苦手な方、鬱展開が苦手な方は閲覧しない事をお勧めします。




【本文】

 





















 ―― AM10:50 ミステル・ヴァレンティン ――




(この……っ! いい加減、離れ……ああ゛ぁっ!?)


 また、背中……に……っ


 ――振り払っても振り払っても執拗にたかってくるくる、無数の黒い影……いなごの群れ。


(はやく、抜け出さないと……っ なのに……っ!)


 唯一の勝ち目は、全力で離脱してアウトレンジから砲撃する事だったのに、それは最初に潰されてしまった。

 何倍にも膨れ上がった蝗の群れは二重三重と周辺を覆いつくし、必死に逃れようと足掻く私を嘲笑うかのように全周囲から囓り付いてくる。


 絶え間なく全身に走る激痛に、自分の意志と無関係に体が跳ねる。思うように体が動かせない。

 特に背中に執拗に絶え間なく激痛が襲い掛かり続け、離脱はおろか、高度すら維持できなくなっている、どころか……


(いっ!? あ!……あ゛ぁ!?)


 幾度目か、また背中に激しい痛み。

 がくっと落ちた高度を立て直そうとする視界の端に、大量の白い物……ひらひらと散った私の羽根が見えた。


 うぞうぞと、羽根の隙間から潜り混んできている小さな物が気持ち悪い。

 断続的に襲って来る激しい痛みが思考を灼く。

 回復を背中周辺に回しているのに、それよりずっと早く身体が削られていく感覚がする。

 リソースをそちらに割いているため、他の部位はすでに全身ボロボロで、右脚と左腕の感覚はだいぶ前に消え去った。


 ――刻一刻と、その破綻の時が迫っているのを感じる。


 早く、早くこの黒い雲のような蝗の群れの中から脱出しないと……!

 こいつらが私の背中を重点的に狙ってくる目的は明白だ……なのに……っ!?


(いいっ、加減に……して!!)


 どうにか絞り出した力を鎌に込め、全身を回転させるように振り回す。

 光が竜巻のように周囲を舞い、身に纏わりついていた虫たちを全て吹き飛ばした。


 ……かと思った次の瞬間。


(――がっ……あああああああぁぁぁあ゛あ゛あ゛っ!?)


 どん! と、重たい質量が背中に衝突し、衝撃に息が詰まる。

 背後から襲って来たのが、高速で飛来して来た巨大な三本の指だと理解するかしないかのところで、その黒い指がざらっと崩れ、背中に纏わり付いた――次の瞬間、無数の小さな刃でやすり掛けされるような激痛が絶え間なく背中……右翼の付け根を襲った。


(あ……あ……あぁ……っ!?)


 凄まじい勢いで羽根の付け根が削られている……否、喰われている。

 ぶちぶちと、致命的な感触が脳を貫き、瞬く間に感覚が失せていく。


(……あ……あ゛ぁっ……もう、やめっ……嫌っ、嫌ぁっ……!?)


 決定的な喪失が間近に迫っている恐怖。

 辛うじてまだ繋がっている翼も、もはやまるで私の意思を反映してくれない。

 痛みはすでに痛みとすら感じられぬほどに脳を焼き……


(――ああああああぁぁぁあああぁあぁあああ!?)


 ――ぶちり、と、致命的な感触とともに、右の翼の感覚が消滅した。


 浮力を失い仰向けに落下していく視界の中で、宙に取り残された私の背中にあったモノが、無数の黒い雲に包まれて光となって消えていくのが見えた。沸き上がる絶望感。


 そして、宙で飛ぶ力を失った者に待っているのは……




 ……やだ、嫌だよ、お姉ちゃん、助け――




(……――がっ……ふ……っ!?)


 固いアスファルトに叩きつけられた衝撃に、背中が砕け、残ったもう片翼も折れた感覚。


 ――意識がまだ飛ばなかったのは、奇跡に近い……あるいは、不運だったのかもしれない。


(……はや、く……起きないと……っ!)


 必死に立ち上がろうとしても、まるで体に力が入らない。

 私からは見えないが、傷口から漏れ出し、空に立ち上るおびただしい量の光が、今の衝撃のダメージを如実に物語っている。


 ーーだけど、立って、その後は?


 ーー翼を捥がれ、砕け掛けた身体で逃げられるの?


 絶望が脳裏を過ぎり、一瞬諦観により硬直した……してしまった次の瞬間ーー


 逃げる手段を失った哀れな獲物に、ここぞとばかりに一斉に黒い雲となった蝗の集団が襲い掛かって来た。

 眼前いっぱいを覆い尽くすような真っ黒な雲のような群れに必死に手を振り回して追い払おうとしても、山のように膨大な数が集まったことによる質量に、すぐに身動きも取れぬまま押さえつけられた。

 分厚く覆いつくされた全身から、それでも境界面が食い破られたことによる光の粒子が隙間から漏れ始めた。


(やだ、やだ……っ! 痛い痛い痛ぁあああああ!? 食べられてる、食べられるの嫌ぁああ……っ!!)


