~幼年期7歳~ 披露目
私の意識が目覚めてから……早いもので、もはや数年が経過しました。
朝決まった時間に目覚め、夜決まった時間に寝る。
起きている間はただ大人しく座っているか、それに疲れたらその場にコテンと丸まって寝る。
自ら立って歩いたりはしないが、手を引かれればなすがままに歩き、それすらも稀で、基本は抱っこ移動。
毎夜併設された湯浴み場で身を清めるのも全て人任せ。
食事すら自分では行わず、ただ匙で差し出されたものを小鳥のように啄む。
ずっと無表情で居たために、もはや表情の動かし方も忘れたくらい表情筋は強張っており、自我に目覚めた後は一言も言葉を発していない喉は音が出るかも怪しい。
……脳内で話しかけて来ては、様々な情報を届けてくれているレティムが居なければ、もしかしたら既に痴呆が始まって居たのではないでしょうか?
そんな人形のフリもいい加減に慣れ切った、7歳を迎えたある春の日、私は突如現れた者たちに体の隅々まで綺麗に清められ、綺麗な着物を着せられ、初めて庵の外へと連れ出されました。
肉体を持って初めて直に浴びる陽の光はとても眩しく目を刺し、思わず目を細めますが、幸い気にした物は居ませんでした。
外面的な物でしょうが、私の体を気遣ってか、背後に控えていた狐面の女性がすぐに日傘を差してくれました。
おかげで、大分楽にはなりましたが、どうやら今生の私は相当日光への耐性が無さそうです。
(……私、前世では天使だったんですけどね。光に弱いって何なんでしょう)
(人の体質だから諦めましょう……特に、今のマスターは仕方ないかと)
(つくづく、人の肉のある体とは厄介なものですね……)
内心嘆息しながら、先導する父上殿の後ろをついて歩きます。
しかし、動き慣れて居ない体は既に息が上がりつつあります。一体どれだけ虚弱なのか。
今生で初めて見る外の風景に、初めて見る意志を持つ人間たち。
その視線が、粘っこくこの体に絡みつく感触に怖気が走りそうになりますが、どうにかそれを押し留めて感情の無い人形のフリを継続。
というか、私、今まだ7歳の幼子なんですけどね? その視線はどうなんです?
……しかも、その視線と同質な物が、時折こちらを振り向く実の親であるはずの当主様の視線にも混じっているのはいかがなものでしょうか。
まぁ、どれだけ威厳を取り繕うとしていても、旅行者の容姿に惚れ込み、あの手この手を使用し事故にでっち上げて連れ去り孕ませた彼は、私の中ではただの強姦魔ですが。
せめて残った娘だけでもきちんと育てるのであればまだ救いもありますが、こちらを見る目は厄介な物を遺していかれたという迷惑そうなものと、利用価値の道具を見る目。それならせめて綺麗に育ったら劣情のはけ口にでもしようという思惑がありありと感じる獣欲じみたものなので本当に救いがありません。
……今生の私は、どうやら女児だったようです。
前世では見た目だけは自由にどちらにも変化できた上、存在自体が一種の魔法であったのであまり性別というものは重要視していないと思っていたのですが、それでも『彼女』の支えになれるようにとその大部分は男性形を取っていたため、こうして人間の女児になってみると激しい違和感があります。
ただ人形のように座していただけのこの身は丹念に手入れをされており、どうやら周囲の反応を見るに……それなりに、容姿いいのでしょうか?
