決戦 歩くように一歩ずつ

 ――結局、あの後泣き疲れて眠ってしまったミステルちゃんと、その腕の中の体温に心地良さを感じて寝落ちてしまったわたしの二人は、まだ朝日も昇らない真っ暗な頃、どちらともなく目を覚ました。


 照れくささに、ついにへっと笑ってしまったわたしに、同じく照れ臭そうにふわりと表情を緩めたミステルちゃん。


 ――出会った頃に比べ、幾分か表情豊かになった……いや、わたしがこの子の表情の見分けがつくようになったのか。


「……何か、お腹に入れておこうか」

(……うん、狸塚お姉ちゃんが、何か用意してくれてるんだよね?)


 そうして、ダイニングのテーブルに用意してあったサンドイッチをいくつか摘み、コーヒーメーカーに淹れてあったコーヒーをありがたく頂いて……そんな風にしばらく平穏な朝を過ごし、東の空が、朝日に白んできた頃。

 わたし達は、家の中で眠っている筈の二人を起こさないように、そっと家を出た。


(……それじゃ、あの二人の事、お願いね)

(……はい、二人とも、お気をつけて)


 本当であれば、レティムにも竜の姿で協力してほしいところ。


 ……だけど、ご飯を食べている際に「私に考えがある」とミステルちゃんに提案された作戦を実行するには、残念ながら……わたしに力を供給しながら、自分のやるべきことをしながら、レティムにまでリソースを提供する余裕は流石にミステルちゃんにも無かった。


(ごめんなさい、お姉ちゃんの負担が大きくなるのは分かってるんだけど)

「大丈夫、タイミングは任せるからね……頑張ろ?」


 実際、これ以外の手は無いように思える。あとは腹を括るだけ!


 二人、手を握って、来るべき時をじっと待つ。




 そんなどこかゆったりした時間がしばし流れ……世界が、朝の清々しく青い空から、真っ赤に禍々しく輝く月夜に変貌した。


「……来たわね」


 手の中で、繋いでいた手がびくっと震えた。

 その手を、ぎゅっと強く握りしめる。心配はいらないと、伝えるために。


「大丈夫……わたし達は、絶対に負けない」

(うん……一人では駄目だったけど、二人なら……大丈夫!)


 隣に立ったミステルちゃんが、空いている手で宙に忽然と現れた杖を掴んだ。

 現在の服装……初めて一緒に京都の町を歩いた時と同じ物である黒のワンピースと白いボレロはそのままに、しかしその存在が一変していく。


 神子と呼ばれながらも、あまりにも内包する力が強すぎて体に重大な負荷がかかってしまうためにその力が行使できなかった、と言うのも頷ける圧倒的なまでの魔力に、その場に居るだけでこの紅く不浄な空間が清められていくかのような神聖な雰囲気。背の純白な翼も相まって、「天使」と呼ぶにふさわしい可憐な佇まい。


 ――こうして実際にこの子の戦闘形態……魔法体化エーテライズを目にするのは初めてだけど、本当に、この子は凄い子なんだなって思う。


 守る、だなんて烏滸おこがましいのではないかと、以前であればどこかで思っていた……だけど、この子の本質は、か弱く傷つきやすい小さな女の子なのだ。


 だから、もう、目を離さない。

 腕輪から変じた刀の鞘を払い、そっと地面に置いた。この刀を次に鞘に戻すのは、この握った小さな手を守り抜いた後だ。







 カツ、カツ、と、これ見よがしな足音を立てて人影が近づいてくる。その姿が視界に入るだけで腸が煮えくり返り思考が沸騰しそうになるが、今、わたしがここに居るのはそんな事の為ではない。この憎悪は、燃料として腹の内に押し留めろと自分に言い聞かせる。


「おやおや……お出迎えご苦労様と言いたいところですが……そちらの天使ちゃんは何故再生しているのでしょうかねぇ」


 どうやら、この子が復帰しているのは奴にとっても想定外らしい。それでも特に表情を動かさないのは、自分の優勢を信じて疑わないからか。


 ――その余裕、絶対に後悔させてあげるんだから。


「あんたに言う必要は感じないわね」

「ふふふ、つれませんねぇ……ですが、無駄な事、再び食される準備をご苦労様、と労っておきましょうか」

『今度は、負けない』


 ミステルちゃんは、指で文字を書いてそう言い返して見せた。

 恐怖心は、今でもビシビシとリンクを通じて感じていた。それでも、この子は敢然と、反論を示して見せた……その根底にあるのは、わたしを信じているという想い……信頼、されているのを確かに感じ、胸が温かくなる。


 ――これは、恥ずかしい所は見せられないわよねぇ!


「一人から二人になったところで……貴女の希望、ここで打ち砕いてくれましょう!」


 そのレドルグの背後からは現れたのは、その掌だけでもミステルちゃんをすっぽり包み込めそうな程の、二本の巨大な漆黒の腕。

 しかしその腕は、まるでわたし達に見せつけるかのようにレドルグの周囲を数度旋回すると、すぐに形が崩れ、私達を遠巻きに取り囲むように広がっていった。


「……さっきの腕が、グラァバドーン?」

(うん……だけど)


 周囲は黒い靄……蝗に覆いつくされて、目障りな赤い光すらほとんど届かず闇と化してしまっている。


(……私が倒された時は、まだ一本しかなかったのに)


 あの腕一本に勝てなかったのに、それが倍。普通なら、絶望するだけなんだろうけど……


「捕まっている間に抜き取られた分で増やしたのね……すぐに追ってこなかったのは、こうして万全に耐性を整えるためか」

「その通り、今やあなた方と我が主の戦力差は明白、戦おうなどと思った事を、後悔させてあげますよぉ!」


 空気を羽音で鳴動させるほどの圧倒的な数の暴力。一人なら、きっと恐怖に震え、今すぐへたり込んでいたに違いない。だけど……


「……ミステルちゃん。今更だけど、ただ一つだけ、言うね」


 きっと、言葉にしなくても伝わっている。だけど、言葉に出したかった。


「……信じて。わたしは、君を、絶対に守る」

(……信じる!)


