27. 兼崎紀行

 瑠美とミキも参加すると知り、小吹田は協会のバンを借りてきてくれた。彼に運転を任せ、桐治は後部席の一列目、女性二人は二列目に乗る。


 朝の九時にブラン前を出発し、まずは兼崎湖南端に位置する間穂まほ大社を目指す。

 神輿みこしを湖に投げ捨てる奇祭で有名な神社で、初詣客の数も県下トップである。神輿投げは隔年で行われており、そのために作られた白木の神輿が先々週、湖に沈んだ。

 何もなくてもパワースポットと呼ばれる場所なのだが、祭の少し前、境内に立つ御神木の根元に球が発見されたらしい。


 半時間も掛からず神社に到着し、皆は参道を登る。やしろは山の上、彼らが赴くのは中腹にある社務所の裏、神社管理所だ。

 杉の木が左右に立ち並ぶ石段が見えた瞬間、ミキが桐治の袖を掴んで引き止めた。


「虫がいますよ。大丈夫なんですか?」

「ミキは虫嫌いだったな。平気だよ、ほとんど動かないヤツだ。気になるなら自分の球とゴム蛇を握っとけ」

「まあ、虫にも慣れて来ましたけどねえ」


 立派な楼門を潜り、拝殿のある場所まで来ると、管理所へ向かって右に折れる。

 建物の前では老齢の神主が彼らを待ち構えており、小吹田が挨拶するより先に、桐治へ快活な声が掛かった。


「専門家を連れて来るゆうのは、狭山くんところのせがれか。こりゃ間違いないわい」

「よく一目で分かりますね。前に来たのは、十年近く前なのに」

「これでも頭はしっかりしとるでの」


 神主は桐治の父の知り合いで、彼自身は数回しか会っていない。

「親子で顔が似とるから、すぐ分かる」と言われたことに、桐治は不愉快さを隠そうともせず溜め息をついた。


 発見した球があるのは奥の管理部長室で、部長と大きな金庫が一行を出迎える。金庫を開け、部長の机の上に運ばれた球を、皆は立ったまま取り囲んだ。

 黄色の野球ボール大の球。その横に五つの小さな透明球。小さな球の方は真円ではなく、輪郭が歪んでいる。


「なんで六個もあるんです?」

「神木で見つかったのが大きいやつ。他は氏子が奉納したんじゃ」


 許可を得て写真を撮る瑠美を横目に、桐治は球を順番に持ち上げ、一つずつ念入りに調べた。小さな球は光に透かせて、内部も観察する。

 彼の険しい表情を見て、全員が固唾を飲んで鑑定結果を待った。


「ここの神木はケヤキでしたね。この黄色い玉、こいつはけやき玉。木をよく調べれば、球を吐き出したこぶがあるはず」

「ほう、そりゃ貴重品じゃの。本殿に持って行かんと」

「小さな神社なら、本尊にもなるくらいですからね。間穂の本殿なら、もっととんでもないのも有るだろうけど」


 樹種が違うだけで、コブシ玉と性質は同等。とは言え、木の下に死体が埋まってるということはないだろう。

 人の信仰を集めるから霊木なのであって、それも原材料の一つになる。神木というだけで、玉が出来るものでもないが。


 桐治が気にしたのは、歪んだ透明球の方だ。こんな球は、これまで見たことが無い。唯一近いのは――


「宿命球に似てますね」

「俺もそう思う」


 ミキも自分の球を返す返す眺めてきた。上質のガラスのような透明感は、宿命球にそっくりだと、一見して看破したようだ。


「こいつらは死んだ球だな。未完成かもしれない。宿命球なら中に紋様も入ってるが、それも見えない」

「こっちは力の無い球なんじゃな?」

「綺麗なだけ。奉納したかったらどうぞ、としか」


 神社は欅球を霊珠として祀り、観光協会は珠を産んだ神木を紹介できる。どちらも結果には満足しており、小さな球には関心を失いつつあった。

 桐治はその不完全な宿命球にこそ興味を持ったが、ここで得られた情報は発見場所と日時くらいのものだ。

 神主に礼を言い、次へ向かおうと小吹田がさっさと車へ歩き出す。

 一番落胆した様子なのは瑠美で、目当ての“影”がいないことに不満を漏らした。


「大社なら、なんかいると思ったんですけどね。欅玉を眼鏡で見ても、何も無いですし」

「神社の境内は、意外と影はいないもんだよ。今の見名瀬が例外だ。虫じゃダメなのか?」

「虫ですか……どんなやつ?」

「鳥居のとこに、ナナフシがいたじゃん」


 そんなのいたっけと、彼女は小吹田の後を追いながら、参道をキョロキョロと見回す。

 間穂大社の参道入り口に立つ大きな朱塗りの鳥居を、彼が指差した。


「ほら、あの鳥居だよ」

「ナナフシじゃ、インパクト不足かなあ。でもまあ、スケッチしときますか」


 鳥居のすぐ近くまで来たところで、スケッチブックと鉛筆を取り出す瑠美。そのままでは眼鏡を持つ手が足りない。

 ミキが片眼鏡を持つ役を引き受け、彼女の左目の前に掲げた。


「鳥居の柱に付いてるんですか? 見当たりませんね」

「いやいや、上にいるよ」


 鳥居のぬき、柱を繋ぐ横木を彼女が見上げるのに合わせて、ミキも眼鏡を移動させる。

「ひっ、ひいぃっ!」


 後ろに跳び、思い切り尻餅をついた瑠美の頭を、慌てて桐治が支えてやった。

「危ない、頭打つぞ」