今の体に生まれてこの方、姿見を見たことすら一度もない私は、腰まで伸びたさらさらと癖の無い髪が、雪のように真っ白い、という事くらいしか分かりません。
まあ、そんな訳で……術師の一族の者にとって、強い力を持つ血を自分の家に入れたいと思うのは至極当然であって、であれば見た目が良く、自らの子を孕ませることが出来る女児であれば、喉から手が出るほど欲しい。それこそ犯罪に手を出しても。
そんな中降って湧いた私という『神子』という存在は、特に家での立場を上げたい分家では、どうやって我が手に収めようかと水面下で熾烈な火花が散っているのをピリピリと感じます。
……この家は近親相姦すら厭わないため、本家も手放す気は無いみたいですが。
そうして連れられて歩いていると、一本の木の元へ連れて行かれました。
本来なら立派な大樹だったのでしょうが、老齢のためか咲いた花はまばらで、寂しげな風情となっています。
そんな花見には不向きそうな場所ながら、周囲は宴席が設けられ、一族と思しき面々が使用人を顎で使って酌をさせています。完全に見世物状態です。
そんな中、上座に居る一際偉そうな御老体の下へ連れていかれました。容姿に類似点があるのを見ると、おそらく父上殿のさらに父君……私の祖父に該当する方でしょう。
「その娘か。数百年ぶりに生まれた神子とやらは……これはなんとも美しい。幼子でこれとは、将来が楽しみではないか」
ああ、やはり容姿には優れていたようです。
しかしその粘っこい視線はどうにかならないですかね。あなたもですか。ご老体が幼子に向けるものではないように思いますが。なんというか家中残らず腐っている感じがします。
「はっ。我が娘にございます。こうして健やかに成長し、皆様にお目通り適った事をめでたく思います。幾度も内包する力を精査したところ、間違いなく。その証拠として、この朽ちかけた老木を再生して見せましょう」
自信満々に、子育てやり遂げましたとでも言いたげな顔で、何だか偉そうな面々に熱弁を振るう、生まれて数回しか見たことがない父上殿。
……ちなみに、その『精査』とやらでは、私はこっそり見せる内容を調整し、有する力の大半を隠蔽しています。彼らに都合がいいように。なので、父上殿は私は治癒術に特化していると信じています。
今まで、試しにやって見せろと言われたことが無いんですよね。ぶっつけ本番でとはまぁ度胸があるのが抜けてるのか……おかげでこの歳まで、しばらく平穏な猶予期間が頂けたので、こればかりは感謝しています。
だがしかし、それも今日で終わり。準備を整えさせらえれた今朝の時点で、私は簡易的な術でその行動の自由を縛られていました。
狐面の彼らに施されている物はもっと大規模な儀式が必要なため、今迄のように秘されたままでは行えず、皆に認められた場合に改めて使用する予定なようです。
屈辱ですが、現状逃げる目がない以上大人しくされるがままになっていますけれど……これに成功し周囲に認められた暁には、おそらく本格的にこいつらの手駒に変えられ、忠実な人形にされるのだろう……尤も、彼らの目論見通り行く日は来ないと確信していますが。
命令されるままに朽ちかけた大樹……桜、というらしい……に手をかざし、私の中にある力をこの樹に向けて放出するようにという指示に従い始めました。
この使役される感覚というのはとてつもなく気持ち悪い。体の筋肉が全てくりぬかれ、代わりに詰め込まれた軟体動物が体の中から勝手に動かしているようで。
初めて喉を震わせて、勝手に口が祝詞……特に意味はない箔付けの演出です……を紡ぎます。
赤子の頃からまったく使われなかった喉が、急に使用を強制されて痛みます……初めて耳にしましたが、以外と綺麗な声をしていたんですね、私。
しかし……内心では、そんな些末ごとよりも、これから起きるであろうことに冷や汗を流しながら腹を括ります
……ただ、この老木には、悪い事をしてしまいますね。
――ところで……この世界には、「ろけっと」なるものがあって、信じがたいことに人を月まで飛ばすことに成功しているようです。では、そのろけっとなるものを飛ばす燃料を暖炉に放り込んだらどうなるでしょうか。
――思えば、この数年は退屈ではありましたが、平穏な日々でした。何年もかけて覚悟はしていましたが、やっぱり、嫌です、怖――……
「……ん? おい、どうし――」
異変を感じた父君殿が最後まで言葉を紡ぐ暇もなく――それは起きるべくして起きました。
――腕の皮が全て一斉に剥がされたかのような、もはや痛みと認識すらできない激痛。
私の腕の血管が膨れ上がり、まるで裏返ったかのように一瞬で真っ赤な血まみれに染まる。皮膚が内側から引き裂かれ、破裂した血管から、びちゃびちゃと周囲に鮮血がまき散らされる。
