第39話 少女は水面で眠る

「ミカさん!」

 アレクは池の中に飛び込んだ。

 池の深さはアレクの腰ほどまでしかない。彼は着ている服が濡れるのも構わずに、水を掻き分けてミカの元へと近付いていく。

 ミカは風に飛んだ洗濯物のように水面に浮かんでいた。

 アレクはミカを抱き抱えて、池の外に出た。

 彼女をうつ伏せにして、胃の辺りをぐっと手で強く押す。

 ごぼっ、と大量の水がミカの口から吐き出された。

 鼻に掌を近付けてみるが、掌は何も感じない。

 ミカは大量に池の水を飲み、呼吸も止まっている状態だった。

 アレクは自分の動いていない心臓が鷲掴みにされたような、ぎゅっとした感覚を感じた。

 身投げするなんて、何て馬鹿なことを……!

 彼はミカを仰向けに寝かし直し、顎を高くして鼻を摘まんだ。

 息を一杯に吸い込んで、ミカの唇に自らの唇を重ね合わせる。

 ふーっと息を吹き込む。

 ミカの反応はない。弛緩した四肢は、力なく地面に横たわったままだ。

 アレクは諦めずに、人工呼吸を繰り返した。

 何としても、彼女をこのまま死なせてなるものか。

 その思いだけが、彼を動かしていた。

 長いようで短い時が流れていく。

 そして、遂に。

 ごほっ、とミカが咳き込んだ。

「!」

 アレクは彼女に近付けようとした顔を止めて、彼女を見た。

 ミカは何度か咳き込んだ後、ひゅ……と笛が鳴るような小さな呼吸を始めた。

 目覚めはしなかったが、確かに彼女が命を取り戻した瞬間であった。

 アレクはほうっと安堵の息を吐いた。

 そのままミカを抱き上げて、彼は旅館へと戻った。

 フロントに入ると、カウンターにいたルーブルとレンがアレクを出迎えた。

 レンは目を丸くしてアレクの姿に注目し、ルーブルは無言でカウンターから出てきた。

 ぽたぽたと全身から水が滴り落ちるアレクの体を見て、小首を傾げる。

「これは……一体何があったんじゃ、アレク」

「シャルドフを部屋に呼んで下さい」

 アレクはそれだけ言い残し、早足で階段を上がっていった。

 ルーブルは腰が折れ曲がっている格好で歩いているとは思えないほどの早足で何処かへと去っていく。

 一人その場に残されたレンは、複雑な表情をしてその場に佇んでいた。


 ミカの部屋にミカを運び込んだアレクは、彼女をベッドの上に横たえた。

 ミカの全身はすっかり冷え切っていた。

 何とかして温めてやりたいと思ったアレクだったが、体温のない自分には無理な話だとそれは諦めた。

 きっと、濡れた服を着続けているのが良くないのだ。

 意を決し、彼はミカが着ている服をひとつずつ脱がせていった。

 シャツとズボンを脱がせると、白い清楚な下着が姿を現した。

 ミカはまだ子供だ。しかし大人へと成熟しようとしている少女の体には、僅かに女性らしい特徴も見受けられる。

 そんな少女の下着を脱がせるのは、男としてやって良いことなのか──

 アレクはぐっと息を飲み、なるべく見ないようにしようと自分に言い聞かせてミカの下着を脱がせた。

 すぐに布団を被せて体を隠してやり、目を閉じてふうっと息をつく。

 脱がせた服をテーブルに置いていると、部屋の外からシャルドフがやって来た。

「アレク、ルーブルさんから聞いたよ。何があったんだい」

「……シャルドフ」

 アレクはシャルドフに、ミカが庭の池に身投げしたことを話した。

 話を聞いたシャルドフは悩ましげにかぶりを振り、ベッドで眠っているミカに近付いた。

「ああ、何と痛ましい出来事なんだろうね……彼女の苦悩が目に浮かぶようだよ」

「何とか彼女を助けてほしい」

「任せておきたまえ。この腕にかけて、彼女のことは絶対に救ってみせるよ」

 シャルドフはアレクの全身を見て、言った。

「君も、濡れたままだと風邪をひく。風呂に入って体を温めてくるといいよ。この子のことは、私が責任を持って看ているから」

 死者は風邪を引くことはないが、確かに濡れたまま部屋に留まっているのは問題だ。部屋が汚れてしまう。

 アレクはミカのことをシャルドフに任せて、ミカの服を持ち部屋を出た。

 彼女が目覚めた時のために、温かい飲み物を用意しておこう。そのようなことを考えながら、自分の部屋に着替えを取りに向かったのだった。

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