28. 湖の秘密

 写真家は、桐治の発言を聞いて色めき立った。

「正式名称はカメッシーなのかね? 海竜なのか? なんで写真に写らないんだ?」

「カメッシーは亀です。写真に撮りにくいみたいですよ」


 桐治も尻子玉のぬしを思い浮かべ、この騒動の原因に合点が行った。

 あの亀がまだこの辺りをウロウロしていたのでは、騒動になるのも仕方がないのかもしれない。毛が長かったからなあ。


「髪が大量に生えてる以外は、長生きした普通の亀ですよ」

「他に違和感は無かったっけ、瑠美?」

「無かった気になってくるのが怖い」


 女性二人の声を潜めた会話を聞き咎めて、桐治が言い返す。


「亀に何か不自然な点があったか?」

「ソーセージ食べてましたよね?」

「それがおかしいなら、俺もアウトだ」

「二足歩行?」

「俺アウト」

「黒い?」

「人種差別」


 腹に模様、そう指摘された時に唯一、彼が返事に詰まる。

 亀の腹には、二本の黒い線が斜めに描かれていた。垂れた眉毛にも似た、カタカナのハの字の紋様。


「腹の紋は、俺も気になっていた。あの亀――」

「似てますよね」

「ああ」


 一体、何に似ていると言うのか。通じ合う桐治とミキに、多少語勢を強めて瑠美が問う。

 桐治は首裏を、ミキは左手首に人差し指を当てた。


「宿命球の紋様?」

「球は人間以外にも取り付くのかもな。湖が球のみなもとなら、住んでる生き物に影響が出るのも有り得る」


 理解し難い話ではあっても、いくらかの解説を得られたことで、野上は落ち着きを取り戻す。

 害は無い生き物である、兼崎湖に住んでいると教えられ、彼は写真家としての本分に立ち返った。


「また現れるかもしれないんだね。写真は絶対に無理なのか?」

「フィルムを使うといいですよ」

「以前使っていた一眼レフがある。おびき出す方法は無いかい?」

「そうですね……やっぱりソーセージかな。魚肉のやつ」


 どうやら撮影に再挑戦する気だ。皆で健闘を祈り、野上のキャビンを後にすれば、長い一日が終わりを告げた。

 紀多へ帰る車中、小吹田はやたら嬉しそうにハンドルを握り、遂にはラジオに合わせて鼻歌まで登場する。


「ずいぶんご機嫌だね」

「だって、カネッシーまで本物なんでしょ。これは宣伝しがいがあるなあ」

「……亀だけどね」


 瑠美を降ろし、アパートの前で桐治たちと別れる際に、小吹田はクリアファイルをくれた。

 何枚も書類が挟まれた厚いファイルを透かし見た桐治が、内容を尋ねた。


「これは?」

「兼崎湖の、七月からのイベント総覧です。実際の行事に参加した職員のレポートも付けました」

「ああ、それは助かる」

「こちらこそ、今日はありがとうございました。また進捗は報告させてもらいます」


 アパートの住人二人は去り行く車に手を挙げ、建物に向き直ると、揃ってシートで固まってしまった背筋を伸ばす。

 無報酬はサービスし過ぎたかとも思うものの、小吹田にはまた頼み事ができるだろう。


「資料を読むのは、明日にするか。思ったより、疲れなかったけどな」

「ドライカレー、作りますよ」

「そりゃいいや。好物なんだ」


 ミキは宿命球を握り、扉までの道に飛ぶ蛾を追い払いながら進む。数匹の黒い蛾が、球の近くで粉となって闇に溶けた。


「慣れたもんだな」

「さすがにね。大社にいたナナフシさんも、球が効くのかな」

「多分、有効だろう――」


 自宅の扉の前で立ち止まった桐治に、彼女が小首を傾げる。


「どうかしました?」

「何でもない、つまらないことを想像しただけだ。晩飯、楽しみにしてる」

「まっかせなさーい」


 味付けを濃くし過ぎて、ミキが失敗したとしょげたその晩のドライカレー。

 皿を舐める勢いで完食した桐治は、そのスパイシーさが絶品だと彼女の腕前を誉めちぎった。





 定休日を潰されたこともあって、翌日のブランの営業は多忙を極めた。

 火曜だというのに来客が多いのは、本来喜ぶべきことだ。愚痴りそうになるのを我慢して、桐治はミキと仕事をこなす。


 せっかく小吹田から得た資料も、目を通せたのは閉店後のことだった。

 毒殺ピザで夕食を手抜きすることにし、届けに来た宅配バイクが帰るのと入れ替わりで、瑠美が合流する。


「父さん、スケッチを見たら大興奮してたわ。次は連れてかないと暴れるかも」

「虫好きなんですねえ」


 二人の会話には参加せず、桐治は無言でピザを片手に資料を読み耽った。

 七月から八月頭にかけて、兼崎近辺で催された夏祭りは多い。

 兼崎湖大花火大会も、八月の第二週に予定されていたが、これは一週間延期された。バラバラ殺人事件のせいだ。


 花火大会では、湖面に設置されたいかだから放たれる水上花火が人気を集めている。

 遠隔操作で着火される花火は、半球状に広がる様子が面白く、物珍しさもあって兼崎の夏の名物として有名だ。