同時に、眼前の空間が、太陽が出現したかのように真っ白に染まった。
「あぁああぁあ゛あ゛あ゛ァ゛ア゛――――っ!? ――――――――ッ!?」
――絶叫を上げたのが自分だとすら、一瞬分かりませんでした。しかしその声も、激しい痛みと共にどろっとした液体を喉から吐き出した瞬間から何も聞こえなくなった。
――まともに術など行使しようとすれば、こうなるのは明白でした。内にある私の天使としての神力の出力に、栄養失調気味のやせ細った幼子が耐えられる道理など無く、限界を遥かに上回る力を人の身の狭い出口から放出された結果、私の腕という出口ごと吹き飛んだのです。
――これが、私が自力で逃げることが叶わなかった理由。この肉体では、私は外部に放出する一切の力は使えない。
使用出来るのは、対象の力の流れを盗み見る事と、内部の特性を若干操作する事程度。あとは清々漏れた力が勝手に起こす現象くらい。
誤算は、演技の余裕など、一瞬で跡形もなく吹き飛んだ事です。床にも置かぬ暮らしをさせられていた私は、人の体の痛覚を甘く見ていた。
いや、そもそも私が痛みに慣れていないせいですか。全ての意識を吹き飛ばす激痛に、赤子の頃から未使用な喉で絶叫をあげたせいで喉が壊れ、血反吐をまき散らす。こうしてどこか冷静に周囲を観れている部分があるのはそれでもまだ長生きの経験か、あるいはあまりの衝撃に思考の冷静な部分が剥離したか。
幼子の許容量など遥かに超えた、両腕の全ての神経に火箸をさされたかのような激痛に、意識が吹き飛んでは痛みで次の瞬間目覚める、を繰り返す。がくがくと体が跳ね、口の端から血交じりの泡が垂れていく感触。
私の腕が吹き飛んだせいで周囲一面血まみれで、視界の端にトマトを被ったように頭から血を被って真っ赤になった顔の父上殿が見えたが、今は体を走る激痛で笑ってやるどころではありませんでした。
(マスター! マスター!? 今何かただならぬ事が起きませんでしたか!!? 主殿!!)
(痛い痛い痛い痛い――――ッ!? )
(気をしっかり!? マスター!?)
思考の端にレティムの必死な声が鳴り響きますが、返事の余裕もありません。
そうこうしているうちに、数分発生し続けた閃光がようやく収まり始めます。
父上殿はというと、痛みにのたうち回る幼子……私など眼中にもくれず、目の前の惨状を呆然と見ていたのを霞む視界の端に捉えた。
薄れゆく意識の中で、思う。ざまぁみろ、です。治すと自信満々に言っていた桜の木など跡形もなく吹き飛び、無残に抉れた岩肌を晒している。
余波で吹き飛ばされ尻もちをついている周囲の人間はその有様を呆然と見ている。
「――貴様! これは――だ!? 神子の――などは口実で、我らを亡き――るつもりか!?」
「い、い――決してそ――な……!」
何か言い争いをしている父上殿が、周囲に攻め立てられ、その視線が忌々しそうに私の方をようやく見て……その様子に、唖然としていた。
傀儡の人形に、自分の感情などない人形に育てたはずの私が、痛みにのたうち回って苦しんでいる。
取り繕い、演技を継続する余裕など全く無かった。今までの『躾』が実は効いていなかったと、そうと知らずに幼子に騙されていたことを察したらしく、顔を真っ赤にしてその様子を憎々し気に見下ろし、荷物を担ぐ様に抱えられた
「……この咎に対する責めは、後程。この子を治療せねばなりませんので」
「まて、その子は怪我が酷い、こちらで病院の手配を……」
「要りませぬ、これ以上皆様の手を煩わせるわけにはまいりません、では失礼!」
そう言って慌ただしく立ち去ろうとする父上殿。渡せないでしょうね、その場合、おそらく私は「病院で息を引き取った」とかそんな感じで掠め取られるでしょうから……暗く閉じていく意識の中、そんな事を考えたのを最後に闇に飲まれていきました――……
……次に目覚めた時には何日も経過していました。
――治療の結果判明したのが、私の両腕はもはや魔力の通る経脈も、操るための神経である魔術回路も、魔術的な器官は全て吹き飛んでおり、さらには声帯の損壊のためもはや声も出せる見込みは無い。
呪文を紡ぐことはおろか、印を切ることもできない。
どれだけの力を内包していようが、それを使用する術はほぼ失われたに等しく、おおよそ術者としてはもはや死んだも同然、という結果でした。
この瞬間、今まで彼らが私を生かし育ててきた理由は大半が消滅し、私は、この家にとって「利用価値のある人形」から「役立たずの玩具」となったのでした。
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