幕間 内からの囁き



 むかつく。腹が立つ。イライラする。


 人気のない屋敷の廊下を、ドカドカとわざとらしく足音を立てて歩いても、誰も反応するものは居ない。あれだけうっとおしく付き纏っていた狐面衆も、いつも恭しく頭を下げてきた使用人も、媚びへつらって群がってきた取り巻きも、誰一人周囲にはいない。誰も居なくなった。皆離れていった。代わりに向けられるようになったのは遠巻きに向けられる嘲笑。


「畜生! なんだよ、どいつもこいつも馬鹿にして……!!」


 ――数日前のあの襲撃。


 結局あの玩具……妹が連れ去られたあの襲撃以来、周囲の態度が日に日にぞんざいになっていくのが我慢ならなかった。



 ――あの日、何者かに背後から殴り倒され、目が覚めた時にはすべてが終わっていた。ただ一人、事情もわからぬまま立ち尽くしていた僕に向けられたのは、皆の冷たい、恨みがましい視線。


「襲撃者狩りだと意気揚々と出ていったのはお前達だろう! 勝手に負けて帰ってきたのもお前達じゃないか!? 僕が何をしたっていうんだ、畜生! 畜生!!」


 家が保有していた式の殆どを失い、襲撃者たちから這う這うの体で逃げ戻ってきたという家の者たち。無様が相当堪えたのか、屋敷に集まっていた連中も殆どが意気消沈の体で出ていき、結果、屋敷はわずか数日でほとんどの使用人と家来を失い、がらんとした静寂を晒している。


 狐面衆は、何故か全員離反し自然消滅。数百年に渡り家を守ってきたはずの彼らは、あまりにもあっけなく瓦解した。使用人をしていた奴らの家族まで綺麗さっぱり姿をくらまし、その行方は要として知れない。


 そして、屋敷も、正門と玄関含むおよそ半分は焼け、吹き飛ばされ、散々な在り様を晒していた。今もなお、まともに修理にも取りかかれずにいる。


「父上殿も父上殿だ! 何故追手を出さない!?」


 あの日以来、父親は日がな一日虚ろな目で庭の手入れと土いじりにかまけている。一度あの連中へ仕返しをするように頼んだが、提案した次の瞬間、半狂乱になったその父親に生まれて初めて殴り飛ばされ、以降一度もまともに顔も合わせていない。




 ……何もかもが、あの日を境に狂っていた。




「くそっ、全部、全部あの女のせいだ……!」


 何度思い出しても腹が立つ。あの反抗的な目。どれだけ痛めつけられても、その奥にある見下した目はずっとこちらをじっと見つめていた、人形のような目。


 ようやく、組み伏せ、思う様蹂躙できると思っていた直後に狼藉者にかすめ取られ、今思い出しても悔しさにギリギリと歯を食いしばる。




 思えば、初めて見た時……二年前の、あの血の惨劇となったお披露目の時からずっと気に入らなかった。いや、それよりもずっと前だ。そうだ、あいつが生まれた時からずっと、ずっと……


『そうだな。あの娘が生まれ、その資質を示した時、お前はこの井戸の中の一番の座を失ったのだから』


 ぴたりと、足を止めた。


 ――今の声は、誰だ?


「……誰だ、姿を見せろ!」


 叫び、周囲を見回しても……見渡す範囲に、それらしい人影は存在しなかった。


「……気のせい、か?」


 僕は相当疲れているのだろうか。かぶりを振って、再度、一歩踏み出そうとする。


『ははは、お前とあの娘では、生まれた時からすでに天地ほど優劣は違っているのだよ』


「……誰だ!? ふざけるな、僕が、この時期当主である僕が、あんな何処の者とも知れない見た目だけで父上殿に取り入った売女の娘より劣っているだと!?」

『おや。私はお前の方が下などと言った覚えはないが。どうやら案外と身の程は弁えているらしい』


 ――ははは。ははは。ははは。


 位置を変え、距離を変え、どれだけ耳を塞いでも耳障りな笑い声が聞こえて来る。


 ――なんだ、何なんだよこれは!