 兼崎湖に直接関係する行事には、他にカヌーレースもあるものの、こちらは中止になった。

 レースは兼崎と姉妹関係を結ぶ南蔵なんぞう市との交流イベントの一つで、姉妹市成立十周年を記念したものだ。

 カヌーやヨットの選手を南蔵から招く企画は、残念ながら実現していない。

 南蔵市は日本海に面した歴史の古い町であり、兼崎と同じく大きな湖を持つ縁で関係が持たれた。


 書類をめくる桐治は、次に頼むピザで激論する女性二人へ顔を上げ、途中まで読んだ感想を述べる。


「球が現れ出したのは、八月の末。花火くらいしか、時期的には合わないな」

「でも、球が出るまでにタイムラグがあるかも」

「そうだけど、七月にもそれらしいイベントは無い。あっ、まだ食べるから、包むのは待って」


 ピザの残りをまとめようとするミキを、彼が牽制した。瑠美は桐治が読んだ分の資料をもらい、自分でもチェックを始める。


「たしかに、他の祭は恒例行事ですからね。今年に限ってのものじゃないと……」

「球はこの夏だけの話だからなあ」


 職員の参加レポートに綴られる記述も、例年通りの光景ばかり。これはアテが外れたかと、最後の一枚に進んだ桐治が、その内容に目を留めた。


“姉妹都市交流事業日程”

 事件を受けて急遽変更された事業日程の写しは、関係各所に役所から配布されたものだ。

 市長表敬、懇親会、名所案内、こんなものはどうだっていい。

 郷岐さとき神社神主による種返たねがえしの儀、八月十九日実施。場所は湖の中央に停泊した遊覧船。


「あやしい。何の儀式だ、これ」


 参加レポートは無く、行われた内容は不明。

 そのプリントを瑠美に投げ渡すと、彼は携帯電話を取り出した。掛ける相手は、もちろん小吹田。

 遅い時間にも拘わらず、親しげな声が携帯から流れる。


“小吹田です。先日はありがとうございました!”

「すまん、ちょっと聞きたいことが有るんだ。今いいか?」

“ご遠慮無く。球ですか、カネッシーですか? いいですよねえ、球。僕もファンに――”


 球談議を始めそうな彼の言葉を遮り、話を“種返し”に変更する。

 観光協会からは専務理事と部長が参加しており、小吹田も詳しくは知らないらしい。しかし、彼から聞いた概略だけでも、桐治の疑念を深めるには充分だった。


 南蔵市にある八伏やふせ湖、そのほとりにある郷岐神社では、四年毎に種返しの儀が行われる。

 大昔から続く伝統行事であり、次回の種返しは二年後だ。儀式では、神饌しんせんとも、龍餌りゅうじとも称されるを湖に蒔く。


 この夏、交流事業にはこの郷岐の神主も参加した。

 兼崎湖でも神主自ら種を蒔くことで友好を願ったとされ、これは向こうから申し出たイベントである。

 カヌーレースと同じく、種返しも中止が危ぶまれたが、神主の強い要望で儀式はつつがなく実施された。


 電話の間に、ミキは桐治のためにカフェオレを作り、携帯を切った彼へ差し出す。


「何か分かりました?」

「湖に種を蒔いたんだと。儀式の詳細が知りたいな」


 この彼の希望には、瑠美が応じた。スマホで検索していた彼女は、二年前の種返しの儀が、動画サイトにアップされているのを発見する。

 地方局のニュースをコピーしたものを瑠美が再生すると、三人はスマホに顔を寄せた。


“――今年も恒例の「種返しの儀」が行われ、見物に訪れた観客が湖に詰め掛けました”


「本来は春の行事みたいだ」


 遠景に映る桜を見て、カフェオレを飲む桐治がコメントする。

 うみ開き、そんな意図も合わさったイベントらしく、湖上には多数のヨットや遊覧船も繰り出していた。


 初春の光景が一通り流された後、いよいよ神主が現れ、儀式が執り行われる。

“本年の種は豊作”という神主の弁が紹介され、船に置かれた竹編みの籠にカメラが迫る。

 籠の中に手を入れる神主。謎の掛け声が周囲から合唱され、そのリズムに合わせて、湖に種が投げ込まれて行く。


“さときにいね! なんぞにいね!”


 いね――帰れということだろうか。何かを追い払うのが、本来の目的かもしれない。

 神主の手元がクローズアップされた瞬間、桐治がカフェオレを吹き出した。


「ちょ! 汚いっ!」

「蒔いてるの、宿命球じゃねえか!」


 慌ててスマホを退避させた瑠美、テーブルを拭くミキ。

 桐治は口を開けたままカップを置き、両の人差し指を画面に突き付ける。


「思いっきり球を投げてやがる。こいつだ、原因は!」

「んー、疑いようが無いですねえ」

「だからって、カフェオレで私のスマホを攻撃しないでください」


 まさか、こんなに堂々と球を蒔いてるとは。

 この人騒がせな神主を、どうやって問い詰めてやろうかというのが、三人の次の課題であった。

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