 全身に異物が喰い貫き、潜り込んでくる想像を絶する不快な感触。

 体内を、無数の小さな生物に、むしゃむしゃと食いちぎられ咀嚼されるという、心身共にやすり掛けられるような苦痛。

 意思とは無関係に、ガクガクと身体が穿たれ痙攣する。

 全身を巡った疑似神経が次々と食いちぎられ断裂し、脳をスパークさせながら瞬く間に全身の感覚が奪い取られていく。


 そして……


『重――損――と神力――――足により――体――維持で――せん。保――た――一時解――――す』


 ノイズだらけのシステムメッセージが、無常にも敗北を告げてきた……


「おっと。どうやら限界のようですね、生身にこれ以上攻撃を加えたら殺してしまいますので、それはよくない」


 ひょいとレドルグが手を上げると、それまで苛んできた虫が一斉に体から離れていった。


(……うぁ……あ……やっと、終わっ……)


 魂ごと擦り切られるような苦痛が離れていった事に、を熟知している筈の私が、その事すら考えられず、むしろ地獄の責め苦が終わった事に安堵すら覚えてしまった。


 もはや首から下が原型をとどめていたかも怪しかった程に食い荒らされた魔法体が、元の生身の体を取り戻していく。

 辛うじて元に戻れた体は見た目は戦闘前と同じく殆ど傷も無いが、その中身は殆ど食い荒らされてしまい、絶望的なまでの喪失感に苛まれている。


 全く体の感覚がない中、はーっ……はーっ……と、肩で息をし、必死に肺に空気を取り込もうとしながら、ただ呆然と、空を眺めていた。




 ――負けた。完膚なきまでに。




 中枢心臓が無事だったのは、まだ辛うじて再生可能な状態に喰い残されたのは、意図的に手心を加えられていただけに過ぎない。


「ふふ……やはり、貴女はとても美味だと、主もお喜びです……」

「……っ」


 違う、向こうは戦っているつもりなど無かった。

 ただ餌にしか見られていなかった。その事実に、悔しくてポロポロと頰を涙が伝う。


「ほら、ご覧なさい、たったこれだけの時間で、あれだけ力を取り戻した主を。貴女のおかげです、感謝していますよ?」


 そんな私をいたぶるように、嬉しくもない感謝を言われ、その光景を、見せつけられる。


 ……あん、なに……増殖したの……?


 呆然と、頭上で寄り集まり、何かの形をとっていく、元の数十倍はあろうかという黒い雲のような蝗。

 それは、十分な「餌」を得たという事をまざまざと私に見せつける。

 自分がどれだけ喰われてしまったのかを嫌が応にも見せつけられた。

 魔法体化も解除されたこの身には、既に抗う力どころか、逃げる力どころか、指一本動かす事すらできない。


「貴女には、きちんと生きて回復していただかないと、今回限りで喰いつくしてしまうのは惜しいそうで」

(嫌……そんなのいやぁ! いっそ殺して……!)


 餌として、喰われるために生かされたなんて絶対に嫌だ……!

 しかも、そうして私を餌に敵が力を取り戻した先には、緋桜達がいる。

 私は、大事な人の脅威となる相手のために、この身を餌にされるというの……!?


 大半が食い破られ、ボロボロになった服から覗く、剥き出しの平らな胸に、お腹に、つぅっと指が這う。

 嫌悪感に身をよじろうとしても、そんな動きすら出来ない。


「それでは、捕獲完了、ということで。一応、『この体』の者との契約もありますからね」

(…………い、やぁ!?)


 その、ニヤニヤと私のお腹の辺りを指で撫で回すレドルグに、魔神に捕らえられた娘達がどのような目に遭っていたか思い出した。思い出してしまった。


 蝗たちが集まって、黒く巨大な手を形作って、もはや無防備な体に迫ってくる。

 すっぽりと全身を覆うような魔神将の巨大な手に鷲掴みにされ、掴み上げられて身体が浮く。

 絞り滓程度も残っていない神力が、活力が、体力が……気力が、更に喰らい尽くされていく。


 ーーぱりん、と、ふと、小さな音が聞こえた。


 地面に叩きつけられた際に落としたサングラスが……買ってもらった日にはあんなに違和感があったのに、気がついたら掛けていた事さえ忘れていた。

 そんな、数日とはいえ馴染み初めていたそれが、無残にレドルグの足の下で砕けていた。それは、まるで幸せな時間は終わりだと宣告されたようで……


(――あ……服……下着も、買ってもらったばかりなのに……一回しか着てなかったのに、ぼろぼろにしてしまって……ごめん……なさい――)


 そんな、どこか場違いな事を考えながら、私の意識は深い闇へと沈んで――……

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