 力強いその思念に、自然と笑みが零れた。

 蝗の一団が、ついにこちらへ向けて侵攻を開始した……だけど、不思議と、恐怖感は感じない。


 ……ああ、いつも何故か半身が欠けて居たような違和感が、自然と溶けて消えていくような感覚がする。そうか、今までずっと何かが足りないと感じていた……半身が欠けたようにずっと思っていた、その半分は、ここにあったんだ。


 かちり、かちりと、流れ込んでくる暖かなミステルちゃんの力に、私の中の何かが開いていく。


「……『Burn Out燃やし尽くせ』!!」


 わたしの髪が、いつものように深紅……を通り過ぎ、毛先が金色に染まっていく。

 わたしの叫びに、視界が、いつもよりも遥かに力強く燃え上がった、緋と金に揺らめき輝く炎に包まれた。









 レドルグまで、距離にして百メートルあるかないか。しかし、一気に踏み込めば、とたんに取り込まれるに違いない。

 たかが百メートル。それだけの筈なのに、遥か遠くに感じる程に黒い影によって隔絶された空間を、一歩踏み出す。


 途端に二重三重に周囲を取り巻く蝗たちの一部が私達に向けて飛来するが、その全てが立ち塞がったお姉ちゃんの炎に焼かれ一瞬で灰になって散っていく。

 その炎は、以前見た時よりもずっと大きく、眩しい。リンクを通じてお姉ちゃんに流れている私の神力が、その力の覚醒を急速に促しているみたい。


「あいも変わらず邪魔な小娘だ、しかし、隙――」

(――なんて無い!)


 地面に、蝗たちの黒い壁の向こうに、無数の光点……ターゲットマーカーが瞬く。


 瞬間、周囲に無数に浮かべた『銃身』から無数の閃光が瞬き、途中巻き込まれた蝗を蒸発させながら、その光点の大半……今まさに私達に襲いかかろうと頭を出した影の槍を、その身を伸ばす前に打ち抜き蒸発させていく。


 ――分かる。今なら、分厚い蝗のカーテンの向こうで奴が喜悦の笑みを浮かべたところまで、はっきりと。


(――はぁぁああっ!)


 振り回した光の鎌が、それでも撃ち残した影の槍を斬りはらい、更には背後でお姉ちゃんの背を狙って牙を剥こうとした顎まで切り裂いて、私達はまた少し奴に向け歩を進めた。


 勝利を確信していたレドルグの顔に、初めて驚愕の色が浮かんだ。


 再度、周囲に展開される影の槍。しかし……全て、見える。大きく全身を使って周囲の地面を薙ぎ払った鎌が、宙を再度瞬いた光が、再びその悪意の影を全て粉々に砕いていく。


「馬鹿な、何故こうも落とされる!? その動き、何故貴様は万全の状態で動けている!?」


 私は、奴……グラァバドーンに相対するだけでその能力の大半を削がれる……そう信じ込んでいたため、予想を覆されたことに焦るレドルグに向けてまた一歩。無数に放たれる視界の向こうの影を閃光が叩き落としながら、まだ遥か遠く感じる距離をじりっと近寄っていく。


(『ラプラス』……正常稼働中)

(『オーリオール』……正常稼働中)


 二つの魔法は、ラグもなく通常どおり稼働している。

 前とは違う、私には、奴が何をしようとして何処にいるか、手に取るように分かる……っ!


「まさか……まさか貴様……我が主人を……自らの天敵をのか!?」


 その通り、今の私は、グラァバドーン……周囲の空間を満たす蝗の全てを、一定以下のサイズの動く物体全てを、意図的に探査・予測から全て除外している。


 位置も、動きも掴めない。私は今、グラァバドーンに対しては完全に無防備な背中を晒している……ただし、それは私一人だったのなら、の話だ。


 視界の端に炎が踊り、こちらに迫ってくる蝗の何百何千という一団が悉く灰となる。お姉ちゃんは普段のキャパシティを越えた力の行使に滝のような汗を流しているが、その瞳は微塵も陰らずただ前を見据えている。

 そんな様子を横目に、蝗たちの向こうで再度現れたターゲットマーカー……レドルグの攻撃を、向こうが動き出す前に、出現と同時撃ち落とす……さらにまた一歩!


「貴様……正気か貴様!? 何故だ! 何故自分より弱い者をそこまで信用できる!?」

「……確かに、わたしはアンタらに比べたら、弱いかもしれない、妹の助けを借りないと、この場に立つことすらできなかったのも本当……だけど、それでも……背中を守るくらいなら、できる……!」


 僅かに息が上がる中、お姉ちゃんが喚くレドルグに反論する。

 そして、背中を守ってくれている人がいる……その事実が、過去の恐怖に震えていたはずの足を前に進めてくれる。

 恐怖は感じない。

 力の強弱なんて関係ない。

 私は、私を守ると言ってくれたお姉ちゃんを信じる!


 ジリジリ、ジリジリと無限に思える蝗のカーテンを歩み進める。その距離は、一歩ずつ確実に縮まり始めて居た。そのたびに、レドルグの顔に焦りの色が濃くなってくる。




 ――さぁ、ここから先は私達の反撃だ。その絶対的優位、私達二人の全霊を以て……必ず、覆して見せる……っ!!







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