第34話 デュラハンは過去を憂う
「……大事な話って何だ」
ふーっと大きく息を吐き、アレクはレンに問うた。
その表情には、笑っている時に感じられる柔らかさはない。固く引き締まり、一種の近寄り難さすら感じられる。
レンはテーブルの上で両手を組んで、言った。
「アレク。天冥騎士団に戻ってくる気はないか」
「!」
アレクの肩がぴくりと動いた。
レンは横目でアレクの目を見つめた。
「今、天冥騎士団は人員が不足している。かつて『旋風の銀剣』と呼ばれていたお前が戻って来てくれると、助かるんだ」
「…………」
アレクは沈黙して、前方に視線を向けた。
およそ百年前。それはアレクがこの旅館にホテルマンとして勤める以前のこと。
アレクは天冥騎士団で、騎士として活躍していた。
両手に刃を持ってまるで剣舞を踊るように戦うその姿から『旋風の銀剣』の異名を持ち、この世界の平穏を脅かす『虚無(ホロウ)』と幾度となく戦い、勝利を収めてきた。
無類の強さを誇る彼を慕う騎士仲間は多かった。レンもその中の一人だ。
しかし、ある時転機が彼に訪れる。
彼の持つ力と名誉に嫉妬した仲間の騎士に、謀殺されてしまったのだ。
首なし騎士(デュラハン)となってしまった彼は、天冥騎士団を除名され名誉も肩書きも全てを失った。
騎士を捨てた彼は、此処ホテル・ミラージュでホテルマンとして働くことに生き甲斐を見出し、その日からは此処で穏やかに暮らしてきた。
誰も知ることのない、アレクの過去の話だ──
アレクは小さくかぶりを振って、口を開いた。
「僕は、今更騎士に戻るつもりはない」
「アレク」
語調を強めてアレクの名を呼ぶレン。
「お前にはこの世界の秩序を守れる力がある。それを此処で眠らせたままにしておく気か? お前のその力があれば、この宿だって守ることは容易いはずだ。それを──」
「僕が本当に守りたいと思っているものは、騎士の力なんかじゃ守れない」
アレクは右の掌に目を向けた。
傷痕の付いた、白い掌。それをくっと握って、続ける。
「今の僕に必要なのは、名誉でも肩書きでもない。人を笑顔にする力なんだ。そのために、僕は此処で働いていたいんだよ」
「……まさか、あの子供を守るためとか言うつもりじゃないだろうな」
レンの眉間に皺が寄った。
「あの子供のために騎士を捨てるとか、そんなことは私が許さない。お前は騎士であることが望まれている存在なんだぞ」
「僕の役割は僕が決める。例えレンでも、口出しはさせない」
「もしもあの子供の存在がお前をたぶらかしているというのなら──」
「……レン」
アレクは静かに席を立った。
レンの顔を見下ろして、言う。
「彼女に手出しはさせない。それでもやるというのなら、僕が相手になる」
「…………」
レンは微妙に見開いた目でアレクの顔を見つめていた。
そのまま、両者共に沈黙することしばし。
先に沈黙を破ったのはレンの方だった。
アレクから視線をそらし、溜め息をついて、言う。
「私の力ではお前には敵わない。……昔から、そうだった。私は、いつもお前の背中を見続けていたな」
皿の上のパンをひとつ手に取り、バターを塗り始める。
「全てを守ると語っていたお前の騎士としての誇りは、何処に消えてしまったのだろうな……」
「……そんなものは、僕が殺された時に命と一緒になくしてしまったよ」
アレクはそう言い残して、レンの傍から去っていった。
レンは去っていくアレクの姿を追わない。前を向いたまま、静かにパンにバターを塗り続けていた。
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