24. 球な人たち

 したたる白流しの龍眼は、宝珠の割れ目に次々と吸い込まれ、オレンジの塊に同化して行く。

 火勢に怯える半木を無視して、桐治は最後の一滴まで落ち切るのを見届けた。


 元より、溶かした龍眼の量はギリギリ。無駄に余らしていいしずくなど無い。

 漏斗の中を覗こうと火に近づく彼を見て、ブランの仲間二人が一斉に大声を上げた。


「危ないですよ!」

球人たまんどは熱くないの!?」


 熱いです。

 前髪がチリチリと焼けそうなのを我慢して、桐治は全ての龍眼液が滴下したのを確かめる。


「完了だ、消火器!」

 彼自身も消火器の噴射口を握り、鎮火の指示を叫んだ。


「はいっ」という小気味よい返事はミキと瑠美、「ふ、ふぁい」という間抜けな声は半木だ。

 火炎に向けて浴びせられる、四筋の消火剤。瞬く間に、ピンクの粉煙が火焔宝珠を包み込む。


 すっかり隠れた宝珠の様子を窺い知ることは叶わないが、火柱は確実に消滅した。周りの気温が下がったのは、消火に成功したあかしである。


 躊躇いもせず五徳に近寄った桐治は、球掴みを粉の中に突っ込んだ。狙い通り、ガッチリとトングに挟まれた粉末塗れの宝珠が姿を現す。

 彼が空中で球掴みを開けると、まだ地面に残るドライアイスの上へ珠は無造作に転がされた。

 二酸化炭素の煙がシューシューと巻き上がり、消火剤以上に皆の視界を奪う。


「まださわれる温度じゃないな」

「……珠の火焔って、消火器で消すものなの?」

「キャンプとかで使う気なら、消火器は必須だね。もっと広い場所で燃やすべきだった」

「キャンプ! そういう使い方もアリなんだ」


 結構派手で盛り上がるよといった感想を桐治が呟いたのは、ミキの空耳ではない。護摩ごま焚きなどで、火炎宝珠を利用した例もあるらしい。

 それから十五分、珠の冷却待ちの間に、半木に頼んでバケツに水を汲んで来てもらう。


 そろそろ熱が冷めたという頃、桐治はまた珠を掴み、バケツに放り込んで汚れをすすいだ。水から引き上げられた宝珠の輝きに、桐治以外の三人が喝采を送る。


「綺麗っ!」

「これぞたま!」

「助かった……観光シーズンに間に合った……」


 本当に神職なのか怪しい半木はともかく、ミキと瑠美は珠の煌めきに魅せられ、口許を綻ばせた。

 亀裂は、もうどこにも見当たらない。真円を取り戻した宝珠は、オレンジの光を透過して美しい。

 火焔宝珠――見つけた人々がその宝物に同定したのも無理はない。龍眼を昼の明るさで見ると、小さなもう一つの太陽のようだった。


 本当なら水気を拭いてから返納したいところだが、素手で触れるのは躊躇した。

 濡れた珠はそのまま、球掴みで本殿に運ぶ。祭壇に置き直せば、見名瀬の宝珠修復は終了だ。

 ミキと瑠美は、これで終わりと用具を片付けようとする。

 しかし、そんな二人へ桐治から追加の仕事が申し付けられた。


「ミキは祭壇の消臭剤を替えてくれ。瑠美は本殿の周りに塩撒き。俺が中をやる」

「修復はできたんですよね?」


 塩の袋を取り出しつつも、怪訝な顔で瑠美が聞き返す。


「亀裂は完璧に消えた。でも、影がまだ漂ってる。大体、おかしいんだよ」

「何がですか?」

「ここの宝珠、力は絶好調だった。ヒビがはいったのは、衰退したせいじゃない。外圧が強すぎたんだ」


 外圧とは、という質問は、半木の空気を読まない興奮した声に遮られた。


「珠が直ったって、娘に知らせて来ます。これで学校に行ってくれる!」

「あっ、待ってくれ、半木さん。ちょっと!」


 喜色満面の宮司は、桐治の呼び掛けに耳を貸さず、駐車場の奥の自宅へと走り出す。

 本殿の“影”は残ったまま。気の早い半木を呼び戻すため、桐治たちは作業を中断して、彼を追いかけた。


「全力疾走かよ。おーいっ!」

「狭山さん、塩がまだ――」

「後でいい。手の掛かるオッチャンだなあ」


 家に着いた半木は、玄関に靴を脱ぎ飛ばし、板間を踏み抜く勢いで駆け込むと、二階へと上がる。

 中まで勝手に入るのも遠慮され、桐治たちは扉の前で様子を見守った。半木の妻が出て来ないのは、パートが町内会にでも出ているのだろう。

 親子の激しい言い争いは、外の彼らの耳にもしっかり届く。後で宮司が帰ってきても、内容を尋ねる必要は無さそうだ。


“ちゃんと宝珠は直ったんだよ!”

“何にも変わらない! 出てって!”


 修復を聞いても無下にする娘の態度に、桐治は最初、やはり学校生活が原因の登校拒否ではないかと考えた。

 ところが、彼女は「変わっていない」と強硬に主張し、根拠もあるとまで言う。

 頑なな娘に変化が現れたのは、父が桐治について話した時だった。


“すごい人なんだよ、狭山さんは。宝珠も疵一つ無くなったんだ!”

“…………?”

“そうだよ、あかねも何でも相談するといい”


