新しい家族

「えっと、多分これ、結構苦いと思うけど、いいの?」


 頷く。昼の注射の件以来、何だか子供扱いが加速している気がするので、この辺りで認識を改めて貰わないと取り返しが付かなくなる気がするのです。


「まぁ、いいけど。すみませーん、この、おすすめのパフェと抹茶のセット一つと、抹茶ミルクとあんみつのセット一つください!」


 緋桜が、通りかかった店員に注文を告げる。


「やー、しかし、空いていてよかったねぇ、結構並ぶ事が多いって運転手さんが言ってたから心配だったけど」


 ……という訳で私達は現在、有名らしい神社のすぐ近くにある、喫茶店へと来ていました。

 タクシーの車内で緋桜が持ち前の社交力で聞き出したその店は、この辺りでも有名な名店だとか。落ち着いた和装の店内は雰囲気も良く、ゆったりとした空気が流れていました。


 ……時折、視線が他の席から飛んで来ます。目の前に座っている緋桜は、すらっとスタイルの良い体に秋物のセーターとロングスカートを纏っており、今日は下ろしている黒髪と相まって、こうして座っていると何処かのお嬢様然とした可憐さを醸し出しているため、致し方ないのかもしれませんけれど。

 ですが、あまり頻繁だと少し煩わしいとは感じて来ますね……平然としている緋桜を見るに、やはり慣れるしか無いのでしょうか。


 ちなみに、レティムは自分が一緒では入店できないからと、一足先にホテルへ飛んで帰ってしまいました。ごめんね?







「無理そうなら諦めなよー?」

「……(ふるふる)」


 注文から暫くして運ばれて来た、眼前に置かれた、鮮やかな深緑色の液体の入った器を見つめる。恐る恐る手に取ると、まだやや熱いそれに、口をつける。


 ……これでも前世ではそれなりに年数を重ねています。いくら女児の体になったといえ、このようなお茶……程度……


「~~~~~っ!?」


 ――苦っ!? これ苦いです!?


「あ、やっぱりこうなったかー。ほら、こっちの抹茶ミルクと交換しよ?」


 そう言って、さっと私の口を付けたお茶が取り上げられ、代わりに緋桜の前にあった抹茶ミルクが目の前に置かれました。

 最初からそのつもりの注文だったのですね……


「ん、やっぱりちょっと濃いし、苦いよねぇ。子供には辛いよねー」


 そう言って、特に気にした風も無く抹茶に口をつける緋桜。どうやら特に問題は無く、普通に飲めるようです。

 我が儘で余計な手間を取らせた情けなさに若干の涙をにじませながら、一口その抹茶ミルクに口をつけた。


 ――仄かに苦味は感じますが、甘くて美味しい。口の中に残っていた先程の苦味が染め直されていき、お茶の爽やかな香りが鼻腔を抜けていきます。


 前世ではあまり好みではなかったはずの甘いものが、とても美味しく感じます。すぐ横でその存在を主張している、ほうじ茶と栗のアイスが乗っているとメニューに書かれていたパフェに匙を伸ばす。


 ……全身で自分は甘いぞと主張するそれ。今の味覚だと、どれだけ美味しく感じるのだろう。ごくりと息を呑み、ひと掬い掬って、口にした。




 ――瞬間、甘味と共に口いっぱいに幸福感が広がった。




 ……その後、少しの間の記憶が飛んでいました。


 微笑ましい物を眺める緋桜の視線に気が付き、我に返った時には、すでにその器に盛られた山を半分ほど削取った頃でした。


「……どう、美味しい?」


 ニコニコと問いかけるその言葉に、いたたまれなさに俯きながら頷きます。ああ、これ絶対顔が真っ赤になってるやつです。


 ……だって、この生身の体に生まれてからこの方、甘味になんて一度もありついたことないですもん。


 そんな若干拗ねたような事を考えながら、またひと掬い口にパフェを放り込みました。


 ……この体が、苦みに弱いのですね。


 もう一口、舌の上に広がる味を確かめて考える。

 酷く舌が敏感でした。甘味等の、この体が好きな味はとても美味しく感じ、逆に、苦みや渋み等の苦手な味は僅かでも察知し、特に強い刺激は拒絶しようとする。好きと嫌いがはっきり分かれている感じがします。


