第5話 おもてなしは全ての方に平等に

「こちらがカワイ様に泊まって頂くお部屋です」

 部屋の中にミカを招き入れて、アレクは言った。

 綺麗に整えられたふかふかのベッド。お茶と茶菓子が用意されたアンティーク調のテーブルと椅子。壁に掛けられた小さな鳩時計。小さな木製のクローゼットは扉が開いており、中に部屋着用のネグリジェがハンガーで吊るされ畳まれたタオルが置かれている。

 宿泊部屋はどの部屋もこんな感じの構造だ。部屋の奥の窓は填め殺しだが、眺めの良い景色を見ることができる。

 何もない場所にある旅館ではあるが……この世界に来た者たちにとっては良い気分転換になるだろう。

 それらを一瞥し、ミカはぽつりと呟いた。

「……どうして、私なんかにそんなに優しくしてくれるの」

「どうして、って……」

 アレクは言葉に詰まった。

 それが仕事だから、という言葉を出てくる寸でのところで飲み込んだようだ。

 仕事だから優しくしてくれている、ということを知ったらミカが傷付くと思ったのだろう。

 少し考えた後、彼は微笑みを浮かべて彼女に言った。

「貴女に今必要なのは、その心の傷を癒すことなのです。そのために尽力するのが僕の役割だと思っていますから」

「…………」

 アレクの言葉がミカの心に届いたかどうかは定かではないが──

 ミカはアレクの横を通り過ぎ、ベッドにぽすんと身を投げた。

「……柔らかい」

「当館のスタッフが真心を込めてお手入れしていますから」

 アレクはほっと息を吐いた。

 ミカがまた死にたいと言い出すのではないかと思っていたらしい。

「お食事は七時、十二時、十八時に一階の大広間にて御用意しております。浴場は二十四時間常に開放しておりますので、お好きな時に御利用下さい。タオルや着替えはクローゼットの中に用意してあります。何か困ったことがありましたら、フロントの方にお声掛け下さい」

 客人を案内する時にいつも言っている説明を口にして、アレクは深々と頭を下げた。

 頭がぼろっと首から取れる。それをいつものようにキャッチして、元の位置に戻す。

 彼が頭を直したとほぼ同時に、ミカは顔を上げてアレクに問いかけた。

「御飯、食べていいの? 私、正式なお客さんじゃないんでしょ」

「もちろんですよ」

 アレクは笑いかけた。

「全ての方に最高のおもてなしを。その心で、僕たちは此処に勤めておりますので」

「……そう」

 ミカはベッドにきちんと座り直して、アレクの顔をじっと見上げた。

 そして、注目していなければ分からない程度の微笑みを浮かべて、言った。

「御飯、ちゃんと食べに行くから」

「お待ちしております」

「──ああ、此処か。お待たせしたね」

 二人が視線を交わしていると、廊下の方から小さな救急箱を持った白衣の男が入ってきた。

 ゆったりと束ねた長い金髪を肩に掛け、切れ長の金の瞳が宝石のような輝きを纏っている美丈夫だ。アレクもそこそこ美形ではあるのだが、それとは比べ物にならないほどの美しさである。

 彼は、シャルドフ・ルベンチュール。旅館に常駐する医師だ。

 因みに彼は人間ではなくヴァンパイアなのだが、彼は昼間でも普通に活動するし、銀製品も平気だしにんにくもけろっとした顔をして食べる。彼を見ているとヴァンパイアの常識って何だろうと首を傾げたくなるよ。

「美しいお嬢さんが怪我をしていると聞いて、気が気じゃなかったよ。そこにいるのが、件のお嬢さんだね?」

 シャルドフはミカの前に来ると、胸元に手を当てて恭しく一礼をした。

「私は医師のシャルドフだ。早速だが、君が負っているという怪我を見せてくれるかね」

「……恐れなくて良いですよ。彼は僕が呼んだんです」

 アレクはシャルドフに立ち位置を譲って、ミカの隣に立ち、彼女の手首に目を向けた。

 ミカの手首に刻まれている傷は、血の流れは既に止まってはいるが、結構深いこともあって痛々しく見える。

 シャルドフは床に救急箱を置いて、ミカの手を取った。

 そこにある傷を見て、ほう、と息を吐き、悩ましげにかぶりを振る。

「何と凄惨な……ああ、この傷を負った時に君が受けた苦しみが目に浮かぶようだよ」

 遠い目をして、語り始める。

「あれは、そう……三十日は前のことだった。あの時に出会った若者も、全身の骨が折れて内臓が腹から溢れているという痛々しい有様だった。私は必死になって彼を治療したが、その後彼は無事に世界を渡ることができたのだろうか……」

「シャルドフ」

 アレクが自分の世界に浸り始めたシャルドフをぴしゃりと嗜める。

 シャルドフは仕事熱心ではあるが、すぐに自分の世界に入り込んでしまう癖がある。大抵の場合は傍にアレクがいるのですぐに我に返るのだが、困ったものだ。

「そろそろ夕食の時間になるから、治療は手早く済ませてほしい」

「分かっているよ。それではお嬢さん、失礼するよ」

 救急箱から取り出した布と薬で優しく傷の消毒を始めるシャルドフにミカを任せて、アレクは部屋を出た。

 先程彼が言った通り、じきに十八時になる。大広間に用意する夕食の準備が滞りなく進んでいるかどうかを確認しに行ったのだ。

 ホテルマンの仕事は客人の相手をすることだけではない。裏方の仕事をするのも大切な役割のひとつなのだ。

 アレクは燕尾服の裾を引っ張って身だしなみを整えながら、廊下を早足で歩いていった。

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