27. 兼崎紀行
瑠美とミキも参加すると知り、小吹田は協会のバンを借りてきてくれた。彼に運転を任せ、桐治は後部席の一列目、女性二人は二列目に乗る。
朝の九時にブラン前を出発し、まずは兼崎湖南端に位置する
何もなくてもパワースポットと呼ばれる場所なのだが、祭の少し前、境内に立つ御神木の根元に球が発見されたらしい。
半時間も掛からず神社に到着し、皆は参道を登る。
杉の木が左右に立ち並ぶ石段が見えた瞬間、ミキが桐治の袖を掴んで引き止めた。
「虫がいますよ。大丈夫なんですか?」
「ミキは虫嫌いだったな。平気だよ、ほとんど動かないヤツだ。気になるなら自分の球とゴム蛇を握っとけ」
「まあ、虫にも慣れて来ましたけどねえ」
立派な楼門を潜り、拝殿のある場所まで来ると、管理所へ向かって右に折れる。
建物の前では老齢の神主が彼らを待ち構えており、小吹田が挨拶するより先に、桐治へ快活な声が掛かった。
「専門家を連れて来るゆうのは、狭山くんところの
「よく一目で分かりますね。前に来たのは、十年近く前なのに」
「これでも頭はしっかりしとるでの」
神主は桐治の父の知り合いで、彼自身は数回しか会っていない。
「親子で顔が似とるから、すぐ分かる」と言われたことに、桐治は不愉快さを隠そうともせず溜め息をついた。
発見した球があるのは奥の管理部長室で、部長と大きな金庫が一行を出迎える。金庫を開け、部長の机の上に運ばれた球を、皆は立ったまま取り囲んだ。
黄色の野球ボール大の球。その横に五つの小さな透明球。小さな球の方は真円ではなく、輪郭が歪んでいる。
「なんで六個もあるんです?」
「神木で見つかったのが大きいやつ。他は氏子が奉納したんじゃ」
許可を得て写真を撮る瑠美を横目に、桐治は球を順番に持ち上げ、一つずつ念入りに調べた。小さな球は光に透かせて、内部も観察する。
彼の険しい表情を見て、全員が固唾を飲んで鑑定結果を待った。
「ここの神木はケヤキでしたね。この黄色い玉、こいつは
「ほう、そりゃ貴重品じゃの。本殿に持って行かんと」
「小さな神社なら、本尊にもなるくらいですからね。間穂の本殿なら、もっととんでもないのも有るだろうけど」
樹種が違うだけで、コブシ玉と性質は同等。とは言え、木の下に死体が埋まってるということはないだろう。
人の信仰を集めるから霊木なのであって、それも原材料の一つになる。神木というだけで、玉が出来るものでもないが。
桐治が気にしたのは、歪んだ透明球の方だ。こんな球は、これまで見たことが無い。唯一近いのは――
「宿命球に似てますね」
「俺もそう思う」
ミキも自分の球を返す返す眺めてきた。上質のガラスのような透明感は、宿命球にそっくりだと、一見して看破したようだ。
「こいつらは死んだ球だな。未完成かもしれない。宿命球なら中に紋様も入ってるが、それも見えない」
「こっちは力の無い球なんじゃな?」
「綺麗なだけ。奉納したかったらどうぞ、としか」
神社は欅球を霊珠として祀り、観光協会は珠を産んだ神木を紹介できる。どちらも結果には満足しており、小さな球には関心を失いつつあった。
桐治はその不完全な宿命球にこそ興味を持ったが、ここで得られた情報は発見場所と日時くらいのものだ。
神主に礼を言い、次へ向かおうと小吹田がさっさと車へ歩き出す。
一番落胆した様子なのは瑠美で、目当ての“影”がいないことに不満を漏らした。
「大社なら、なんかいると思ったんですけどね。欅玉を眼鏡で見ても、何も無いですし」
「神社の境内は、意外と影はいないもんだよ。今の見名瀬が例外だ。虫じゃダメなのか?」
「虫ですか……どんなやつ?」
「鳥居のとこに、ナナフシがいたじゃん」
そんなのいたっけと、彼女は小吹田の後を追いながら、参道をキョロキョロと見回す。
間穂大社の参道入り口に立つ大きな朱塗りの鳥居を、彼が指差した。
「ほら、あの鳥居だよ」
「ナナフシじゃ、インパクト不足かなあ。でもまあ、スケッチしときますか」
鳥居のすぐ近くまで来たところで、スケッチブックと鉛筆を取り出す瑠美。そのままでは眼鏡を持つ手が足りない。
ミキが片眼鏡を持つ役を引き受け、彼女の左目の前に掲げた。
「鳥居の柱に付いてるんですか? 見当たりませんね」
「いやいや、上にいるよ」
鳥居の
「ひっ、ひいぃっ!」
後ろに跳び、思い切り尻餅をついた瑠美の頭を、慌てて桐治が支えてやった。
「危ない、頭打つぞ」
「ナ、ナ、ナナ」
「ナナフシがどうかしたか?」