「ナ、ナ、ナナ」

「ナナフシがどうかしたか?」

「あんなナナフシがいてたまりますかーっ!」


 鳥居の上部にしがみつく、胴長約一メートルの虫。

 六本の細い手足が異様に長いため、見た目の大きさは、その数倍に感じられる。

 黒い針金細工を思わせる姿形は、サイズを不問に付せば、ナナフシかハリガネムシといったところだ。


「瑠美も意外と虫嫌いなんですねえ。私と一緒」

「なんでアンタは平気なのよ! 適応し過ぎでしょっ」


 大きいと逆に生理的な嫌悪感は減るかも、とミキは思う。

 今のところ最も気味が悪かったのはアパートの二階、黒い影よりも壁の血文字が断トツのワースト一位。

 人間の所業が一番恐いです、などと書き殴られた怨嗟の言葉を思い出し、彼女はブルッと肩を震わせる。


 瑠美はギャーギャーとわめきながらも、片眼鏡を再び覗いて鉛筆を走らせ始めた。これを描くのが主目的だった上に、ミキより動転するのは沽券に係わる。


 初めて克明に見る異形。

 幽界の住人への怯えを噛み殺し、瑠美はスケッチブックに黒ナナフシを活写していった。たまに鉛筆をゴム蛇に持ち替えて、頭上で振り回すのは、彼女なりの精神安定法だろう。

 少し時間が掛かりそうなので、小吹田には先に車へ戻ってもらう。


「これって、写真には撮れませんよね?」

 念のため、瑠美から確認の質問がされる。撮れるなら、何も手で描く必要が無い。


「そこまで性能のいいカメラは知らないなあ。もっと画素数が要るんじゃない?」

「画素数……ですか」

「フィルムカメラだと、写せることもあるみたいだぞ。デジカメは全然ダメ」

「はあ、なるほど」


 角度を変え、二、三枚のナナフシ画を完成させると、間穂での仕事は終了。桐治たちは次の目的地へと移動を再開した。


 以降、寺社や公園、景勝地に湖畔の民家と案内される。

 日が暮れるまでの調査で、ただの丸石が七件、植物系の玉が二件、動物系が一件。

 ちなみに、瑠美の絶叫は計五回。黒蜘蛛が崖に密集している時の叫びが、最高デシベルだった。


 大半はガセネタとも言える結果にも、小吹田の表情は明るい。


「四つは本物ってことですからね。オカルトマップじゃなくて、霊珠マップにしようかなあ」

「それでいいんじゃないか。昔から、宝珠は信仰の対象だからね。見名瀬も合わせれば、五つだ」

「出来損ない、でしたっけ。あの透明のは珍しくないんですか?」


 いびつな宿命球の不完全品、十七件。珍しくはある。


「……力も値打ちも無いけど。結論は、もうちょっと調べてからにしたい」

「そうですか。あっ、次は玉じゃないです。カネッシーの目撃者に会いに行きます。これで今日は最後」


 半木が茜の言葉を信じてカネッシーを喧伝してからは、観光協会や商工会議所へ目撃情報が届くようになった。

 信用できそうにないものばかりの中、今から会う人物は、虚言と断定し辛いらしい。


 兼崎湖を拠点にして活動するベテラン写真家、野上のがみ裕綺ゆうき。湖に面して建てられた彼のアトリエへ到着したのは、夜の六時半のことだった。


 キャビン風のアトリエには広いウッドデッキが付属し、大きな丸テーブルが置かれている。

 一行はそのテーブルの周りに座らされ、挨拶もそこそこに、野上から話が切り出された。


「仲間は誰も信じちゃくれないんだが、僕は確かに見たんだ。写真も撮った」


 テーブルに散らばるプリントアウトした写真が、目撃時に撮影したものだと言う。しかし、どれも夕闇の兼崎湖を写しただけで、ただの綺麗な風景写真だ。

 プロらしい構図と美しさを、桐治が素直に賞賛する。


「よく撮れてますね」

「撮れてないんだよ! ここにいたんだ、錯覚じゃない」


 野上は持って来たノートを開き、中に描き散らしたスケッチを見せる。


「これはイマイチかな。瑠美の方が雰囲気あるかも」

「腕前の話はいい、僕は絵はあんまり上手くない。それより、こいつなんだ、いたのは」


 水面から伸びた首、丸い背中、長い尾。

 海竜を伝えたいことは分かる。


 見たのは先週、場所はこのキャビンの先、兼崎湖の南東の湖岸。

 今時、恐竜とか海竜だとか言われてもなあ。腕を組んで返答に困る桐治だったが、瑠美は何か感じたものがあるようだった。


 取り出した彼女のスケッチブックの上で鉛筆が勢いよく走り回り、横から覗いていたミキは「ああ!」と手を叩いた。

 出来上がったスケッチを、瑠美が皆に向けて立てて見せる。


「野上さんが見たのは、これじゃないですか?」

「そ、それだっ! すごい、君は正体を知ってるのか!?」


 答える代わりに、彼女は桐治の感想を待った。

 黒く長い首、丸い甲羅、後ろに長く伸びる毛。


「カネッシーじゃねえじゃん! カメッシーだ、それ」


 ソーセージ好きの兼崎湖名物が、瑠美の手でスケッチブックに再現されていた。

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