 ……あの家の食事は基本薄味でしたからねぇ。味覚も鋭敏になっているのでしょうか。


「こっちも食べて見る? はい」


 差し出された匙に、条件反射的に喰いつく。さらっとした餡と蜜の上品な甘さ、寒天の歯ざわりが口内を満たします。


 眼前の、さらに緩んだ顔でこちらを眺める緋桜の顔に、はっと我に返りました。


 やってしまった……昔の神子時代の癖で、ああして眼前に差し出された物は条件反射で口に入れてしまうのだ。あぁもう、今日は恥ずかしい事ばかりです……




 ……結局、その後数回緋桜の差し出したあんみつも食べてしまい、店を出る頃にはお腹がぽっこり膨らんでしまっていました……ちょっと苦しいです。












「ごめん! 本当ごめんって! ちょっと調子に乗りすぎた!」


 結局、子供っぽい所ばかり見せてしまい、恥ずかしさでそっぽを向いていたら、不機嫌と勘違いされてしまいました。

 横をゆっくり歩く、平謝りしている緋桜。そろそろ可哀想になって来ました。周囲の人通りも増えて来たので、はぁ、とため息を一つつくと、日傘を持っていない方の手でその手を握る。

 途端にぱぁっと明るい表情でその手を握り返す彼女に、内心で苦笑します。


 腹ごなしに少し歩こうと誘われ私達の歩いているのは、先程の茶店のすぐ近くにある大きな神社。

 なにやらとても由緒ある場所らしいそこは、まだ観光客も多数歩いており、こうして手を繋いでいないとはぐれてしまいそう。


 ……決して、周囲の人混みで周りが見え難くなって、怖くなって来たから手を繋いだというわけではないのです、ええ。


 今の時期、やや肌寒さは感じるようになって来たものの、境内の樹木は未だ青々とした葉を茂らせている。

 緋桜が言うには紅葉の時期にはまだ一月ほど早いとの事で、ちょっと残念です。


「それで、あっちの大きな建物が本殿……なんだけど、今回の目的はちょっと違ってね」


 私の手を引いてその右手に回っていく彼女。そこには、本殿と比べると小さな社と、綺麗に整えられた小さな水場がありました。


「これ、肌の健康に良い神水なんだって。ほら、ミステルちゃん、お肌の病気は要注意だから、こういう神頼みも良いかなって」


 私の剥き出しの手に数滴の雫を垂らし、擦り込むように撫で回しながらそう宣う彼女……そこまで、考えてくれて場所を選んでいたのですか。













「っと、ごめん、ちょっとお手洗い行って来る、君は?」


 首を振る。ここで待ってる、と手帳に書いて見せると、すぐ戻るから、と慌てて駆けて行った。




「はは、慌ただしい姉ちゃんだな」


 不意に、横からかかる落ち着いた男性の声。その声に驚き振り向くと、いつの間にか男の人が立っていました。

 ワイルドな雰囲気の、和装の偉丈夫。このような人が立っていたら、周囲の視線も凄そうなものだけれど……周囲を見回しても、何故か私達の方を見る人は居ない。まるで存在を認識していないかのように人の流れが私達を避けて行く。


「良い姉ちゃんだな?」


 その言葉に、こくりと一つ頷く。今日一日、彼女に気遣われっぱなしだ。だけど彼女はきっとそんなつもりは無くて、ただそれが当たり前なのだ。


 記憶は無くても、その有り様は変わっていないな、と嬉しいと思う反面、私だけが覚えている事に少し寂しくもある。


「一時はどうなる事かと思ったが……まぁ、無事に逢えて何よりだ。まったく、もうちったぁマシな場所もあったろうに、姉貴もどっか抜けてるからなぁ」


 その言葉に、バッと振り向く。何を言っているのだ、この人は。まるで私達のこうしてこの世界に居る事情を知って居るかのような口振りに、その顔を凝視する。

 しかし、彼は厳つい顔に不釣り合いな人懐っこそうな笑みを浮かべ、私の頭にポンと手を置いた。


「俺らも……嬢ちゃんの『一番最初の親』のあいつも、お前らには本当に悪い事をしたって思ってるんだよ。どいつもこいつも素直に言いたがらねぇけど」

(貴方は、もしかして……)