 半木茜、高校一年生の恭造の娘の声は聞き取れなくなったものの、どうやら桐治のことを呪術のプロとでも認識したらしい。彼には嬉しくない話だが。


 そこからは静かな話し合いが交わされたようで、やがて説得に応じた茜が、父の後ろに続いて下に降りて来た。

 大人しく待っていた自分を褒めてやりたいと、桐治は思う。親子喧嘩なんて、亀だって食わないぞ。


 ややくたびれ顔の三人が、玄関に顔を出した親子へ挨拶する。


「君が娘さんか。狭山桐治、喫茶店を経営してる」

「篠田瑠美、塩担当」

「大矢ミキ。半木さん、支払いは忘れちゃダメですよ」


 茜は何やら不満気な表情で、父に耳打ちした。呪術師がいない、どうもそんなことを訴えたと思われる。


「違うって、この狭山さんが呪術師なんだ。喫茶店は趣味だよ」

「おい、娘の歓心を買うのに、俺を転職させるな。呪術は趣味ですらないぞ」

「凄い呪術だったじゃないですか!」

「前職が修復師なだけだ。人よりちょっと、直すのに詳しいんだよ」


 桐治と父の会話を聞いて、茜が思い切って口を挟む。

「な、治せるんですかっ?」

「ん? まあ、物によるけど、いろいろ直してきたよ」


 布団に潜り込んでいたという彼女は、おそらく学校指定のトレーナーとハーフパンツを着て、頭には赤いバンダナを巻いていた。

 茜は父の前に出ると、今度はしっかりと桐治の目を見て発言する。


「相談したいことがあるんです」

「構わないよ」

「お父さん抜きで!」

「全く構わないよ」


 中年宮司の肩を落とした貧相さは、ここに極まれり。瑠美とミキも、さすがに少し同情した眼差しを彼に向けた。





 応接間に通された桐治たちと茜は、向かい合ってソファーに腰を下ろした。二人ずつしか座れないので、ミキは茜の隣、桐治は問題の女子高生の真正面へ。

 半木父は最後まで居残ることを画策したが、娘に一喝されると、すごすごと退出する。


 唇を噛み、無言で目を伏せる茜が話し出すのを、皆が辛抱強く待ち構えた。意を決した少女は、バンダナに手を掛けて口を開く。


「これを……見てください! 治して欲しいんです」


 結び目を解かれた赤い布が、彼女の頭からハラリと膝に落ちた。

 肩上に切り揃えた髪を掻き上げ、茜が斜めに顔を向けると、桐治も少女の見せたいものが分かる。

 こめかみから髪の生え際にかけて、黒い痣のような紋様がベッタリと貼り付いていた。

 桐治たち三人には、何がその印をもたらしたのか、すぐに見当が付く。


「キミは、球を持ってるね?」

「……はい。気味が悪くて、ポケットに入れてます」


 一見、矛盾する彼女の発言も、宿命球の性質を考えれば不思議ではない。

 宿命球は距離を置くと姿を消し、いつの間にかまた手元に出現する。いきなり出て来る異物が怖くて、茜は逆に球が手放せなくなっていた。


 同じく紋様を忌み嫌うミキが、少女をおもんぱかって理解を示す。

「その印が出たから、学校に行けなくなったんだ」

「うん……」


 茜に浮き出た紋様は、桐治たちのとはまた形が違う。

 少し角ばった丸型をしており、羽子板の罰ゲームで墨描きされた風でもあった。

 髪で多少は隠れるし、そこまで気にしなくてもというのが、桐治の感想だ。


