第65話 異次元渡航管理委員会

 その日の朝は、いつもとは少しだけ様子が違っていた。

 勇者たちを迎えに来た馬車の御者たちが多く訪れる中に、かっちりとした黒の神官服を身に着けた若葉色の髪の男が混ざっていたのだ。

 年齢は、三十代半ばくらいだろうか。年老いてはいないが若さに陰りが見え始めている、そんな頃合いの見た目の男である。

 彼は胸に着けている小さな金のブローチを見せながら、挨拶の言葉を述べた。

「初めまして。異次元渡航管理委員会から参りましたシュルツ・ティコリスカヤと申します」

 異次元渡航管理委員会。それはこの世界に訪れる人間たちがきちんと世界渡りを行えているかを監視している機関である。

 機関を管轄しているのは、この世界の管理者──つまり言うところの神であり、機関に所属しているのはその殆どが天使だ。

 天使って翼があって頭の上に輪っかがあるんじゃないかって? もちろんあるけど、彼らも常時それを外に出してるわけじゃない。普通の時は人間と遜色のない姿をしているんだよ。

 彼らは普段は役所に引き篭もってデスクワークに明け暮れているものなんだけど、こんな街外れにある旅館に何の用事で来たんだろうね?

「早速ですが用件を述べさせて頂きます。こちらに河合美佳さんという方がいらっしゃいますよね?」

 シュルツは小脇に抱えていた分厚い書物を開いて、中から一枚の羊皮紙を取り出した。

 そこにはまるで本人を目の前に置いて描いたのではないかと思えるほどに正確なミカの似顔絵と、この世界の文字でびっしりと記された文章が載っていた。

 ローゼンがカウンター越しに手を出す。

 シュルツに渡してもらった羊皮紙を一見して、彼に返しながら、答えた。

「確かに、うちにいますよ。というかこの世界に来る人は必ずうちに来るから、逆に来ない人がいるなら見てみたいっていうね」

「……あ、ミカさん」

 丁度良く傍を通ったピンクのワンピース姿のミカを、アレクが背伸びをして呼び止めた。

 ミカはもじもじとしながら、カウンターに寄ってきた。

「……おはよう、アレク」

「おはようございます。体調は如何ですか?」

 微笑みと共に向けられたアレクの問いかけに、ミカは落ち着きなく髪を指先で弄りながら、小さな声で答えた。

「……ちょっとだけお腹が痛い」

「っ」

 うっ、と言葉に詰まるアレク。

 彼は両手で自分の頬をばちんと叩き、がしがしと後頭部を掻いた。

 それを横目で見ていたローゼンが、肘でアレクの脇腹を小突く。

「アレク。素が出てるぞ」

「……ご、ごめん」

「俺に謝らなくていいから。ほら、お客さんいるんだから」

 ローゼンに諭されて、アレクはすうっと深呼吸をして落ち着きを取り戻した。

 ミカを掌で示して、シュルツに紹介する。

「彼女です」

「……?」

 目を瞬かせて首を傾げるミカに、シュルツは一礼をした。

「初めまして、河合美佳さんですね」

 シュルツは自分が異次元渡航管理委員会から来た役員であることと、委員会の役割を説明した。

 ローゼンにも見せた羊皮紙を彼女へと見せながら、言う。

「長らくお待たせしてしまいましたが、貴女を受け入れても良いという世界が見つかりましたので、本日はそのお知らせに参りました」

「……え?」

 何を言っているのか分からない。そう言いたげな顔でシュルツを見つめるミカ。

 そのニュアンスを察したらしく、シュルツはより分かりやすい言葉にして言い直した。

「貴女の世界渡りが決まったのですよ。河合美佳さん」

「世界渡り……って、何?」

「世界渡りってのは、元いた世界から別の世界に渡ることだよ」

 ミカの疑問に答えるローゼン。

「この旅館に、毎日お客さんが来るでしょ? あれは皆世界渡りのために元いた世界から別世界の神様に呼ばれて来た人たちなんだよ。この旅館は元々そういう人たちを一時的に預かるために経営している宿なんだ」

「別の世界に、渡る……」

 ミカは呟いた。

「それって、私、此処とは違う別の場所に連れて行かれちゃうってことなの?」

「そういうことになっちゃうね」

「そんなの、嫌!」

 ローゼンの言葉を突っぱねるように、彼女は大きな口を開けて叫んだ。

 複雑な表情でミカを見つめるアレク。

 シュルツは冷静な態度を崩さぬまま、その場に黙して佇んでいた。

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