「おっと、そいつは言わぬが華ってやつだ。だから、まぁ、こっちの世界もちぃとばかし問題はあるが……今度こそ、お前ら二人が幸せに一生を送れる事を願ってるぜ、頑張れよ」


 グリグリと力強く頭を撫でられる。


「っと、連れの姉ちゃんが戻ってきたみたいだな」


 視線で示した先を見ると、緋桜がこちらに手を振って向かってきているのが見えた。

 その僅かな時間視線を逸らしている間に、もう一度傍を見ると……既に、あの男の人の姿は何処にも見当たらなかった。


「お待たせ! ……どうしたの? まるで狐に摘ままれたみたいな顔して」


 何でもない、と首を振る。前世の記憶も、彼……『彼ら』の事も、知らない方が緋桜にとっては幸せに違いないのだから。






 戻って来たなら早く行こうと催促する。最初は興味津々に周囲を見ていたけど、こうした場所はどうにも落ち着かず、不安が鎌首をもたげて来ます。


「もしかしてさ……こういう神社みたいな建物は、苦手?」


 その言葉に首を振ろうとし……考え直して、縦に振る。

 私の今まで暮らしていた家は、こういう感じだったから、嫌でも思い出してしまう。


 崇められる側だったこと。


 それが無理と知られるや、虐げられるようになったこと。


 私は家族に愛されませんでした。一度も会ったことがない母親だけは分からないけれど、その答えを聞きたいかと言われれば、否です。これで母親にまで疎まれていたら、とうとう私は寄る辺を失ってしまう。そう考えてしまう。

 私は、多分家族という物を渇望しながらも、臆病になっているのでしょう。


「大丈夫、誰かが連れ戻しに来ても、私が……私達が助ける。だって、家族でしょ?」


 優しく頭を撫でられる感触。ああ、貴女は……そうして、こうさらっと私の欲しい言葉をくれるのか。


「……って言っても、昨日の夜は逆に助けられちゃったけどね。かっこ悪かったよね、てへへ」


 苦笑しながら言った彼女の言葉に、ブンブンと首を振る。


『そんなことない』


 逸る気持ちで、震える手でペンを走らせる


『来てくれて嬉しかった』

『家族になれて嬉しい』

『だから、お姉ちゃん』

『私、声は出せないけど』

『心の中でだけ、お姉ちゃんって呼んでいい?』


「……うん、うん! 勿論よ! 私も嬉しい! こんな可愛い妹が出来て、ほんっとうに嬉しい!」


 手帳を覗き込み感極まったお姉ちゃんに、ぎゅーっと抱きしめられる。

 ……悪くない、かも。こうしてると、どんどん心が温かくなってくる。だから、伝わるように、私もぎゅーっと抱き返す。






「……っと、いつまでもこうしているわけにもいかないね」


 どれくらいそうしていたのか、すっと離れていく感触。周囲を見渡すとすでに観光客も疎らになっており、気が付けば、もうだいぶ日も傾き始めていた。


「……そろそろ、ホテルに帰らないとね。お父さん先に返ってきてたら心配しちゃう」

「……(こくり)」


 もしそうなら、きっと、あの人は大慌てに違いない。格好いいのに、ちょっと残念で、だけど優しいお父さん。

 ……あの人も、私の新しい家族。


「また、いつか一緒に遊びに来ようか?」

「…………(こくり)」


 当たり前のように差し出されたその手を、きゅっと握る。

 今度は、しっかり体力をつけて、もっと色々回りたい……一緒に、またこうして手を繋いで。

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