「あんなナナフシがいてたまりますかーっ!」
鳥居の上部にしがみつく、胴長約一メートルの虫。
六本の細い手足が異様に長いため、見た目の大きさは、その数倍に感じられる。
黒い針金細工を思わせる姿形は、サイズを不問に付せば、ナナフシかハリガネムシといったところだ。
「瑠美も意外と虫嫌いなんですねえ。私と一緒」
「なんでアンタは平気なのよ! 適応し過ぎでしょっ」
大きいと逆に生理的な嫌悪感は減るかも、とミキは思う。
今のところ最も気味が悪かったのはアパートの二階、黒い影よりも壁の血文字が断トツのワースト一位。
人間の所業が一番恐いです、などと書き殴られた怨嗟の言葉を思い出し、彼女はブルッと肩を震わせる。
瑠美はギャーギャーと
初めて克明に見る異形。
幽界の住人への怯えを噛み殺し、瑠美はスケッチブックに黒ナナフシを活写していった。たまに鉛筆をゴム蛇に持ち替えて、頭上で振り回すのは、彼女なりの精神安定法だろう。
少し時間が掛かりそうなので、小吹田には先に車へ戻ってもらう。
「これって、写真には撮れませんよね?」
念のため、瑠美から確認の質問がされる。撮れるなら、何も手で描く必要が無い。
「そこまで性能のいいカメラは知らないなあ。もっと画素数が要るんじゃない?」
「画素数……ですか」
「フィルムカメラだと、写せることもあるみたいだぞ。デジカメは全然ダメ」
「はあ、なるほど」
角度を変え、二、三枚のナナフシ画を完成させると、間穂での仕事は終了。桐治たちは次の目的地へと移動を再開した。
以降、寺社や公園、景勝地に湖畔の民家と案内される。
日が暮れるまでの調査で、ただの丸石が七件、植物系の玉が二件、動物系が一件。
ちなみに、瑠美の絶叫は計五回。黒蜘蛛が崖に密集している時の叫びが、最高デシベルだった。
大半はガセネタとも言える結果にも、小吹田の表情は明るい。
「四つは本物ってことですからね。オカルトマップじゃなくて、霊珠マップにしようかなあ」
「それでいいんじゃないか。昔から、宝珠は信仰の対象だからね。見名瀬も合わせれば、五つだ」
「出来損ない、でしたっけ。あの透明のは珍しくないんですか?」
「……力も値打ちも無いけど。結論は、もうちょっと調べてからにしたい」
「そうですか。あっ、次は玉じゃないです。カネッシーの目撃者に会いに行きます。これで今日は最後」
半木が茜の言葉を信じてカネッシーを喧伝してからは、観光協会や商工会議所へ目撃情報が届くようになった。
信用できそうにないものばかりの中、今から会う人物は、虚言と断定し辛いらしい。
兼崎湖を拠点にして活動するベテラン写真家、
キャビン風のアトリエには広いウッドデッキが付属し、大きな丸テーブルが置かれている。
一行はそのテーブルの周りに座らされ、挨拶もそこそこに、野上から話が切り出された。
「仲間は誰も信じちゃくれないんだが、僕は確かに見たんだ。写真も撮った」
テーブルに散らばるプリントアウトした写真が、目撃時に撮影したものだと言う。しかし、どれも夕闇の兼崎湖を写しただけで、ただの綺麗な風景写真だ。
プロらしい構図と美しさを、桐治が素直に賞賛する。
「よく撮れてますね」
「撮れてないんだよ! ここにいたんだ、錯覚じゃない」
野上は持って来たノートを開き、中に描き散らしたスケッチを見せる。
「これはイマイチかな。瑠美の方が雰囲気あるかも」
「腕前の話はいい、僕は絵はあんまり上手くない。それより、こいつなんだ、いたのは」
水面から伸びた首、丸い背中、長い尾。
海竜を伝えたいことは分かる。
見たのは先週、場所はこのキャビンの先、兼崎湖の南東の湖岸。
今時、恐竜とか海竜だとか言われてもなあ。腕を組んで返答に困る桐治だったが、瑠美は何か感じたものがあるようだった。
取り出した彼女のスケッチブックの上で鉛筆が勢いよく走り回り、横から覗いていたミキは「ああ!」と手を叩いた。
出来上がったスケッチを、瑠美が皆に向けて立てて見せる。
「野上さんが見たのは、これじゃないですか?」
「そ、それだっ! すごい、君は正体を知ってるのか!?」
答える代わりに、彼女は桐治の感想を待った。
黒く長い首、丸い甲羅、後ろに長く伸びる毛。
「カネッシーじゃねえじゃん! カメッシーだ、それ」
ソーセージ好きの兼崎湖名物が、瑠美の手でスケッチブックに再現されていた。
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