「学校休むほどか? それくらいなら、厨二ファッションで押し通せなくも……」

「おっ……!」

「お?」

「お友達に笑われます!」


 お嫁さんになれない、でなくて良かった。そんなことを言い出したら、半木父がまたショボくれちまう。


「狭山さん、年頃の女の子は傷付きやすいんです」

「そ、そうか……」

「オジサンには難しいでしょうけど、その辺りは汲んであげないと」


 オジサン……茜にならともかく、ミキに言われると彼も軽く衝撃を受けた。言葉に詰まる桐治の代わりに、瑠美が少女にアドバイスしてやる。


「包帯で巻いて、登校した方がいいよ。頭を怪我したことにして、体育とかも見学してさ」

「……治せないんですか?」

「この球、このお姉さんとオジサンも持ってるんだよ」

「え?」


 話に合わせて、ミキも袖を捲くって少女に見せた。

 一方、瑠美にまでオジサン呼ばわりされ、硬直の度合いを高める狭山桐治、卯年生まれ。ちなみに、茜も卯年である。


「このオジサン、凄い呪術師なんだけどね。治すのに時間が掛かるんだって」

「そうなの?」

「だから、待ってる間は、頑張って学校に行こうよ」

「ん……」


 いつもの桐治なら呪術師を否定するところを、オジサンショックで流してしまう。

 女子高生の説得に、塩球コンビの効果は絶大だった。比較的歳が近い上に、方や呪術マニア、もう一方は同じ被害者だ。

 二人とオジサンを信用した茜は、包帯作戦を採用して登校してみると約束する。


 この後、居間に待機していた父と、近所の寄り合いから帰ってきた母へ、桐治の口から事情を説明した。

 母親は頭の紋様に薄々気付いており、医者に連れて行こうと連日腐心していたようだ。

 桐治たちの体にも同じ斑が生じていること、健康に害は無いことを聞くと、両親も一応の納得をする。

 包帯で仮病を使うとは言え、娘がまた学校に通ってくれる気になったことを、二人は素直に喜んでいた。


 茜の件が片付いてから本殿に戻った桐治ら三人は、重曹と塩の作業を再開して、影と黒毬藻除けを試みる。

 この作業はしばらく定期的に行う方がいいと、宮司には忠告した。本殿に集う黒い住人が減れば、再び宝珠が傷むことを防げるはず。

 桐治には推察されたことが多々あったが、この時点ではまだ心の中に留めており、ミキや瑠美にも言わずにおいた。


 本日の修復料は、ミキの算定で経費込み二十二万円。今後、出張清掃を頼む場合は、サービスで一回一万となった。

 こうして見名瀬の火焔宝珠に纏わる騒動は解決を見る。もっとも、瑠美に言わせると、これが本当のスタートだそうだ。


「女子高生が悩んでるんですもの、狭山さんも宿命球の解明に本腰を入れますよね?」

「うーん、そうなるのか……」


 私だけじゃ本気で取り組んでなかったのかと、ミキがこれでもかと頬を膨らませた。別に蔑ろにしていたのではないものの、手首とひたいでは、事の重大さが違う。歳も違う。

 茜と並ぶと、ミキですらオバサンじゃないかと彼は思ったが、これも口に出さない。


 見名瀬から自宅に帰った夜、改めて自分の宿命球を蛍光灯に向けて掲げた桐治は、その正体に考えを巡らせたのだった。

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