『分かっているのだろう? あの娘を見た時から、お前は下だ、と』

「ふざけるな! そんなことがあるものか! 妹より僕が下だと!? 次期当主のこの僕が!」

『ああ、下だとも。類まれな神子の力を備えたお前の妹と、ただ甘やかされおだてられて育った箱入り息子でしかないお前、明白ではないか』


 それまでただ一人、僕だけを讃え、流石です坊ちゃんと褒めちぎっていた者たちが、あるとき心ここにあらずの様子で別の人間を気にし、影で噂していたのに気が付いてしまったのはいつの事だったか。


 馬鹿な、神子なんて過去の遺物、今更なんだと必死にその存在を否定し続けて数年。


 ……想いも空しく、あの『お披露目』が……僕が、一番ではなくなる日が訪れた。


『お前は、あの時……始めてあのお披露目の時、あの娘を見た瞬間、負けを認めたのだ』

「違う! 僕は、負けてなんかいない! あんな、あんな役立たずなんかに……!」


 ――そうだとも。一目見た瞬間、負けたと理性より本能で思い知らされた。存在からして、違うのだと。


『美しいと、魅了されたのだろう?たかだか7つの幼子に』

「そんな、訳……」


 ――これが、何でもない、興味も持てないつまらない奴だったらよかったのに。ところが、その父上殿に連れられて歩いてきた、人形のような白く美しい『神子』……妹を見た瞬間、思ってしまったのだ。欲しい、と。


『楽しかったのだろう? 自分が一度負けを認めた相手が、無様に自分の足の下で這いつくばっているのが』


 ――楽しかったとも。あれだけ一目見て打ちのめされた綺麗な妹が、何の抵抗もできず無様に痛みにのたうち回り這いつくばっている様を見るのは。




 ……何だ。僕は何と話しているんだ。そんなはずはない、そう強く思っていたものが、みるみる砕かれ、剥がされていく。思考が霞んで何をしていたのか、どこに立っているのかが分からなくなってくる。



『待ち遠しかったのだろう? あの見惚れた相手に、おのれの欲望を思う様叩きつけることのできる日を』

『興奮したのだろう? 美しいと憧れすら抱いた存在が、やがて自分の手の内でよがり狂う様を想像して』

『あの娘を誰よりも欲したのは、お前だ』

「僕が……」

『なれば、あの娘はお前が手にしなければおかしい、そうではないか?』

「そうだ、僕が……僕の……」


『であれば……』


『取り戻さねばなるまい、それがお前の当然の権利だ』

「取り戻さないといけない、それが僕の当然の権利だ……」


 ――そうだ。


「く……くくくっ……! ははは……っ!」


 ――何を、迷っていたのだろう。目の前の霧が晴れた気分だ。



 ……丁度、その時、目の前を分家の人間が二人、横切って行った。

 名前は、何だったかな。それなりに親しくしていたような気もするが、今となってはどうでもいい。ただ、僕の役に立ちさえすれば


「おい、お前」

「……何だよ、女の尻を追っかけて伸びてた色ボケ坊っちゃん」


 まるで汚物を見るかのような目でこちらを睨んでくる、二人組の片割れ。


 ――よし、殺そう。そう思った瞬間。


 足元から飛び出した、影のような何かが、目の前で人を馬鹿にしたように喜悦に歪められた不細工な顔をばくんと包み、後に残ったのは、血の噴水を上げている、胸から上を失った、もの言わぬ胴体のみ。


 そのむき出しになった、未だドクンドクンと蠢動している丸い物体を掴むと、邪魔な胴は蹴倒して、それだけブチブチと毟り取る。


「……はっ。汚いし、不味そうだな。まぁいいか、一時の空腹くらいは満たせるだろ」


 ぽいと地面に放ると、足元から先程の影と同じものが我先にと奪い合うように、みるみるその心臓を、胴体を、貪りつくしてまた地面へ沈み込んでいった。


 ああ、なんだ、こうしてしまえば良かったんじゃないか。邪魔をするやつも、顔色を窺って媚びへつらう奴も、調子に乗って蔑みの目を向けてくる奴も。なんて簡単な事だったのだろう。


「――え?」


 ようやく、事態が飲み込めたらしい、二人連れの片割れ。その肩を、ぽん、と叩いた。


「……車と、飛行機のチケット、手配してもらえない? してくれるよね?」

「……あ、ああ、は、はい! す、すぐに……!」


 みっともない声を上げて走り去っていく男に留飲を下げると、まるで生まれ変わったかのような自分を祝福してくれているかのような、秋晴れに晴れた空を見上げた。


ふむ、他愛無いものだ楽しみだなぁ僕の玩具


 軽く手を握って動かしてみる。資質はさておき、まだ若い体は割と操作性は良い。久々の肉のある体の感触は、存外悪い物ではないものだ。


 安心したまえ、君の望みは叶えてあげよう……最も、君がその時意識が残っているかは私の知った事ではないが。


 ――ははは、はははは。

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