小さな料理人

 あの後、食事を終えた私達は、再び必要な物を探し買い物を続けることになりました。


 まず、靴屋でパンプスやブーツ、ウォーキングシューズなど、靴を何足か。


 その後、眼鏡屋に行って視力検査を済ませ、眼鏡を注文。

 近眼だけでなく、UVカットも必要なため、完成までには数日かかるそうな。また、普段使うための度の入っていないサングラスも購入。細いピンクのフレームで、レンズの色はあまり濃くないけれど、れっきとしたサングラス。


 そんな真新しいサングラスを顔に引っ掻け、落ち着かなく位置を修正し、視界に枠が存在するという違和感に首を傾げながら、その他細々と日用品を買い揃えていました。

 そんな中、ふと、ある一角で足が止まりました。私が足を止めたことに、すぐに手を繋いでいたお姉ちゃんが気が付きます。


「ん? どうしたの? 何か気になる物でも……エプロン?」

「……(こくり)」


 私が立ち止まったのは、子供用のエプロンが陳列されていた小さな一角でした。


「料理したいの?」

「……(こくり)」


 何せ前世では趣味でしたので。数年単位で離れていたせいで、今は何か作りたい欲がふつふつ湧いて来るのです。


「ふむ……将来の役にも立ちますし、挑戦したい、というのであれば吝かではありませんが……経験はあるのですか?」

『まかせて』


 胸を叩いて自信のほどを示します。


 ……もっとも、経験というのは前世で、ですが。

 今世ではまだ一度も包丁を持ったことは無いため、おそらくきちんと練習しなおさなければ相当鈍ってはいそうです。


「……では、好きなエプロンを選んで……あと、子供の使いやすそうな調理器具も見てみましょうか。ただし、必ず私か緋桜が家に居る時にするように、良いですね?」

「……(こくり)」


 さすがに、今一つ信じていなさそうな様子でこちらを見てそう提案するお父さん。それくらいの条件は飲みましょうと頷きます。


 ……ですが、そのような条件、すぐに撤回させてみせましょう、ふふふ……そう、内心意地悪く笑いながら、今でも作れそうなものを脳内にリストアップしていきます。


「うわぁ……無表情なのになんだか楽しそうなのが分かるってすごいわね」

「なんかもう、気配がすでに楽しみで仕方がないっていう感じですからね」

「そうそう、普段と違って雰囲気がゆるゆるというか……」


 何か聞こえてきますが、私は今何を作るのか考えるので頭は一杯なのです。

 ……うん、最初は簡単なものからで……これなら、材料は家にあったはず。今生で初の料理のメニューは決まりました。







結局、買い物を終え、家へと帰宅したのは日も暮れた頃になりました。


「ふいぃ……やっと仕舞い終わったぁ」

『お疲れさま』


 買ってきた服をクローゼットにしまい込み終わり、周囲を見回すと、すっかり様変わりした部屋。

私の私物が所々に置かれて、人の気配の無かった部屋はこれでもう私のものになったのだと実感します。


 それにしても、ほとんど空に近かったクローゼットはすっかり大量の服に占領されてしまいました。引き出しの中も、開けると下着類や靴下などでぎっしり……随分と買ったなぁ。


 ……そんな中から一つ……白い犬の柄が小さく端にプリントされた真新しいエプロンを掴むと。


「お? おおぉ? 何、何なの?」


 急かすように、戸惑うお姉ちゃんの背中を押して、一階のキッチンに向かいました。










 ……さて、とうとう勝負料理の時です。夕食は別途買ってきていますので、これはあくまで純粋に私の力量試し。作るのは……今回は、シンプルにだし巻き卵です。


「ふむ、卵焼きですか」

「大丈夫かなぁ……手を切ったり……は、包丁は使わないみたいだから大丈夫か。火傷したりしないかなぁ……」

「緋桜、あの子が大丈夫と言っているのですから、信じて見守ってあげましょう?」

「……そういうお父さんは、なんだか楽しそうね」

「いやぁ……私も男親ですから、娘の手料理というのは夢だったもので……あなたは料理は大の苦手ですからねぇ」


 外野でわいわい談笑しているお姉ちゃんとお父さん。その様は、子供が頑張っているのを生温かく見守るそれです。


 ……ふふふ、すぐに目にもの見せてあげるのです。微妙にプライドを刺激された私は、内心そんな黒い事を考えます。


(わー、マスター悪い顔してるなぁ)


 何やらレティムが失礼な事を言っていますが、無視して用意しておいた卵に手を伸ばし、手早く……は、手が小さいから無理だったので、両手で丁寧に割っていきます。


 卵を3個ほど割り、白身も箸で切るようにしてよく溶いて、卵と等量よりも若干少ない量の出汁を投入。今回は、出来合いの出汁という便利なものがあったのでそちらを使用しました。

 本当は、自分でお出汁をとるところからやりたかったのですが……時間と手間も掛かりますのでまた今度。お砂糖も少し足して、味を調えます。


 さて、ここからが本番ですね……玉子焼き用の四角いフライパンを借り、火にかけます。よく油を表面に馴染ませて……


「……あの、ミステルちゃん、火、強くない……?」


 背後から心配そうにお姉ちゃんの声がかかりますが、大丈夫、と手で制します。

 お箸に少量卵を付けて、熱したフライパンを引っ掻きます。ジュッっと音を立てて、すぐに白く固まる……よし。


 卵液の一部をフライパンへ投入。熱せられたフライパンによりすぐに固まり始めますが、すぐにプツプツ現れる大きな気泡を箸でつぶし、まだ半熟のうちに手早くパタンパタンと折りたたんで丸めます。


 ここ、難しいんですよね……お出汁でゆるい卵は、すぐに破れてしまって。ですが、無事そのような事もなく、綺麗に卵焼きの芯ができました。上出来上出来。


 この先はずっと時間との勝負。手早く再度フライパンに油を引いて、卵液を流し込みます。もともとフライパンの上にある卵の下にもしっかりと流し込む。

 ここでもたつくと、焦げて食感が悪くなるんですよねぇ、と呑気に考えながらも再度パタンパタンと三つ折りに。


「……うわ、なにこれ早い、何やってるのか全然わかんない……」

「これは……自信があると言っていたけれど、子供の範疇を想像していたのですが……予想外でしたね」


 そうして数度繰り返し、みるみる厚みを増していく卵焼き。最後に残った卵液も全て巻いてしまい、巻き上がっただし巻き卵を、お皿へ投下し粗熱を取ります。


 ある程度落ち着いたところで、真ん中に包丁を入れて切り分けます。味見用に端っこの方をちょっとだけ切り取ってつまみ食い……うん、断面から固まっていない卵液が垂れてくることもありませんし、口に入れたらふわっと崩れて、じゅわっと出汁の旨味と、卵とお砂糖の甘味が広がります。久々にしては上出来、かな?


 もう片方の端はレティム用に少し切り分け、皿に取って彼の前に起き、残りを二等分し、お姉ちゃんとお父さんの前に差し出し、どんなものだと胸を張ります


「凄ぉ…‥こんな綺麗な卵焼き、お店でもあまり見ない……」


 恐る恐るといった風に、お姉ちゃんが自分のだし巻き卵に箸を入れました。


 ぱくりと、大きめの一口サイズに箸で切った卵を口の中に放り込んだ。

 暫くもぐもぐと口を動かしていた後、口元を押さえ、動きを止めたお姉ちゃん。あれ、まさか口に合わなかっただろうか……そんな不安に駆られ始めた頃。


「うっ…………まぁ!? 何これ、ふわっふわ! 口の中でとろっと崩れるし、味も丁度いい……!」

「これは……驚きました、先程見た目はプロの作ったものみたいだと言いましたが、訂正です、味も引けを取っていません……!」


 続いて箸をつけたお父さんも、手放しに褒めてきました。大絶賛の嵐に、照れながらエプロンを脱ぎ、三角巾を頭から外します。


「でも、これ、なんだろ……ミステルちゃんの料理、初めて食べたはずなのに、妙に口に馴染むというか……私、この味、凄い好きかも!」


 そう言って、首を捻りつつも美味しい美味しいと箸を進めるお姉ちゃん。それはそうでしょう、前世でのヒオウの好みを研究し、試行錯誤の上にできたのが私の料理なのですから。こちらのお姉ちゃんの味覚もそう大差は無いようで、一安心です。


「うん、これならば、私が仕事の時の食事の支度を任せても大丈夫でしょう」


 よし、どうやらお父さんのお眼鏡にもかなったみたいです。


「ただし、他に誰かが居る時だけ、というのは必ず守ってください。あと、無理はしないように。疲労を押してまでやろうとするようでしたら、禁止しますからね?」


 十分です。こうして、私は台所に立つ権利を手に入れたのでした。


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